003_Bliss in Inebriation - 02

「ロビン! おっさん!」 アオイが二人を呼ぶ。「ってか、……え。ちょっと待って」


 アオイは真っ直ぐにブラックの瞳を見据えている。その赤を捉え、小刻みに手を震わせながら彼を指さした。


「え? 目、め、赤くね? いや、あの、」

「黙っていてすまなかった。私はこのとおり、吸血鬼でね」


 ブラックはわざとらしく鋭い犬歯をちらつかせた。


「だが安心してくれ。見境なく人間を襲うようなことはしない」

「あ、え? う、うん……、いや、ってか! だったら何で納棺師と一緒にいんの!?」

「細けえ事情があんのよ」 ロビンは軽く髪を払った。「けど何よ。あんた、思ったより元気そうじゃない」

「えと……、あ、いや。正直その。おっさんがヴァンパイアってことを知って、もう俺の悩みとかどうでもよくなってきたっつうか」


 アオイはそう言って背後の柵に背を預け、パーカーのポケットに手をつっこむ。

 冷たい海風が三人の顔を撫で、磯の香りが鼻腔を擽る。東京湾の内部にいるのだから当然ではあったが、ロビンにとって海は少しばかり新鮮なものだった。


「ねえ。警察に私らのことチクったって言ってたけど。あんた一体どこにいたのよ」

「あー……、えと。階段」

「は?」


 ロビンは思わず顎を落とした。階段、ということはつまり、同じビルの非常階段という意味だろう。ということはあの爆発騒ぎの際にもアオイは非常階段に身を隠し、息をひそめていたということか?


「おいコラ、クソガキ」


 思わずドスのきいた声を出すロビンにアオイはびくりと肩を震わせた。そして彼女からゆっくり視線を外しながら、


「い、い、い。いや。あの。違えんだって」

「何がよ! 何でさっさと逃げなかった! このバカ!」 ロビンは思いっきりアオイの頬を掴んで引っ張る。

「いでででで!!」

「運よく生き残ったから良かったけど。普通なら死んでんだよ! 何考えてんだお前」

「う、それは、マジ正論……」 アオイは表情を曇らせた。

「すまない、私もそこはロビンに同意する」 ブラックは軽く目を伏せた。「だが……本当に無事でよかったよ」


 アオイは抓られた頬を右手で摩りながら、


「あ、あのさ……、その。二人に相談したいこと、あんだけど」


 ロビンはぴくぴくと眉を動かして怒りを露わにしながら「ハア?」と突き放すような声を上げる。

 アオイはそれを見て自信無さげな表情に──或いは、己の身に起きている異変の見当がついて、覚悟を決めるような表情になった。そして右腕の袖を捲り上げる。


 一筋の傷がある。


 だが異様なのはその傷を覆う瘡蓋かさぶたが軽く盛り上がり、鉱石のようにきらきらと輝いていること。そしてその傷の周囲に植物の葉脈のような紋様が浮き上がっていることだった。

 ロビンは目を見開く。そして義手で乱暴にその手を掴み、


「ちょっと」


 思わず声が上ずった。ロビンは目を見開いて、


「これ、あんた────」

「だよな」


 アオイはどこか諦めたように零した。恐怖を押し殺し、なんとか声を絞り出した、という印象だった。


「俺……このままだと……」

「残念だけど。放置しとけば、そうね」 ロビンは腕から手を離す。「……ヴァンプウイルスの潜伏期間は個人差がけっこうあるから、いつなる、とは言えないけど」

「あー! 最悪!」


 あからさまにカラ元気の声で言う。ブラックは思わず苦悶の表情を浮かべる。

 己が吸血鬼となった時とは違う。徐々に人間性を消失していく恐怖と、彼はこれから戦うことになる。そう思うとたまらない気持ちになった。


「このままじゃ俺、マジでセンターに放り込まれるじゃん」

「待ってくれ。日本には吸血鬼を人間に戻す医薬品が」

「何それ。あるわけねえだろ。陰謀論?」


 ブラックの声へ被せるようにアオイが言う。そして傷をちらりと見て、


「あったらセンターねえって」

「どういうこと? それ」

「センターは俺みたいなフラフラしてるガキをぶち込んどく場所ってだけじゃないから」


 その乾いた笑みの裏側、そこに刻まれた歪みの形。ブラックはそれを気取る。彼が喋る前にそれを言ってしまうか──そう思った。だが、押し黙る。

 余計なことを言えば、アオイの心に致命的な罅が入りかねないことを、二人はよく理解していた。


 誤魔化すように視線を遠くへ投げたとき、ブラックはこちらへ近づいてくる白い機影を見つけた。ICC専用機〈CoffinBird〉の機影だろう。


 だが、ロビンもブラックも鳥は呼んでいない。

 白い鳥は三人の頭上を通過し、公園の内部へ降りた。ロビンは二人を残したまま、鳥へ近づく。

 ロビンの接近を検知してハッチが開く。何かがおかしい。内装が取り払われている? 右手の指先にひりつくような、奇妙な感覚を覚えた。徐々に内部の様子が──ロビンは武装のロックを解除し、ケースを棄てた。


「ロビン?」


 アオイの声には気を留めず、ロビンは一歩前へ。

 ブラックはアオイを庇うように立ち、その白い鳥を睨む。


「下がってろ。死にたくねえだろ」


 ハッチが完全に開く。

 そして同時に、火が吹いた。


 激しい銃声と共に薬莢が排出される甲高い音が響く。ロビンは大斧を回転させて浴びせられる銃弾を全て跳ね飛ばしたが、二発が後方へ流れた──ブラックは飛んできた弾丸を掴んで止める。皮手袋が熱で焼ける臭いが漂って、そこに僅かな血液の気配が混ざる。

 火傷に手が痛んだがそれを気にしている場合ではない。

 ロビンが足を擦って一歩下がる。銃火に押されて一歩、そして〈BOOST〉キーを押し込んでヒートカッターを起動した。


「ッ、ゔ!!」


 ロビンは斧を振るう。銃弾が熱で即座に融解し、斧の表面へ焼き付けられる。砂地に刃が掠って耳障りな音を立て、白煙を払うようにロビンは真横へ斧をふるった。

 アオイは頭を抱え込んで震えていた。ブラックは彼を片腕で庇いながら前方を見据える。小銃を構えているのは日本の警察ではない。


 肩に入った紋章は、棺。

 納棺師ではない。あれは、


「──STYXの傭兵か!」 ブラックは口惜し気に言った。

「マジで見境なくなってきたわね」


 ロビンは大斧を下段に構える。ほぼ同時に再び銃弾が飛び、斧でそれを防ぐ。金属同士がぶつかる甲高い音が響き、ロビンはもう一度斧を構えなおした。


「自白ってわけ? あんたらがリャン・ロンミンを殺した、っていう」


 傭兵たちは答えない。ただ銃口を静かに向けているだけで、彼らの意志はどこにも感じられない。


「……、コード確認。005-STYX/ 16-86〈Specter〉……」


 傭兵の一人が聞こえるか聞こえないか、曖昧な声量でそう言った。ブラックは顔を上げる。


「ロビン!」

「分かってます。二秒で片付ける」 ロビンはタングステン合金の右脚を強烈に踏み込んだ。しかしそれと同時に、

「……!! 手榴弾!」 ブラックはアオイを抱え込んだ。

「おっさん!」 アオイが叫ぶ。「何で、」


 ブラックは視界がスローになっていることに気づく。ただの幻覚だ。肉体が死を予感し、生存方法を必死に探っているのだろう。

 だが生きるよりも、この少年の命をどうにかして救わなければという思いのほうが強かった。


 アレキサンドリア・ブラックは、とっくに生きていたいとは思っていない。

 せめて──彼は。そう思った。



「君は若く、未来がある」


 ブラックは強い口調で言った。


「生きていて欲しいんだ」


 それは彼が未来へ向けた、小さくささやかな祈りの形だった。

 だが、



「……よ」


 ぼそりとアオイが言う。

 ブラックは思わず聞き返そうと、僅かに腕を緩めた。



「ねえよ、未来なんか」



 アオイがゆっくりと手榴弾へ右腕を向ける。

 彼の右手へ、一筋の傷から葉脈がゆっくり伸びてゆく。五指の先からごぽ、ごぼっ、と音を立てて血液が漏れ出て、同時に円形を象る。

 血の円盤は流動性を保ったまま徐々に巨大化し、円形の盾の如く厚く、そして手榴弾が僅かに血液へ触れた。


「────だ、ァああ!!」


 ロビンが大斧を傭兵へ振るう。骨が軋みを上げ、装備品を叩き壊し、CoffinBirdの内壁へ人体を勢いよく叩きつける。

 それと同時に後方で、手榴弾が爆発した。血の盾は音もなく崩れてアオイの指先へ戻る。その背後にいた両名には傷一つない。


 ロビンはその様子を横目に、鳥の内部でこと切れた傭兵二人のヘルメットを乱暴に外す。

 その顔はふたつとも同じだった。


「やっぱそういうことか」


 ロビンは細身のメガネ、フレームへと指をあてがい写真を記録した。

 散大した瞳孔、唇の端から漏れる血液。それらは死を意味している。


「……同じなのね」


 納棺師は振り返る。

 立っていたのはよく知る紳士と、もうひとり。

 少年はひとつ瞬きをして、ロビンを見上げる。


「ちゃんと説明してくれる?」


 ロビンは鮮紅色のインバネスコート、その内側から拳銃を引き抜いた。


「あんた、何者? 伊知地アオイ」


 アオイは両腕を捲る。片方の腕には、リストカットの痕が。

 もう片方には鉱石のような一筋の傷がある。


「わからない」

「あんまふざけないで欲しいんだけど」


 ロビンは冷たく突き放す。そして手慣れた手つきで安全装置を外した。


「ロビン」


 ブラックが諫める。

 だがその声は届かず、無慈悲に銃口はアオイへ向けられていた。


「本当なんだ!」 アオイは詰め寄って叫ぶ。「俺は、俺が、わからない……」


 そしてロビンが突きつけている銃口へ頭をぶつける。


「俺は、……センターに入れられた。けど何でなのか……覚えてない、何も」


 ロビンはタングステン合金の左手で拳銃を握りしめる。ぎちぎちと金属同士が軋む音が零れ、アオイはその音に被せるように続ける。


「けど何で? 俺は脱走して、あいつらと……、お前らに会って、」


 要領を得ない言葉の数々が飛びだす。これ以上糺しても情報を得られないと判断し、ロビンは拳銃をひっこめる。


「少なくとも。あんたの変性核腫は、〈希望の大樹〉で職員を皆殺しにした奴とは違う」


 アオイは記憶を必死に手繰るように顔を片手で覆った。


「……〈希望の大樹〉、……あ。そうだ、そうだよ! あんときがいて──」

「あ!? おい待て待て待て! なんつった!?」


 ロビンはアオイの両肩を乱暴につかんで前後に揺らす。されるがままのアオイは「あああ!」と言いつつ、


「き、希望の大樹?」

「ちっげーよその後!」

「フレデリック……?」 アオイは軽く首を傾げる。「んだよ」

「どういうこと? あんたフレデリックと知り合いなの?」

「……知り合い、っつーか」


 アオイはブラックの方へ縋るような視線を向ける。


「君は以前会ったとき、共生センターにいたと言っていたな。もしやその時に?」 ブラックは問う。

「ん、そう。センターにいた時よく喋るとかそんなもんで……、でもフレデリックがいたのって十年ぐらい前の話だし、あの人が俺を覚えてるかどうかも、わかんねえし」

「十年ぐらい前、ね」


 ロビンは思い返す。

 アセビは言った。昔センターにいたことがある、と。

 ではフレデリックは? アセビ同様に別個体だろうか。ロビンは考える。少なくとも香港から二人と共に日本へ渡った彼は、アオイと面識がある可能性が高いと考えるべきか。


 或いは──オリジナルのフレデリック。


〈Fragments〉かオリジナルかは別問題としても、伊知地アオイはフレデリック・スカーレットの顔を知っている。これは事実だ。

 ロビンは拳銃をコートの内側に隠したホルスターへ収め、「ねえ」とアオイに呼びかけた。

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