第31話
タタユクははっと目を開けた。
けれど、目を覚ました訳ではなかった。
背を預けていた樹が消え、足元に水の冷たさを感じる。これはまだ夢の中だと気付くには充分な感触だった。
ぱしゃん、と手をついた拍子に、水が飛び上がった。膝からじんわりと水がつたってくる。けれど客人は寒さも冷たさも感じなかったので、そのまま、川の底をのぞいていた。
砂漠の川を見るのは初めてだった。存外勢いがつよく、透き通っている。感覚があれば、きっと冷たくて心地よいだろう。
「……?」
ふと、黒い石のようなものが埋もれているのを見つけた。砂をどけてみると、それは不思議な光をもち、川の流れを受けながらも決して削られない、独特の雰囲気を持っていた。
「堕ちた星、だ」
恐ろしくなって、彼はとっさに川から出た。水を吸い込んだ服は重く、ほとんど這うようにして砂地に乗り上げた。
「はあ……っ」
息も絶え絶え、客人が倒れ込んで星空を見ると、そこには異様な景色が広がっていた。
「これは、一体……」
知らぬ星があり、知る星が見つからないことは、問題ではなかった。問題は、星が動いていることだ。
円を描くように進み続ける星を見て、客人はあることに気付いた。
「一日だけの動きではない。もっと早く、時が過ぎている……?」
はっとして辺りを見渡すと、影はちいさく揺れ動くようにして形を変えている。それは星のかけらに関しても同じだった。
星があった場所に芽が生まれ、みるみるうちに大きくなってゆく。それが”大樹”となるのにそう時間はかからなかった。
大樹が大きくなるにつれて、そのそばを流れていた川は地中に埋もれていくかのように嵩を減らした。樹の根本が砂に入り込み、水もそこに流れていくためだ。
水を吸いながら大樹が空ほど高く昇ったとき、川は完全に地に埋まった。
『なつかしいな』
しゃがれた声が落ちてきた。不死鳥だ。
『このとき、湖は数を減らしたが、それでもまだ暮らしは穏やかだった』
砂丘の輪郭をなぞるように眺めていた不死鳥は、客人を見るでもなく、ぽつりとつぶやいた。
『けれど不思議と、過去に戻りたいとは思わぬ。暮らしが変わっても、民が変わっても、我はずっと、この地と民を、ただそれゆえに愛していた』
客人も肩を並べて黒い輪郭を見つめた。風に流されて少しずつ形を変えながら、砂漠は砂漠であり続けた。
大樹が今とほとんど変わらない姿になったとき、ひとつの影が近付いてきた。
『……』
星は樹の根元に半分埋まっていたが、影は何かに取り憑かれたように、苦心してそれを取り出そうとしている。指は傷つき、血が滲んでゆく。
客人と不死鳥は、それを神妙な顔つきで眺めた。その後に起こる悲劇を思うと、これがたとえ変えられぬ過去だとしても、受け入れるのは難しい。
どれほど時間が過ぎただろうか。ようやく取り出した星を、その影はじっと見つめて、口に含んだ。
『──ああ、いけない、それをのんではだめだ!』
不死鳥の翼は届かなかった。空を切り、虚しく音を立てたあと、翼の向こう側に影はなかった。
二人は太陽の国ではなく、不毛の地に立っていた。
「……日が昇っていますね」
それは夢が醒めたことを示していた。夜は終わり、彼らはいちばん若い未来にいた。
『あぁ……』
不死鳥は肩を落としてうなだれる。その姿は木陰のなかでさらに暗い影色をしていた。
「結局星たちは、何を見せたかったのか……はっきりとは伝えてくれませんでしたね」
客人は鳥の隣に腰かけた。大樹はびくともせず、おおらかにそれを受け止める。
「赤ん坊のころのあなたを見ましたよ。あんなに小さかった双葉がこんなになるんですから、星の力というのは不思議ですね…」
言いながら、そっと肌を撫でる。樹肌は成長に伴って表面が縦に割れるため、水が流れるような溝がいくつも刻まれていた。
「……」
ふと、あることが気になった。あの夢と今では、あまりに多くのことが変わっているのに、この樹だけがそのままだった。
客人は木肌を撫でていた手を止めた。そしてそっと、右の耳を樹に添わせる。
じっと耳を澄ませて、”それ”を聴こうとした。
「……あぁ……」
客人の予感は当たっていた。この樹が変わらぬ姿なのは、この根のありかが変わっていないから。
星が堕ちたまさにその場所だけは、水が枯れなかったのだ!
その証拠に、樹は水を汲み上げていた。この樹に巡らされた小さな川が、空に向かって駆け上ってゆく音が、この客人には確かに聴こえた。
客人はさっと立ち上がって、うなだれたままの不死鳥に声をかける。
「不死鳥さま! わたくしたちはすぐに砂漠の国に帰らねばなりません。王にこのことをお伝えしなくては」
ふさぎ込んでいた不死鳥は何のことだか分からなかった。
『何を伝えるというのだ』
真っ黒な瞳に太陽の光が映っている。客人はにっこり笑って、答えた。
「わたくしたちを救う水脈が、まさにここ──大樹にあると!」
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