第五章‐2:記録されざる図像
その日、私はGIAを出ると、再びヴェザリア旧市街へと向かった。
アトリエに、まだ残された“何か”がある気がしていた。
白い紙片のような光が、静かにアトリエの壁を照らしていた。
太陽ではない。ヴェザリアの上空を巡る人工反射帯――「オルカ灯」の淡い光だ。
屋根の壊れかけた天窓から差し込むその光は、どこか記憶の残滓のようだった。
私たちは、アトリエに遺されたすべての絵画の再解析に取り組んでいた。
構図、色彩、筆致、素材――
どの絵にも、明確な意図が宿っていた。
だが、それは“芸術”としての意図ではない。
“記録”としての意志だった。
殺された者の視界。
終焉の瞬間に魂が見た最後の像。
それらを、レオは歪めず、むしろありのまま描いていた。
彼にとってそれは、再現ではなく、“顕現”だったのだろう。
だが問題は、そこに描かれた死の記憶が、“観測した者の記憶”を上書きする可能性があるという点だった。
実際、我々は2名の分析補助官を一時的に後送処置にした。
絵を見た後、彼らは“自分が見た死”の記憶を錯覚し、錯乱した。
「あのとき、私はあの場所にいた」「声を聞いた」「あの人は、自分のことを見ていた」
視覚情報が、記憶を侵食している。
この段階で私は初めて、彼の絵が――“視覚装置”ではなく、記憶媒体として機能している可能性を視野に入れた。
つまり、レオは“絵による記録”ではなく、“魂の定着”を目的にしていたのではないか。
描かれた者の魂が、その絵に宿る。
その絵を見る者の記憶に、死が侵入する。
そして、すべての構図が集約される最後の一枚――そこに記されるのは、おそらく……
カリムが私の考えを読んだように言った。
「……このままでは、オスカー、お前が“最後の絵”にされるかもしれんぞ」
私は何も言わなかった。
ただ、天井から差し込むオルカ灯の光に目を細めながら、未だ空白の画布に視線を落とした。
そこには、まだ誰の影もない。
だが、もしレオがここに戻るとすれば――
いや、“彼の意志”がまだここに残っているのだとすれば、
最後の一筆は、誰に向けられるのか。
そう考えながら私は、補助官から渡された一枚のスケッチに目を留めた。
――それは、未完成の下描きだった。
粗い鉛筆線がキャンバスの片隅に残されていた。
異様なまでに詳細な構図指示、陰影、人物の輪郭。
そして、そこに描かれようとしていたのは――
明らかに**まだ“死んでいない人物”**だった。
私はその人物に見覚えがあった。
髪の流れ、輪郭、立ち姿。
これは、私だった。
その瞬間、静かな確信が身体の内側に広がった。
まだ、すべては終わっていない。
そして、レオの筆は、まだ動いている。
どこかで。
誰かの手を通してでも。
私たちの記録が終わる前に、彼の絵が完成するのか――
それともその前に、私が“記録”として抗うことができるのか。
それが、これからの問いになる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます