最後の守り、そして決意
「……来ます」
わたくしは、地平線の先――夜空を割く黒い光に、息をのんだ。
王都を見下ろす“聖騎士の丘”。
そこに集ったのは、わたくしたちを含むたった七十名の精鋭。
対する敵の数、三万以上。
しかもその大半は、精霊を喰らって強化された“黒精霊兵”。
「やれやれ、ここまで派手にやられると、ぼくの出番はないかと思ったよ」
アレンの声。
その優雅な白銀の髪は、夜でもなお、月のように揺れている。
「王子殿下、ご自分の立場をお忘れですか?」
「いやだなあリディア嬢。こんな夜に、“王子”だなんて色気がない」
「……ふざけてる場合ではありませんわよ」
「だからこそ、ふざけるんだよ。震える心をごまかすには、それが一番だ」
わたくしは、彼の“仮面の奥の目”を見つめた。
――怯えている。でも、逃げない。
その強さが、ほんの少しだけ羨ましかった。
「……精霊結界は、わたくしが張ります。セリア、後衛指揮を」
「うん、任せて! でも、リディア……無理はしないでね?」
「無理は、もうとうに始まってますわ。いまさら気にしても仕方がないでしょう?」
セリアの笑顔が、ほんの少し曇った。
「だからこそ、そういう言い方しないで……怖くなるよ」
「……ごめんなさい。わたくし、少し強がりました」
セリアの手を、そっと握り返す。
「でもね、セリア。もう“逃げる場所”はありませんのよ。ここで守れなければ、王都も、わたくしたちの未来も……全部、奪われる」
「……うん。分かってる」
わたくしは、丘の中央で詠唱を始めた。
「《アルカ・コード展開――精霊結界:ティル=ファリア》」
紅霞の魔法陣が、わたくしを中心に展開する。
その輝きは、夜の帳すら切り裂くように――王都全域を包み込む。
「この結界がある限り、黒精霊兵は街には入れません」
「ただし……この丘を突破されれば、それも終わりってことか」
ルーファスが、傷ついた体で剣を構えながら言う。
「お前の魔力が尽きるか、俺たちが全滅するか。勝負はそこだな」
「……ええ。その通りですわ」
わたくしは、ただ祈るように――
「お願い、どうか耐えて……」
風が鳴く。
鼓動が重なる。
そして――
「来たぞッ!!」
黒の軍勢が、闇を裂いて突進してきた。
「全員、配置につけッ!! 第一陣、剣士隊・魔導弓兵、撃て!!」
ルーファスの声が響く。
セリアの光矢が、嵐のように降り注ぐ。
アレンが、銀の魔剣で一気に前線を切り裂く。
「この程度で、ぼくの登場が霞んじゃうのは困るな――行こうか、“仮面の王子”として!」
彼は優雅に笑いながら、敵の将に突撃していった。
「……なんて人なのかしら」
けれど、わたくしは、それを誇らしく思った。
ルーファスも、すでに前線で傷だらけになりながら戦っていた。
彼の剣が通らなくなってきている。
相手の“強化”が進んでいるのだ。
「……皆、限界が近い」
魔力が、喉奥から血の味を伴って漏れ出す。
(ダメ……せめて、あと少しだけ)
そのとき――精霊結界が軋んだ。
「ッ……!? まさか、あの魔王が……!」
「リディア! やばい、来るッ!」
セリアの叫びと同時に、空が砕けた。
“そこ”にいたのは、巨大な黒の鎧――否、“闇そのもの”。
《――リディア・アルヴェイン。汝の名と魂、ここに問い質す》
「……わたくしの名を知っている?」
《かつて我が核を拒みし、“光の因子”の継承者。
貴様の心こそが、最も甘き“闇の供物”》
――わたくしを、喰らいに来た。
「……それなら、」
静かに、剣を抜いた。
「喰らわせて差し上げますわ。わたくしの、“誓い”と“意志”を――ッ!!」
精霊の輪が、再びわたくしを包んだ。
「《コード・イマージュ:祈光剣〈リュミナス・ノワール〉展開――!》」
七色に輝く剣が、空を斬り裂いた。
「ルーファス、もう一度だけ、力を貸して!」
「おう。死んでも守ると、誓ったからな」
「セリア!」
「任せて! 最後まで、みんなで一緒だよ!」
――そしてわたくしたちは、絶望の王に挑んだ。
* * *
「リディア、来るぞ――ッ!」
ルーファスの怒声とともに、大地が砕けた。
闇の王――その姿はもはや“人”ではなかった。
全身を黒き瘴気に包み、六本の腕からは黒曜石のような刃が伸びる。
その周囲を漂う影には、精霊たちすら近づけない。
「こちらの魔力を……喰ってる!?」
「そうだよ。あれは“奪う王”――存在するだけで、周囲の魔力と命を浸食していく。下手に攻撃したら逆に……!」
アレンの言葉が終わる前に、闇の王が咆哮した。
「《■■■■――■……ッ!!》」
音にならない声が響いた瞬間、
空気が――世界が、悲鳴を上げる。
「ッ、これは――!!」
セリアが、わたくしの隣で蹲る。
「セリア!? どうしたの……!」
「頭が……声が……直接、心に響いて……“生きてる意味”を……」
「聞かないで!意識を切って!」
わたくしは急いで《沈黙の加護》を展開し、セリアを守る。
けれど、魔王の“精神侵蝕”はその上からも押し寄せてきた。
ルーファスが、無言で斬り込む。
その一太刀は、確かに魔王の腕を捉えた。
だが――
「ぐあああああッ!!」
返しの一撃で、彼は吹き飛ばされた。
数メートル先の岩に叩きつけられ、剣を落とす。
「ルーファス……ッ!」
わたくしは駆け寄ろうとしたが、魔王がそれを許さない。
「動くな、って……言ってるでしょうが」
アレンの声が、横から滑り込む。
銀の魔剣が風のように躍り、魔王の刃を弾く。
だが、彼の額にもすでに裂傷が走っていた。
「ったく、強すぎるってばさ……! まったく、ヒロインを泣かせる奴は嫌いなんだよ、ぼく」
「……アレン、あなた……」
「言ったでしょう? 泣きたくなるから、ふざけてるって」
それでも彼の瞳は、真剣だった。
「セリア、起きて。お願い、まだ終われないから!」
「……っ、だいじょうぶ、わたし……行ける……!」
セリアが震える手で立ち上がる。
けれど、その足元は明らかにふらついていた。
「あなたは、もう休んで――!」
「やだ……! わたしも、戦う……! リディアと一緒にいるって、約束したの!」
その言葉に、わたくしは――震えた。
「セリア……ありがとう。あなたの想い、受け取ります」
わたくしは手を掲げる。
「《アルカ・コード接続――精霊連携・三位一体陣、展開!》」
この魔王に、単発の攻撃では意味がない。
奪われる前に、全てを“超える”しかない。
「アレン!セリア! 今こそ合わせて!!」
「了解!」
「いける……!」
三人の力が重なる。
風、光、魔法の三属性が編み込まれた魔法陣が、地に咲いた花のように展開する。
「《三重奏式・連撃術式――星彩舞刃〈ステラ・ヴァルシオン〉》ッ!!」
閃光。
それは、世界が輝きに包まれる一瞬だった。
魔王の身体が灼かれ、黒き腕が飛び散る。
だが――
「ク……ぁぁあアアアアアアッ!!」
次の瞬間、魔王の“本質”が暴れ出した。
闇は暴走し、空を裂き、大地を喰らう。
「っぐ……っ!」
「リディア……!」
ルーファスが、血だらけの姿で立ち上がり、わたくしを庇うように前へ出る。
「お前は後ろにいろ……あとは俺が――!」
「いいえ。あなたと一緒に守ると決めたのです……!」
そのとき、セリアが再び倒れ込んだ。
「セリアっ!!」
「ごめん……でも、がんばった……わたし……」
――もう限界だった。
(お願い……力を、力を……!)
その叫びに、応えたのは――
「……リディア」
どこか懐かしい声だった。
「フィーネ……!?」
七色の光が、空から降る。
「今だけ、ほんの一瞬……わたしの“すべて”を預ける。
あなたの願いが、世界を変えると信じているから」
わたくしの胸に、光が収束する。
「これは――《完全精霊融合:グランド・フィリメリア》」
時間が止まった。
そして、わたくしは一歩、踏み出した。
「魔王よ――あなたの“絶望”は、わたくしたちの“希望”には勝てません!!」
剣が、光を纏って伸びていく。
それはもう、ただの魔法ではない。
――祈り。
「これが、わたくしたちの“答え”ですわ――ッ!!」
放った一閃が、魔王の核を穿つ。
「■■■■――――!!」
叫びと共に、闇の王は崩れ落ちた。
黒き瘴気が、空へと還っていく。
まるで夜明けの風に溶けるように――
* * *
「……やったの?」
セリアが、うわごとのように言う。
「ええ。終わりましたわ……」
「ふふ、わたし、役に立てた?」
「ええ、とても。あなたがいなければ、勝てませんでした」
セリアが、泣き笑いを浮かべた。
「よかった……リディアと一緒に、戦えて……」
ルーファスが、膝をつきながらも笑った。
「最後の最後で、ちゃんと“守れた”気がする」
「……ええ。わたくしも、あなたたちと共にいられて、よかった」
空には、夜明けの兆しが見えていた。
でも、この光はただの朝日ではない。
“希望”――それは、こうして作られるのだと、わたくしは知ったのだった。
――そして、戦いの記録は、“新たなる伝説”として刻まれていく。
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