005_Unbalance - Primadonna〈不均衡の演者〉

005_Unbalance - Primadonna - 01

──数刻後

ガーデンズ・バイ・ザ・ウェイ・メディケア



 鬱蒼とした植物の奥へ行く。その場には似つかわしくない白の大きな箱が、遠目からでも見えるのだ。

 伊地知アオイは迷いなく歩みを進めていく。その奥に、己の求める答えがあるという確信に身を任せて、一歩一歩着実に答えへ突き進む。

 この植物園は、横浜医療共生センターに似ている。

 どちらがどちらを真似たのか、あるいは偶然似通ったのか、アオイにはわからない。だが、確かに──殆ど確実なこととして、この奥にいるのがただの人間ではないことは、理解していた。


 スニーカーの靴底を地面で擦りながら、奥へ進む。ドーム型の硝子天井から注ぐ光は、不思議と規則的な間隔を保って室内を照らしていた。己の歩調とぴったり合う時、アオイの頭上から陽光が降り注ぐ。


 あつい。

 鬱陶しい。


 冷え切った手指を思い、ふと腕に視線を向ける。

 光を反射して煌めく傷口、そこから伸びている葉脈のような痕跡。そして、すっかり緋色に変わった瞳。


 姿形こそ少年をとどめていたが、理性は判断する。

 アオイは、人間を辞めていた。


 鍵穴のような形状をしている温室の最奥部に、白い箱が鎮座している。

 その箱を覆い隠すように、幾つもの植物があった。

 むせかえる花の香りと、そこに混じる──肉の腐った臭い。花の香りはそれを隠すためだろうと、アオイは確信した。


「よく来たな、アオイ」


 アオイは眼前の女を認める。科学者や医者というよりも、彼女はただの女に見えた。


「……あんたは、確か」

「私は濱谷アセビ。お前を作った者だ。生物学上の母親に該当する」


 生物学上の母親──という言い方に、アオイは訝しむ。

 卵子提供者という単語が頭をよぎる。だがそれもしっくりこない。何かがかけ違っている。そのような、絶妙に不快な感覚があった。


「私のメッセージを見てここへ来たということは、お前は真実を知る覚悟ができている。そう判断していいんだな」

「覚悟は、わかんねえけど」 アオイは右手を握りしめる。「何が起きてるのか、ちゃんと知りたい」

「そうか」


 アセビは短く言って、手のひらほどの大きさの拳銃をアオイへ突きつけた。


「え」 アオイは一歩後ろへ下がる。「何で──」

「何故だと? 自分が一番理解しているだろうに」


 ハイヒールの靴音が空間に響いた。向けられた靴先が、まるでナイフの切っ先のように思えて、アオイは生唾を飲み込む。


「私を知らされてはいないんだな。フレデリックにあれほど良くして貰いながら」

「わかんねえよ! だって、俺は……、」

「出来損ないめ」


 アセビの声が徐々に狂気を孕む。握り込まれた拳銃が震え、狙いが定まらないまま弾丸が吐き出される。

 小さな弾丸は、大きく逸れて背後の地面を抉った。アオイはもつれる足を必死に動かして、


「ッ、うあっ」


 躓いて転ぶ。アセビの拳銃が、眉間に狙いを定めた。


「……よくも、フレデリックを…」

「何言ってんだよ! 俺はフレデリックに何もしてない!」

「黙れ」


 アセビはアオイの太腿を撃ち抜いた。

 痛い。神経が絶叫する。奥歯を噛み締めて必死に耐える。


 死にたくない。──死にたくない! 脳内で幼い自分が叫んでいる。アオイは荒い息をしながらアセビを見上げた。バクバクと喧しい心臓が、冷たい殺意を手放さないアセビが、己の人生の無意味さが、何もかも──


「よくも、フレデリックを傷つけたな」

「何の話だよ……ッ!?」


 肩が撃ち抜かれる。足へ視線をやると、既に銃創はふさがっていた。

 息が吸えない。

 己が化け物に変貌していることを見せつけられて、アオイは叫び声を上げそうになった。

 耐えなければ。──理由は、わからなかった。けれどそうしなければいけないということは、彼の魂にくっきりと刻まれていた。


「ごめんなさ、」 己の手指が骨ばっている。己の背骨が軋んでいる。


「おかあさま」 咽喉から零れる声が、泣きつかれて枯れたそれに代わる。


「ゆるしてください」


 出てくるな、出てこなくていい、そう叫ぶ。届くはずのない声がせめぎ合い、ぼろぼろと目から落ちる涙は止まらない。

 駄目だ、引っ込んでろ──奥へ、


 声は届かない。

 傷ついてほしくないのに。アオイは必死に思考を巡らせる。

 どうすればよかった? どうすればいい。

 誰か────



 空虚を劈く銃声が走る。

 己の上から血の雨が降り注ぐ。右手を押さえるアセビは血をだらだらと流して、銃声の方を睨みつけた。


「ロビン!」


 身体を奪い返したアオイは、納棺師の名を叫ぶ。いつになく険しい表情のロビンは、拳銃を構えたままアセビににじり寄る。

 鮮紅色のインバネスコートは、アオイの視界で唯一の色のように映った。


「動くな」


 アセビは答えない。

 ただ、睨んでいた。痛みに耐えているようには、あまり見えなかった。

 ロビンの横に立っていたブラックはサングラスを外す。真っ赤な瞳がアセビを見据える。

 彼女は黙ったまま二人を見ていた。諦観は無い。答えることもしない。しかし沈黙は雄弁に語った。


「駄目だ、ロビン!」


 アオイはロビンに焦りを隠さず呼びかけた。納棺師は唇を噛み締める。

 なりふり構っていられるか、と言いたいのは目に見えていたが、アオイはもう一度叫ぶ。


「駄目なんだよ……」

「フレデリックはどこ」


 ロビンはアオイの叫びを無視して言った。


「答える義理は無い」

「さっさと答えないと蜂の巣だよ」

「できもしないことは言うな、スペクター」 アセビは嘲笑った。「その証拠に、お前は今も私に致命傷ではなく──最小限の怪我で捕縛する方法を考えている」

「いや」


 ロビンは極めて冷静に引き金を引く。銃声と同時に弾丸がアセビの頬を掠め、耳を穿った。


「次はその綺麗なお顔に当ててもいいわよ」


 白衣に血が滲む。

 アセビの表情が苦悶に歪んだ。ハイヒールの音が不協和音を奏でる。

 グリップを握るタングステン合金の左手が音を立て、


「さっさと教えろよ。フレデリック・スカーレットはどこだ」


 アセビは何も言いやしなかった。ロビンは表情を険しくさせる。銃口の位置を軽く下げ、周囲の音に耳をすませる。

 木々の葉がこすれ合う音。遠くで聞こえる空調設備の音。そして、環境音としてスピーカーからさりげなく流される鳥の声。


 その中にある、明確な殺意。


 ロビンは即座に後頭部へ義手を遣った。ほぼ同時に火花が散る。腕一本にかかる荷重は重く、鋭く──一振りの刀の重圧に、ロビンは顔色一つ変えず耐えてみせる。金属同士が削れ合う不快な音が響き、ロビンは漸く口火を切った。


「随分なご挨拶ね」


 勢いを利用して刃を滑らせ、そのまま側頭部を殴打する。ふらついた男は二、三歩後ろへ下がって、なお刀を構えていた。

 右頬に走る一筋の傷跡。たとえ納棺師のトレードマークであるインバネスコートが無くとも、彼を識別することは容易かった。


「フレデリック」

「諦めてくれないか」

「こっちの台詞なんだけど、それ」


 ロビンは滑ってきた武装ケースを足で止め、ロックを解除した。いつも通りの動作だった。何の感情も込められてなどいない。

 白煙を上げて大斧が現れる。


「ロビン……」

「アオイくん」 アオイの傍に寄ったブラックが彼を助け起こす。「立てるか」

「何で……? 何でこんな、」


 アオイは真っ赤に染まった瞳をブラックに向けた。沈痛な面持ちの紳士は首を横に振るだけで、何か明確な答えを出そうとはしない。


「私たちは君の疑問に答えることができる」 ブラックは少年を立たせ、呟く。「だが、その前に──」

「アセビ……お前……」


 ロビンはフレデリックから振り返り、それだけを言った。

 そこにどのような意図が含まれているのか、ブラックは知っていた。その告発が無意味であることも。濱谷アセビという人物が、〈Fragments〉たちが、これから先も完全に消費可能な人間であり続けることに変わりはないことも。


「何だ」


 アセビは無感情な声を返した。本当に、理解できていないという声音だった。

 ロビン・ホワイト──或いは、005-STYX/ 16-86〈Specter〉という無機質なシリアルナンバーを与えられた人間は、それを割り切れなかった。


「リャン・ジュンジェとフレデリックは同一人物だ。けど、。この言葉の意味、お前なら分かんだろ」


 ロビンは斧の柄を握ったまま叫んだ。いつでも彼らを殺せるように警戒しているのか。それともただ、やり場のない感情を必死で押さえつけているのか。

 アオイは、他人事のようにぼんやりと眺めていた。


「お前、フレデリックを吸血鬼に変えただろ」


 伊知地アオイは真っ白になった頭で、ロビンを縋るように見つめる。

 ロビンが何を言わんとしているのか、全く分からないまま──一瞬、視界にノイズが走る。鋭い頭痛に蟀谷を押さえ、封じ込められた記憶に指をかける。

 眼前のアセビは答えない。黙ったまま、口元に薄い微笑みを浮かべている。


 気味が悪い。吐きそうだ。


 アオイは思わず傍に立つブラックの袖を掴んだ。

 背後でフレデリックが膝をつく。ロビンに殴られて脳震盪を起こし、意識を保っているのも漸くという状態なのだから、無理はない。ブラックは軽く彼を気にしたが、


「何を莫迦なことを言っている?」


 漸くアセビは噛みついた。額に滲む汗は傷の痛みのせいではない。ブラックはロビンの声を引き継ぎ、唇を動かす。


「ドクター。貴女はSTYXの中で、〈W-model〉と呼ばれている濱谷アセビの個体群とは、別物と言って差し支えない」


 ブラックは冷酷に言葉を紡ぐ。誰も彼を止める者はなかった。


「トヨハシバイオロジスティクスで運用されていた〈濱谷アセビ〉は、確かに貴女と全てのパーツが同じでした。クローンなのだから当然でしょうが、決定的に違う点がある」

「違う点だと? 私の規格は統一されている」

「それは貴女が実に、感情で物事を判断しているところです」


 アセビは顔を凍り付かせた。


「それに、最初から違和感はあった。貴女はリャン・ロンミンの研究を引き継ぐことになっていると、そうおっしゃっていましたね」


 その声にアセビは答えない。ただ青ざめた顔でブラックを凝視し、それを答えの代わりにした。


「殺害された彼は汎用医療システム〈トリスメギストス〉の開発に関与した、台湾華龍の重鎮。加えて華龍と貴女が属するSTYXは対立している。しかし──わざわざそのような対立の渦中で研究を引き継ぐなど、不自然としか言えません」

「殺害する動機もそう」 ロビンが言った。「けどアオイのことを考えれば、全てに説明がつく」


 ブラックはちらりとアオイの方を気にした。

 よく似ている。フレデリック・スカーレットに。けれど軽く目を伏せた時の顔は、別の人物に瓜二つだった。

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