英雄?それともただの私?

村は、まるで世界の片隅に隠された宝石のようだった。




瓦礫の山に変わり果てていたはずの小さな農村が、今では活気を取り戻しつつある。


燃えた家屋には若者たちが集まり、木材を運び、修復を始めていた。


井戸から水を汲む子どもたちの笑い声。


パンを焼く香ばしい匂い。


家畜たちの落ち着いた鳴き声。




……わたくしの魔法で救った村。




そして、今も“リディア様”と慕われているこの場所で、


わたくしはしばらく“普通の暮らし”をしていた。




「“普通”って、悪くないわね……」




「……リディア、さっきもそれ言ってたよ?」




フィーネがわたくしの肩にちょこんと腰かけながら、くすくすと笑う。




「ふふっ、言ってたかしら? でも言わせて。


 朝起きて、洗顔して、パン食べて、馬小屋で“こんにちは”って言われる毎日が、


 ここまで尊いなんて……この平和、乙女ゲームじゃ絶対手に入らないわよ」




「まぁ、ヒロインが戦闘民族だったら別だけどね?」




「乙女ゲームなのに“戦闘民族”? どんな地獄ゲーよ……」




ふたりで笑っていた、そのときだった。




聞き慣れない足音が、村の入口から近づいてきた。




──ヒールの音。貴族階級の女性用、しかも上質な革の。




わたくしは、思わず息を飲んだ。




「……来たわね」




「だれ?」




「セリアよ」







“聖女”セリア・フィオレッティ。




──乙女ゲームにおける、正真正銘の主人公。




水晶のように透き通ったブルーグレーの瞳。


ピンクベージュの髪を肩のあたりで緩く結び、


清楚で優雅なロングスカートの上から、旅用のマントを羽織っている。




それでも、彼女は“華”を持っていた。


貴族たちの集う社交界のなかでも、地味ながらも目を引く存在だった彼女は、


いま、土埃舞うこの村に現れたというのに――




まったく変わらず、そこに“光”を連れていた。




「……リディアさま」




目が合った。




彼女は、一歩、わたくしのほうへ近づき――


けれどその足が、途中で止まる。




「久しぶりね、セリア」




わたくしが口を開くと、彼女ははっとしたように目を潤ませた。




「……あのとき、わたし、なにもできなかった」




「知ってるわ」




「リディアさまが断罪されるのを、見てるだけで、


 ただ黙ってることしかできなかったの」




「ええ。黙ってたわね」




「ごめんなさいっ……!」




声が震えていた。




地面に膝をつきそうなほど深く頭を下げて――


彼女は“かつての悪役令嬢”に、謝った。




その姿が、なんだか可愛くて、愛おしくて。




「ちょっとセリア、服が汚れるわよ。あなたってば、昔から“土に弱いヒロイン”なのね」




「っ……え、えっ? あ、うん!?」




「謝るのは、あとにして。まずはほら、顔を上げて。


 百合百合しい再会は立ったままがルールって、乙女ゲームの暗黙じゃなかった?」




「なにそれ、知らない……!」




「ふふっ、こっちの話よ」




──この子が、本当に悪い子じゃないことくらい、わたくしは知ってる。




断罪のとき、何も言えなかったのは、


“聖女”としての立場が彼女を縛っていたから。


そして彼女自身も、わたくしが“ゲームの悪役”であるというシナリオの壁を、


越えられなかっただけ。




でも今。


自分の足でこの村まで来たということは――


彼女が、ようやく“自分の選択”でわたくしと向き合う覚悟をしたということ。




「ねえ、リディアさま。わたし、あのとき思ったの」




「なにを?」




「リディアさまが追放されたとき、“もう会えないんだ”って思ったら、


 胸がぐしゃぐしゃになったの。悲しくて、悔しくて……苦しかった」




「……セリア」




「それって、ただの友達としてなのか、……わからないけど。


 わたし、リディアさまのことが好きだったんだと思う。ずっと前から」




その言葉は、春の光みたいにやわらかくて、


なのにわたくしの胸に、深く刺さった。




「……わたくしも」




ぽつりと呟いた声が、意外と震えていた。




「わたくしも、あなたのこと、“友達”だと思ってた。


 けれど、ゲームの主人公だったあなたに、


 近づきすぎてはいけない気がして……」




「でも、わたしは――」




「……ええ。わたくしも、今なら思える。


 シナリオなんて知らない人にとっては、わたくしも“ただの女の子”なのよね」




「うん。わたしにとって、リディアさまは……“大切な人”だよ」




その瞬間、


フィーネが空気を読んで、そっと後ろに下がった。




「なに、その空気読める精霊力……!」




「えへへ、今はふたりにお任せするー♪」




「わたくしの使い魔が、使い魔してくれないなんて……!」







夕暮れ時。




並んで歩く道すがら、セリアとわたくしは、


あの頃のことを、たくさん話した。




好きだった紅茶の味。


社交界での失敗談。


刺繍が壊滅的に下手だったこと。


お互いに“友達になりたかったけど、なりきれなかったこと”。




全部、ぜんぶ、言葉にした。




やっと話せた。


やっと笑えた。




「……リディアさま。わたし、またあなたと一緒にいてもいい?」




「ええ。いまさら断っても、ついてくるのでしょう?」




「うん。ついてくる。なにがあっても、今度はそばにいる」




「なら、条件があるわ」




「な、なに……?」




「わたくしを“リディア”って呼ぶこと。今のあなたが、


 “本当に友達になりたい”と思ったわたくしは、


 もう“アルヴェイン家の令嬢”じゃないのよ?」




「……リディア」




その響きが、


わたくしの胸に、じんわりと染み込んだ。







英雄と呼ばれてもいい。


悪役と言われても、かまわない。




でも、わたくしが一番欲しかったのは――


“名前で呼んでもらえる”ような関係だったのかもしれない。




フィーネが空を見上げて笑っていた。


夕焼け空が、三人の影を長く伸ばしていた。




ようやく、わたくしは手に入れたのだ。




“戦う理由”と、“笑う理由”と、


“隣にいてくれる誰か”を。




この村から始まる物語は、


まだまだ続く。

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