飼い犬が逃げてった-恋愛

飼い犬が逃げてった。


あの日は、彼女との初めてのデートの日だった。


朝の光が差し込む部屋で、チビはいつもより落ち着かない様子だった。小さな体がソワソワと動き回り、リードをつけるときもじっとしていられなかった。まるで、何かを予感しているかのようだった。


僕はリードをしっかり握り、朝の散歩に出かけた。チビは元気よく歩き出し、しばらくはいつも通りだった。でも、帰り道に差し掛かったとき、ほんの一瞬の隙をついて、チビは玄関の扉のわずかな隙間から飛び出した。


「チビ!」と叫んだ瞬間には、もう彼の姿は小さくなっていた。


焦りと動揺が胸を押しつぶす。スマホを取り出して彼女に電話をかける手も震えた。


「ごめん、チビが逃げちゃって…」


「大丈夫?今すぐ行くよ」


彼女の言葉は、優しくて暖かくて、まるで僕の心に灯った灯火のようだった。


待ち合わせ場所に向かいながら、彼女がすぐに駆けつけてくれることに感謝しつつも、僕は不安でいっぱいだった。チビがどこにいるのか、どんな風に怯えているのか、想像するだけで胸が痛んだ。


やがて、彼女と合流し、二人で手分けしてチビを探し始めた。薄暗くなった街灯の下、冷たい風が肌を刺す。僕らは呼び声を交わしながら、時にぶつかりそうになりながら、必死に小さな命を探した。


彼女の手が時折僕の腕に触れるたび、緊張していた心がふっと和らいだ。彼女の存在が、こんなにも心強いものだとは知らなかった。


歩き疲れた頃、ふと公園の草むらの中で、かすかな動きが目に入った。


「チビ!」彼女の声が震えていた。


そっと近づくと、泥だらけの小さな柴犬が震えていた。彼女はそっと抱き上げて、その体を優しく包み込んだ。


チビの瞳はまだ怯えていたけど、その温もりに少しずつ落ち着きを取り戻すのがわかった。


僕は息を呑みながら、二人の様子を見つめた。


「本当に良かった…ありがとう」


僕の言葉に、彼女は微笑んだ。


「あなたが困っているのを見たら、放っておけなかったんだ」


その笑顔は、どんな言葉よりも胸に響いた。


帰り道、チビを挟んで歩く二人の距離は、自然と縮まっていた。


僕はこの日の出来事を忘れないだろう。小さな命が一瞬で消えかけたけれど、それがきっかけで、僕らの心はぐっと近づいた。


デートの予定は遅れてしまったけれど、あの日の不安と安堵が僕たちの絆を確かなものにした。


飼い犬が逃げてったことは、ただのトラブルじゃなかった。


それは、新しい関係の始まりを告げる、小さな奇跡だったのだ。

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