第2話・おやすみ

「おはよう。ご飯できてるよ」

「ん……いい匂い……」


 普段なら朝食なんて、ヨーグルトにカロリーゼロの砂糖とシリアルをかけるだけの私が、今朝はテーブルいっぱいに和食を広げている。

 冷凍庫に残っていた鮭の切り身と白米、冷蔵庫に残っていたほうれん草のおひたし、賞味期限間際の卵を全部使った卵焼き、インスタントをお湯で溶いただけのお味噌汁だけど、意外とそれっぽくなった。


「……何から何まで悪いねぇ」


 寝室から出てきた綯子は、ふわふわのショートカットを手櫛でほぐしながら洗面台に向かった。

 さっと顔を洗っただけらしく、すぐにリビングに戻ってくると、その顔に生気が少し取り戻されている気がする。


「好きでやってることだから。言ったでしょ、『三つ指ついて待ってる』って」

「あの返信は痺れたね。流石は清花ちゃんです」


 まだ重たそうな瞼と格闘しながら、綯子は「いただきます」と言って手を合わせた。


×


 あのあと。

 綯子を引っ張りながら駅から出たあと。

 私は有無を言わさず自身のマンションに彼女を連れ込んだ。

 リビングの椅子に座らせると、そのまま縮こまってしまった彼女にやや強引な取り調べを敢行し、『食欲はない。眠たい。シャワーは浴びたい。』との意思を引き出した。


「それじゃあシャワーだけでも浴びてきな。綯子の服出したいんだけど、スーツケース開けてもいい?」


 厚かましい私の問いに、一瞬渋った様子だったけど、微かに頷いたことを確認。綯子を浴室へ連行してから、リビングで彼女の荷物を広げた。


「っ……」


 ほとんどの衣類が、畳まれずにぐしゃぐしゃのまま詰め込まれていた。

 乱暴に、力任せで、荒々しく。

 綯子は几帳面とは言えないものの、がさつというわけでは決してない。

 この光景は、彼女が追い込まれていたことをまざまざと証明していた。

 突き刺すような痛みが胸に走る。同時に、彼女の香りが部屋中に解き放たれ、懐かしさと安心感でも涙腺が緩んだ――


「しっかりしろ、私」


 ――けれど当然、私が泣いている場合ではない。彼女の涙を受け止めれるべき人間が、いつまでもうるうるしてたら不安を加速させてしまう。

 とりあえずスーツケースからは下着と洗顔セットだけ取り出し、パジャマは私のを貸すことにした。

 以前、可愛いからという理由だけで買ったオーバーサイズのパジャマが、オーバーサイズ過ぎて着心地が悪く、クローゼットに封印されている。

 それらを脱衣所兼洗面所に置いて、今度は寝室に向かった。

 流石に今からシーツを洗濯する時間はないので、除菌&消臭スプレーを撒き散らす。そして、湿っていたら気持ち悪いだろうからエアコンのドライを付け、サーキュレーターで空気を循環させる。


「清花ちゃん?」

「えっはや!」


 そうこうしてる間にシャワーから上がっていた綯子が、私のパジャマを着て眠たそうに私を見ていた。


「ちょっと、髪濡れてるよ」

「ドライヤー……面倒臭い……」

「も〜。ちょっとそこで待ってな」

「?」


 ドライヤーをリビングに持ってきて空いていたコンセントに繋ぎ、椅子に座った綯子の髪を乾かす。

 艷やかな黒髪は見た目以上に指通りが良く、乾かすたびにさらさらのふわふわになっていく……! 私今……実はかなり責任重大なことしてる……? このキューティクル傷つけたらあまりにギルティ過ぎない……!?


「んふ」

「どした? 熱かった?」

「んーん、全然。ただ……幸せ過ぎて……」

「それは良かった。ほい、終了。もう寝ちゃいな」

「ん」


 寝室まで連れて行くと、綯子はベッドの前で足を止めた。その表情がどこかぼぅっとしていて、眠気が限界を迎えた小さな子どもみたいだ。


「大丈夫。除菌消臭済みだから」

「なーんだ」


 なぜか落胆した様子でおずおずと体を横にした綯子は、微睡みながらパジャマを鼻に当てて言う。


「私、こっちの方が好きだな。清花ちゃんの匂いがする」

「恥ずかしいからやめて……!」


 私の抵抗の声は届いたのだろうか。あっという間に綯子は全身を脱力させ、静かな寝息を立て始めた。

 布団をかけて、その表情を少し、見つめる。


「おやすみ」


 本当はもっと眺めていたいけれど、睡眠妨害は本望ではないので電気を消して寝室を出る。


 散乱した荷物、濡れた浴室、普段と違う場所にあるドライヤー。そういった全部が、綯子が今、私の部屋にいることを証明している。

 なんか……今更緊張してきた……。

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