第18話 妖との遭遇.2
だけれど、いつまでたっても痛みも衝撃も襲ってこない。
代わりに、バタッバタッと地面に叩きつけられる音がし、続いて獣のうめき声が聞こえた。恐る恐る顔をあげれば、そこには見覚えのある鮫文様の羽織がある。
「帆澄さま!」
「大丈夫か」
「は、はい」
どうしてここにいると分かったのかと疑問は浮かぶも、それ以上に心の底から安堵がこみ上げてきた。記憶にある限り、こうやって誰かに助けてもらうのは始めてだ。
今までずっとひとりで妖を退治してきた初音には、守ってもらった記憶がない。それなのに、以前にも同じことがあるように感じた。
帆澄は腰刀を手にしている。どうやら羽織の下に隠し持っていたらしい。
「下がっていろ」
腰刀を軸に破魔の力が集まり、二尺の日本刀へと形を変えた。それを帆澄が構え白狐を見据える。
(これが滅しの術)
初めて見る術のはずなのに、見覚えがある気がする。
穂澄に睨まれているにも関わらず、白弧からは余裕の笑みが消えない。それを訝しく思っている初音は、雨の中に地の匂いを感じた。自分の者だろうかと思うも、ヒヤリと嫌な予感が走る。目を巡らせると、
「帆澄さま、右腕から血が!」
帆澄の左側にいる初音の死角となる箇所から、ぽたぽたと地面に地が滴り落ちていた。切り裂かれた袖から見える皮膚は紫色に変色している。地狐の毒だ。
「これぐらい問題ない」
「ですが」
「初音さん、ありったけの封じ紙で援護してくれ。白弧は俺が仕留める」
帆澄が刀を構える。初音はそれに答えるように封じ紙を取り出した。二人なら、なんとかなるだろう。そう思ったとき、辺り一面に暗い靄が立ち込める。
「さすがに今のままでお前たち二人は厄介だ。また会おう」
靄の中で白弧の声がし、それと同時に阿紫霊と地狐が飛び掛かってくる気配がした。帆澄が三匹を切り裂き、初音は二匹を封じる。そうして靄が晴れたあとには
「逃げたか」
珀弧の姿はもうなかった。
帆澄が荒い息で河原に座り込む。初音は懐から手ぬぐいを出しながら、帆澄の右腕に手を伸ばす。地狐の毒は物凄い速さで全身に回る。少しでも速度を落とすためには右肩の上で止血するように手ぬぐいで縛るのが一番だろう。だけれど胴体にまで毒が回っていたら。
「お着物、失礼します」
「ま、待て」
穂澄の制止を聞かず、初音は襟元を開け、袖を下げ傷口を露わにした。
でも次の瞬間「あっ」と手を離し、口を押さえる。
見た目より逞しい帆澄の上半身には、心臓を中心に黒い触手が痣のように張り巡らされていたのだ。その禍々しさに、口を押さえる初音の指が震える。
「帆澄さま、この傷痕はいったい……」
腹のほうは分からないが、痣は右肩を覆い二の腕まで達している。
「……これが、宮應の運命だ」
帆澄は苦笑いでそう零すと、身体をぐらりと傾けた。地面に倒れそうなところをすんでで初音が支えた。
「帆澄さま? 帆澄さま‼」
名前を呼んでも細い息が返ってくるだけで、声も出せないようだ。初音は河原の石の上に正座をし、自分の膝に帆澄の頭を置く。身体が安定したところで手ぬぐいで右肩をぎゅっと締め上げた。これで毒の周りを押さえられるだろう。ただ、毒は僅かではあるが肩を越え喉にまで及んでいる。
初音は身を屈めると帆澄の首に自分の唇を近づける。「少し痛みます」と早口でいうとその喉に嚙みついた。
「封」や「滅」の方法が決まっているのに対し、「癒し」はその方法も効果も様々だ。初音の場合、口から破魔の力を体内に流し込み毒の浄化ができる。ただ、得意ではない。あくまでも応急処置程度だ。しかも、「癒し」と相性が悪く破魔の力の消耗が半端ない。
くらりと眩暈がしたところで唇を離すと、肩を越え広がっていた皮膚の変色が治まっている。
「でも、右腕を解毒するだけの力はもうないわ」
どうしたらいいのだろう。初音の身体が震える。帆澄を死なせたくない。
どんどん冷たくなっていく帆澄の身体をさするも、体温は失われ唇は紫色になっていく。
「しっかりして、帆澄さま」
必死に帆澄の名を呼ぶ初音の頭上で雷鳴が轟いた。
それと同時に、ふわりと右耳を優しく覆われた。帆澄が動く左手で初音の耳を塞いでいる。
「雷、が怖いのだろう。大丈夫、だ。すぐに遠くに……」
「こんな状態なのに、どうして私なんかの心配を」
私なんてそんな価値ないのにと、初音の目から涙があふれた。
「初音さんを傷つけるつもり、は、なかった。す……まない」
「大丈夫です。傷ついてなんていません。帆澄さまは何も悪くありませんから!」
「だが……あなたを、泣かした」
「そ、それは。帆澄さまが私より妖を守るといったのが、すごく悲しくて。私のただの我儘なんです。だから気にする必要はありません」
帆澄の手が耳を離れ、流れる初音の涙を掬う。そして青白い顔で微笑んだ。
「それなら、なおさら……すまない。約束しよう。……俺は初音さんを一番に守る、あなたは俺の妻になる……んだから」
「分かりました。だからもう、お願い……話さないでください」
ぐずっと洟を啜る。その言葉がもらえただけでもう充分だ。
右腕以外の皮膚に変色は見られないが、毒は内臓に及んでいるのかも知れない。もう一度癒しの術を使おうか。初音が思案していると、上空から呑気な声が聞こえてきた。
見上げれば、豪雨の中で黒い翼を広げた妖が空からこちらを見下ろしている。
「おーい、大丈夫か?」
「棟馬?」
「帰りが遅いから探しにきた。うわっ、これは厄介な毒にやられたな」
急降下すると、帆澄の傍らに膝をつき右腕に触れる。「地狐だな」とその肌の変色だけで毒を見抜いた。
「私のせいなの。私を守ろうとして、こんなことに……」
涙声で訴えた初音の頭を、棟馬がぽんぽんと叩いた。
「それならこいつも本望だろう。ずっと守ってやりたいと言っていたから」
「えっ?」
「大丈夫。地狐の毒なら解毒剤を作れる。急いで帰ろう」
棟馬はそう言うと、つむじ風を巻き起こし棟馬を持ち上げ、ひょいっと肩に担いだ。さらにはもう片方の腕を初音の腰に巻きつけ持ち上げる。
まるで米俵をふたつ担いだような体勢に驚いたのは初音だ。
「えっ、私は歩けるわ」
「足を怪我している。それに飛んだほうが速いだろう?」
その言葉と同時に、初音の身体がぐらっと揺れ宙に浮く。さっきまでいた河原がどんどんと小さくなっていった。
「と、棟馬、これはいったい」
「うん? 空を飛んでんの」
それは分かっている。ただ、人を二人も担いで飛べる妖などそうそういない、考えられるとしたら。
「もしかして、天狗、なの?」
「あれ、言っていなかったっけ。今度二人で空で逢引しようか?」
ははは、と陽気な笑いが、遠くで鳴る雷の音をかき消した。
印を結べる妖は、妖力の弱いものだ。それなのに天狗なんて強い妖がどうして帆澄と印を結んでいるのか。
頭の中は疑問だらけで、初音はもう考えるのを手放した。
長屋といい、帆澄の身体の黒い痣といい、棟馬といい。頭がいっぱいだ。
「棟馬が一番どうでもいいわ」
「おっ、なんか褒められてる?」
「……そうね」
初音は胡乱な目で、足もとに流れる景色を眺め続けた。
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