ある夏の日、僕は「それ」を「あれ」と呼んだ。

彗星愛

はじめまして、「それ」と「あれ」の学園

第1話 ようこそ、「あれ」の学園へ

「えー、じゃあ、みんな静かに。今日は転校生を紹介するぞ」


 担任の坂口先生が、けだるげな声を教室に落とした。


 夏休み明け特有の熱気が、窓から伸びる日差しに乗って、鈍く淀んだ空気と混ざり合う。黒板にはチョークの白い粉が薄らと積もり、教壇へ向けられた生徒たちの視線は、みな一様に見慣れない異物を値踏みするかのように、底の見えない目をしていた。


 僕は深く息を吸い込んだ。


 新しい制服は、まだ体に馴染まず、首元がわずかに窮屈だ。

 僕はこれからの高校生活を、このクラスで過ごすことになる。


 全国各地への引っ越しには慣れている。それでも、この手の「最初の一歩」は、いつも掌に汗が滲む。これくらいの緊張は、新しい環境に馴染むためのスパイスだ。そう、自分に言い聞かせるように、喉の奥で息を漏らした。


「じゃあ、自己紹介、頼むぞ」


 先生が、黒板に書かれた僕の名前を指差す。そこに僕の名前があることは、もちろん理解している。


「はいっ!」


 僕は、元気よく返事をした。こういう時は、元気と笑顔が一番だ。コミュ力で乗り切る。それが、モットーだった。


「今日からこのクラスに転入することになりました、麻生です! よろしくお願いします!」


 精一杯の笑顔で、深く頭を下げる。顔を上げると、クラスメイトたちはそれぞれ、興味半分、面倒半分といった表情で僕を見ていた。ざっと見渡す限り、どこにでもある、ごく普通の高校の教室だ。


「お、おう。じゃあ、それに座ってくれ」


 先生が、教壇のすぐ脇の空席を示した。僕はそこへ向かって歩き出す。


「新しい席、あれは窓際だったわね!」


 教室の奥から、女子生徒の明るい声が聞こえた。


「ああ、それは新しいあれだもんね。だから、これはそこに座るんだろ」


 その声に、別の男子生徒が間髪入れずに言葉を返す。


 右足の親指が床に吸い付くような感覚を覚えた。ごくわずかな違和感。けれど、僕は立ち止まらなかった。気のせいだ。


 指定された席に着く。隣の席の男子生徒が、僕の顔をちらりと見た。口元が微かに上がる。


 それは、歓迎の笑みにも見えた。

 あるいは、ただの気の抜けた顔だったのかもしれない。

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