第17話 白助の過去

 昭和の時代。楽都の町の商店街にて豆腐屋として切り盛りしていた夫婦がいた。

 その夫婦の間に可愛らしい男の子が生まれた。

肌が白く可愛らしいその子の名前を「白助」とした。

 白助は可愛らしい男の子だったが、両親は気にかかることがあった。それは、発語が遅かったということだ。

 周りにいる赤ん坊はそれなりに大きくなったら「だぁだぁ」だの「ちぃちぃ」だの話すようになる。もう一回り大きくなると会話もできる。

 しかし白助はその子たちと変わらぬ年になっても言葉を発することはなかった。しかし可愛らしい目でくりくりと一生懸命立ったり、歩いたりはしていたので「そのうち話すだろう」と思い、両親はとびっきり可愛がった。

 豆腐屋は人気だった。「とうふーいらんかねー!」と夫婦が大きな明るい声で街に呼びかけている。すると、たちまち「豆腐一丁、くださいな」なんて老若男女、色んな人が買いに来る。白助はこの様子をじっと見て、とても楽しそうで自分も嬉しかった。そんなある日、豆腐を買いに来たおばさんにこう話しかけられた。

 「とーちゃんとかーちゃん、偉いね。毎日お店を切り盛りして。坊やも大きくなってお手伝いするんだよ」3人は笑う。楽しそうだった。

 「とーちゃん…かーちゃん…」声が出た。目線が白助に向く。そして、とーちゃん、かーちゃんと呼ばれた夫婦は泣きながら白助に抱きつく。それは初めて、白助が覚えた言葉だった。そして一生懸命「とーちゃん」「かーちゃん」というようになった。


 ある日、商店街に都会の方から無法者が流れ込んできた。

 街の治安はすこぶる悪くなった。アメリカのギャング街のようになり「東北のシカゴ」などと呼ばれるようになってしまった。

 豆腐屋もその影響を受けた。白助は少しだけ言葉を話せるようにもなってきたのだが、夫婦は治安の悪い街や白助の発語の遅さという状態を重く受け止めた。

 「白助はやっぱり頭が足りないのかもしれない。ここにいても危険だし、施設に預けることにしないか」

 夫婦は悩み、悲しんだ。白助は大好きな「とーちゃん」「かーちゃん」が泣いている姿を見るのが心苦しかった。しかし、自分のせいなのではと思ってしまい、「とーちゃん」「かーちゃん」とあまり呼ぶことはなかった。そのせいだと勘違いしたからだ。


 商店街は荒れに荒れた。どちらにせよ子どもを守ることにも繋がると思い、夫婦は決断した。

 白助の手を引く。白助は黙って手を引かれ、とーちゃんとかーちゃんの横に着いていく。

 そこは大きな建物だった。どこか重い雰囲気だった。出迎えた女の人は笑顔だった。

 「白助、ここがお前の新しいお家だよ」とーちゃんとかーちゃんはそう言ったが白助には意味が分からなかった。あの豆腐屋が自分の家だ。何を言っているんだ?女の人は終始笑顔だった。

 「また、会いに来るからね」とーちゃんとかーちゃんは泣いていた。どうして泣くのか。やっぱり呼ぶのがいけなかったのか。でも、呼ばずにはいられなかった。


 「とーちゃん…かーちゃん…」


 施設には色んなやつがいた。やたら「ばーか」と罵るやつ、いきなり殴ってくるやつ。逆に一切何もしてこないじっとしているやつ。

 大人の人は子どもの前ではニコニコ笑顔だったが、大人だけの状態になると怒りか、辛さか、虚ろな顔をしていた。白助にも分かるくらい笑顔は嘘で作っているのだろうと感じるものだった。

 白助は1人の女の人に面倒を見てもらっていた。その人は他にも3人くらい面倒を見ていた。

 女の人は「かずこ」と言っていた。なので白助は時折間違って「かーちゃん」と呼んでしまったと思ってもかずこは笑ってくれた。それはあの嘘では無い本当の笑顔だと何となく感じたので白助は不思議だった。


 白助は施設の中で他の子どもたちに虐められていた。「髪を切れ」「ボソボソ話すな」そう言っては殴られる。蹴る。白助は訳が分からなかった。どうして殴られるのか。髪の毛はかーちゃんが切ってくれていた。今は切ってくれる人がいない。だから伸びちゃっているのに。ボソボソ話すなと言われても他の子どもたちの事が怖くて上手く声が出せなかった。そのくせそんなに言葉も知らない。何が悪いのか分からなかった。

 白助がやられているとかずこが止めに来てくれた。かずこは他の大人と違って優しかった。

 しかし、白助はここにいるのがとても辛かった。とーちゃんとかーちゃんのところに帰りたかった。いつになったら会いに来るのか。迎えを待っていたが、全く来る気配はなかった。

 かずこの事は皆好きだった。優しかったからだ。他の大人はどこか怖いところがあり、皆恐れている部分があった。それは白助も例外ではなかった。しかし、白助が甘えようとするものなら、他の子どもが嫌がらせをするのだった。

そのため、中々甘えられる機会も少なかった。

 白助はそうして他の子どもから省かれると、仕方が無いので施設内を歩いた。大人たちはそんなヤンチャな子どもたちをなだめていて、はぐれていた白助に目を見張ることはなかった。白助はその時に、ここから外に出られそうだと思える窓を見つけた。白助はそこを覗いてみると外にある庭に繋がっていて、そこは外からは行きづらく、草が生い茂っていて、森のようになっていた。人の手が入っていないことに気づいた白助はここから外に行けるのかもしれないと思った。

 「とーちゃん…かーちゃん…」白助はその外にある草むらを見て、その先に自分の家があるかも知れないと思い込んでいた。

 そんな窓を覗いている様子をかずこは見ていた。かずこは白助に話しかけた。


 「お外に行きたいの?」


 白助ははっと驚き、床に落ちた。かずこが慌てて助けようと白助の元に走った。

 白助は「大丈夫?」と必死に心配してくれているその顔を見て白助はかつてのかーちゃんを思い出した。しかしその直後、「かずこ先生!」と別の子どもが呼ぶ。

 「ごめんねー!」とかずこは白助に怪我がないことを確認した後に呼ばれた方に行ってしまう。

 それはかーちゃんがあの嫌いな奴らの方に行ってしまっているように感じた。


 その時、白助はもうここから抜け出そうと決心した。


 そう思った刹那、かずこが見ていない隙にそっと窓の鍵を緩くした。


 それは月が見えない暗い夜だった。白助は明かりが見えない中、昼間見ていた窓に壁に手を添えながら行き、窓を開けそこから飛び出した。そうして草むらの中に飛び込み外に出ることに成功した。そうして葉っぱや土まみれになりながら、山の上にあった施設を転がるように飛び出し、明かりが沢山ある方に向かった。

 その明かりは街の明かりだった。街は無法者で溢れ、夜も煌々と明かりが灯っていたのだ。そんなことは知らない白助は前かがみ、時に転び、這いずる時もありながら一生懸命、一生懸命明かりの元に向かっていった。あそこにとーちゃんとかーちゃんがいるかも知れない。その思いで必死に山を降りた。


 次の日になったら、施設内は大騒ぎだった。白助がいない。窓が空いていたのでそこから抜け出した事は容易にわかった。事前の戸締りが甘かったことに関して、大人たちはかずこを責めた。かずこも自分を責めた。


 「なんであの時もっと寄り添ってあげられなかったのだろう」


 それは紛れもない、母親の代わりになろうとして無性の愛を注ごうとしたかずこの激しい後悔だった。

 

 「あの子の両親はもう…亡くなってしまったから...私たちが代わりに…!」


 ボロボロになりながら街に辿り着いた白助。街は無法者のせいで荒れに荒れていた。

 もしかして間違った街に来てしまったのか、そう感じるほどだった。

 しかし、線路が見えたので、駅の方と思われる方向まで歩くと、少しづつ見慣れた景色が見えてきた。見慣れた景色のはずだった。

 「ここ…どこ…?」白助は困惑した。

 見慣れていたはずの街の景色が一変していたからだ。

 白助は記憶を頼りに、ここだろうかここだろうかとかつての自分の家であった豆腐屋に向かった。

 道中、道端で息絶え絶えになりながら寝そべっている子どもたちをちらほら見かけた。服もボロボロで、這いつくばっている様子を見て、白助は恐怖を感じ、走り去った。

 かつての商店街の通りを行く。街には誰もいない。朝に活気づいて、色んなお店が並んでいた商店街はそこにはなかった。

 荒廃した商店街を走る。

 そして白助はやっとの思いで、豆腐屋の前まで着いた。


 看板が土埃まみれになっていた。扉に鍵がかけられて、ガラスにも土埃がつき、中が見えなかった。

 「とーちゃん…かーちゃん!!」大きな声で帰ったことを伝える白助。返事はない。

 「とーちゃん!!かーちゃん!!」白助は何度も何度も叫び続けた。

 返事は一向に帰ってこなかった。

 白助は力も出なくなっていたその小さな体で何度も何度も叫んだ。息が苦しい。今にも倒れそうだった。

 叫び声を聞きつけ、怪しげな男が白助に近づいてきた。

 「なんだうるせえなぁ」

 男はここの近くでアジトを構えていたギャングの1人だった。白助はギョッとした。恐怖で黙り込む。体が震え始める。

 「お前ここの家のガキか?」男は白助に聞く。

 震えながら、うんと頷く白助。

 「だったら誰もいねえよ。」男は話す。

 「え…?」白助は静かに驚く。

 「死んじまったらしいな。追い出されるのに反発して殺されっちまったらしい。全くバカだよな。俺たちギャングに逆らうなんてよ」男はまるで白助の気持ちなど知らぬようにガハガハと笑い出す。

 白助は震えた。今度は怒りで震えた。

 「嘘だ!!」精一杯震えながら叫ぶ。嘘だ。そんなのありえない。だって迎えに来るって言ってた。ころされた?何を言っているんだ?白助は訳が分からなかった。白助は男の足に掴みかかる。

 「うそだうそだ!」白助は叫び続けた。

 「うるせぇなぁ!」男は足を振り、足を掴んでいた白助を蹴飛ばした。

 「ぎゃ!」白助はたまらず転がる。

 「ったく…孤児が増えまくって困るぜ。ボスのやろう、『子供は後々手駒になる』なんて言ってたが、死んじまうガキも多いしめんどくせえだけじゃねえか」そう話しながら、けっ!と白助に唾を吐き、その場を後にする男。

 「うそだ…うそだ…」白助は震えて土を掴み、その場で倒れ込んだ。

 白助は限界だった。もう何日も何も食べていなかった。水も飲んでなかった。

 「おとうふ…」とーちゃんとかーちゃんが一生懸命作ったお豆腐がまた食べたい。そう思いながら白助は静かに眠りについた。


 目が覚めると、歌が聞こえてきた。身体が軽かった。さっきまで立っているのもやっとだったのに跳び回るくらいに身体が動いた。

 駅の方で歌が聞こえてくる。

 なんだろうと白助は思った。

 駅まで行くと、歌を歌っている人たちが大勢いた。


 「♪とおきーやーまにーひーはおーちてー」


 白助はその歌がなんなのか分からなかったが、その歌声はとてもキレイだと思った。

 街も、なんだか先程までと比べて明るい雰囲気になっていたように感じた。

 街の人もなんだか明るく優しそうな人たちが戻ってきているように感じた。

 「(そうだ、この歌声に合わせてお豆腐を売るんだ)」白助はそう感じた。

 歌の力で人が元気になる。明るくなる。お豆腐も皆買ってくれる。活気が戻る。そう思って、白助は豆腐屋に戻った。

 豆腐屋の場所はなんにも無くなっていた。空き地。白助は困惑した。さっきまであったのにどうしてだろう?そして「お豆腐をどうしよう」と思った。

 白助は思い出してみた。とーちゃんとかーち ゃんはどうしてたっけ。お豆腐の作り方。作る工場は危ないから入れてもらえなかった。

 買ってもらったお豆腐は鍋に渡していたな。ざるの上に乗っけていて落とさないように運ぶ少し大きな子どもたちもいた。かつてのお店を思い出す。

 「はいどうぞ。」白助は店番をしていたかーちゃんの真似をする。すると、お皿が広げた両手から現れる。そしてそこにぽん!とお豆腐が現れる。

 「わぁ!」白助は驚いた。そして喜んだ。とーちゃん、かーちゃんみたいにお豆腐が作れる!これをお客さんにあげるんだ!

 かつてのかーちゃんみたいに「とうふーいらんかねー!」と大きな声で街を歩いた。声も張れる。嬉しい。しかし、街にいる人は一向に白助の方を向かなかった。ものすごく大きな声で目の前で豆腐を差し出しても気づくことはなかった。

 「どうしよう…」白助は困った。皆お豆腐が嫌いになってしまったのだろうか?

 そんな時、またあの歌が聞こえてきた。


 「♪とおきーやーまにーひーはおーちてー」


 そうだ、この歌だ!白助はそう思った。皆この歌で明るくなっている。この歌を歌えば、きっとみんな、振り向いてくれる。

 しかし白助は歌詞がよくわからなかった。そのため、自分で、お豆腐屋の歌にして、歌うことにした。

 「とーふーいらんかねーいーらんかねー」

 こうして、毎日毎日、歌を歌いながら、豆腐を差し出す豆腐小僧が生まれたのだった。

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