003_Bliss in Inebriation - 03

「何でフレデリックがセンターに? ってかあんたもいつからなのよ」

「フレデリックは、知らねえけど。……いや、俺はそもそも入った時ってめちゃくちゃガキだったから、単純に忘れてるだけかもしんねえよ」


 そしてアオイは自罰的な笑みを口元に浮かべ、


「きっと今の俺が入ったら、二度と出れないんだろうな」

「強制収容はフッツーに国際法違反だから。出れるわよ」


 ロビンは思わず口にしていた。言うべきではないと頭では分かっていたが、口をついて出た言葉はそれだった。


「何だそれ、意味わかんねえ」 アオイは曖昧に目元を綻ばせた。「……でも。俺がいたとこに、フレデリックがいたのはマジ」

「覚えている範囲で構わない。フレデリック・スカーレットのことを教えてくれないか」


 ブラックが口を挟む。アオイは少し唸って、「あんまり役には立たねえと思うけど」と自信なさげに言った。


「なんか、小さい頃……絵本を……読んでくれた。気がする」

「気がするって何よ」

「だってぼんやりしたことしか覚えてねえんだもん」


 アオイは拗ねるように言った。そして記憶を手繰るように後頭部を引っ掻きながら、


「……あー……何だっけ。鳥? の話だった。なんか鳥に変えられた? 女の人が出てくるやつ。黒い鳥に騙されて……みたいな」

「白鳥の湖か」 ブラックが言った。「バレエの演目で有名だな。黒い鳥というのは、黒鳥のオディールのことだろう」

「多分」


 アオイは一度目を伏せる。そして持ち上げられた瞳の奥に、澱んだ色があったことをブラックは見逃さなかった。


「結末だけめちゃくちゃ覚えてる。心中するんだよ、主人公とヒロイン」

「おや」 ブラックは意図的に気にしていない素振りで声を上げた。「日本ではそちらの結末の方が有名なのか」

「さあ? でも俺は心中エンドしか知らないよ」

「そんな情報じゃ何もわかんないわよ。もっと他になんかないわけ」


 ロビンが露骨に不満を口にする。


「んなこと言われても、役に立たねえと思うって最初に言ったじゃん」

「あいつは今、納棺師になってる。だったらどういう事情でセンターにいたのか……」

「え? フレデリックって納棺師なの?」 アオイは驚いたように目を丸めた。「元気になったんだ」


 その言葉にロビンは軽く目を細めて、


「シンプルに入院してたのね」

「ん、多分。めちゃくちゃ、体に管とか繋がれてたし。俺に本読んでくれた時も、車椅子だった……、と思う」


 フレデリックはロビン同様に〈Fragments〉であるはずだ。ならばオリジナルのフレデリック・スカーレットは、すでに亡くなっているか──あるいは植物状態になっていると考えるのが妥当だろう。

 しかし彼の実際は謎に包まれ、掴んだと思えば再び霧のように消える。


 ブラックは嫌な感覚に苛まれていた。

 フレデリック・スカーレット。彼には謎が多すぎる。そしてこの事件にも。


 リャン・ロンミンの暗殺に始まり、重要参考人リャン・ジュンジェを追って日本へ来たが、その影を踏んだと思えば消えている。

 全ての盤面をコントロールする真犯人の目的すら見えない。

 アオイのことも葬ろうとする犯人の動機は何だ?

 そして香港から日本へ来た濱谷アセビはどこにいる?

 ブラックは焦りを募らせながら、ロビンとアオイ、二人の様子を見やった。


「なあ。俺、さっきの奴らに、また……」


 アオイの手指は小刻みに震えている。必死に言葉を紡ぐことで、恐怖を誤魔化していたことは簡単に想像がついた。


「ロビン。どうにかできないのか?」


 ブラックは思わず納棺師へそう言った。目の前の少年に少なからず情が湧いていることもあったが、理由は他にもある。

 共生センターへ収容されたヴァンプウイルス感染者の末路に関して、ブラックは予想ができていた。


 良くて監禁、悪ければ安楽死。

 さらに悪いのは実験動物にされること。


 たとえヴァンプウイルスに感染していようと、バイオリソースを無駄にすることをこの世界が許容するとは思い難い。


「できますよ。問題はこいつが未成年なことです。法定代理人に許可を取らないと」

「え」


 アオイはぱっと顔を上げる。そこには困惑と、驚きとがないまぜになった色が浮かんでいる。


「いや、待てって。ロビンは納棺師じゃん。俺は……」

「関係ない」

「なんで。だってさ、」

「君が何であれ、未来を奪われるべきじゃない」


 ブラックははっきりと言い切った。

 横にいたロビンは、思わずその声に少しだけ呆れたような笑顔を浮かべる。そして勝手にブラックのジャケットからHardPhoneを攫った。

 電話の相手には心当たりがあった。アオイ以外は。


「ハロー。エレナ。ごきげんよー」


 ロビンがビデオ通話を繋げる。エレナ・ブリュンヒルドは「謝罪かしら? それとも──懺悔をする気に?」と柳眉を立てた。


「違う。STYXをぶっ飛ばした件はまた後でね」

「勝手に後回しにしないで。あなた何考えてるの、市街地でレールガンを撃つなんて」

「向こうが先に狙撃してきたんだから正当防衛だろーが」

「どう考えても過剰防衛よ」 エレナの罵声が響く。「全く……、こんな重要な時に。日本を戦場にしないで。吸血鬼が出たと言っても、〈トリスメギストス〉の情報統制のせいで全然大事になってないの。わかるでしょう。事態をややこしくしないで」

「あーもう、うっせえなあ……、そんな話するために電話したんじゃねえって」


 ロビンはそう言ってアオイの方へ画面を向けた。


「どちら様?」 エレナは目をぱちくりさせる少年へ言った。

「こいつ、保護していい?」

「保護? どういうこと。あなたまさかとは思うけど──」

「ヴァンプウイルスの初期感染者なの。例のNPOで暴れまわって職員皆殺しにした吸血鬼、そいつと接触した可能性がある」

「そういうことはもっと早く言いなさい」


 エレナは吐き捨てるように言って、肺からありったけの二酸化炭素を吐き出す勢いで溜息をつく。


「──命令よ。その子を連れて、今すぐシンガポールへ来なさい。令状はこちらで対応するわ」

「わかってんじゃん」 ロビンは不敵に微笑む。「じゃ、羽田から直で飛んでいいよね」

「いいわ。それに丁度あなたたちに伝えたいこともあったの」


 エレナはロビンを真っ直ぐに見据える。画面越しの彼女から発せられる強い視線に、ロビンは事態が最悪の方向へ転がっていることを確信した。


「リャン・ジュンジェだけど」


 ブラックはその音声に、思わず「何か分かったのか」と噛みつく。エレナは「ええ」と務めて冷静な声で答えた。


「監視カメラ映像に映っていた彼を含め、その全てが──という結論が出たわ」

「ちょっと待って。じゃあアセビが寄越したあの臨時ID何だったのよ。ジェイドに渡したあの番号、あんたも見たんでしょ」

「ええ。見たし、DeepDownの結果も、全ての分析を総合しての判断よ。ICCはリャン・ジュンジェにまつわる全ての証拠を証拠として扱わない。あれは捏造されたものとする、って。あなたたちには悪いけど」

「DNAは?」 ロビンはエレナに詰め寄る。「現場に奴のDNAがあったって言ってたじゃん」

「……、自殺を他殺に見せかけてた、とか」


 ぽつりと、アオイが言う。

 ブラックとロビンは少年へ視線を集中させた。


「あ、いや。ごめん」 アオイは軽く後頭部を掻いた。「でも……、タカハシさん、ってか、リャンはいる人、だとは思うよ。俺あの写真の顔、見覚えあるし」

「そうよエレナ。アオイはリャンの顔を見てんだって」

「これは私独りの判断じゃないの。とにかく、今はシンガポールへ。状況が変わった」


 ロビンは舌打ちを一つ、そして通話を終わらせる。不安げな視線を二人へ向けるアオイを一瞥し、こっち、とロビンは彼を誘った。

 駐車場には無惨にもバックドアが無い車が止まっている。これで羽田空港まで移動するのは少々目立ちすぎるだろうが、無い袖は振れない。新たに車を手配すれば先程のようにSTYXの連中が追いかけてくる可能性もある。


(つうか……)


 露骨にアオイを狙っているように見える。

 ロビンはちらりとブラックに視線をやれば、視線がかちあう。

 二人の内心は一致を見る。

 STYXにとって、アオイの方が知られては困る秘密を抱えた存在というのは明白な話だ。あの軍需企業が傭兵を動かしている時は、火消しへ躍起になっている時である。


「しかしなぜ……」 ブラックがこともなげに言った。

「何が?」 後部座席からアオイがひょこりと顔を覗かせる。あんまりに呑気な様子にロビンは思わず、

「STYXに目ぇつけられるとか、あんたマジで何やったのよ」

「何にもしてねえって! まあ、センターから脱走は、したけど」

「センターが、ヴァンプウイルスに感染した人間を隔離する役割も担っていると言っていたな」


 ブラックはアオイの話を反芻する。

 医療共生センターは、非行に走る青少年を正しく社会へ組みこむためだけではなく、ヴァンプウイルスの感染者を社会から完全に隔離するための役目を担っている──そういう話だった。

 アオイはヴァンプウイルスの初期感染者。しかし変性核腫を持ち、自在に操ってみせた。

 さらにNPO団体〈希望の大樹〉を襲ったのも、おそらく変性核腫を自在に使えるダンピール。

 ブラックは助手席の肘掛けに片腕を預け、その先を人差し指で一定のリズムで叩く。

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