第2話 戦闘 ②

 村は地獄絵図だった。

 武器と兵糧を手にした敵は、士気に満ち溢れている。国防軍兵は、ここで初めて己が劣勢の立場に晒されつつあることを知った。


 攻撃拠点となっている教会を墜とす―――。それがこの戦いの勝利者となる、唯一の道だ。

 

 軍は村の中心に聳える教会へと進軍する。

 機関銃の掃射を縫って、ただ駆ける。敵の迎撃をかわし、引鉄を引く。

 奪還への道が、じわり、じわりと拓かれていった。



 * * *



「もう少しだ、頑張れ!」

 詰まれた土嚢の裏で負傷兵の止血処置をしながら、ハインリヒが叫んだ。思いのほか状態が悪い。出血が止まらず、苦戦を強いられている。


 ごぶごぶと鮮血が溢れ返る傷口に、縫合針を刺す。ハインリヒは素早く、だが確実に傷を縫い留めていく。これで出血が収まらなければ、他の手段を考えなければならない。

 兵士の顔が青ざめていった。ハインリヒは焦燥感に煽られていた。

「お願い、止まって!」

 止血帯をきつく縛り上げるハーヴェイが、懇願するように叫んだ。

 このままだとこの人は死んでしまう。どうか、どうか生きて。

 鮮血で真っ赤に染まった手が震える。

 一秒がこんなに長く感じる事が、かつてあっただろうか。ハーヴェイの頬から、赤く染まった汗が地面へと滴り落ちた。


 刹那。

 少女の祈りが通じたかのように、ふっと出血が弱まった。


「止まった……!」

「よし、これで助か―――」

 空気を切り裂く鋭い音が、彼らの耳を刺す。無情な金属音が、絶望を告げる。

 希望を打ち砕いたのは、一発の銃弾だった。

 横たえる負傷兵の頭部を、敵の凶弾が貫通した。

「ちくしょう、やりやがった!」

 ハインリヒは声を荒げて悪態を吐いた。拳を強く握って、怒りを滲ませた。

 そんなハインリヒの隣では、ハーヴェイが体を震わせていた。

 彼女の目が、血だまりの中で静かに息絶える人を見下ろす。黒い感情が、沸々と胸に湧き上がる。

「っ……、許せない!」

 声を震わせたハーヴェイの右手は、腰に提げた拳銃へと掛かっていた。怒りを迸らせる彼女は、衝動に身を任せて体を揺らした。

「よせ、准尉」

 彼女を宥めるように手で制して、ハインリヒが首を振る。

「ですがっ」

 ハーヴェイは咄嗟に口を噤む。ハインリヒの鋭い瞳が、彼方の敵を射抜くようにして睨みつけていた。

「一人でも多く救う事が、俺たちの復讐だ」

 それは、蒼い炎を思わせるような、明らかな憤激を宿した眼光だった。


 命の灯を消した兵士の傍らで、二人は立ち上がった。

 赤くぬかるむ地面を蹴り上げる。

 呼ぶ声に応えて、弾幕の中を駆けた。



* * *



 弾丸が鉄帽を霞める。

 赤十字の腕章を、炸裂弾の破片が切り裂いた。


 教会の手前、機関銃の死角となる斜面へ、転がり込むようにして伏せる。

「状況を教えてくれ!」

 ひしめきあう人の隙間に体を捻じ込んで、ハインリヒが傍の兵士に訊いた。

「援護部隊が村外れの望楼を奪取した! そこからの狙撃待ちだ!」

 重火器の轟音が空気を揺らす中、兵士は後方を見遣ってそう答えた。彼に倣って振り向けば、彼方に聳える背の高い建物がハインリヒの眼に映った。

 遠い。その距離、一キロメートル弱はある。

 狙撃は成功するのだろうか? そんな不安がハインリヒの脳裏を過る。

 傍らの兵士は彼の顔色を読んで、にやりと笑った。

「あそこにゃ名狙撃手エーススナイパーが登ってるんだ。十四区で活躍した英雄がな。……きっと当てるぜ」

 自信に満ちたその顔につられて、ハインリヒも口角を上げる。

「頼もしいな」

 それからハインリヒは兵士に礼を述べて、ハーヴェイの元に戻った。斜面に体を伏せたまま顔を強張らせる彼女へ、這いながら近づく。

「中尉……」

「状況を把握した」

 ハインリヒは、騒音を避けるようにハーヴェイへ顔を寄せた。鉄帽がぶつかり合って、かちりと音が鳴った。

「狙撃班が動いている。腕のいい狙撃手が控えているから、あとは時間の問題だと」

 聞き終えてから、ハーヴェイは周囲を回した。この斜面へ、次々と兵士が飛び込んでくる。

 斜面の裾には、弾幕の雨が降り注いでいた。

 もしここに安全地帯がなければ、辺り一帯が血の海になっていただろう。そう気づいた瞬間、全身が粟立つような感覚を覚えた。

衛生兵私たちはどうしたら……」

 点々と転がる負傷者の姿を捉えながら、ハーヴェイは震える唇で訊ねた。

「今は動かなくていい。敵を注視していろ」

 ハインリヒは厳しい声色で答える。鋭い眼光が、鐘楼の上に注がれている。

 

 奪還作戦の勝利が、残り一歩の所まで迫っている。攻撃拠点である教会さえ制圧できれば、作戦の成功がもたらされる。

 しかし、鐘楼から火を噴く大火器がそれを阻んだ。このまま攻撃を許していれば、被害が甚大になることは明らかだ。その極限の中、消耗戦にもつれ込む事は避けたいというのが、軍の本音だった。

「じきに片付く。必ず」

 ハインリヒは固い表情で鐘楼を見つめながら言った。

“十四区の名狙撃手”の腕は彼自身がその目で見て知っている。信頼は厚い。


 砂煙と轟音に包まれながら、彼らはじっとその時を待った。


 そして、運命の時が訪れる。

 その瞬間、弾幕が止んだ。


 鐘楼の人影が弾け飛ぶようにびくりと痙攣して、力なく項垂れる。

 それにほんの僅か遅れて、彼方から乾いた銃声が響き渡った。

 狙撃兵が放った弾丸は、敵の頭部を見事に撃ち抜いていた。


「ハインリヒ中尉!」

「ああ……!」

 ハーヴェイとハインリヒの二人は顔を向かい合わせて頷いた。

 斜面に伏せていた兵士たちは歓声を上げた。そしてその雄叫びをそのままに、教会へと一目散に駆け出した。

 次の攻撃が始まるより早く、攻撃拠点を制圧しなければ。小銃を抱えて駆ける兵士たちの思いは一つだった。

 教会内には他にも数多の敵がいるだろう。機関銃の発砲が止まった事に気付いた誰かが鐘楼へ上って、再び弾幕を浴びせるに違いない。それよりも早く、敵を殲滅しなければならない。

 国防軍兵士たちは膨らませた憎しみを糧に、教会へと突入した。

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