第2話:”血の申し子”

 ――こ、この人は……ロベルト・シュナイダー様!?


 記録部の面々と同じように、セシルは大変に驚いた。

 訪れたのは、"血の申し子"と評されるロベルト・シュナイダー。

 銀色の髪はわずかな光でも月のように煌めき、どこまでも深い赤の瞳は見る者を引き込み圧倒した。

 高い身長と無駄なく鍛え上げられた肉体は生命力に満ちあふれる。

 右目に刻まれた深い傷は畏怖をも感じ、美しさが具現化したようなロベルトを見て、セシルは思う。

 

 ――こんなときになんだけど、絵画みたいな男性だわ。


 宮殿内、いや国内で彼の名を知らぬ人間は一人もいなかった。

 ロベルトはリデール王国三大公爵家の筆頭、シュナイダー公爵家の次期当主でありながら、国内で最も強い騎士の集団――王国魔法騎士団の団長をも務める傑物だ。

 途方もない地位の高さと恐ろしさを持った美貌はもちろんのこと、"ある不可解な行動"がロベルトに対する恐怖をさらに煽った。


 ――魔法騎士の頂点に立つ存在なのになぜか魔法は使わなくて、必ず直に魔物や敵を倒すから"血の申し子"と評された……らしいのよね。


 赤い瞳は血を見過ぎた結果赤く染め上げられたのだ、という噂もあり、宮殿内の人々は見かける度に恐れ戦いた。

 途方もない権威者の突然の訪問に、記録部は水を打ったように静まり返る。

 誰も何も話さぬ中、ロベルトはユルゲンに凄みのある笑みを向けた。

 

「無礼を働いてすまない、部長。私は時計を読むのが苦手なんだ。記録部の業務はすでに始まっていると思ったが、どうやらまだだったらしい」


 軽く見られただけでユルゲンは寿命が縮む思いだったが、どうにかして時計を見た瞬間、心臓が凍りついた。


「あ、いえっ……! 違います! 記録部の業務は始まっております! 私の勘違いでございました! 申し訳ございません、申し訳ございません、申し訳ございません!」


 ユルゲンは冷や汗をかきながら、恐怖のあまり甲高く裏返った声で弁明する。

 セシルを激しく罵倒していたときの仰々しい物言いはどこに行ったのか、ユルゲンはへいこらと頭を下げるばかりだ。

 記録部の始業時間はとうに過ぎていた。

 シュナイダー公爵家は王家の血を受け継ぐ。

 気持ちよくセシルを罵倒していたユルゲンはまったく気づかず、事もあろうか、もはや王族にも等しい地位のロベルトに"無礼"を働いてしまったのだ。

 時代が時代なら、その場で即刻処刑となってもおかしくない。

 当然、ロベルトは魔法騎士なので帯刀している。

 ユルゲンの頭には走馬灯が怒濤の如く走っていたが、ロベルトはまったく気にせず話を続ける。

 

「……さて、部長。今日はとある魔法事故について、呪文詠唱記録官の意見を求めにきたのだ。この中で一番優秀な人間は誰だ?」


 ロベルトが尋ねると、記録部の面々は一斉にニーナを指す。

 もちろん、ユルゲンもそうだ。

 今し方、一番実績の多い記録官は彼女だ、という話をしていたのだから。

 当のニーナは、ロベルトとの繋がりができそうで胸を躍らせた。

 "血の申し子"と評されようが見目は麗しく、権力も金もある。


「ご紹介にあずかりました、あたくしが一番優秀な記録官こと、ニーナ・ノイエンアーでございます。どうぞお見知りおきを。シュナイダー様とお会いできて光栄でございますわぁ」


 前に歩み出たニーナを見て、ロベルトは怪訝な表情を浮かべる。


「君が最も優秀な記録官? それにしては、動きにくそうな格好をしているのだな。これから舞踏会にでも行くのかと思ったぞ」

「こ、これは、その……っ! 今日のお仕事は午前中までだからですわ! 午後から茶会に参加しますので、早めの準備でございます!」


 指摘され、ニーナは慌てふためいて弁明する。

 呪文詠唱記録官は職務の性質上、動きやすい服装が宮殿から支給された。

 だが、派手好きなニーナは地味な宮廷衣が納得できず、記録官の中でただ一人いつも着飾っていた。

 彼女の服装は今日もふんわりとしたフープドレスで、意匠を凝らしたレースが動きにくさを協調する。

 セシルは何度か注意したが、終ぞ聞き入れることはなかったのだ。

 ニーナの"仕事より私用を優先する"とも取れる発言に不信感が増したロベルトは、彼女に問う。


「では、君に聞くが…………魔法及び呪文詠唱とはなんだ?」

「え、えーっと、それはですね……」


 単純な問いを受け、途端にニーナは冷や汗をかく。

 記録部に配属されてから、もっと言うと屋敷にいた頃から勉強などろくにしておらず、答えに窮した。

 今まではノイエンアー伯爵家の名で誤魔化してきたが、シュナイダー公爵家の前では実家の権力など塵に等しい。

 

「どうした、早く答えなさい。私は忙しい。無駄な駆け引きに付き合っている暇はないのだが」

「ま、魔法とは、ですね。魔力を使って、呪文詠唱で、そのぉ、ぇっと……」

「……は? 何を言っているのかまったく聞こえない。ぼそぼそと言わないでもっとはっきり喋りなさい。記録部には優秀な人材が多いと聞いていたが、私の間違いだったのか?」


 ロベルトの視線が厳しくなるに連れ、セシルは焦燥感を覚える。 


 ――どうしよう、このままじゃ……記録部全体の評価が落ちてしまうかもしれない。


 記録部と王国魔法騎士団は部署も仕事内容もまったく違うが、ロベルトの心証が悪くなるのは、良いことのはずがない。

 ニーナや部長はまだしも、巻き込まれた同僚たちの評価まで下がってしまうなんて嫌だ。

 そう思ったセシルは、緊張感で心臓が壊れそうになりながらもそっと手を上げた。


「……シュナイダー様、失礼ながら申し上げます。魔法とは呪文詠唱を媒介に自然界の魔力を消費した結果起きる、特別な現象のことです」


 淀みなく説明すると、ロベルトの興味深そうな視線がセシルに向いた。


「君の名は?」

「呪文詠唱記録官の一人、セシル・ラブルダンと申します」


 セシルの名を聞いたロベルトは感心したように頷く一方で、ニーナに話すときは厳しい表情に変わった。


「では、次の質問だ。標準詠唱と地方詠唱の違いを説明したまえ」

「あ、うっ……あのっ……。標準詠、唱は、無駄がない、から、短くて……地、方詠唱は……長い……ような……」


 しどろもどろに話すニーナにはもはや視線もくれず、ロベルトは黙ってセシルを見る。


「先ほど、呪文詠唱を糧に自然界の魔力を消費して魔法を発動する……と申しました。地域によって魔力の質は異なります。気温が高い地域、低い地域、晴れが多い地域、雨が多い地域……いわゆる"風土"によって魔力の質は異なりますので、呪文詠唱もその土地の風土に併せた内容・形式にする必要があります。詠唱と言えども、文章を発話するだけでなく、歌ったり、空中に文字を書いたり、金属板に文字を刻んだり、はたまた踊ったりするまで様々な形態が確認されています」

「……続けたまえ」

「ご質問の標準詠唱とは、国内のどこの地域においても、およそ70%程度の魔法現象を引き起こせる呪文詠唱のことです。一方、特定の地域において100%まで魔法現象を引き起こせる地域固有の呪文詠唱を、地方詠唱と言います。簡単に言いますと、標準語と方言みたいな違いでしょうか」


 セシルの理路整然とした説明を聞いたロベルトは、頷くと問いを重ねる。


「仮に、新しい呪文詠唱が生まれた場合、すぐに魔法を引き起こせるのか?」

「いえ、その土地の魔力に定着しなければいけませんので、すぐに魔法は発動しません。定着する時間は一概には言えませんが、詠唱する人や回数が多いほど早まる傾向にあります。もちろん、新しい呪文詠唱の質自体にも左右されますが」


 ロベルトは「その通りだ」と返した後、ニーナを鋭い目で見る。


「ノイエンアー嬢。最後に問うが、呪文詠唱記録官の仕事とはなんだ?」


 ニーナはもう声も発せず、顔を赤らめただ俯くことしかできなかった。

 自分の仕事内容さえ、ろくに理解していないのだから。

 しばしの沈黙の後、セシルはロベルトに促され代わりに説明する。


「呪文詠唱記録官の仕事は、この国に存在する膨大な詠唱の記録を残し、後世に伝えゆくことです。言葉が時代に沿って変わるように、呪文詠唱も少しずつ変化し、毎日新しいものが生まれ、はたまた消滅するため、その記録を残すことは国家の発展に非常に重要だからです。私たちは日々、様々な地域――それこそ森や山の上までに向かっては、詠唱についての調査を進め、記録・分析を行っております」

「ありがとう、ラブルダン嬢。よくわかった。……さて、ノイエンアー嬢。君はもっと勉強した方がいい。茶会に出るために宮殿に来ているのではなく、呪文詠唱記録官として仕事をしに来ているのなら、だがな。助けてくれたラブルダン嬢に感謝することだ」


 俯いたままのニーナは、恥と悔しさで心も身体も焦げそうだった。

 あろうことか、みなの前で何となく誤魔化してきた勉強不足が明確に露呈されられ恥をかき、挙げ句の果てには"行き遅れ"と馬鹿にしてきた先輩に助けられたのだ。

 ロベルトはセシルに幾分か柔らかい目つきで話す。


「ラブルダン嬢、どうやら最も優秀な記録官は君のようだ。"とある魔法事故"について、君に意見を求めたい。別室に案内してくれるか?」

「お言葉ですが、シュナイダー様。私はもう記録部を解雇されますので、ご希望には添えないかと……」

「……解雇? なぜだ」


 ロベルトに問われ、セシルは少々困った。


 ――これは……正直に言った方がいいわよね? 先ほど、はっきり喋りなさいとニーナを叱責していたわけだし。


 そう結論づけたセシルは、正直に今の現状を伝えることにした。


「ニーナ……さんが、実績を私に盗まれたと主張しているため……です」

「ふむ、なるほど……。部長、ラブルダン嬢の言っている話は本当か? "ノイエンアー嬢が"、ラブルダン嬢の実績を盗んだと?」


 強力な魔物をも射殺せそうな厳しい視線に、ユルゲンは震え上がって白状した。


「……いいえ、全ては私の間違いでございました! セシルはニーナの実績を盗んでなどおりません! むしろ、その逆……ニーナがセシルの実績を盗んでおりました!」

「部長! あんなに尽くしたあたくしを見捨てるのですか!」

「ええい、離しなさい! ……シュナイダー様、私は何も悪くありません! 悪いのは全て、このニーナでございます!」


 瞬く間に口論を始めたニーナとユルゲンをよそに、ロベルトはセシルに淡々と話す。


「ラブルダン嬢、先ほども言ったが君に聞きたいことがある。別室に案内してくれるか? ここは少々うるさいのでな」

「はい、承知しました。こちらにどうぞ」


 セシルはロベルトを連れ、記録部の別室にと向かう。

 取り残されたニーナとユルゲンは、いつまでも言い争いをしているのであった。

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