『流転』(上)
1
――もし生まれ変わりがあるとするならば、また私に生まれることはあるのでしょうか?
初めてのカウンセリングの時に訊いたことをふと思い出し、青月は目を開いた。
泣き腫らした瞼は酷く重い。ベッドから身を起こすと、蓋が開いていた瓶が倒れた。中に入っていた眠剤がばら撒かれる。
頭の中が、先日の女の金切り声で満たされる。青月は嘔気を催したが、ここで出るものなど何も無い。
一頻りやった後、ふらふらと立ち上がって、窓の側に行く、鉄格子の隙間から見える青白い月は丸く肥えていた。
薬品の匂いでくらくらする。錆びたカッターはもう切れない。
たくさん置いてある時計は全てバラバラの時間を刻んでいる。
頭が割れそうだ、と青月はしゃがみ込んだ。
――ドアがノックされる。
「青月。入っても?」
「……はい」
ドアが開く。薄明かりと共に入ってきたのは、緩いワンピース姿の無月だった。
青月はベッドに座り、顔を上げない。無月に今の顔を見せたくなかった。
無月が手持ちのベルを鳴らすと、小さな椅子と机が出てきた。それと同時に、荒れた床や落ちた錠剤たちが元に戻る。
「少し落ち着きましたか?」
無月の声は、優しかった。
「まだ少し」
「そうですか。……温かい紅茶でも飲みましょうか」
無月がベルを再び鳴らすと、ティーカップと温かいミルク、ブルーベリーのショートケーキが二人分現れた。
無月が淹れる紅茶は、いつもほんのり甘くて美味しい。青月は目を伏せたまま、その誘惑に手を伸ばした。
喉を通って温かいものが身体に入ると、それだけで少し息がつける。
「ん、我ながら美味しく出来ました。ショートケーキはどうかな……」
無月の表情を盗み見ると、いつも見せている平らなものではない。美味しいものを前にする子供のような、それを隠して大人ぶっているような可愛らしいものだ。
青月は、無月がここに自分の友人として来たことを理解する。書架長としての様子見ではなく。
「ケーキ、無月さんが作ったんですか?」
青月は、自分の声が思ったより掠れていることを恥ずかしく思った。しかし、無月は気に留めていない様子だった。
「そう。と言っても、ここでは作れないから再現なのだけども。……んー、まあまあですね。私には少し甘いかな」
次はこれをこうして、などと言っている。青月もつられて一口、ケーキを口に運ぶ。少し甘さが強いが、青月には丁度いい。
「美味しいですよ」
「そう? なら良かった。チーズケーキもあるけど、それはまた今度にしようかな?」
ふふ、と笑う無月。
「最近は忙しくて、自分のことを疎かにしているでしょ? たまには休んだっていいんだよ」
「ううん、私はあまり繋がれていませんから。これでいいの」
「またそんなこと言って。……まあ私も人の事言えないけどね」
唇を尖らせる無月に、青月は心が穏やかになっていくのを感じる。
「あの女の人は、何だったんでしょうか?」
「ああ、あの人は迷い魂だね。他人を巻き込んで命を断った人だって。後でアルさんから聞いた」
「と、なると」
「もう一周だよ。同じ人生をもう一周。……あの感じだと、まだまだ掛かるね」
青月は目線を上に上げた。千切れたロープの残りが、天井で物寂しげだ。
無月が視線を追った。
「私もまだ、掛かるかな」
青月は小さく呟いた。
「まあ、それも学びよね。全部体験しているこっちは辛いものだけど、現実の私たちからしたらいつだって一周目だもの」
「無月さんも、まだ卒業まで掛かりそう?」
「うーん。どうかな。多分もう少しなんだけど、どうにもある年齢以上に行けないんだよね。そこを越えて寿命まで走らないとだめみたいだ」
無月は影を落とし、それに、と続ける。
「書架での問題が山積みなのもあって、なかなか自分まで辿り着かない。困ったもんだよ」
「孤月さんの事?」
「それと下弦。まだ下弦の方が課題が見えているから良いけれど、孤月は」
「この間の、怖かったですよね」
無月が溜息を吐く。
孤月がパニックを起こした時の事を思い出したのだろう。
「あの後、カウンセリングの説明をしようとしたらまたなりましてね。私ではしばらく対応出来ませんね、あれでは」
「皓月さんにお願いしてみては?」
「皓月か……」
無月は肩を落とす。
「アルさんにお願いしてみる。何かあった時の対応は上司の方が助かる」
「それも良いかもです」
青月は残りのケーキを平らげる。
窓の外では月が高くに昇っていた。
2
青月が本の整理をしていると、螺旋階段からふらふらと孤月が降りて来た。
声を掛けようとして、青月は首を振った。今回の彼は彼ではないと、表情を見て察した。
生気のない顔で宛ても無く歩いている。書架内にいる名無したちと同じ動きだ。
「お化けなの?」
幼い声が上から降ってくる。見上げると、六歳くらいの女の子が、ふわふわと浮かんでいた。
「上弦さん。お久し振りですね」
「うん、久し振りに来てみた。……で、彼はお化けなの?」
上弦と呼ばれた女の子は、地に足を付けて仁王立ちをする。子供の体躯では愛らしく見える。
「お化けではないですよ。新しくアクセス権を貰った孤月さんです」
「アクセス権があるのに、他の人とおんなじになっちゃうの?」
上弦は不思議そうに言う。確かに、と青月は頷いた。
「無月さんも良く分からないと言っていました。アクセス権がある魂がこんな風になるのは初めてだと」
「むっちゃんも大変だ。あっちゃんに変なの押し付けられて」
「無月さんなら対応出来ると思われているのでしょうね」
「押し付けられてるだけだよ」
上弦は首を振った。心底困った表情をしている。
「カウンセリングの説明もさせてくれないらしいじゃん」
「それ、誰から聞いて」
「お化け。と言うのは冗談で、皓月だよ。たまたま見ていたらしい。大声で叫んでしゃがみ込んじゃったって」
「そうなんですか」
「凄かったみたいだよ。殺してやるー、とかこの悪魔ー、とか。どこまで本当か知らないけど。むっちゃん、さすがに引いちゃったみたい」
「はあ」
皓月が口走った内容は嘘だろうな、と青月は呆れた。
「わたしも見たかったなあ。次の生まれ変わり先でネタになりそうだ」
「次? 今回はもう終わったんですか?」
「うん」
上弦は仰向けになって、ふわふわと空気を弄んでいる。青月より少し高い位置に行ってしまい、その表情を窺うことはできなかった。
「今回は一回だけ、流産で死ぬって役だったから。母親側の学びのお手伝いかな」
「それは悲しい」
「次は金持ちの家で悠々暮らしたいけど、学び的にどうかなあ。幸せになりたいな」
上弦はそのまま書架の上の方へ浮かんでいく。青月も作業に戻る。
無数の本を積んで、運んで、並び替える。誰も読んでいない本だが、誰かの知識の塊だ。
向こうからふらりふらりと孤月がやってくる。前回来た時より髪が伸び、窶れて見える。目鼻立ちがはっきりしているが、どこにでもいると言えばいそうな顔つき。
無月には、こうなっている時には声を掛けてはいけないと指示されていた。
「危ないから」、と言われているが好奇心が湧き起こる。
青月は本を置いて、意思の無い瞳の孤月の肩に手を置こうとした。
3
「こら、駄目だよ。意識の無い魂には話しかけてはいけない。夢から醒めてしまうから」
青月が驚き振り返ると、そこには帽子を深く被った人物が立っていた。中世の軍服の様な服装、長い髪を束ねている。
「アルさん!」
「やあ青月。真面目な君が違反とは珍しいな」
アル、と呼ばれた人物は帽子を取り微笑む。綺麗だが性別が窺い知れない見た目に、青月は目を逸らして一礼した。
「見回りですか? 今は無月さん、席を外してて」
「うん。無月に話を聞いたから彼を見にきた」
アルは帽子をまた被ると、孤月の肩を叩く。
孤月は肩を跳ねさせ、立ち止まった。表情は変わらないが、辺りを見渡している。ほう、とアルは感嘆の声を漏らした。
「これはとても稀なケースだ。なるほど。無月はこれを見た事がないだろう」
「ええと、そうなのですか?」
「うん、かなり特殊だ。無月には荷が重いとは言わないけれど、一度調べないと何とも言えない」
アルは顎に手を当てて、何かを考え込んでいる。孤月はまたふらりふらりと歩き出してしまうが、アルは気に留めていない様子だった。
青月の胸中に、重いものが落とされる。ここに来た当初、書架長だったのはアルであった。そして、アルがこうして考え事を始めると、関連する本が飛び回って大変だったのだ。
青月は身構えたが、本が飛んでくるどころか物音ひとつしない。
ああそうか、と青月は一人納得する。もうこの人はそういうところに居ないのだと。
それと同時に、そうなったとしても探究心や好奇心は消えないのかと不思議に思った。
「無月は何時頃来るかな?」
「最近はいつもいたので、もしかしたら部屋にいるのかも知れません。次の準備とか」
「ふむ。では降りてくるのを待とうか。青月、少し頼まれてくれないか?」
アルは悪戯っぽく笑う。青月は思わず溜息を吐いてしまった。
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