行き遅れ【呪文詠唱記録官】は調査力の塊~奇妙な呪文詠唱を分析していたら、敵国の陰謀に気づいてしまいました。冷徹騎士団長様と一緒に阻止するうちに、距離が縮まっています?~

青空あかな

第1話:突然の解雇宣言

「……セシル・ラブルダン。貴様は本日を以て、我が呪文詠唱記録部を解雇となる。早急に荷物をまとめ、この宮殿から立ち去り給え」


 いつものように、宮殿の一角にある呪文詠唱記録部に出勤したセシル。

 朝礼で自分だけなぜか前に出されたかと思うと、部長のユルゲンから信じ難い言葉を投げかけられてしまった。

 突然の事態に、セシルはやや混乱しながらユルゲンに尋ねる。

 

「部長、解雇とはどういうことでしょうか」

「どういうこともああいうこともない。その言葉の意味する通り、君から筆頭呪文詠唱記録官スペルレコーダーの職位を剥奪する……という意味だ。貴様は言葉に詳しいと思っていたが、この程度の意味もわからないとは……。貴様に対する評価は、やはり私の買い被りだったようだな」

「すみません、言葉の意味を尋ねたわけではなくてですね。私が解雇になる経緯をお聞きしたわけでして……」

「筆頭記録官如きが、部長に逆らうつもりかね!? 私がこの中で一番偉いのだぞ!?」


 解雇に至る経緯を聞いただけで、けたたましく怒鳴られた。

 元来、ユルゲンは弱い立場の者に高圧的な性格だったが、最近は以前にも増して酷くなった気がする。

 彼が周囲を威圧するたび、その茶色い細長の瞳は猛禽類のような印象が強くなった。

 もちろん今もそうであり、セシルに注がれる視線は非常に厳しい。


 ――正当な質問かと思ったけど、部長にとっては不当な質問だったみたい……。でも、即日解雇なんて絶対に納得できない! クビになるようなやらかしの記憶もないし。この大好きな仕事は死ぬまで続けたいのに……。


 などと考えていたら、ユルゲンの後ろから小柄な女性がぴょこりと現れた。

 にこにこと嬉しさを噛み殺したような微笑みをセシルに向ける。


「おはようございます、セシル先輩。朝から大変みたいですわねぇ。何も手助けできないのが心苦しいですのよ」

「……ニーナ」


 ニーナ・ノイエンアー伯爵令嬢、十四歳。

 魔法で桃色に染め上げた縦ロールはふんわりと大気を包み、今日も見る者に重い胃もたれをもたらす。

 悲しいことに、彼女も全部で二十人いる呪文詠唱記録部――通称、記録部の同僚であった。


 ここリデール王国では、年頃――だいたい十四歳を迎えた貴族令嬢は、宮殿に働きに出るのが通例だ。

 わずか数年でも労働の経験は貴族として生きる上で代えがたい経験となり、労働を通すことで普段は関わらない貴族同士にも新しい関係性が生まれる。

 王国を統治する貴族の結束が増せば国内の地盤もより強固になるだろう、と宮殿が考える重要な意味合いもあった。

 尤も、同じ宮殿で働く貴族令息と結ばれ、数年で退職するのがまた通例ではあるが。


 ――ここでニーナが出てくるなんて……なんだか、嫌な予感がする。


 当のニーナがユルゲンに力なくしな垂れかかったのを見て、"予感"は的中したと実感した。


「部長~、セシル先輩は何もわかっていないようですわ。説明してあげてくださいまし」

「ああ、そうだな。まったく困った女だ。……セシル、貴様はニーナの成果を盗んだそうじゃないか。解雇されるのは当然だろう」

「私がニーナの成果を……盗んだ?」


 それこそ、さも当然といった風に語られた言葉に驚きが隠せない。


 ――むしろ、"ニーナが"盗んでいるのに!


 驚きのあまり目を瞠るセシルを見て、ユルゲンは大仰にため息を吐いた。


「この期に及んで、まだ罪を認めないのか? ニーナがまとめ上げてくれた、バックス地方に住むサヴァ族の膨大な地方詠唱の記録。それを自分の成果にしようとしたのは貴様ではないか」

「お言葉ですが、部長。彼らが受け継ぐ地方詠唱を教えてもらい記録を採ったのも、分析して一覧表を作り上げたのも、全て私でございます」

「戯言を言うな! 他にも貴様がニーナから奪い取ろうとした成果は数え切れないほどあるんだぞ!」


 怒鳴る勢いそのままに、ユルゲンは何例もの"事案"を話す。

 実際の調査や分析はニーナが行ったのに、セシルが自分の功績にしようとした……。

 無論、全て濡れ衣だ。

 必死に弁明するセシルに、ニーナは陰湿な視線を向ける。


「セシル先輩は本当に往生際が悪いですわね。泥棒猫のくせにこんなお方が筆頭記録官だったなんておかしいと思わないですか? あたくしが一番実績がございますのに……ねぇ、記録部の皆様方?」


 にこりと問いかけられると、記録部の同僚たちは気まずそうに顔を背けた。

 ノイエンアー伯爵家は由緒正しい名門貴族として有名であり、同僚は子爵や男爵など小さい貴族の出身者ばかりで逆らえないのだ。


 ――記録部に高位の貴族はまず来ない。地味で地道で、フィールドワークもある仕事にはあまり人気がないから。きっと、ニーナはそんな環境を……自分が一番上になれる環境を利用したんだ。"楽そうだから"記録部を選んだって、本人が言っていたし。


 ユルゲンも伯爵家の出身だが、それでもノイエンアー家とは比べ物にもならない。


 ――きっと、部長もニーナに誘惑されてしまったのだわ。


 ……と、セシルは推測し、実際にその通りであった。

 前任の部長はセシルを高く評価していたが、元々彼女の活躍を妬んでいたユルゲンが部長に就任してから風当たりが強くなり、ニーナが現れてから風当たりは大嵐のように強くなったのだ。


「ところで、セシル先輩は今何歳でいらっしゃいましたかねぇ?」

「……二十四歳だけど」

「あらあら、もう二十四歳なんですの!? この国では、二十歳までに結婚して家庭に入るのが普通ですのに! 可愛い後輩の苦労を認められないような気難しい性格をしてらっしゃるから、行き遅れてしまうのでしょう。やっぱり、あたくしの第一印象は正しかったようですわ」


 ――だったら、十も離れた女に絡んでくるなー。


 ニーナはまだ十四歳。 

 男性受けばかりを狙った服装や性格、言葉遣いなどは彼女の目論み通りの結果をもたらし、記録部部長のユルゲンをも思うがままに操った。


 ――田舎のお父さん、お母さん、ごめん。私に結婚は……たぶん無理。


 頭の中には、父母の優しい顔が思い浮かぶ。

 セシルもまた、地方にある貴族ともいえないような小さな男爵家の長女だった。


 ――たぶん、高位貴族との婚姻をそこはかとなく期待されていたとは思う。……でも、私は恋愛に興味はないし。それ以上に、呪文詠唱記録官の仕事が……呪文詠唱そのものが私はどこまでも好きなの。呪文詠唱は……"言葉の芸術"だから。


 過去を反芻するセシルに、ニーナは茶化したように話す。


「セシル先輩の泥棒猫~。盗んだ功績はきちんと返してから辞めてくださいね?」

「何度も言うけど、私はあなたの功績を盗んだりしていないわ」


 途端に、当のニーナは泣き真似をしながらユルゲンにしな垂れかかった。


「部長ぉ~、セシル先輩がいじめてきますぅ~。何とかしてくださいましぃ~」

「セシル! 貴様には筆頭記録官としての矜持もないのか!? 未来ある後進を指導しないどころか、実績を奪うなど論外だ!」


 触発されたユルゲンはセシルに激しい罵倒を放ち、ニーナもまた勝ち誇った声を記録部に轟かせる。


「部長が命じたのですよ! さあ、さっさと荷物をまとめて立ち去ってくださいませ!」


 味方が一人もいなくとも、セシルの頭に敗北を認めるという選択肢はなかった。


 ――相手がどんなに大きな貴族でも、私は戦う。戦わなきゃいけない。自分の生活を、大好きな仕事を守るために。


 そう強く決心し、セシルが反論しようとしたとき。

 記録部の扉がコツコツと硬くノックされた。

 セシルを糾弾している勢いそのままに、ユルゲンは怒鳴り返す。

 

「誰だ! 始業前に尋ねるとは、とんだ無礼者だな! 大したことのない用件だったらタダでは済まさないぞ!」

「……失礼する」

 

 一瞬の沈黙の後、扉を潜るようにゆらりと入室した背の高い男を見て、ユルゲンは震え上がった。

 いや、ニーナや他の記録官もそうだ。

 現れたのは、国内外から"血の申し子"と恐れられる騎士団長――ロベルト・シュナイダーだったから。

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