第3話 それぞれの戦い ②

 午後の日差しが辺りを照らしている。

 緊急手術が必要な負傷者の対応を終えて、ハインリヒとハーヴェイの二人は深く息を吐いた。

 体中、乾いた土と血に塗れている。鉄臭い匂いが、鼻腔の奥に染みついて離れない。 せめて血液で濡れた服が早く乾くようにと、上衣を脱いで日なたに干した。


 ハーヴェイは傍らの木箱に腰を下ろして、周囲を見渡した。医療テントへ篭っている間に、随分と様相が変わっている。村の一帯は荒廃した戦場から、軍の仮設基地としての顔を見せ始めていた。



 * * *



 村の中心に聳える教会の内部は、ひんやりとした空気に満ちていた。薄暗い礼拝堂には、四角い窓から陽光が差しんでいる。

 ほんの数時間前まで敵の攻撃拠点となっていたこの場所は今、包帯所として機能していた。椅子を壁際に避けて作った広い空間には、負傷した兵士たちが集められている。


 床に横たえる負傷者たちの脇には、傷の具合を診る衛生兵たちが方々に見受けられた。

「包帯、替えますね」

 負傷者の脇に膝をついて、ハーヴェイが言った。

「さっきはありがとう」

 聞こえてきた言葉に、ハーヴェイは驚いた表情のまま顔を上げた。

 視線の先で、銃弾の摘出手術を拒んだ男が微笑っていた。

「……いえ」

 ハーヴェイは気恥ずかしそうに首を振って、作業を続けた。

 解いた包帯を汚物袋に捨てて、患部に貼られたガーゼをそっと剥がせば、男が痛みに顔を歪める。そして、脂汗を滲ませながら苦笑した。

「俺、君くらいの娘がいるんだ。いま、調理学校に通っている。料理人になるんだとさ」

 男の口から語られた言葉に、ハーヴェイの手が止まる。

 鉄帽を脱いだその人の顔を改めて見ると、父親とよく似た年恰好をしている事が分かった。

「もしも娘がこんな目に遭っていたら……、辛いな……」

 横になったまま腕で顔を覆って、男は掠れた声で言った。

 目尻から、一筋の雫が地面に落ちる。男は愛娘の姿をハーヴェイへ重ねて、心を痛めている。

「なあ、もうこんな場所から退いた方がいい。君が不憫だよ。親御さんも気の毒だ」

 ゆっくりと上体を起こしながら、男は懇願するように言った。

 年若い少女が、死臭の漂う戦場にいる。砂で汚れ血に濡れた戦闘服を纏って。精神を擦り減らした顔をして。明日の命の保証もない、この場所に。


 そんな男の言葉を受け止めて、ハーヴェイは困惑していた。それが、何の否定もできない事実だったからだ。

 ここにいれば必ず酷い目に遭う。そしていつか、命を落としてしまうかもしれない。

 出征を決めたと告げた時の家族の顔が、脳裏を過る。自分はなんて親不孝なのだろうと、胸が締め付けられた。

 

それでも自分は。強い覚悟を以て、ここにいる。

 ハーヴェイは、力強い眼を男へ向けた。


「娘さんが夢を叶えるため学校へ通っているように、私は私の意志でこの地に立っています。負傷者がいる限り、私は仲間を助け続けます」

 それは、成人も迎えていない少女のものだとは到底思えないような、毅然とした態度だった。

 強い決意を宿した瞳が、男を射抜くように見つめている。男は絶望したような顔のまま、乾いた唇を震わせた。


「でも……、お気持ちは分かります」

 長い沈黙を経て、赤く染まった銃創に視線を落としながら、ハーヴェイは言った。

「だって、もしもお父さんがこんなに苦しい思いをしていたら、悲しいですもの」

 切なさと優しさを混ぜたような、複雑な顔。それは、この血腥い戦場におよそ似つかわしくない表情だった。

 困ったように笑う少女の向かいで、男は顔を覆って嗚咽を漏らした。

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