003_Bliss in Inebriation - 05

 シンガポール国際空港の建物は、やはり他国と比べても大差ない。ロビンは日本に降り立った時の落胆を再び思う。そして到着ロビーに二人の人影を見つけ、


「ジェイドー」 片方へ呼びかけた。「何、香港から飛んできたの?」

「おう。相変わらず元気そうだな」


 インターポールの捜査官──ジェイド・グリーンは朗らかに手を掲げた。そしてブラックの方を若干引いた表情で一瞥し、


「このクソ暑いのによくそんな恰好でいられるよな、アレク」

「英国紳士のたしなみだ」 ブラックは黒いサングラスのブリッジを押し上げる。「そういう君だって、そのジャケットを脱ぐ気が無いだろう」

「冷房キンキンで寒いんだよ」


 そう言って、ジェイドはロビンとブラックの背後を窺った。


「それで。あなたがアオイ・イジチかしら」


 ジェイドの隣に立っていたエレナ・ブリュンヒルドが言う。

 相変わらず厳格そうな雰囲気を漂わせる彼女に、アオイは決まりが悪そうな表情で一歩下がった。そしてブラックの背後へ隠れるように顔を背ける。


「あら。取って食べたりしないわ」

「そうだとしても、君はいつだって威圧感がある」 ブラックは首を横に振った。「彼はこの一件に巻き込まれた被害者だぞ」

「わかっているわ。ああ、そう……」 エレナの声に、ロビンは片方の眉毛を持ち上げた。「あなたたち、ASEAN支部のオフラインセッションに参加して頂戴。リャン・ロンミン殺害事件に関して、そこの彼にも証言してもらう必要があるの」

「法定代理人の代わりというわけか?」

「裁判じゃないわ。あくまで吸血鬼案件への対処についてよ」


 エレナはヒールの音を響かせながら全員を誘う。到着ロビーから外に出れば、車が一台停まっていた。ICCのシンボルがドアに描かれたICC専用オートタクシーである。

 彼女が腕の端末をドアへかざすと、扉がひとりでに開き全員を招く。内部には運転席が無かった。緊急時にのみハンドルが出てくるタイプの、最新式の車種である。

 ロビンが窓枠の黒いパネルに触れ、のぞき見防止フィルターを窓に下ろす。僅かに暗くなった車内で、徐々に暖色系のLEDが輝度を上げた。


「NPO法人〈希望の大樹〉を襲撃したダンピールについて、あなたは何か知っている。そうよね?」


 エレナは詰問するように腕を組み、鋭くアオイを見据える。居心地悪そうに膝を手で擦るアオイは、


「知ってる、といえば、そうかも」

「聞き方を変えるわ。あなたはダンピールを目撃した? それともそれ以外の人物を?」

「フレデリックが襲撃の現場にいたって言ってたわよね」 ロビンが言う。「つまりさ、それって──フレデリックはダンピールの正体を知ってる」


 エレナは苛立ちを隠さずに、


「確かに彼から〈希望の大樹〉が吸血鬼の襲撃を受けたという報告は貰ったわ」

「じゃあ……あそこにフレデリックがいたのは、吸血鬼ぶっ殺すため?」


 アオイがエレナに問いかける。


「順当に考えればそうね。でも腑に落ちないことがある」

「腑に落ちないって、何がです?」 とジェイド。「フレデリック・スカーレットは納棺師でしょう。たとえ日本って言ったって、吸血鬼が出た場所に行くのは自然な事だと思いますが」


 ジェイドの主張は尤もなことだった。しかし此度は事情が異なる。

 アオイから情報提供を受け、アセビと話し──リャン・ジュンジェの手がかりを求めて〈希望の大樹〉へ向かった。それはいい。しかし、吸血鬼に襲撃されており生存者はゼロ。非常階段に隠れていたアオイだけがここにいる。

 ブラックは改めて考えながら、シワのないスラックスに覆われた脚を組み替える。


「フレデリックが〈希望の大樹〉を襲ったダンピールと繋がっている可能性がある」

「マジかよ。……ん? じゃあこのシティーボーイは、どういうわけでここに連れて来られたんだ?」

「アオイくんは〈希望の大樹〉襲撃事件の折、フレデリックを目撃している。それに彼はヴァンプウイルスの初期感染者、のはず、……なのだが」

「何だよ、アレク。歯切れ悪いな」


 アオイは腕を覆っていたアームカバーを外した。それを見たエレナがぎょっとした表情になる──そしてアオイの腕を恐る恐る引き寄せ、


「ロビン。〈希望の大樹〉で殺した吸血鬼に鉱石様の変性核腫が見られたと言っていたわね」

「そうだけど、アオイは何もできないわよ」


 ロビンは意図的に、アオイの異能と呼ぶべき変性核腫の力を伏せた。

 血液の流動性を保ったまま操る能力。ロビンはアレキサンドリア・ブラック以外の〈理性ある吸血鬼〉ダンピールを知らなかったが、本来のダンピールとはこういう異能を持つ。少なくともロビンはそう学んでいた。


「彼がヴァンプウイルスに暴露し、初期感染者になったのはそう以前の話ではないでしょう。この鉱石様の傷、変性核腫が外付けされてるもの」


 変性核腫はダンピールの体内に見られる腫瘍である。一般的なガンなどの腫瘍とは異なり、ヴァンプウイルスによって変性した血液が凝固したものだ。

 本来なら、大動脈などの血管内壁と融合する形で形成される。しかしアオイの傷を覆う瘡蓋は、意図的にそこへ植え付けられているように思えた。


 まるでダンピールが持つ力を、ように。


「ダンピールがやったって?」 ロビンは言う。「何のために」

「傷を塞ぐためとか」 ジェイドが横から言った。「この傷、どうもかなりばっさりいってる。それにこの位置なら動脈がやられてたかもな」

「ねえ。フレデリックに会ったって、一瞬見ただけ? それともなんか喋った?」


 ロビンはアオイに呼びかける。必死に記憶の糸を手繰るアオイは、唸りながら口を開いた。


「……ごめん。覚えてない。なんか話した気もするし、でもとにかく、見つかったら死ぬと思って、」

「まあ、そうだろうな」 ブラックは頷く。「他に何か、気になった事はあるか?」

「顔に……傷があった。右頬に」

「フレデリックの?」 エレナが問う。


 アオイは「そう」と短く答えて、居心地悪そうに視線を逸らした。その様子にエレナはわざとらしい咳ばらいをして、


「先に言っておくわ。あなたがリャン・ジュンジェを目撃したことがあるという証言。そして現場から発見されたDNAを、私は無視することができない」

「あー、それでジェイド?」 ロビンが言う。

「ええ。私としては、ICCの決定には全然納得がいかない。だからあなたたちに、秘密裏に動いてほしいのよ」

「それに……俺も?」 アオイが己を指さす。「でも俺、何の役にも立たないと思うけど」

「そんなことはないわ」


 エレナはそう言って3Dホログラムを出現させた。そこには〈希望の大樹〉のWebサイトがある。職員一同が微笑む集合写真を表示させて、ホロをアオイの方へ向けた。


「あなたはリャン・ジュンジェの顔を知っている。この中にいるかしら」

「えと……」


 アオイは左手の指を恐る恐るホロへ沿わせる。薬指と中指の爪から第一関節ほどまでが赤黒く染まっているのを、ロビンは見逃さなかった。変性核腫の影響だろう──そうあたりをつける。


「あれ」


 アオイは左手で顔を覆う。


「どれ、だっけ……、って、か。リャン・ジュンジェって、誰」

「はあ? あんたが自分で言ったんでしょ。『タカハシ』って偽名で、リャンが〈希望の大樹〉の炊き出しの手伝いしてたって」

「え、そ、そうだっけ? 俺そんなこと、話したっけ」

「話したわよ。市原埠頭であんたをとっ捕まえたとき、そう言ってたじゃん」


 ロビンは顔を歪める。アオイの記憶の欠落、そしてそれもこの短期間の記憶がこうも容易く失われるものなのかと言いたげな顔だった。

 その声色に気を留めることもなく、アオイは写真と睨み合っている。そしてついに両手で頬に指を食い込ませるほど力を籠めて髪をくしゃりと握り込んだ。


「……そうだっけ……」

「ちょっと」 ロビンが軽く腰を浮かせる。「すっとぼけんのも大概にしなさいよ」

「あなた、〈アンカー〉を乱用しているわね」


 唐突なエレナの指摘に、全員の視線がアオイへ集中した。

〈アンカー〉──それは意図的に脳を弄っている、或いは記憶を改竄されている者が患う白色発火現象ホワイト・ノイズに対して作用する薬。強力な睡眠薬であるはずだ。

 だが入手するには特殊な許可が必要である。基本的には〈Fragments〉にしか支給されず、他ではPTSDを患う軍人などにしか処方されないものだ。

 ふつうの子供が入手できるはずがない。

 アオイがふつうの子供かといえば、それは決してそうではないが。


「一体どこで手に入れたの?」

「もらった」 アオイは不貞腐れたように答える。「飲むと、すぐ寝れるからって」

「誰に?」

「……ともだち」


 あいつらか、ロビンは埠頭にいた不良少年たちを思い出す。

 しかし過った顔は彼らのものではなく、フレデリック・スカーレットの物憂げな表情だった。


「深く追及はしないでおくわ。でもこれには強い依存性がある。悪いけど没収するわよ」


 アオイは大人しくポケットから、器用に四分の一錠に割られた薬が入った小さなジップロックをエレナに差し出した。

 ジェイドはDeepDownの画面をHardPhoneで閲覧しながら、一同をちらりと見た。


「あー。ちょっといいか?」


 敢えて場の空気を和ませる、無駄に明るい声である。ジェイドはエレナが溜息を零したのを見計らって続けた。


「〈アンカー〉を処方している日本の医療機関は三か所しかない。東京湾岸医療共生センター、長崎医療福祉大学附属医療共生センター、そして横浜医療共生センターの三つだ」

「横浜?」 ブラックが聞き返す。「確かアオイくんのお母上は、横浜の大学に勤めているのだったか」

「うん。……、多分」


 自信なさげな答えにエレナが柳眉を立てる。その様子を見て、おずおずとアオイは続けた。


「あんま、仕事の話とか、しねえし。週三会うって言ったって……、アジア圏なら別に、そんな時間かからず移動できるじゃん」

「お母上は海外にもよく行かれていたのか?」

「香港と日本を行ったり来たり、ってのはちょっと言ってた」


 香港と言われて真っ先に思い浮かんだのは、STYXステュークスの研究員である濱谷アセビの顔だった。ブラックはできる限り穏やかな声音で、己の内心を押さえつけながらさらに問う。


「この人物に見覚えは?」

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