『流転』(下)
7
「なんか久し振りな気がするんだけど、そんな事ない?」
孤月が階段を降りて、青月に声を掛けてきた。青月は返事をしたが、声が裏返る。
「こ、孤月さん! 本日はお日柄もよく……」
「いや、ここいつも夜だから分かんないけど」
「あっ、ああ、そうでした! そうでしたね」
孤月が首を傾げて、近くのソファーに腰を下ろす。青月は額に嫌な汗を感じながら、何とか微笑んだ。
「なんか変な夢を見たんだよな」
孤月がコーヒーを出して、ぼんやりと言う。
青月は少し離れた場所に座り、続きを促した。
「いや、なんかさ。何人かで一人の人間を囲んでるんだよ。その人間の中に交代で入っていくんだけど、俺の番になると誰かに邪魔される。他の奴らも段々と邪魔されて消えていって、最後には俺ともう一人だけになるんだけどさ。変な夢だよな」
「その、囲まれている人間は何をしている方だったんです?」
「そこまで覚えて……いや、なんかよく携帯を見ていたよ。誰かとやりとりしていたみたいだ。いつも顔が強張っているのに、その時だけ綻ぶんだよな」
孤月はコーヒーを啜りながら、そうだ、と続ける。
「無月っているか? この間のことを謝りたくて……。なんでか、無月に会うと俺、パニックになるんだよな」
「無月さんはここ最近お部屋にいるみたいです。でも、何故パニックになるんですか?」
青月は孤月の深掘りをしようとした。アルのカウンセリングの影響か、孤月への興味かは自分でも分からない。
孤月は煙草とシルバーのライターを取り出した。
「何だろう。俺もよく分からないけど、頭の中で騒ぐ奴がいるんだ。物騒だけど、『殺せ』とか『危険だ』とか言われる。無月の顔が見えなくなる。腹立たしいと同時に、別のもっと大きな感情が出て来る」
ライターを開いては閉じ、開いては閉じる。孤月は遠くを見るようだった。
「案外、俺と無月は知り合いなのかもな。思い出せたらいいのだけど」
「……カウンセリングを受けてみては?」
え、と孤月は目を丸くした。そして頭を掻く。左手首にはリストバンドをしている。
「怪しいよな、そういうの。ちょっと怖いよ」
「今の孤月さんには必要だと思います。自分と繋がる為に。変な事を聞きますが、無月さんの事嫌いですか?」
孤月の表情が変わる。それは肯定とも否定とも取れる表情だった。
「分からない。――でも、もっと話したい自分もいるんだよ。無月の事を俺は良く知っている気がするんだ」
「なら、一度自分を整理するのにカウンセリングを受けるべきです」
青月の熱の入り方に、孤月は少したじろいだ。青月も必死だった。友人を守りたい一心だった。
「そうか。分かったよ青月。女の子にそこまで口説かれたら、俺と必死で答えないとな?」
「はい。……あ、いや、口説くって! そういう意味じゃなくて!」
孤月はカラカラと笑って、煙草に火を付けた。青月は揶揄われたと分かり、顔を赤くして黙り込む。
「悪かったよ。可愛いからつい」
「酷いです。嫌いです」
「それで、カウンセリングはどこで受けるんだ?」
青月はカウンセリングルームの事を簡単に説明をした。孤月は礼を言い、しばらく煙草の煙をくゆらせて遊んでいた。
本当にこの人が人殺しなんて出来るのだろうか?
青月は下弦の話した事は夢物語だと感じていた。
天窓の月が肥るまで、まだ時間はある。
8
「初めまして、孤月。僕はアル。君とお話がしてみたかったんだ」
孤月と青月が談笑している所に、アルは唐突に現れた。孤月は顔を上げて、あれ、と首を傾げる。
「初めましてって、ここに連れてきたのあんたじゃなかったっけ?」
「ああ、それは僕の同僚だね。皆大体同じ見た目にしているから、よく間違えられるよ」
アルが帽子を取ると、孤月は納得したように頷いた。
「目が違うわ。初めまして。人違いして悪かった」
「いやいや、気にしなくて良いよ。青月、今回も無月は?」
「まだ出て来ていませんよ」
「そんなに引き篭もるなんて珍しいな。まあやり易いかな。……孤月、カウンセリングの話は聞いたかい?」
孤月が頷くと、アルは微笑んだ。
「本来なら孤月のカウンセリングは無月がやるんだけれど、初回だけ僕でいいかな? 間が空いてしまうし、君がどんな存在でどんな人なのかを一緒に知りたいんだ」
「構わないけど。青月も来るんだろ?」
「望むなら連れていくし、連れて行かない事もできるよ」
孤月はさっさと立ち上がった。
「行こう。青月も聞いていてくれよ。俺が忘れちまったら教えてくれ」
「分かりました」
孤月は一階の入り口に向かって歩き出す。青月はアルと共に、三階の入り口からカウンセリングルームに入った。
青月ははっと息を呑む。
六つの証言台のようなものが一つの椅子を囲んでいる。周囲は真っ暗で、アルたちは一段高い立派な席に通されていた。
見上げても、天窓は存在しない。
孤月はその証言台の内の一つに立っていた。
アルが腰掛ける。
「何だか裁判みたいだね。もう少し砕けた感じにしたいけれど」
「俺が入ったら既にこうなっていたけど。カウンセリングってこんな雰囲気でやるの?」
孤月が緊張した面持ちで尋ねてくる。さすがにこれでは、とアルは本を取り出した。
「孤月、僕が言うものをイメージしてくれるかな?」
「分かった」
「あまり広くない部屋。壁は白い。床は灰色のフロアマット。孤月側と僕たち側にそれぞれカウンターが合って、向き合っている。間にアクリルの板が立っていて、声が通るように点々と穴が空いている」
孤月は言われた通りに脳内で描いたのだろう。カウンセリングルームの内装が歪み、変わった。
「刑務所の面会室みたいだな」
向こう側で、孤月が笑う。間に透明な仕切りがあるが、大分距離が近くなった。アルが頷く。
「これから毎回、ここに入る前にこれをイメージしてくれると助かる。無月が入る事もあるかも知れないからね。ここに仕切りがあれば、無月から触れる事も害される事もないよ」
「……それは良かったわ」
孤月が安心したように呟く。
「では、孤月。カウンセリングの説明からしようと思うんだけど。この中では煙草は吸えないんだ。ただ、コーヒーとかケーキは好きに出してもらっていいよ」
アルが手を叩くと、孤月の前にコーヒーと数種類のケーキが出てきた。
「ショートケーキ、チーズタルト、アップルパイ、シュークリーム。どれが一番好きかな?」
「タルトがいいな。貰っていいのか?」
もちろん、とアルがすすめる。孤月はチーズタルトが乗った皿を手に取った。そのままフォークで食べ出す。
「まず、これで君の好きな物を知る事ができた訳だ。君はさっきのラインナップの中ならタルトが一番好き。チョコレートはどう?」
「チョコレートもいいな。あんまり甘くないのがいい」
「そうか。今度用意しておこう。――カウンセリングはこんな感じで、お茶菓子を楽しみながらおしゃべりをする感じで良いんだ。君自身がリラックスして、話したい事を話せば良い。ない時は相手の話を聞けば良いんだ。たとえば、何か話したいことはあるかい?」
「あるよ。ここの事が知りたい。教わったけどよく分からない」
「ここは『月の書架』。……そういう説明を求めている顔ではなさそうだね」
孤月が盛大に首を縦に振る。
アルは苦笑いした。
「一言で言えば、君は魂なんだ」
「魂?」
「そう。生き物には肉体があるだろう。肉体の中には脳があって、生きる為に必要な物事をたくさん司っている。では、何故生き物は生きていると思う?」
「そりゃ生まれたからだろ? 生まれたから生きている。それ以外に何かあるのか?」
「ではもう一つ訊かせて欲しい。生き物は何故死ぬと思う?」
「寿命だったり、事故だったり。生きていればその内終わりがくるものなんじゃないか?」
「その話をまとめると、生き物は死ぬ為に生きているという事になるね」
孤月はタルトを頬張りながら頷く。
「そういう事だよな。何も不思議じゃないし疑問も感じない」
「そうかな? では、もっと踏み込んだ話をしよう。生き物は死ぬ為に生きているなら、その時間は無駄だと思わないかい?」
「無駄?」
「ただ肉体を使って生きて、死ぬ。そのあとは何も残らない。そんなの時間の無駄だ。そんな無駄をこの世界は許さないよ」
「じゃああんたは、死ぬ以外に生きる理由があるって言いたいのか?」
「そうだ。それが君だよ。魂だ。魂は肉体で生きる事で学びを得ている。喜びや悲しみ、愛を学んでいる」
へえ、と孤月は気のない返事をした。
「じゃあさ、あんたも生きて学んでるの?」
「僕はもう、そこは終わってしまったんだ。今はそれを伝える役目を担っている。知っているのと違うのでは生き方が変わるからね」
「青月は?」
孤月の目がこちらに向く。青月がアルを見やると、答えてあげなさい、と頷く。
「私は、生きて学んでいます」
「そうなのか。じゃあ、何を学んでいるんだ?」
「私は……。狭い部屋でいつも一人です。睡眠薬がないと眠れなくて、そんな人生が辛くて、いつも自分で自分を殺してしまうんです」
「いつも?」
「もう何十回繰り返したか分かりません。首を吊ったり手首を切ったり、毒を飲んだ事もありました。それでも私は私に戻る。同じ親から生まれて、同じ見た目で、同じ性格です。何かをここから学ばないといけない事は分かっているけれど、上手くいかない」
青月は首筋を撫でて、俯いた。
「最近ようやく分かってきたのは、この人生は自分で終わらせてしまうと終わらないという事。何度でも同じ苦しみが襲ってくる。私はこの苦しみを何とか乗り越えなくてはいけない」
「ふむ。青月の学びは順調なようだね」
アルが感心したように言う。孤月は目を見開いて固まった。
「魂の学びというのは失敗を繰り返してようやっと掴めるものだ。生まれたから生きる、死ぬではない。学ぶ為に生まれて生きる、そして死んでも足りなければまた戻る。これを繰り返していくもの。この書架は先人たちの学びを記録して保存している場所だ」
答えになったかい、とアルが尋ねる。孤月は真剣な顔付きに変わる。
「じゃあ俺も何度も死んでいて、何度も生まれ変わってるってこと?」
「うん。そういうことだ。でも君の場合はまだ、今生きている自分が何者で何を学んでいるか分かっていない。まずはそれを見つける手伝いをカウンセリングを通してしていきたいと思っているよ」
アルが優しく微笑むと、孤月は口を尖らせた。
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