造形
久保ほのか
解体
もう限界だった。
後ろから腰に冷たい手が回され、次の瞬間、口に指を突っ込まれた。
視界がスパークするように真っ白に弾け、そこから先はあまり覚えていない。
なんであんなに俺を笑ってたんだろう。あいつは、いつも俺の恐怖を笑ってた。あんな風にされるくらいなら、いっそ殺した方がマシだった――と、思った……のか?
気づいたら俺はナイフ投げのナイフを握り締め、血だらけの死体を見つめていた。返り血が全身にかかって気持ち悪い。手元が赤く染まって濡れている。
洗わなきゃ。でもどこで?
それよりこの死体をどうにかしなきゃ。でもどうやって?
俺は捕まって死刑になって死ぬのだろうか?
焦りと、絶望と、それでいいという投げやりな気持ちで固まっていたところに、あの男の声がした。
「おや、派手にやったね」
顔だけそちらに向ける。衣装を脱いでラフな格好になった武居がこちらに向かってくる。そこに血まみれの死体などないかのように軽やかに。
「片付けがまだだね。手伝おうか?」
まるで照明やセットの片付けを促すような、演出家の口ぶりだった。
「聞こえてるかい?君と俺で、片付けるんだよ。この死体をね」
「......見てたのか?」
「何があったかは知らないさ、忘れ物があるんで取りに来たらこうなっていた。広げたものは片付けなきゃいけないだろう?安心し給え、俺は片付けがうまいんだ」
そう言いながらひょいと屈むと、血が服につかないように慎重に死体を抱え、関節を外しだした。肩、肘、膝、手首足首、バキッと音を立てて外していく。
「死体ってのは硬直するからね。最初に関節を外すことで扱いやすくなる。」
ここだと人が来るといけない、場所を移そう、と言って、人気のない猛獣の檻のあたりに移った。ここでは武居が猛獣の管理をしているし、誰も好んで近寄らないのでいつも人気が無い。
「さて幸永くん、人間の死体を透明にする方法が一つだけある。なんだと思うね?」
わかるわけがない。
「解体して処理するのさ。肉と骨と血に分ければ、ボディーはただの“素材”になる。透明になるんだよ」
異様な言葉。いつも穏やかな表情で周囲を気遣う言葉を欠かさない男が、滅多刺しの死体を前にボディーを透明に、などと言っている状況に、俺はついていくことができなかった。
「これは君が始めたことだから、君がやらなくちゃいけない。俺も手伝うから、わからないことがあったらなんでも聞いてご覧」
わからないことだらけだ。
なんで武居はそんな知識があるんだ?滅多刺しの死体を前に、血まみれのナイフを握って呆然としている俺を前にして、なぜそんな言動がとれるんだ?
これが夢だったらよかったのに。
夢だったらもっと曖昧でぼやけていたはずだ。現実は、夢よりもずっと異様にくっきりしていて奇妙だ。
武居の言葉には丁寧だが有無を言わさぬ調子があり、俺は疑問を挟めず指示に従うことになった。
「まずは扱いやすい大きさに手足を切っていこう。ここに肉切り包丁とノコギリがある。それで肉塊にしていくんだ。全部一人でやるのは大変だと思うから、俺は半身を担当しよう。手分けしてやろうね」
そう言ってゴリゴリ音を立てながら足首を切り落としていく武居。手際が良く、あっという間に切り終わる。
「さあ、君も手を動かして。いつだって時間はあるようでないんだから」
意を決して、見様見真似で武居のしたことを繰り返す。足首、手首、脚の付け根、肩、次々に切り落としていく。今は眠っている猛獣たちが血の臭いで起きないか気が気じゃなかったが、彼らは不思議なほどよく眠っていた。
「なかなかうまいじゃないか。才能あるよ君」
話しながら次は胴体に手をかける
「臓器はすぐ腐るし臭いの元だから、さっさと出して彼らに食ってもらおう。丁度、夕飯がまだの子がいるからね。今日はご馳走だな」
臓器は俺がやるよ、と言って、どこからか取り出したメスで開腹していく。
「これが胃袋、これが小腸、大腸、十二指腸。肝臓、腎臓、後なんだっけ、まあいろいろ詰まっているわけだ。要はモツだから、処理さえすれば美味しくいただけるわけ。今回これを食べるのは虎の次郎だけどね」
まるで食べたことがあるかのような言い方と、色鮮やかな臓器と血の臭いで吐き気がし、思わず口を抑える。武居は気にせずバケツに臓器を放り込み、肋骨を剥がす作業に取り掛かっていた。
こうして肉と骨と血が分けられ、肉は塩漬けに、血は溝に、骨は新聞紙にくるまれて武居の大きな鞄の中に収まった。
「......その肉、どうするんですか」
つい口をついて出たのは、それだった。それ以外、言葉が見つからなかった。
「ああ、これ?」
水気の抜けた赤い肉を竹の皮で包みながら武居はにこやかに答えた
「闇市で売るんだよ。栄養状態の良い肉は貴重だからね、きっと皆喜んで買ってくれるさ」
先程から胃のあたりにあった吐き気が急に込み上げてきて、慌てて後ろを向いて俺はえづいた。腹の奥がひっくり返るように気持ち悪くて、何かを吐かずにはいられなかった。酸っぱい液体と一緒に、さっきの肉の感触まで戻ってくる気がして、思わず喉を押さえる。
吐き気が止まらず、俺はえづきながら膝に手をつき、目を閉じた。
頭の中で、今切った肉の柔らかさが再現されていた。
そんな俺の背に、武居の手が触れた。
あたたかい、けれどぞっとする温度だった。
「これで君と俺は共犯だ――」
少しだけ間を空け、武居が続ける。
「君が死刑になるなら、そのときは俺も一緒に死んであげるよ。
共に罪を背負った仲だからね。」
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