第37話「救い」という名の毒
薄暗い廊下に出ると、ようやく彼女は立ち止まった。
「抵抗したいなら、これを飲んで」
懐から取り出したのは、あの保健室で見た小さな瓶。
甘い匂いを放つ、無色透明な液体がわずかに揺れている。
僕が拒絶した、底なし沼の誘惑。
彼女の瞳は、相変わらず無機質な光を放っている。
だが、その声には、この薬を飲ませなければならないという、かすかな切迫感が含まれているように聞こえた。
警戒しつつも、彼女の言葉に嘘はないと感じた。
意識の混濁は、すでに限界に達している。
このままでは、言葉を失うどころか、僕自身の存在が消え去るだろう。
花村を救うためにも、抗わなければならない。
瓶を受け取ると、迷わず液体を喉の奥に流し込んだ。
蜂蜜とも、花の蜜とも違う、どこか人工的な甘い香りが、喉の奥から頭の先まで広がっていく。
直後、蝕んでいたマントラの幻聴が、急速に遠ざかっていった。
視界の歪みも、徐々に正常な形を取り戻していく。
鉛のように重かった思考が、嘘のようにクリアになっていく。
この「救い」は、疑いようのない奇跡だった。
しかし、そのクリアになった思考は、この薬がもたらした「救い」が持つ不気味さを、僕に突きつけた。
頭は正常に戻ったが、身体中が凍てついたように冷たい。
そして、僕自身の感情が、どこか遠い場所へと切り離されてしまったかのように、鈍く、曖昧なものへと変質していることに気づき、静かに戦慄した。
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