第2話

 浜の衆達の後ろ側で、ずんと砂を踏みつける音が致しました。その音のなった方へ皆の視線が集まります。

 一人の若者が腕を組んで、顔を真っ赤にしておりました。

「ようも、わしらの浜を虚仮にしなさるのう。」

 目を剥きだした若者は、口を曲げたままでの物言いでございました。


 若者の態度に不満を感じられた侍従のお一人が、腰の得物に手を添えながら前に出ようとなさいます。すかさず、お大尽様がご制止なさいました。

「誰も参ろうと名乗らぬのじゃ。虚仮にされたとて、おかしゅうあるまい。それとも。」

 お大尽様が薄ら笑いを浮かべて、ただ若者一人に目を向けられたのでございます。


 若者はふっと笑って、腕組みを解くと、

「おう。わしが潜ってやろうじゃないか。」

 そう申して逞しい体をいかめしく構えてみせるのです。


 それを挑発的に思われたご侍従が声を荒らげて申されます。

「貴様、先刻より、無礼も極まれり。」

「よい。」

 お大尽様の一喝が、今度はご侍従に向けられました。俯かれますご侍従は不満そうに退かれたのでございました。


「この浜にも、やはり気骨のある男子がおったようじゃ。儂の依頼を、見事に果たせば、必ずや褒賞を授けて進ぜよう。もし、願い出るなら、取り立ててやっても構わぬ。どうじゃ。」

 漸く名乗り出る者が現れ、破顔なさったお大尽様は、格別な厚遇の意まで仰せになりました。


「わしが身の為にする事じゃあない。わしはこの浜を知る漁師じゃ。他の何者にもならん。」

 若者は先程のご侍従の殺気さえ気にもせず、尚もその姿勢を改めないで毅然としております。浜の衆達は若者を止めようと口々に囁いておりました。


 若者はその囁きを制するように手を振り上げ、声を張り上げます。

「この瀬戸は、見た目こそ女神のように穏やかな海じゃ。じゃが、余所者に御せるような海じゃあないけぇが。安直に穢されても困る。ここはわしらの海じゃ。」


 豪胆な振舞いながら、若者の誇り高い姿勢をご覧になって、お大尽様は感心なさった様子でいらっしゃいました。浜の衆はというと、事の成り行きを危惧する顔色のまま、若者の言に押し黙ってしまうのでございました。


「天晴じゃ。その威勢を持って、見事、我が宝刀を持ち帰って参れ。」

 お大尽様の賛辞を込めて激励なさいます。若者は胸を張ったまま、ゆっくりと礼を致しました。


 この時、日はすっかりと傾いておりました。宝刀の探索は明朝と決まり、若者はこれに備えて、船を手入れしております。

 そこに現れましたのは、先程、宝刀の探索をお断りしようとした長でした。


「本当に潜るつもりか。潜ったふりでもええんじゃないのか。見つからぬと言えば、通せる話じゃ。」

 長はまだ新しい船の縁に手を掛けると、静かに撫でながら申します。そんな誤魔化しは無用だと、若者は一笑に付したのでございました。


「なあや。よお、考えてみい。あのお侍様方は、ただの旅人じゃ。国元に戻られたら、関わりのないお相手よ。そこまで体を張る義理がどこにあるんじゃ。」

 長が若者の身を案じて、止めようとしておりますが、手を止めた若者は首を振って、静かに近寄りました。


「すまんなあ、長。あのお侍さん、落っことした刀一つに、あんなにあたふたしてなぁや。あの言い草には、癪に障ってしもうたんじゃが。」

 お大尽様は落とされた宝刀にご執心するあまり、焦燥としてお言葉が過ぎていらっしゃいました。それに若者が怒るのも無理はないと、長も頷いております。


「あんな大金を出そうというお侍様の考えは、わしには及びもつかん。ほんでも、そうせねばならんという訳があるんじゃなかろうか。今じゃぁ、そんな気もしてくるんじゃ。」

 そう打ち明ける若者は、名乗りを上げた瞬間、大尽様が安堵されたお顔をみておりました。最後にはご信頼を寄せる視線を向けられて、若者にはただ闇雲に頼んでいたとは思えなくなったのでございました。


 若者を案じる長はこれに顔を曇らせましたが、若者は物怖じしない笑顔を見せております。ほんに、若者らしい素直な面持ちをしておりました。

「なぁ。長。わしらはこの海から恵みを分けてもろうとる。その海が粗相をしたというんなら。それはわしらが拭うてやらねばならんじゃろ。」

 そう申した若者は、海の先へまっすぐと目を向けております。


 波打ち際に寄せて返すその先に、夕暮れの色を映す鞆の海が広がっておりました。日に焼けた若者は海に微笑んで、一点の陰りさえございません。

 まるで落陽が若者を包み込むように、浜を染めております。辺りには茜色の光が満ちてゆくのでございました。


 もはや止める事も叶わぬと悟った長は、若者の船に目を落としております。

ぽんぽん、ぽんと長が船の縁を優しく打った後、若者を見つめて申しました。

「必ず、無事に戻ってこい。ええか。無茶なことだけは、よすんじゃ。」


「わかっとる。」

 答える若者の顔は引き締まっておりました。そのまま、こう頼み事を申したのでございます。

「これは、万に一つの話じゃ。長。もし、わしになんかあったら、おっかあの事を頼んでええかな。わし以外に頼れるもんがおらんでな。」


 一つ頷いて、深く息を吐く長は言葉を探しておりました。

「安心せい。大鱶おおふかにさえ、会わなんだらええことじゃけぇ、くれぐれも気を緩めるな。」

「ああ。わしは、この浜一の潜り手なんじゃ、ちゃんと戻ってくるわ。」

 自信に溢れる若者は胸を叩いてみせたのでありました。これに長はまた頷いて、ただ若者の無事を祈るばかりだったのでございました。


 大鱶おおふかふかの中でも殊更、大きなふかは人を喰うと、漁師達から怖れられていたのでございます。


 再び日が昇れば、若者の船は宝刀が沈む海へ漕ぎ出されましょう。

 やがて浜に静かな夜が訪れると、波は波のままに揺らいで、浜辺を緩やかになぞっておりました。

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