STAGE.5 パラサイト(寄生虫)――凡人
酒臭い楽器店なんてあるのでしょうか。
あります。ここに。
おっさんの魔の手を振り払い、吉祥寺の裏路地を縫って逃げてきた二人は、途中酔っ払いの粗相を挟んで楽器店に無事到着した。
スズカが「やーやー。昨日ぶりー」とずけずけ店に入ると案の定、同僚たちははた迷惑そうな顔をしていた。してはいたが、楽器の取り扱いだけは確かなこの酔っ払いに誰一人として文句を言えずにいた。楽器の修理や機材ボード製作の依頼はスズカのおかげで回っている。
オフの日だというのにわざわざ職場に顔を出すへべれけのせいで店の中は一瞬にしてアルコール臭が充満。スズカとナナコが作業台のある店の奥の部屋に入ったというのに店先はまだ臭う。
「時にナナコさん?」
「はい。何でしょう、スズカさん」
作業台を挟んで対面するナナコとスズカ。台の上にはナナコの愛機、
「さっき、あなたがこちらのおベースでサラリーマンのおじさまの脳天をかち割られたせいで滅茶苦茶にクラックが入っているのですけれど?」
「まあ……。それはそれは……」
五弦ベースのネック、クラックが入った箇所に打ち覆いのようにして置かれていたクロスを恐る恐る引いて取るナナコ。
ベースの怪我の具合が目に飛び込み顔面蒼白のナナコはクロスを握る右手をぷるぷると震わせている。
「ちょっと! ナナコ! 何のために吉祥寺まで出てきたのよ! 絶対に最後の一発余計だった!」
酒を片手にオーディエンスの立ち位置を貫いていたスズカ。偉そうな酔っ払いのご意見番然として、先ほどの戦いを振り返ってナナコを叱責する。
「スズカだって、あーしがおっさんとやりあってるの楽しんでただろ! うわーん!」
愛機に刻まれた深いダメージを目の当たりにしてナナコはわんわん泣き始めた。
新宿や吉祥寺、高円寺。それから国分寺。相棒Beta 5とともに上がったステージの記憶が次から次へと走馬灯のように駆け巡る。
――バイバイ、ありがとう、Beta 5……。愛しい相棒よ……。あんた、ちょっといいベースだったよ……。
もう相棒は助からないと別れを覚悟するもいまだ涙が収まらないナナコはぐすぐす鼻を鳴らしている。
「まー、楽しんじゃったのはごめんだけど……。とりあえず、店でどうにかするからしばらく預からせて」
そう言うとスズカは、それが仕事モードのスイッチとでもいうようにロングの黒髪を高い位置で結わく。
仕事モードの電源が投入された彼女は目視で確認できる範囲の破損箇所を紙に書き出していく。何だかんだで、こと楽器の扱いとなるとしっかりしている彼女に全てを委ねるほかない。
「エフェクターは塗装剥げ以外なんともなさそうだけど、通電チェックしとくね。すぐ終わらせちゃうから適当に店の中で時間つぶしてて」
てきぱきとエフェクターと小型アンプを配線して準備を進めるスズカにあとを任せて、ナナコは何の気なしに壁にかかった売り物のベースを眺め始めた。
――あーしのベースも前はこんな風にピカピカだったのにな……。
感傷に浸っていると店先まで届く酒臭さのせいか、他に客のいない店内で手持ち無沙汰にしている店員と目が合った。
「あ、酔っ払い連れて押し掛けちまってすみません……」
「いえ、大丈夫ですよ。戸塚さん、オフの日に酔って店に顔出すこと、まれによくあるので……」
そう答える店員は張り付いたような笑顔だった。
「あいつ、普通に働いてる日はさすがに飲んでないですよね?」
「えー、あー、そうですね……。たまにお酒臭い時がありますね……」
――どっかでちゃんと叱んねーと駄目だわ……。
ナナコが連れのだらしなさに恥ずかしさを覚えて穴に入りたくなっていると奥の部屋から「エフェクターはおっけー」とスズカが出てくる。
「晩ごはん用意するの面倒だし、この辺で食べてかない? それに、喉渇いちゃったからキンキンのレモンサワー飲みたいなー」
「あ!? まだ飲むつもり!?」
ナナコの静止も虚しく、強引にマイウェイなスズカに手を引かれ終バスまで付き合う羽目になった――。
※
ベースを預けてから一週間とちょっと。
今まさに出勤するスズカが玄関を開けると途中で「あ、そうだ」と部屋の方へ振り返る。
「ねえねえ、ナナコ。預かってたベース、あと細かいとこ調整するだけだから。今日持って帰ってくるね」
「マジ? 相棒が帰ってくるぜ……。スズカ、ありがとー!」
サブ機/五弦ベース/
「すぐにリハスタで音出したいからあーしが店に行く!」
スズカはおっけーとハンドサインを送ると家を出た。
ナナコはしばらくベースを弾き倒したあと、上石神井駅からバスに乗り吉祥寺駅へ。愛しの相棒が待っている楽器店を目指す。
店に向かう途中、後ろの方から妙に大きな声が聞こえてくる。
「今、緊急で動画回してるんですけど――」
――『今、緊急』で始まる動画。だいたい緊急じゃないんだよなー
どうせ面白くない配信者が無理くり『緊急』な理由立ててしょうもない街ブラロケでも始めるんだろうなと、これから自らの後ろで始まる撮影のことをぼんやりと想像していた。
「なんと! 西武新宿で暴れてた『パンク娘』を見つけちゃいましたー! これからこの暴力女を粛清しま~す」
――緊急ーッ!!
ナナコがその緊急事態に振り返ると、ミラーレス一眼カメラ/
演者男がバッグに手を突っ込むと中からぬるりとバールのようなものが現れる。
――おいおい。マジかよ。あーし、手ぶらだぞ……。
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