第29話 決戦、吸血種族。


 出鼻を挫かれるというのは、こういった事だろう。


 レンツォはそんな事を考えながらその女、カミラ・エリナ・ザガリア=トンバロロを見ている。

 美しい少女であった。歳の頃は十代前半で、華奢な身体を古風なドレスで飾っている。


「クフフ。ご友人殿、ファビオは腕を上げたであろう? 妾の元に居た頃も、弛まず研鑽を積んでおったからのう。男子、三日会わざれば刮目して見よじゃ」


 古風で大仰な言い回しながら、無邪気に綻ぶ笑顔であった。声音も鈴の音の様でいて、機嫌良く澄んだものである。


「なんと、ご友人殿はアルトベリ男爵閣下の騎士であるのか。商材としても米は魅力的じゃが、量がのう。稲作は難しきものよ。閣下のご苦労が偲ばれるわ」


 会話が上手く、知識も話題も豊富であった。巧みに乗せられて、聞かれるままに答えてしまっている。そして聴かされる、実に愉しげな笑い声。


「のう、ファビオ。良き友人に恵まれておるのう。大切にせんといかんぞ」

「……」

「相変わらず無口な男じゃな。ほれほれ、笑ってみんかい。笑う門には福来ると言うものぞ」


 それでいて、世話焼きな面もある。

 時に老獪で、時に無垢。不確かだが妖しい魅力を持つ人物であった。

 レンツォにはやり難い。こうも友好的な態度で接されていると、殺る気も萎えるというものだ。

 なので、理性的かつ話の通じる相手だと考えて頼み込む。


「カミラお嬢様。ファビオとの契約を解除して頂きたいのですが、どうかご一考下さらんか」

「それはならぬ。裏切りは赦さん。……善き善き。お主らの望んだ【決闘】は受けてやる。そこで妾を滅ぼせば、お主らの望みは叶うであろうよ」


 けんもほろろであった。にべもないのに、悪い気もしていない。とても、やり難かった。


 侍女に連れられて向かった砦にて、カミラは待っていた。内装を美々しく飾りたてられた砦の中で挨拶を受け、その後の歓待が今である。


 最初から【決闘】を申し込み、殺しに来たと伝えたにも関わらずだ。調子が狂うったらありゃしない。それに——。


「兄貴も来てたなんて、やっぱ『常春の森』にゃお宝が眠ってるんすね!」

「お宝なら、ここにあるだろう。桃源郷とは此処にある……」

「お前らさぁ……」


 居る筈もない者達がいる。実力的な意味で。

 三人目の呆れ言葉にも、思わず同意してしまうレンツォだった。

 彼等はバールのマスターの孫と、機巧兵団員でもある狩人の息子、そして商家の息子の三名だ。

 つまりは『432』の三馬鹿達である。


「なんでお前らが中層にいるんだよ。親御さんも心配するぞ。帰れ帰れ」

「依頼なんで、半端じゃ帰れねぇっす」

「はい?」


 詳しくと聞けば、意外な情報が入ってくる。

 なんでも、カミラによるアンブロシア採集という依頼、数ヶ月前から出されていて、今も継続されているそうだった。長期依頼である。

 定期的に人員は入れ替えられているらしい。依頼を申請しておけば、ここまでの迎えも来るのだという。

 三馬鹿は四日前にやって来たらしかった。


「『導きの光』のリーダーが送ってくれたんすよ! 上級ってかっけーっすね!」

「あー、判った判った。依頼主の前だかんな、あんまりはしゃいで見限られんなよ」


 それはカンパニアで唯一の上級登録者であった。

 導きの光はガムランが全面支援する冒険者派閥であり、多くのパーティが参加している。派閥は代表パーティと名を同じくしていた。


「クフフ、可愛いものよのぅ」


 カミラも目を細めるが、気にする必要はない。導きの光のリーダーの事だって気になるが、レンツォが今問題とするのはソレでもなかった。


「ファビオ君?」

「……短期依頼にはそんなもの、なかった」


 目を逸らし答えるファビオ。

 中層探索に向け、手頃な依頼を探したのが彼である。こんなにも目的と合致する依頼を見逃したのは怠慢であった。


「ちっと、怠慢じゃねーか。居場所が判ってりゃ、探し回らなくても済んだよな」

「……聞けば、長期依頼はかなり前から出されている様だな。確認を怠って、知らんでいたのは貴様の怠慢だろう」

「あん? 喧嘩売ってんのかよ」

「……喧嘩なら、買うが」


 剣呑な空気を発して、言い合う二人である。お互いに責任を相手へ被せようとする、醜い争いであった。


「クフフ。善きかな、善きかな。仲良き事は美しい」

「喧嘩する程、仲が良いって言いますしね!」


 コロコロと笑い転げるカミラと、調子の良いバールのマスターの孫である。

 流石にレンツォも毒気を抜かれ、ファビオとの争いは停戦とする事となった。実際に、今更言い合っても仕方のない事である。


「んでだ。麗しのシニョリーナ。結局の所、君の狙いは何だい?」

「アンブロシアの採集よ。依頼にも出しておるじゃろう?」


 カミラへと問い掛けるも、返答は表向きのものだった。だが麗しのお嬢様シニョリーナ呼びが大変お気に召された様で、かなりご機嫌な様子でもある。

 近頃のレンツォは、かなりメスガキの扱いにも馴れている。褒めて煽ててやれば、大抵は何とかなった。

 チョロい幼女相手に経験を積んでいて、自信もある事であった。


「それは表向きの理由だろう。商売人の君がこの様な利益の出ない、下手をすれば赤字にしかならない仕事をする筈がない」

「買い被りじゃのう。妾とて見通しの甘さから、損失を出す事はあろうよ。それとも何か、ご友人殿には裏の意図でもお見えになっておられるか?」

「いえ、失礼いたしました」


 はぐらかされてしまえば、そう答えるより他にないものだ。レンツォは引き下がる事にする。印象から抱いた予測を胸に秘めて。


「それでは某めらは、一旦お暇いたします。何せ本日は、朝から方々走り回っておりましたから草臥れておりましてな。これにて」

「うむ。少々物足りないものじゃが、。佳い夜を」

「はっ。良い夜を」


 そうしてファビオと二人、今日は休んで行けと充てがわれた部屋へと引き上げるのであった。





「チッ、厄介な婆さんだ。ずっと魅了チャームを使っていやがった。殺れんのか?」

「……殺るさ。ここでしか、出来ん」


 部屋に入るなり、悪態を吐くレンツォだ。持って来ていた聖水をラッパ飲みして、水分を補う。

 体内へ水分が染み渡る。それもその筈、結構な長丁場となった歓待の時間にレンツォは何も口にしていない。毒物や薬物、呪いなどを警戒しての事だった。


「しっかし、難儀な事になったぜ。露払いは任せろと言ったが、かなり骨が折れそうだ」

「……別に手助けはいらん」

「自惚れんなって。しかしありゃ、相当な手練だな。俺の強化じゃ抜かれかねん」


 レンツォが苛立ちを隠せないのは、何も空腹や渇きからのものではない。

 言葉とした様に、歓待、寧ろ会談か。その間中ずっと魅了の術式を掛けられていて、強化による抵抗を行い続けた疲労があった。

『異界常識・機巧制限』下にある中層で、距離はそう離れていないといえども、ほぼ全力で抵抗しなければならなかった。


「……この機会を逃せば、次はない」


 だろうな。とレンツォも思う。

 体外への術式強度が著しく減衰する中層であるからこそ、耐えられた。

 これが他の場所であったのならば既に魅了されているだろうし、恐らくは戦闘にもならずに負ける。

 実力差、才能差、格の違いを見せられて、気分が良い筈もなかった。

 それが百二十年以上、レンツォ自身の人生の五倍もの年月を掛けて研鑽を積み、培ったものであろうが、やはり敗北感を覚えずにはいられない。


「あの婆あ、他に得意な術式とかあんのかよ? ちっと参考までに聞かせとけ」


 ファビオにより語られた回答は実に簡潔なものであり、「何でもござれ」というものだ。実に碌でもない答え合わせであった。


「……お前が相手取る必要はない。逃げるなら、見逃されるだろうしな」


 これに頷ける筈もない。何も言わずに考え込んだ。

 当初の予定では、カミラの眷属や配下をレンツォが抑えておいて、その間にファビオが彼女を始末するというものだった。


 最大で六十名、半数近くはカミラの眷属である吸血種族であり、中々腕の立ちそうな彼女達は死力を尽くすだろうと予測している。

 ただ、残りの男達に関してはやや楽観をしていた。

 ざっと見た感じでは男衆の中に飛び抜けた手練はおらず、中々出来ると思われるのも数名であった。

 彼等が、かつてのファビオと似た立場にある者達だろうとも当たりを付けている。死力を尽くす事だろう。


 しかし、他の者には死力を尽くす理由がない。

 ザガリアの従業員や、カターニアで依頼に応じた冒険者達であるからだ。

 義理や忠誠があるでなく、依頼自体もまた、護衛ではなかった。

 冒険者も精々が錬鉄で、レンツォは上手く立ち回れば、生命惜しさに逃げたりもするだろうと考えていたものだ。


 だがあの魅了であれば、そうもいかない。本来の意思とは離れ操られ、強制的に死力を尽くさせられる事だろうと想像出来た。三馬鹿も、他の冒険者達も。

 甘さであるが、彼等を殺す訳にもいかなかった。

 殺せぬならば戦闘力を奪い、拘束しておくしかないものだ。非常に手間が掛かる。


 正直な話、出来ればカミラの眷属である女性達も殺したくはなかった。これも可能だとは考えている。

 主人を護るが為に力を尽くすだろう彼女達の姿は、憧れる『英雄』、『州兵』の姿にも重なるものである。

 護る為に力を振るう者達を、むざむざ殺したくはなかった。それに加えて。


 ソフィアやジュリアには、敵であるならば迷わず殺すべきなどと言われたが、レンツォはカミラの侍女達、眷属達を殺す事にも抵抗があった。

 これまでに運が良いのか悪いのか。女性を殺した事がない。敵として出会わなかったからだ。

 敵として出会っていたならば、躊躇いなく殺せる。レンツォはそう思う。だが、それでも。


 砦の中で生き生きと、主人の為に、客人の為にと立居働く彼女達を見ている。

 それはやはり護りたいと思っている平凡な日常の姿であり、とても敵だとは思えない。

 当たり前に考えて、レンツォとファビオの二人こそが彼女達の主人を害そうとする敵であり、悪なのだ。

 相手側に正義がある。自分にも負い目があった、これでは力が湧く筈もなかった。


 だからこそ彼女達も無力化し、拘束しておこうなどと甘い事を考えている。幸いな事に吸血種族は心臓を壊されない限り死なない。

 契約が解かれれば、彼女達も吸血種族でなく普通の女性に戻る。その未来を奪いたくはなかった。

 これが外ならいざ知らず、『機巧制限』が敷かれるエトナ中層であるのなら、それも可能であるだろうと判断していた。


 力量の見立てでは六十名を相手取ろうが、近接戦であるならば負けはしない。ただし、それは殺しても構わぬと闘った場合である。

 防御の為に大楯は仕方がないが、腕を磨いた大斧では殺傷力が高過ぎる。また腰に差す銃に戦力的な意味はない。とすると、もう片方の腰に差した剣くらいしか武器はなかった。


「……藪から棒に鈍器なぞ抜いて、何のつもりだ」

「鈍器じゃねーよ。剣だよ剣。いやさ、抑えなんだが流石に大斧じゃ殺しちまうだろ? 剣ならなんとかなるかなって……。でも、俺苦手なんだよな……」


 失礼な事を言うファビオには注意しておくが、自信はあまりない。剣を好むファビオとは違い、剣術が苦手であるからだ。

 腰に差すのは昔から愛用している鈍らだ。イラーリアから下げ渡された大剣は収納したままだった。

 切れ味が良過ぎるし、使えば手入れもキチンとしなければならない。少々物臭な所のあるレンツォは、普段使いを遠慮していた。大き過ぎて、腰には差せない事もあるので。


「何が剣だ。それは鈍器だろう。ならば、やる事は棒振りと変わらんぞ。どうせ手癖も足癖も悪いんだ。獣の様に、いつも通りにやれば良い」

「おまっ、獣って失礼な奴だよな」


 結構辛辣なファビオであった。言われてみればその通りで、急所を狙う器用さなどレンツォにはない。

 ならばぶっ叩いて吹っ飛ばして、それで何とかなるのかも? などと考える。


「レンツォ、今夜は眠るな。酒もやめておけ」

「あー。やっぱ、そういう展開か? 綺麗な顔して、やり口エグいのな。っても、百二十超えの婆さんだもんな。そんくらいはやるか」


 未だ【決闘】の受諾を伝えられていない。言を左右されて、のらりくらりと躱されていた。

 そして今に至るのだが、実はこの【決闘】という制度、受ける方が有利であった。

 開始を自分で決められるからである。先に先手必勝の攻撃をしてしまえば、勝ち筋ともなった。


 【決闘】を嗜む様な野蛮人達などは即断即決を好むので、あまり問題とならない。

 即受けなければ、卑怯者や意気地なしとして詰られるので、不名誉であった。なので返答の引き伸ばしは嫌われる。戦士の誇りを持つ者達には。


 そうでない者達はどうするか。当然、断った。断ってしまえば行動の結果は司法に委ねられる為、自衛にもなる。【決闘】は法の上に立つ神聖な制度だが、単なる暴力行為は処罰の対象となるものだ。

 結果至上主義者などが、この【決闘】制度の穴を利用しない筈もない。


 当然不意打ちが横行し、問題となる。この様な蛮行は誇りや面子の問題でしかないので、制度の改正などがされる筈もなかった。個々が自重する事で対策としていた。

 今日では問題解決における【決闘】は、お互いの信頼あってのものとなっている。


 そういった諸々の理屈もあって、即断がなく、即決を告げない事は「吠え面かくなよ。返り討ちにしてやる」という意味を持つ。そのくらい、レンツォだって知っている。子供達だって知る事だ。大人である彼が察せぬ筈もない。


「んで、何時頃いつごろ来ると思う? 俺は日付けが変わるくらいだと読んでるんだが」

「……知らん。油断はするなよ」


 口煩いファビオだが、レンツォはまったく負ける気がしていない。

 六十名の中に、近接戦闘力において危機感を覚える者はおらず、彼等の力量ではアルトベリ男爵から贈られたこの騎士鎧に傷を付ける事すら怪しかった。


 だからこそ手加減が必要で、ファビオがカミラを殺すのを待つ。それでいい。それがよいと思っていた。

 レンツォはファビオの事を、酷く哀れな者を見る様に眺めた。コイツ、鈍いよなと。


 言っては何だが、カミラのファビオへの態度はあからさまだった。

 時折り注ぐ熱っぽい視線や緩む頬。カミラの紅い瞳はレンツォと会話をしながらも、無愛想なファビオを追っていた。

 それは喜びを隠し切れず、寂しさを湛えていて。


 恋愛経験も豊富であると自負するレンツォには察する事など容易かった。アレは恋する乙女だなと。

 ボケ、若しくは色ボケか。そんな頭の病気に罹ったカミラは、同じ時を、共に人生を歩んで欲しいと望んだのだろう。だからこそ眷属とした。


 殺し愛。そんな物騒なものを求める男女もいるものだ。人の心は様々で、その形も多様であった。

 どうせ、朴念仁のファビオは気付いてもいないのだろうと考えている。教えてやる気はなかった。そういった心境の機微こそ、己で気付いてこそである。


 既にレンツォの心境としては、かなりどうでも良い部類の話となっていた。

 ファビオがカミラを殺せずに、またの機会を伺ったって良く、カミラをファビオが殺せて契約が解けたならば教えてやり、精々慰めてやるかなんて思ってもいる。


 人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ。

 そんな格言だってあるのだ。割と粋な男を気取っていたいレンツォは、野暮な男になる気はなかった。


 ——もう、この先は俺の物語ではない。好きにやれば良い。上手くいこうがいくまいが、骨は拾ってやるぞ、相棒。


 そんな気持ちで夜を待つ。決戦の時を。




 ——そして夜。案の定、夜半に襲撃されている。

 事もあろうか最初の襲撃者達は三馬鹿だった。

 騒がしく寸劇を行いながらレンツォ達に振り分けられた寝室へ踏み入って来た彼等の得物は斧、槍、棍棒である。それなりに心得がある得物であった。

 弟子に遅れを取るつもりなどないレンツォは呆気なく返り討ちとし、縄で縛り上げている。とても苦しくなる姿勢で。


 それからも襲撃は続いた。人数や構成、得物なんかは様々であるが、他愛なく撃退し、拘束してゆく。

 ファビオも協力的であり、余裕であった。

 所詮は借り物の戦意だ。そんな相手に負ける程、レンツォもファビオも未熟ではない。


 そうこうしている内に、粗方の男衆達は片付けられていた。それなりの者達も二人がかりであるので、楽勝であった。人数もきっちり数えて拘束している。

 遊びであるのか、随分と呆気ないものだった。


 ——クフフ。良い益荒男ぶりじゃの。じゃが、本命は外よ。萎えずに上手に来れるかの? 


 交信コンタクトによる声である。音はない。


「年の功ってヤツか、ヤベェのな」

「……あまりアイツを刺激してくれるな」

「硬い事言ってんじゃねーよ。行くぜ」


 レンツォは強化強度を高める。砦に付与された術式は安定。壊すにはその強度を超える必要があった。


「道なんてなぁ、自分で切り拓いてこそだぜ」


 大斧を振り上げる。動かない的ならば、大振りが許された。こんなに気持ちの良い技は他にない。


「大切断」


 戦闘中に技名など叫べない。叫んだところで終わっているからだ。聴かせたい、聴きたい。レンツォだって男だ。そんな願望があった。


 そして開くのは大穴。安定を貫く暴力から産まれた破壊である。穴からは積もりに積もった雪と、未だ深々として天より降りる、白き妖精達の姿があった。


「婆さんよぉ。百合の花が咲くのは夏だぜ。冬ならイル・サルバトーレ・ローザでも拝んでおくといい」


 救世主を飾る薔薇。生誕祭の時期に開花する事から名付けられた愛らしい白い花。

「貴方の側に寄り添いたい」そんな想いとは、正反対の強い想い。間違いではない。好む者もいるだろう。

 だがレンツォは、そうでない心を知っている。


 だから、飛び出してやるのだ。好む、好まない。そんな事は問題とならない。


「おいババァ、俺達を好きにしたければ、気合いを見せやがれ」


 飛び出した勢いで、蹴る。居たのは綺麗な顔をした女だ。その顔に靴跡を刻んでやった。


 ムッツリなファビオの事なんざ、見ない。

 佳い女達だって蹂躙してやる。

 そんな気持ちがレンツォの中にはあった。


「死ねよなっ!」


 大斧を収納し抜くのは剣、もとい鈍器。ファビオは蹴り倒した女をきっちりと縛り上げている。

 この縄は霊獣捕縛にも使われる物で、意思に作用する快適の術式が付与されていた。どんな姿勢であっても居心地が良いので、抜ける気にならない優れ物である。


 つい先日にも見た様な雪景色。肌を刺す寒気と闇の空。絶望の銀世界。

 そんなものはない。居並ぶは華やかな侍女服姿の女達。古風ゆかしき令嬢に、傅く様に立っている。


「クフフ。ファビオにご友人殿。今宵の趣向は如何であったかえ? お楽しみ頂けたかの?」


 弄う様に、揶揄う様に笑うは麗しき女。百二十を超える歳月を重ねし妖婦。


「つまらねー趣向だったな。時代遅れの古漬け婆さんにしちゃ、頑張ったのかもしんねーけどな」


 皮肉の剣を突き付ける。


「クフフ。躾のなっとりゃん坊やじゃのう」


 返るのは艶やかなる余裕。


「んーでよ、俺は年寄りに優しいからもう一度聞いてやるけどよ。おいボケ老害よ。汝、誇りを賭けし、この【決闘】。果たして受けるや、受けずや?」


 社会の中で創られるのが立場や地位である。共同体の中で育まれしは尊き幻想の数々。優しい虚飾。

 複雑化する価値の中で、勝敗の二つの解しか持ち得ぬからこそ、最も高貴なる幻想とされるものがある。

 それこそが【決闘】。


「謹んで、承ろうぞ。——クソガキ共め、雪ぐ事のない敗北を刻み付けてやるわ。無様な負け犬として、生涯優しく飼ってやる」


 膨大な術力のうねり。カミラは自身の周囲へ切先鋭き氷柱を展開している。


「中層でコレかよ。ヤベー奴っているもんだな」

「……」

「大した威力にゃならんがの。それでも畜生程度は狩れるぞよ。獣が上か、坊や達が上か、試してやろう」


 中空へ浮かぶ無数の氷柱達。その切先が、男二人へと向いた。


「んじゃ、美味しい所は譲ってやるよ。頼んだぜ」

「言われる迄もない。足を引っ張るんじゃないぞ」


 右足を後ろへ引く左半身。剣を肩口へ寄せ、鍔を口元の高さまで置いている。剣先はやや後ろ、刃先は僅かに下へ。

 対手の動きに応じ、自在の変化へ派生する陰の形、八相。対多人数、長期戦を想定した剣術における、基本五行の構えの一つ。

 奇しくも二人、同じもの。


「真似してんじゃねぇよ」

「獣の癖に技の道理に適うなど、成長しているではないか」

「お喋りはそこまでじゃ。死んでくれるなよ?」


 射出される無数の氷柱。

 その速度はアールキングの杭打ちを遥かに上回る。数と質を兼ね備えた弾丸は、戦車砲による集中砲火にも匹敵した。


 速く、重く、数多い。

 だが、それだけだ。そんなモノは溢れている。ありふれている。怖さはない。

 剣で受け、いなし、砕いた。

 やる事など、ただそれだけでしかなかった。

 戦車や砲は確かに厄介な兵器であるが、人には勝てない。兵には勝てない。兵器は未だ、人を超えられていない。

 匹敵したところで、それがどうしたというモノだ。

 ここは大異界霊峰エトナ火山中層である。『異界常識・機巧制限』により減衰した術式なぞ、物の数ともならない。


 レンツォは既に駆け出している。ファビオもだ。それぞれの標的へと向けて。

 殺到するのは侍女服姿の綺麗な女達。一部はファビオの方へと向かって行こうとする。

 大楯を振り被る。そして雪降り積もる大地へと向けて、思い切り叩きつけた。

 爆ぜる大地。地鳴りと揺れに侍女達の足が止まった。


「良き良き。妾の可愛い娘達。お主らは、ご友人殿を可愛がってくりゃれ。ガキの躾なぞ、妾一人で充分よ」


 ファビオは迫り来る氷柱や火球を跳び回りながら躱し、受け流し、斬り落とす。

 隙を伺い前へと出る剣士だが、距離は縮まらない。

 カミラが退がるからである。退がりながらも術式を射出する。

 兵の常道、引き撃ちだ。遠距離攻撃による優位性を活かす女は戦士でこそなくとも、優れた術師ではあった。


 そんなファビオに比べてみれば、レンツォには余裕があった。侍女達の数は多い。多いが武装は刃物や長柄武器であり、飛び道具はない。

 あってたまるか。そんな術師がホイホイ居て堪るかと怒りを燃やすレンツォだった。


 そんな気分とは関係なしに、三方向から長柄の武器が振るわれる。いずれも棒の先は刃物を付けた武装、薙刀である。

 が、そんな刃は通らない。レンツォの全身を包む騎士鎧はペザントフェッロ合金製である。

 比重は二百三十四、とても重く堅かった。その重量は、この三十名の侍女達の体重の総和にさえも匹敵するだろう。


 という余裕がありつつも、まだ一人も減らせてはいなかった。剣が空を斬る。

 心臓を潰さなければ、吸血種族は死なない。だからこその手加減なしの一撃だ。なのに、空振った。

 その理由は変化カンビャメントの術式にある。身体変化の術式、霧化して物理的な影響を防ぐもの。


 吸血種族の特性として、特に挙げられるモノが三つある。吸血、怪力、変化であった。

 怪力といえど、所詮は女の細腕だ。レンツォには敵わない。筋力も強度も遥かに上回る。

 吸血は厄介であるが、全身鎧を抜ける筈もない。レンツォだって動くのだ。例え抜けたとしても、やはり所詮は女の細顎だ。強化を施したレンツォの皮膚を破れるものではなかった。

 だが、変化だけはレンツォにはどうにもならない。

 術式発動を阻害する程の器用さはないし、よく鍛えられているのか、侍女達の反応も良かった。

 お互いに決め手のないまま時が過ぎてゆく。


「参ったな。埒が明かねぇ……」

「うふふ。ご友人殿、降参いたしますか? 大人しくして頂けますなら私達一堂で可愛がって差し上げますわ」

「美人のお誘いは嬉しいけどな。俺ってば、これでも騎士なんよ。アンタらと一緒でご主人様に仕えなきゃなんねーんだ。すっげー惜しいんだけどな」


 軽口の応酬も仕方がない。お互いに決め手がなく、千日手へ陥りかけている。

 よく考えたらこれはこれで都合が良いのだが、釈然としないものでもあった。


「それは残念にございますね。では、お心変わりをします様に、優しく躾けて差し上げましょう」


 変わらずに続く攻防。

 レンツォの勝利条件はファビオがカミラを殺す事である。

 そうすれば吸血種族としての契約を解除されるので、彼女達は加護と肉体の特性を失う。

 変化は使えなくなるだろうし、怪力や環境への適応性も失うのでふん縛っておき、砦の中に転がしておく事なんかは造作もなかった。


「それにしても侍女服って、なんでこうエロいんだろうな。誘ってんの?」

「あらあら。お上手ですわね。されど私達は身も心もお嬢様に捧げておりますわ。ご友人殿に施すのは躾でしてよ」


 とはいえ雪降る高山だ。気温はかなり低い。環境適応性を失って侍女服姿のままでは危険であった。

 今のうちに片付けてしまいたい。それに、目に見える活躍がなくては寂しいものがある。

 レンツォは仕方がないと腹を括った。


 大楯と剣を置き、騎士鎧を外してゆく。

 刺されるも刃は通らない。捕まえた瞬間に霧化して逃げられる。

 着込んだ服が破けたのはショックであるが、我慢するしかなかった。その服も脱いでゆく。

 頭へ薙刀が振り下ろされるが、そんなモノで割られる様な柔な鍛え方などしていない。

 少し髪が刈られたのは悲しかった。


「結構寒いな」

「あ、あなた……」


 雪の中で、下着一枚のほぼ裸の姿となるレンツォだった。侍女達は声を震わせて騒めいている。「変態」や「露出狂」などという罵声までもが聴こえていた。


「鬼ごっこ、しようぜ」


 収納から縄を取り出すレンツォだ。縄とは不思議な物であり、縛り方一つで様々な術式効果を発現する。なんでも、緊縛の神が宿るからだそうである。

 侍女達の悲鳴が五月蝿いので、鍛え上げた大胸筋を震わせてやった。またもや女達からは悲鳴が上がる。少しだけ艶っぽかった。


 腹は六つに割れており、かなり引き締まった良い肉体だという自負がある。見られて恥じるものではない。悲鳴を上げられるなど心外だった。


「きゃっ」

「つーかまーえたー」


 近場に居た少し小生意気そうな侍女を捕まえれば、可愛らしい悲鳴が上がった。

 少し反応してしまうが、そんな暇はない。手際良く緊縛してゆく。胸の辺りに六角形の縄目の出来る芸術的な縛り方。手首も勿論固定する。


 農家の三男坊であるレンツォは、家畜を縛っておくのも馴れたものである。様々な縛り方を知っている。それを人体に応用する事なぞ容易かった。

 その縄には神が宿るのだ。体勢的な拘束だけでなく、神威による拘束であった。

 こういった技術を指して捕縄術と呼んだ。


 艶っぽい苦悶の声を上げる仲間の姿に、他の侍女達の視線も奪われる。芸術的な縛り目だ。視線誘導効果もあった。

 しかし、レンツォは縛った侍女を俵持ちにして砦の中へ仕舞っておいた。そして、もう一人。


 にじりより抱きすくめ、そして縄を掛けてゆく。

 ほぼ全裸で。


「ひっ! こないでっ! それ以上近寄るようならば、舌を噛んで死にますっ!」


 そんな娘さんもいるもので、対策として口枷を噛ますのも忘れない。大分吐息に艶が出るのは勘弁して貰いたかった。身体が正直に反応してしまうし、とても悪い事をしている気分にもなる。

 この娘は胸の縛り目が菱形となる様に縛っておいた。そして砦の中へと。


 そして三人目も四人目も、海老の様な姿勢で縛り上げ砦の中へと。

 五人目は四つん這いに近い蟹の姿に似せて、六人目は座禅に近い姿勢から。やはり次々と砦へ片付けておいた。

 この段階ととなると侍女達の中には腰を抜かしてしまう者もいて、お互いに助け合いながら逃がれようとする事もあった。

 愚策である。レンツォには捕まえやすいだけだった。そして、次々に捕まえる。


 何もこの行為、趣味や遊びなどではない。縄には神が宿るので、美しく縛ると肉体的な拘束だけでなく術式発動なども阻害する。必要の為だった。

 そして、何故脱いでいるのかという事さえも必要だからである。

 術式、正確には術力操作においてであるが、対象の体内術力や周辺の術力自体へ干渉し、術式の発現を阻害する技がある。その対処方も同じく。

 これらは特に名付けはされていない。基礎的な技術であるからだ。

 器用な者ならば距離があっても可能であり、この攻防の巧稚により術師の間での勝敗を分ける事も多かった。

 レンツォは別に器用でもないし、ここはエトナ中層である。遠隔操作などは大幅に減衰される。

 この技術を最大限に活かす最も効率的な発動方法が、肉体への接触であった。直接の接触で効果効率が最大となる。

 なので、脱いでいるのであった。肌で触れてさえいれば霧化も防げる。縄で縛るのと似た理屈であった。なお、ほぼ全裸の男へ怯えた女達には、霧化する程の集中力は残されていない。結果的には同じであるも、絵面は酷いものとなる。


「いやっ! いやーっ!」


 絹を裂く様な悲鳴というものか。凄くイケナイ事をしている気分になるので勘弁して貰いたかった。

 身体も暖まっていて、肉体の反応が抑えられないのだ。とても困る。


「大丈夫。痛くしないからね。優しくするよ、可愛らしいシニョリーナ」


 酷く怯えられるのは心外であるが、仕方がないのかもしれないという諦めもあった。

 吸血種族へと変生する条件として、純潔である事が求められた。その後は別に構わないにせよ、変生すると性欲は著しく減衰する。

 また、純潔の血は非常に美味であるとされていた。


 そして彼女達の主人はカミラであった。糧としての男は用意されるが、それだけだ。

 つまりは異性への免疫が少ないという事に繋がった。

 この侍女達は吸血種族であるからして、変生した時点では生娘である。その後の経験も乏しいのならば、この反応も仕方がないと思えた。

 そこでふと、思い出す。

 ファビオも吸血種族化している事を。深く考える事を止め、最後の一人を砦に片付ける。その後に空けた大穴も塞いでおく。

 レンツォは大工仕事も結構得意であった。


 再び騎士鎧を纏っての完全武装となる頃に、やや空は白み始めていた。変わらず雪は降り積もるものの、僅かながらも緩やかになっている。

 この積雪のせいで脱いだ装備を探すのに手間取ってしまったが、仕方のない事である。世の中とは、本当に仕方のないものだった。


 そんなこんなで気を取り直してみたものの、既にファビオとカミラの事は見失ってしまっていた。

 引き撃ちをしているのだから仕方がない。ただ、ファビオが負けているとは思わなかった。

 諦めの悪い、格好付けの相棒だ。信じるしかないし、腹の底から信じてもいた。


「待ってろよ、相棒。百年乙女とかいう婆さんをパパッと片付けて、美味い酒でも飲もうぜ」


 そう気合いを入れて、雪山を駆ける男であった。




 やがて雪山の中を探すレンツォは、響く戦闘音を聴いた。音は走るよりも遅いものだが、方角の指針にはなった。

 向かうその前に装備の選択をしている。大楯か大斧か。逡巡の果てに選んだのは大斧だった。

 二対一での闘争であれば、守りよりも攻めだとの判断である。巧遅よりも拙速を尊ぶのも、兵達の信条であった。


 レンツォは朝もやけの中に二つの人影を見る。

 言うまでもない。ファビオとカミラだ。


 ファビオはかなりカミラへと肉薄している。もう一息で剣の間合いへと入りそうだった。

 しかしファビオの消耗も激しい。軽装の彼は傷だらけであった。

『異界常識・機巧制限』があるからこそ、あそこまで喰らい付いていけている。

 破壊系術式が致命傷となり得ない威力に留まる事で、実力差を埋められていた。

 ファビオは正面から迫る六の氷柱を斬り落とす。


「ほうれ、背中がガラ空きじゃよ」


 その背に刺さるのもまた氷柱。燃える氷柱。

 炎は燃え広がってファビオの肌を焼いた。

 それでも、下がらない、止まらない。前へ出る。

 心臓を潰されねば死なぬ吸血種族は斃れない。


「殺してやる」

「期待しておるぞ。その為に、こんな場所まで来ておるのだからな」


 剣士は前からの更なる火球を斬り、隠れていた不可視の風の弾丸もまた斬った。

 引く女。剣の間合いには入らない。距離は変わらずに術式が舞った。


 二人を見、挟撃に持ち込もうと考えて移動を始めたレンツォであるが、目標地点は巧みに外される。

 気付かれている。その予感は正しいものだろう。

 破壊系術式の精度は、空間把握能力により左右された。カミラ程の腕前ならば容易い事だろう。


「よぉ、婆さん。娘達は片付けたぜ」

「殺したのかえ?」

「死ぬより恥ずかしい格好でおねんねさせてるよ」

「甘いのう」


 ならば、前へ出てやるだけだ。的も手数も倍ならば、付け入る隙はきっとある。


「ボロボロじゃねぇか、だせぇの」

「五月蝿い」


 ファビオの隣に並び立つ。カミラは動かない。退がればその先へ突っ込むつもりである事がバレている。

 だからこその膠着状態。それすらをも愉しむかの様に嘲笑わらう吸血鬼。


「只人が耐えられるか、試してみようぞ。ぽけっとしていて良いのかえ?」


 展開される術式。装填される弾丸。宙に浮かぶは凍えた炎。僅かな間を置き、それらは束ねられてゆく。

 大きさは変わらない。収束してゆく炎の熱量は。


「——踊れよ、踊れ。蒼き炎。万物を飲み尽くし、全てを——なんてのぉ、詠唱破棄じゃ」


 放たれるは光線の如き火球の群体。真っ直ぐにファビオの胸を狙う破壊の光。


「不意打ちだったら、間に合わなかったな」


 そんな状況で、レンツォのやる事なんて変わらない。

 前に立ち、受け切るだけでしかない。大楯の展開は間に合わない。大斧と腕、そして全身で受けてやる。

 背中には軽い衝撃が走る。空に影、ファビオのものだった。


 ——野郎、俺を踏み台にしやがって。


 この連携は学園生時代のものだった。非力なファビオは霊獣達の頑丈な外皮に苦労していた。それを克服する為に利用したのが重力だ。

 動きこそ単調になるが、重力加速度を味方にする事で威力を補っている。獣達へ有効なのは鋭さよりも重さであった。

 だが、この上空から斬り掛かるだけの単純な技は良い奇襲となった。

 低層の獣達の視野は狭い。前に敵がいる状態では上は死角となっていて、面白い様に狩れた。

 また中層の獣達は学習し、人類種に飛び道具がない事を知っている。彼等もまた間合いを把握して闘うので、己を飛び道具として射出するこの技は、良い奇襲にもなっていた。


「天空剣・両断墜とし」


 レンツォとしてもその命名はどうかと思うのだが。

 威力の高い上段斬りで、吸血種族といえど深い傷を負う。手負であれば動きも鈍る。レンツォも構えた。

 高い音。その激しさにレンツォは出遅れた。

 ファビオの上段が止められている。障壁によって。


 ——不味い。剣を離して避けろ! 


 レンツォは叫んだ。ファビオの剣は『居着いて』しまっている。粘る障壁に阻まれて、引けていない。

 両手持ちの剣では腹がガラ空きとなる。肉弾戦の距離にあり、それはカミラにとっても間合いであった。

 カミラの手指が貫手の構えを取った。吸血種族は怪力だ。特に技巧へ頼らずとも、その打撃力と貫通力は拳銃を超える。肘が引かれていった。


 瞬間に、レンツォは突撃した。直線的な速度なら、貫手を振るう前に届き得る。

 そういった破れかぶれの判断であった。間合いへ入った瞬間に、大斧を振り下ろしていた。障壁なぞ関係ない。くたばれと。


 しかし——。大斧は空を斬る。立ち昇る靄。霧化であった。


「頑張りよるのう。妾に霧化を使わせるとは、見所があるぞ」


 凝集する霧は離れた位置へ。形となって現れるのは無傷のカミラ。艶やかに淫笑わらう吸血鬼。


「そりゃ、そうか」

「遊びは終いにしようかの。やれ」


 脇腹に熱いもの。目にしたのは白刃だ。ファビオの握る鋭い刃。レンツォは慌てて跳び退がる。傷口から零れた血が雪を汚した。


「裏切りって、痛いのな。婆さんもファビオに逃げられた時、痛かったのかい?」

「ちぃとばかしはな。じゃが、何をするか愉しみでもあったぞ。それをコヤツ、煮え切らん態度でのう。面白く遊ぶ為に、趣向を凝らしてみたところよ」


 無垢な子供の如く、頬を膨らます見た目は少女、中身は老婆であった。

 成程、そういう事かとレンツォも察する。


「放っておけば、お前さんの所へ戻って来ていたんじゃないか? そんくらいの頭は回るぜ」

「それでは面白みがないじゃろう? 裏切りには報いが必要じゃ。せいぜい愉しませてくれんとな」


 暇を持て余した老害か。ファビオの苦悩なぞ、退屈しのぎの余興に過ぎないという訳か。


「報われんな。コイツは全てを賭けて来たのにな」

「クフフ。だからこそ、愉しめるというものじゃ」

「……遊びかよ。此方は命懸けなんだがな」


 もしも刺されたその時に『奥の手』を使われていたら危なかった。丈夫が取り柄のレンツォとて生き残れはしないだろう。アレはそういう業である。


「予測してたんだけどよ。軟弱者のファビオ君よぉ、あっさりと操られて、恥ずかしくはないんかい」


 皮肉に言葉は返らない。操られているのだから当然だった。憎まれ口を叩きつつも、ファビオの腕には感心している。

 不意打ちとはいえ、ペザントフエッロ合金製の騎士鎧を貫いたのだ。積み重ねた研鑽へ、賞賛を惜しむ筈もなかった。


 それでもソレはソレ、コレはコレというものだ。

 二対一が一対二となれば、しんどい事に変わりがなかった。別に戦闘狂ではないレンツォだ。勝てる闘いしかしたくはなかった。


「婆さんや。ファビオの操り? 魅了? どっちだっていいか。解く気は?」

「ないのう。瀕死の負傷でも負えば、勝手に解けるぞよ。試してみんかい」

「性格悪いよな……」

「そうでなければ、商売人など務まらぬよ」


 という所であるらしい。仕方なくレンツォは「なら、ちっとだけ待っておけ」などと言いながら、大斧を収納し騎士鎧を脱ぎ出した。ついでに服も脱いでおく。またもやであった。


 今回は前回と違い、別に術式阻害の必要性があっての事ではない。

 服まで脱ぐ必要はなかったのだが、腹から血が流れているので上着を脱いでおく。ついでに薬草を当てて止血もしておいた。かすり傷である。

 カミラの視線がかなり熱い。やはり筋肉から目を逸らせる者などいないのだ。


「こんなもんだろう。一発勝負と行こうか」


 膝から下と手甲をそのままに、鎧を外したレンツォが肩を回す。動きを確かめている様である。


「ファビオ、まただが【決闘】だ。流儀はいつも通りの何でもありだぜ」


 腰を落とした。初速を得る為に深く。狙うのはぶちかまし、レンツォ最速の技である。


「笑止な」


 答えたのはカミラであるが、ファビオも剣を上段へと掲げる。火の位、攻めの型。最速を狙うのならば、振り下ろしにより加速を利かせた突きとなる。


 技巧を含む斬り合いの疾さ勝負に勝ち目はない。とするならば、前回と同じく力押し。単純な速度勝負であれば遅れは取らない。

 勝敗は文字通り刹那で決まる。残念ながらカミラでは捉えられないだろう。


 だが、それが良い。それで良い。それにファビオは一度この技を

 負けず嫌いなコイツの事だ。勝つ為に必要な速度、強度、精度。それらを絞り出すだろう。

 レンツォには相棒への信頼があった。だからこそ、迷わない。




 ぶっ飛ばしたファビオは、少し離れた位置で崩れ落ちていた。ぶちかました後に顎を殴り付けている。

 吸血種族であろうが、肉体構造は変わらない。脳を揺らせば脳震盪を起こすし、意識も刈り取れた。代償として、左肩を貫かれたものだが。

 心臓が破れているのか、動いているのか判らない。

 そんな事はもうどっちだって構わなかった。左手に持っていた拳大の袋を、右手へと持ち替える。


 お優しい事に、カミラはファビオへ駆け寄ろうとしていた。安否を確認する為なのだろうか。

 吸血種族は同胞の状態を把握するという、異能を持つにも関わらずだ。やはり、そういった判断を誤るカミラは戦士ではない。投擲をする為に袋を振り被った。


「ぐっ、痛っ!」


 「機巧制限」があろうとも、大した距離でもないので届くものだし、衝撃で袋も破れる。粉塵が舞った。

 袋の中身は一杯に詰め込まれたミステリアス・ペイン。大陸最強の辛さを誇る香辛料である。

 粉末状に煎じて使い易くした物だ。辛さとは痛覚による反応で、つまりは痛みであった。

 変生し、味覚に多少の変化が起ころうが反応の方向性は変わらぬし、痛覚や嗅覚は変わらない。

 要するに、辛いは痛いという事だ。


 咽せ返るカミラは、纏わりつくミステリアス・ペインを払い落としながらも辛さによる痛みに身悶える。涙目であった。

 彼女程の腕前ならば風の術式を操って払い落とせば良いのだが、考えが及ばぬ様だった。


 術式行使には多大な集中と思考が要求される。闘う者ならば、どの様な状況にあったって冷静に最適を選ぶものである。

 そうでないからこそ、カミラは戦士ではない。

 安全な場所から社会や人を弄び、愉悦を重ねる黒幕気取りが戦場へと出て、何が出来るものか。


「別に恨みはないが、相棒の敵討ちだ」


 何も出来やしない。大斧を振り被る。斧は形状的に心臓破壊に適した武器ではないが、やり様はあった。

 肩口から袈裟懸けに斬り下ろす。鋭く重く分厚い刃であった。その軌道上に心臓があれば破砕する。


「あばよ、婆さん。長いお務めご苦労さん」


 別れの挨拶は簡潔に。再び鎧兜を纏う為、背中を向けて歩み出す。

 カミラは見た目だけならば麗しきご令嬢。

 そんな彼女の無惨な亡骸を眺めていたいと思う程、レンツォも悪趣味ではなかった。


 そんな彼の背中が灼ける。続いて衝撃。瞬間的に膨れ上がる空気、爆発だ。吹き飛ばされる。

 なんとか受け身を取ったレンツォであるが、無数の火傷と裂傷を負っている。致命傷ではなくとも痛手であった。視界に拡がる光景に、思わず背筋が震える。


 そこにあるのは無数の氷柱、火球、礫に空気の渦。

 空を覆わんばかりに展開された、高位の破壊系術式による弾丸達。


「クフっ、クフっ。無体な真似をするものじゃて、一張ダメになってしまったぞよ。ガキの悪戯にしては、度が過ぎておる」


 ドレスを切り裂かれ、傷一つもない白い肌を曝け出したカミラが嘲笑う。淫蕩に。


「治癒の展開維持かよ……」

「その通りじゃ。淑女の嗜みというものじゃな」


 妖艶に淫笑う女。弧を描く紅い唇。


「可愛がってやろうぞ。死んで、くれるなよ?」


 衣服は肌けてしまっている。実りへと向かいかける少女の肢体を惜しげなく晒しながら、その指先は艶めかしく踊った。


 降り注ぐ、大量の弾丸達。

 大楯を展開したレンツォは護りを堅める。射出された破壊を躱し、受け、防いでいく。

 その全てが鎧を纏っていない半裸のレンツォにとって、致命の一撃となり得る物だった。


 ——ここに来て、強度を上げているだと? これまでは遊びかよ。舐めやがって、もう一度、ぶっ殺してやる。


 攻撃の軌道を読み、的確に対応こそしているものの、とても冷静でいられないのがレンツォだ。

 強者に叩きのめされるのは良い。至らない、もっと強くなりたいと思えるからだ。

 それで殺されたとしても、後悔はあっても恨みはない。好敵手の糧となれた事を喜ぶだろう。闘う者とはそういうものだ。

 それが、真剣な闘争の果てであるならば。


「クフフ。痛かろう? 苦しかろうよ? 諦めてしまえ、屈してしまえよ。餌として飼ってやるからの」


 だが、カミラはそうではない。遊んでいるだけだ。

 他にも理由があったのかもしれないが、シシリアのエトナに潜伏したのはファビオを誘い込む為である。

 ファビオの頭は回る。カミラを確実に殺すのならば、王都かエトナ中層以上しかない事を理解していた。


「気に入らないな」


 だからこそ、大した用もなくとも山へと籠ったのだろう。そうすれば、来ると期待して。

 強者として弱者へ立ち塞がる。それは責任の一つであった。それは敵への敬意であり、己への試練だ。


「餌が吠えよるわ」


 兵や冒険者、武芸者や騎士といった戦う者達の中には、とある不文律がある。


 ——俺とお前。例え今は敵同士だろうとも、死ねば逝く先は一緒のものだ。だからそれまでは、共に最期まで生き足掻こう。


 明日を、より良い未来を希望して、全てへ立ち向かう事こそが戦士の矜持である。人と人。真剣に向き合う事で得られる何かがあった。


「小生意気な男が無様に喘ぎ、惨めに果てる姿ほど、醜く美しきモノはない。期待しておるぞ」


 だがこの女にそんなモノはない。人を人として見ておらず、そもそも『未来』なぞ見ていない。

 あるのは『今』だけだ。今の退屈、今の愉しみ、今の快楽、今そこにあるだけのモノに溺れている。

 だからこそ気に入らない。


 降り注ぐ破壊を凌ぐ。大楯で受け、時に躱し、剣で払った。紡がれる詠唱と共に、艶めかしく動く指先。防ぐ端から新たに展開されるのは、破壊の弾丸。

 気に入らないと頑張った所で、別に実力差は埋まらない。前へは進めず離脱も出来ず、耐えるしかないのがレンツォだった。対するは嬉々とする女。


 だが、男の視線は死んではいない。折れてもいない。

 攻撃は通らず、近付けもせず、食らってしまえば致命傷。だがそれでも諦めは遠かった。

 信頼があるからだ。だからこそ、人は困難にも立ち向かえるものなのだ。やがて——。


「待たせたな。さよならだ」


 一瞬の静寂に響いたファビオの声。パツンと、軽い音が鳴る。

 ファビオはカミラの背中、その肩甲骨辺りへ手を置いていた。その姿を正面から見るレンツォの視界には、白銀が映る。

 背中越しに女体を貫く鋭利な刃。肌けた左胸から伸びる剣。そこから流れ出すものはない。


「かはっ……」


 カミラは唇を動かしながらも喀血する。行き場のない血液が口から溢れたか。

『刀剣顕現』。ファビオの奥の手であった。


「なんの、この程度」


 振り返ったカミラは身を貫く凶器を蒸発させる。僅かな血液が流れ落ちるも、その身体は瞬く間に無傷となっていた。治癒である。恐ろしき術師であった。


「知ってるさ。だが、この状態から脱け出る事が出来るかな。術力が尽きるまで、付き合って貰うぞ」


 笑うファビオであった。再びの『刀剣顕現』。破れる心臓、たちまちに修復される吸血鬼の肉体。そして女が身体をよじらし、向き合う二人。

 形良く実った女の左胸。鷲掴むは男の手。再びパツンと響く音。


「貴様。判っておるのか?」

「当たり前だ。騎士擬きの日々、悪くなかったぞ」

「そうか。ならば、付き合うて貰おうかの。例え死が二人を別つとも」


 口腔から血液を零しながらも微笑む女。

 訪れる心臓の破壊と再生。凄絶な殺害現場にも関わらず、何やら気分を出しながらも会話をする男女であった。


 そんな雰囲気などレンツォには関係ないので構える。術式の弾丸は止んでいる。カミラから、その余裕が失せた為である。

 さしもの彼女であっても、超高等術式である治癒を連発しながらの、複数術式の同時展開は厳しい様だった。


 大抵の術式は知性によって構築される。脳による思考によって、世界へ干渉する技術であるからだ。

 つまり術式の発動を止めるには脳破壊、あるいは斬首が有効だった。

 脳は単体で機能する臓器ではないからだ。斬首や頭部破壊は高位の術師殺しの定石でもあった。

 このままでは埒が明かないので、レンツォがそれを選ぶのは当然の理屈だ。


 行使術式による体内術力消費が少ないのはファビオであるが、恐らく尽きるのは先である。

 吸血種族化しようとも、レンツォと同じくして才能や素質に優れる訳でもない、凡人であるからだ。

 凡人達と百年乙女と称された吸血種族の巫女との間には、それだけの差があった。


 だからこそ、レンツォはカミラの頸を落とす。

 手にするのは先程レンツォの纏う騎士鎧さえも貫いた、良く研ぎ澄まされたファビオの片手半剣であった。

 剣術は苦手といえど、据え物斬りの心得程度ならばある。

 無防備な背中を向ける、武人でもない女の細首程度ならば斬る事なぞ訳もない。


 心落ち着け、基本に従い身体を動かす。雑念や殺意など不要なものだ。思い起こすのは理想的な軌跡。

 よく鍛え抜かれ、磨かれたファビオの剣を思い描き剣を振る。

 余計な力は必要ない。

 鋭く研がれた刃は、女の白い細首をさしたる抵抗もなく通り過ぎていった。


 ファビオは変わらず心臓を穿ち続けている。

 終わりだな。そうレンツォは安堵した。衝撃で頸が落ちそうになっている。カミラは選ばなくてはならない。

 頸を先に治癒するか、心臓を治癒するかをだ。

 脳機能が十全と言えぬ状態では、どちらであっても時間は掛かった。

 ファビオが手を緩めぬ今、彼女は詰んでいる。それが判るからこその、レンツォの安堵であった。


「無粋よのう、小童よ。じゃが、勘違いするでないぞガキ」


 素手と手袋。両手で頭を掴んだカミラが叫ぶ。口腔から血を溢れさせたままに。背中を向けたまま、ファビオへと向き合ったままで。


「百年を生きた血を啜る化け物を退治したのは、ファビオじゃ。堕ちた吸血鬼殺しの『英雄』は妾の騎士、やさぐれファビオじゃ」


 その通り。中々話の判る婆さんじゃないか。そう思うレンツォは、手向けをくれてやる。


「娘さん達の事くらいなら、なんとかしてやるよ。安心して逝ってくれ」


 彼女達は特に悪事を働いた訳ではない。シシリアにはお人好しや大馬鹿が多いのだ。なんとでもなるし、なんとでもしてやる。それくらいしか、贈れるものはない。


「頼んだぞ。……のうファビオ。涅槃で待っておる」

「先に逝っておけ。案ずるなシニョリーナ。絆は変わらない。それは、例え死が二人を別つともだ」


 パツン。軽い音が鳴る。心臓が破れる音だ。

 吸血種族は心臓を破壊すれば死ぬ。そして只人と同じ様に、時間経過に伴い魂が受け入れて、訪れるのが死であった。


 カミラの肉体が、サラサラとした光の粒子へ変換されてゆく。万物が世界へと還る現象もまた、消失反応と呼ばれている。

 心臓に、霊核に近い機能を宿す吸血種族の遺骸は残らない。物質を構成する最小の単位、素粒子へと変換され、やがて術力化して世界そのものへ還元された。


 この様な特徴から、過去には吸血種族は人類種でないとされ、差別の対象となる事もあった。

 残酷な世界で弱き者達への扱いなぞ、知れた事であろう。抗う為、尊厳を保つ為に彼女等は力を求めた。

 その努力は認められて、今では人類種の中にある民族とされている。

 だが心ない者達は依然としてあるもので、畏怖されながらも容易に差別や迫害の対象となる彼女達は、弱く儚き民族であった。


「雪、止んでたんだな」


 冬の陽射しとしては強い光が照り返している。朝の訪れだ。世界で何が起ころうとも日は登り落ち、また登る。それは摂理であった。


 今回の一件、レンツォとて思う処がないではなかった。異界内部での出来事だ。司法で裁かれるものではない。

 だが善悪で考えるのならば、必要でない殺しを行っている。その行為が悪行に属するのなぞ、語るまでもない事だろう。それが相棒の、友達の為であろうともだ。

 どうしたって罪の意識は残った。殺しに慣れた訳ではない。慣れるつもりもなかった。それに何も感じぬのであれば、もうそれは人ではない何かだ。

 僅かに後悔の残る何かを抱え、これからも必要とあれば罪を犯してでも生きてゆくのだろう。その覚悟は、とうに出来ている。


「良い朝だな。おはようさん、ファビオ。今日も忙しくなるぜ」

「……気楽な奴だ。おはようさん、レンツォ」


 友達の手を握り、起こしてやる。これからやるべき事は山程あった。それにはコイツの力が、相棒が必要となる。一人で出来る事など多くない。

 だからこそ空元気であっても声を出し、願い祈る。


 罪や後悔を背負えども、今日を良い日として過ごせますように、明日を楽しみに出来ますように。そうあれかしと。

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