004_Thawing and Grief - 04

「頼む! 見逃してくれ!」 男は地面へ額を擦りつけた。「お、俺は……俺はやってない! けど、その、」

「リャン・ジュンジェの居場所、知ってる?」

「そっちは知らん。でもフレデリック・スカーレット、そいつは、その。納棺師だろ、知ってるよ」


 男は涙目の顔をロビンへ恐る恐る向けた。


「中華地域のヴァンパイアハンターに仕事を回してくれてた。だからみんな、あいつのこと〈Handler〉って呼んでた」

「……成程。話が見えてきたぞ。つまりマレーシアで私を襲撃したのは、フレデリックの差配だったのか」


 男は顔がみるみる蒼白になっていた。細かく震えながら首を横に振る。己の頭と体が永久の別離を迎える、最悪の想定をしているようだった。


「なぜフレデリックは民間へ依頼を流していたんだ?」


 ブラックの問いに、ハンターは曖昧な声を上げる。


「中華地域ってめちゃくちゃ就職難なんだよ」

「ヴァンパイアハンターが就職できなかった者の受け皿になっているのか」

「ってか、まああれだよ」 男は言う。「勝手に名乗ってるだけのやつも多いけど、歩合だろ? 危険手当つくから、下手にどっかで日雇いするより稼げるんだよ」

「確かに首都側はかなり出るみたいね」


 ロビンはMINERVAの履歴を確認しながら言った。


「この感じなら、納棺師だけじゃ手が回らないのは確か」


 ロビンの瞳はいくつも浮かんでは消える赤い印を捉えている。MINERVAは健気に今も、中華地域で跋扈する化け物を捕捉していた。


「けど何でわざわざそんなこと」

「俺だってわかんねえよ」 ハンターは続ける。「けど、あいつ、妙なこと言ってた……」

「妙な事?」


 ブラックがその言葉を反芻する。何か心当たりがあるのか、彼は後ろ手に腕を軽く組みなおした。


「ダンピールを見つけたら教えるようにってよく言ってた。それと、」


 ハンターは一度言葉を切る。そして恐る恐る、続きを言おうと唇を震わせた。


「〈ヨハンの端末〉」


 奇妙な響きを持った単語を、ハンターは口にする。その言葉にブラックだけがぴくりと眉を反応させ、軽くサングラスの奥で視線が動く。

 解体工事が進められるビルの隙間か吹き込む風が、工事用の防音シートに覆われた建築物の影に佇む三人を叩く。

 生ぬるいとも、冷たいとも言い難い、湿度のある奇妙な感覚だった。

 ロビンはタングステン合金の左手を顎にやる。


「そいつの特徴を教えられて、で、俺らは……フレデリックの代わりに、そいつを探してたんだ」

「その〈ヨハンの端末〉なるダンピールの特徴が、私に近いわけか」


 ブラックは零す。ハンターは軽く顎を引いて頷き、静かに肯定の意を示した。

 ロビンは二人の様子を軽く伺うに留め、手元に浮かぶ3Dホログラム画面から検索エンジンを呼び出す。その単語を素早く入力し、軽く探った──


〈not results〉


 味気ない結果が白い画面にひとつ浮かんでいた。オカルトの類でもなく、陰謀論でもないのだろう。広大なネットの海で、なにも引っ掛からないというのは異常事態だ。

 何者かが情報統制している。ロビンは確信をひとつ抱き、地面に座ったままのハンターの前にしゃがみ込む。


「黒髪に赤目のダンピールが、ヨハンの端末って? マジであいつそう言ったの?」

「そ、そうだ」


 ハンターは少し上ずった声を出した。遠くから響く工事の音が、彼の動揺を誤魔化すかのように近づく。

 フレデリックは独自に、〈希望の大樹〉に現れたダンピールを追っていた。ブラックは脳裏でその仮説を立てる。そうであれば、その人物は中華地域から日本へ堂々と入国してきたことになる。

 しかし、日本にはMINERVAが無い。加えて、ダンピールはMINERVAでは補足できない。恐らく──〈トリスメギストス〉でさえも。


「それ以外になんか言ってた?」

「いや、特には。ただ……」

「何勿体つけてんのよ」 ロビンはハンターを急かした。

「……なんつうか、必死だったな、と思って」


 ハンターは地面で胡坐を掻き、頬杖をつく。負い目を感じているのか、言葉は随分途切れ途切れだった。


「早く……探し出したいみたいだった。だから破格の報酬でヴァンパイアハンターを集めてたんだろうけど──、俺にはよくわからん。けど、そいつを殺したいから情報が欲しいって感じじゃなかったな」

「どういうこと?」

「なんか、噂程度の話なんだが……吸血鬼を人間に戻すクスリがあるらしい」

「ダンピールの血液から、血清を作ることができるという話か」 ブラックが言った。「確かに、私もそのような与太話は耳にしたことがある。……それに、」

「あー成程ね。完全に分かったわ」


 ロビンは一度立ち上がり、背筋を伸ばす。


ご主人様マスター。今のうちに文句言っときますか?」


 事も無げにロビンは告げる。その言葉の意図に気付き、ブラックはサングラスの奥で目を軽く伏せた。


「……いや。何も。君の抱く規律は、この世界で最も重い」

「おい、何なんだよ。ま、まさか俺を殺す気か? よせ! 早まるな!」

「ハァ? 誰があんたを殺すって、そんなわけないでしょ」


 ロビンは呆れた声で言う。そして、


「殺さなきゃなんないのは、アセビよ」


 平然と言った。

 彼女の声に答える者はいない。ビルとビルの隙間から吹き抜ける風の音が、死の間際に聞こえる喘鳴によく似ていた。

 ブラックは目元のサングラスを一度取り払って、目頭を軽く押し込む。


「ずっと引っ掛かってたんですよ」

「TBLのドクター・濱谷が、アオイくんの特例IDを寄越したことか?」

「ええ」 ロビンはブラックの声に頷く。「日本で運用されてるアセビは、この事態を重く見ていたんでしょう」

「だから私たちに、単純明快な解答を用意した。それがあれば、すぐに真相に辿り着くという確信があったわけか……」


 ブラックは「合理的過ぎる判断だな」と零す。

 人間のコピーであり、人間と同じ素材でできた人形。しかしその頭蓋におさめられた脳は、人間性を失っている。〈W-model〉と対外的には呼ばれ、詭弁を現実にするために生み出された彼女を思えば、それは当然のことなのかもしれない。

 濱谷アセビはそういうふうに調整されているといっても、ブラックは未だにそれを飲み下し、納得することができなかった。


「な、何だよ」 ハンターはロビンの視線に気付き、訝しげに声を上げる。

「フレデリックと顔合わせたことは?」

「いや、直接は無いけど。ホロでなら」


 それが何だよ、とハンターは言う。ブラックとロビンは互いの目を見合わせて頷いた。


「そういうことか。……〈ヨハンの端末〉、そしてフレデリック、ドクター・濱谷。STYX内部の情報に精通し、尚且つ被害者であるリャン・ロンミンとも繋がりがある。そして、彼を殺す動機も──」

「大いにありますね。ASEAN支部に戻りましょう。嫌な予感がする」





「その質問に答えるには、私の持つ知識が足りないわ」


 ヴィオレッタ・バイオレットは、伊地知アオイが漸く吐き出した疑問に対し、無慈悲な刃に似た声で切り付けた。

 アオイはその答えを予想していたのか、わざとらしく息を吐き出してヴィオレッタを睨みつける。

 少なくとも、少年は納得していなかった。己の人生がある地点から唐突に始まっている可能性──そして己の過去が全て、紛い物であるかもしれないということに。


「あなたはあなたよ。それ以上に何かあるのかしら」

「そんなスピリチュアルな答えが欲しいんじゃない」


 アオイはヴィオレッタを詰る。幼稚な自己嫌悪は、遂に彼の奥に押し隠した感情を引きずり出した。


「俺、クローン人間なんじゃないの」


 アオイは鼻をすする。己の家族──半身、父、どう形容すべきなのか、彼自身にも判断ができない相手である、フレデリック・スカーレットという男を、思い出したせいだった。


「きっと、俺も──」


 声が絞り出される。掠れて聞き苦しい声がヴィオレッタの耳に届く。

 ヴィオレッタは何も言わなかった。ただアオイが言葉を吐き出すのをじっと待つ。それが最適な行動であると、定義されているようにも見える姿勢を取る。

 ヴィオレッタは静かにアオイを見つめた。


「苦しいのね」 そしてただ傾聴した。アオイは「苦しい、」と言葉を零す。

「……俺は、もう、俺がわからない」


 ヴィオレッタはアオイを真っ直ぐに見つめて、ただ続きを促した。

 下手に寄り添われるよりもずっとましだ。

 ぴぴ、と音を立て、ヴィオレッタの腕の端末が何かを受信する。即座に表示された3Dホログラムには、〈Robin White〉の文字と受話器のアイコンがある。電話がかかってきているのを見て、アオイはバツが悪そうに顔を背けて椅子を立つ。

 引き留める気がないのか、それともどこにも行けやしないと高を括っているのか、ヴィオレッタはその背を見送るばかりだった。


 事実、少年はどこにもいけない。

 彼のうなじには既に位置情報を把握するためのICチップが皮膚下に挿入されており、それで簡単に居所を把握される。


「はい、ヴィオレッタです」

「アオイの監視役ってあんただったのね」 耳小骨伝導イヤホンを介して、気だるげな声がヴィオレッタにロビンの声が響いた。「アオイは? どうしてんのよ」

「少し取り乱しているけれど、精神治療が必要なほどではないわ」

「あっそ。ならいいけど」


 ロビンは投げやりに言う。ヴィオレッタはその口ぶりに、ロビンが何かしらの真実へ到達しようとしていることを悟った。


「フレデリックの座標拾える?」

「ええ。日本にあるけれど──」 ヴィオレッタは展開したホロの地図の上で点滅する、青い印に目線を向けた。「偽装だと思うわ。四時間前に破壊指令が出ています。自戒装置を何らかの方法で外している可能性があるかと。ドクター・濱谷がいるもの……不可能ではないでしょう」


 自戒装置とは、〈Fragments〉のうなじにある自爆装置のことだ。ロビンは唇を噛む。

 あれにはGPSも組み込まれている──位置情報が拾えているなら、確かに位置情報の偽装を疑うべきだ。内心、ロビンは焦りを募らせた。

 ヴィオレッタは黙り込んだままのロビンへ呼びかける。


「わたくしは手伝えません」

「やっぱりそういうことか」


 ロビンはぽつりと零した。

 全てが徒労だったと言いたげな声に、ヴィオレッタは目を伏せる。


「ヴィンセントからも言われたのではなくて? この事件をどうこうするのは無意味だと」

「まーね」


 イヤホン越しのロビンは軽やかな声を上げ──声は、重なる。

 ヴィオレッタの背後から金属が触れ合う音が響く。義手を握りしめたロビンが、彼女の背後に立っていた。

 稀に見る、人間性の滲む表情だった。


「あんたがエレナ直轄じゃないことは知ってる。それを承知で言う」


 ヴィオレッタは黙ったまま、ロビンの方へ身体を向けた。一瞬だけ、サングラスに覆われたブラックの目が、彼女の方へ向く。複雑な色を宿した瞳はすぐに冷静沈着なまなざしに戻り、ヴィオレッタは一度軽く息を吐く。


「伊知地アオイをどうする気?」

「わたくしは、それについて答えられる権限を持っていないわ」 ヴィオレッタは窓の外に視線を向ける。「でも──彼の行き先なら、教えられる」


 腕の端末を二度ほど叩き、ヴィオレッタはロビンの視界へ情報を共有した。

 地図である。シンガポールの地図の上を、青色のピンがゆっくりと移動している。アオイを示す位置情報は、ASEAN支部を出て──


「ガーデンズ・バイ・ザ・ウェイ・……」


 嘗てはシンガポールの一大観光地として栄え、傘をひっくり返したような柱が幾重もそびえた、近代的な植物園。そこは既に緑化地区へ変貌を遂げ、すっかり医療産業の集積地へ変わり果てていた。

 しかし、植物園自体は残っているようである。ロビンは写真を何枚かスマートグラスに表示させて、現在の様子を確認した。地図で照らし合わせると、アオイが立ち入っている場所は観光客向けの地区ではない。

 緩和ケア病棟だ。

 植物園の奥深くに、秘されるように設けられた──静謐の庭。

 何故と思うよりも先に、身体が動いた。ロビンにとっても有り得ない感覚だったが、僅かに〈Fragments〉としての己に残された、人間の部分が己を突き動かした。ブラックがロビンの背を追う。背後から彼の声が聞こえる。それに構っている余裕は無かった。


 止めなければ。たとえそれが、愛の証明であるとしても。

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