第27話  因縁とか事情とか。



「聞かせろよ」


 夕食を済ませたレンツォが剣を磨ぐファビオへ語り掛ける。

 手を止める事なくファビオは「つまらん話だぞ」と答えた。

 肩を竦める事で返事とし、続きを促す。


「俺の勤めた企業が潰れた事は知っているな」

「運が悪かったつーか、何ていうか」


 ファビオの就職した企業はその年の暮れに破産宣告を受けている。秋口に経営陣が起訴されているので随分と早い展開だった。


「潰れて当然だった。あそこはカムラの企業舎弟だ」

「カムラ? ガムランでなく?」


 ガムランは、反社会組織指定をされたカムラを抜けたカミラ・エリナ・ザガリア=トンバロロが起業し、ここ百年で全国的な商社となった。

 商材の取り扱いは多岐に渡る。文字通りになんでも扱った。

 それを可能とするのが高度に標準化された業務手順であった。誰がやっても一定の仕事となる様に設計されている。

 これを武器として、二度の大戦期、混沌とした魔王統治期に激増した孤児達を雇用する事で力を付けた。

 行き場のない年少者達を取り込む事により、安価かつ忠実な労働力としたのである。

 その後に平和な時代が訪れて、それは今でも続いている。ガムランは時代の変化に対応し、複数の企業を傘下に持つ大企業となっていた。


「ガムランと名を変え合法的な企業となったと言ってもな。その本質は変わらん」

「変わってないって、そしたら……」


 カムラが反社会組織認定をされた理由は違法な商材を扱っていた事にある。

 販売許可のない労働者に武器や術具、魔薬などだ。

 中でも未成年者の売春は当時の王国政府を激怒させている。これらの利権は国家が有した。

 稼ぎの全てを税として献上したのならば見逃されただろう。だが、そんな真似はとても出来ない。


「……表向きには扱ってはおらん。彼奴等とて虎の尾を踏む程に間抜けではない」

「って事は、裏でって事か?」


 頷いたファビオが言う事には、ガムランの大多数の従業員は何も知らない真っ当な労働者であるそうだ。

 しかしその一部には裏で違法な物品を扱ったり、恐喝などの違法行為を働く者がいるそうである。


「俺がいたのはそういった手合いの集まった所でな。目的は汚れ仕事を請け負う者を集める事だ。破産も計画的なものだろう」


 そう言って冒険者証を掲げられる。蒼みがかった銀灰色の物を。正当な理由なく殺人を犯した冒険者の証を。


「三千ははったりだが、俺も殺しはやっている。偶々認定されてはいないが、トレンティーノで殺った奴等の中には罪なき者もいたかもしれねぇ」


 つい慰める様な事を言ってしまう。


「……俺はな。企業が破産した後にカミラの所へ行った。ヤツの手駒となるべくな」


 ああこれは告解なのだなとレンツォは悟った。

 彼は聖職者ではない。本来ならば聴くべきではなかった。

 だが友達が罪を告げようとしている。知っていて欲しいと望んでいる。

 神妙に先を促す事しか出来ない。


 吸血種族であろうが罪人だろうが、ファビオは腐れ縁の友達なのだから。





 破産は確定的であると報された時に、ファビオはだろうな。とあっさりと受け入れていた。

 給金の高さと故郷からは離れた州で、との希望から就職した企業であったが余りにも低俗過ぎた。

 企業向けの商材を扱っているのだが、循環取引をするし、押し売り押し買いなどをする。

 通常設定されている契約解除期間などには問い合わせにも無視を決め込み応じない。

 その癖に会計上では優良だ。

 これらは投資家から資金を集める為にあるだけの手法であった。

 投資に対しての見返りとして配当を与える事となるもので、欲望に目が眩んだ者達から金を搾り取る為だけに存在していた。優良な会計は不正会計である。


 そう長くはないだろうと見切りを付けて転職の準備を進めている。泥舟と共に沈むつもりはなかった。

 行き先など何処にでもある。学歴は学園卒でも成人を迎えているし、鉄位階としても認められている。

 錬鉄の士は企業における幹部候補でもあって、引く手数多であった。

 給金の高さからズルズルと辞め時を見失ってはいたものの、不安もない。

 ファビオ=ファビアーノは器用な男であった。


「おいファビオ、ボスが呼んでるぜ」


 まだボスなんて呼んでやるのかよ。そう思いながらも従って、破産予定者であり犯罪容疑者でもある企業代表の部屋へと向かった。

 用件の予測は付いている。大方転職先の紹介と給金の不払いの要請だろう。

 腐ってはいても大企業であるガムラン傘下の企業である。そういった事後処理を疎かにすると、親分の顔へ泥を塗る事となる。


 この時には既にファビオはこの勤め先、ひいてはガムランという大企業の性質というものにも気が付いていた。

 ガムランは、傘下企業達は学歴を重視しない。義務教育を終える十五以上であれば採用となる。

 孤児であり、十二で冒険者登録をして就労資格を得た者でも採用となった。

 流石にそれ以下の愛し子達には手を出していないのだろうが、怪しいところがあった。ガムランの関連企業では孤児院を経営している。


 そして在籍年数を重視する。旧い者程偉くなった。

 仕事は標準化された手順で回る。大して頭を使う必要がない。忠実に熟す事こそが求められた。

 この特徴、カムラのものである。カムラも高度に標準化した業務手順を作成していた。

 これにより未成年者へ様々な犯罪手段などを覚えさせ、利用している。

 寄る辺なき未熟な若者達。他に縋るモノのなき者達にとってカムラは、そして現在のガムランは忠誠を捧ぐべき拠り所となっていた。

 やり口が同じなのである。そこそこ学問をしてきたファビオが気付かぬ筈もない。

 そこにあるのは搾取と利用であった。

 合法化し、健全化しようともガムランはカムラでもあるのだと察せぬ程、鈍くはなかった。


「入ります」


 とはいえ、それで思う所もなければ嫌悪感もなかった。所詮は金での付き合いだ。利用するだけだった。

 許可の声など待たずに部屋へと入る。落伍者に礼など無用の長物なのだ。


「クフフ。せっかちな坊主じゃのう」


 女がいた。


「どうしたのじゃ、そんなに呆けて」


 縄で縛られた半裸のボスを椅子とする、歳若く美しき女。

 金の髪、白磁の肌、紅玉の如き瞳。纏うのは、古風なドレス。

 若いどころではない。幼かった。

 十から十二程の年齢にも見える美貌の少女が、妖艶に微笑っていた。


「これは失礼しましたシニョリーナ。出直して参ります」


 そう言って退室をしようとするファビオであったのだが——。


「クフ、クフ。愛い奴じゃのう。シニョリーナとは礼儀を弁えておる。豚の首とすげ替えてやろうかのう」


 顎を強い力で掴まれる。

 虚を突かれた事もあるのだが、まったく反応が出来なかった。弧を描く紅き唇。

 それはファビオのものへとゆっくりと重ねられ。


 舌によりこじ開けられる唇。口内を蹂躙される。

 自然な生理現象として溢れるは唾液。僅かに痛みの走る舌。

 口内へと溢れる『何か』。

 その中へ、流し込まれゆく『何か』。


 思わず華奢な肢体を突き飛ばしてしまっていた。


「ご挨拶じゃな」

「失礼。お戯れならば、そちらのボスと」


 目隠しと口枷を噛まされた半裸のボスへ掌を向ける。

 突き飛ばされた筈なのに、美少女は悠然としていた。

 悠然として淑女の礼を取っている。古風であるも、美しい所作だった。


「善き、善き。愛い奴じゃのう。お主、童貞じゃろう? 妾に純潔を捧げてみまいか?」


 が、とんでも発言に閉口する事となった。

 回れ右をする。退室する為だ。社会には黙秘権というものが存在している。だが扉は開かない。


「クフ、クフ。戯れじゃ。そんな勿体無い事、するであろうか」


 少女は再び椅子へと腰掛ける。艶めかしく動く白い指先。右手であった。

 その端正に整えられた爪により、剥き出しとなった豚の腹。その肌を薄く裂く。

 流れる血潮、全身に震えを走らせる


 少女はその血液を指先へと塗りたくり、唇へと近付ける。そして舐めとった。

 あまりにも淫靡な光景に、ファビオは視線を逸らせない。身動きさえも取れなかった。それはまるで魅了にも似た感覚で——。


「愛い奴じゃのう。だがのう、格好が付いてはおらんぞ。陰茎が勃起しておるわ。幼き身体に興奮したか? 罪深い男よのう。初々しゅうて堪らんて」


 不覚にも晒した失態にファビオは膝を閉ざした。

 呻き声が聴こえる。豚の悲鳴にも似たそれは椅子のもの。腹から血を流しながら、男は果てている。


 青臭く雄臭い、不快な異臭が鼻腔をくすぐった事により、ファビオは惹き込まれそうだった意識を取り戻す。


「お戯れを。と申し上げた筈ですが」

「クフフ。剣呑、剣呑。じゃが、甘露よのう。豚も悦んでおるわ」


 嬌声を上げる豚。思わず戦闘態勢を取っていた。その悍ましさからなのか、ファビオにも判らない。


「ほれほれ。坊やが粋がっても、可愛らしいだけよ。誘いよるわ」


 淫蕩な貌に、またもや惹き込まれそうになる。


 ——気を確かに持て。


 シシリアの冒険者。その矜持だけが心を繋ぎ止めていた。


「淫婦めが。人を惑わし何するものぞ」

「クフ。別に妾は何もしやせんのう。怖いかえ? 錬鉄の士、ファビオ=ファビアーノ殿よ」


 間合いは既に詰められている。

 目の前に映るは血塗れの右の掌に、紅玉色の妖しき輝き。スルスルと上がる、白の手袋に包まれし左手。

 漂うのは少女にはあるまじき、優しい毒の香り。


「なん……だと……」


 ありえなかった。

 小柄な少女の体躯ではファビオの顔へ手を届かせる事など出来ず、また視線が見下ろす事もない。


 が、すぐに把握する。己自身が膝を屈していた。

 両膝を地に着けて、丸まってしまう背中。

 両掌もまた、絨毯の上へと着いている。

 四つん這い。情けない、獣の如き姿勢。


「妾の名はカミラじゃ。それはお主が全てを捧ぐべし、ご主人様の名よ。さぁ、誓いの接吻を」

「……糞ったれ」


 顔を掌で包まれる。意識が遠のいた。深く、昏く、水の底へと沈むように。


 ——カミラ。

 それはガムラン傘下の全企業にて、役員名簿へと必ず載る名前。

 創業者の名にして、ガムラン全ての規範を創りし母のもの。

 巨大複合企業団ガムランにおいては、その理と律を司る支配者、カミラ・エリナ・ザガリア=トンバロロにのみ赦された名前であった。


 ——怪談の類じゃねぇのかよ。


 意識の底で悪態を吐いたファビオだが、それ以上の思考を続ける事は出来なかった。




 それからのファビオはカミラの騎士。の様なものとなった。

 誓いなどは捧げていないし、宣誓の儀も行ってはいない。特に期間の定めのない労働契約を結んでいる。

 しかし生活の一切を管理され、要請に応じて要望を叶えるという主従関係は、それともよく似た関係でもあった。


 生活の質は高い。カミラが大富豪であるからだ。

 家人なども多く居て、それぞれが彼女に対し非常に忠実だ。若い女性ばかりであった。

 そこまで不自由もない。傲慢で捉えどころのない主人と女ばかりの屋敷だが、彼女は多忙であった。

 ファビオにのみ構っている訳にもいかなくて、彼にはそれなりの自由が許されていた。

 あまり顔を合わせる事こそないが、同じ様な立場の者達がもう何名かもいる様だった。


 そんな生活はファビオにとって都合の良いものだ。

 学府進学という目標を失い、失恋の痛みがまだ疼く男にとっては退廃的だが怠惰な日々に溺れるのも、そう悪くない日常となっていた。

 という風にして一見順調な彼であるが、悩ましい事もある。

 それはやはり主人の様な者、即ちはカミラ・エリナ・ザガリア=トンバロロを名乗る少女にあった。


 カミラを名乗る少女は美しい。まだ幼さの残る肢体は妖艶とも言える色気で包まれており、妖しくも蠱惑的に輝いている。

 想い人を忘れられないでいるファビオですら、劣情にも似た強い衝動を抱く程に魅力的な少女であった。

 だが、そんな彼女の情報は与えられていない。

 とはいえ会話などがないではなかった。


 食事に誘われて、様々な事を話した。

 世間話に始まり国内経済やら国際情勢、下らないバカ話から学問についてまで。

 ついでとして家族の事や、学生時代の思い出話なんかまでをも話してしまっている。


 彼女は一緒に食事こそ摂らないものの、紅茶を手ずから淹れて愉しんでいた。

 余程に好きな様でいて、恍惚とした表情を魅せる事すらあった。そこに昏い劣情が湧き上がる。

 これはいかんと思い、ファビオは会話を盛り上げた。昔から口は上手い方である。

 話題にも知識にも自信があって、表情などから意図を汲み取るのだって下手ではなかった。


 少女は機嫌良く淫笑わらう。それに益々劣情が刺激され、なお舌を振るう事となる。

 疲れるが、それはそれで有意義な事だった。

 時代がかった尊大な、奇妙な喋り言葉でこそあるものの、彼女の知識や話題は豊富であった。

 元々がお喋りなファビオである。

 小気味の良い応酬なども快いもので、同時に楽しんでもいた。

 島を出て、周りには誰一人として友達がいない。

 勤め先でも話す相手などなくて、もしかしたら人恋しい気持ちがあったのかもしれなかった。


 カミラという名は襲名性なのではないのだろうか。

 そんな予測を立てている。

 尋ねてもはぐらかされるが、創業者の末裔が祖である彼女にならう事により、伝統を継いでいっているのかもしれない。などと。


 出会いこそ最悪に近かったものの、労使の関係としてはそう悪くもないだろうとも思えた。

 少しずつだが胸の内の喪失感や疼きも癒えてゆく様な気がしていた。

 故郷を離れた新天地。ここでも、なんとかやっていける。そういった気持ちとなっている。


 ただし、ただ一点だけではあるものの雇用主への不満がある。不満というか、勘弁して貰いたいという願望であった。

 カミラは奇妙な性癖を持っていた。それは彼女が夜伽と呼ぶ時間にて行われるものだった。





可愛かわゆいのう。愛い奴じゃのう。今宵もまた、佳い声を聴かせておくれ」


 背筋がゾクリと震える様な淫靡な声音。

 ファビオに言葉は返せない。口枷を嵌められているからだ。目隠しをされ、手枷足枷もされている。

 上半身は裸であった。下半身には下着のみだけが許されている。

 膝を着いていた。柔らかな絨毯の上に。


 この場所はカミラの寝室である。彼女の体臭とも似た香りが燻る。

 首筋への小さな刺激。柔らかな感触。

 柔らかなモノは這い回る。丹念に全身をくまなく。


「クフッ、クフッ。ここが弱いのかえ? なら、優しく吸うてやろうぞ」


 胸部へと備わる敏感な突起物への刺激。その周辺にはぬらぬらと舌が這い回り、唇が吸い付いた。

 脳が灼ける様だった。呻き声が上がった。

 もう片方も、爪で摘まれたせいだった。柔らかな指先にて弄ばれる。

 右の太腿にも滑らかでいて優しい刺激。彼女の左手に嵌められた、手袋によるものだった。

 声は出ない。見えもしない。それでも情欲に濡れた少女の貌が瞼の裏へと浮かんだ。


「クフフっ。こんなに腫らしおってからに。哀れよのう。みっともないのう。何を期待しておるのかえ?」


 下腹部はガチガチに硬化していた。はち切れんばかりであり、だらしなくも濡れてもいる。

 柔らかな吐息が吹きかけられた。脳はもうずっと、焼き切れんばかりの刺激を受けていた。


 彼女の性癖とは、拘束され、自由を奪われた男の肉体を愛撫するというものだった。

 晒された肌を弄び、慈しみ、蹂躙する。

 唇で、手指で足指で。時には髪や吐息でも。

 淫蕩な女の手による肉体の開発。そう称してしまいそうな程の冒涜。

 同じ事をされている男が他にいるだろう直感は、嫉妬心を燃やした。

 それがまた面白い様で、言葉でさえも弄られる。

 冒涜的な開発は馴致する為の調教にも似ていた。


 そんな無軌道にも見える行為にも規律はあった。

 彼女自身は着衣を乱さず、また肌を晒していなければ触れる事もない。それのみが規律。唯一の掟。


 だからこそ、解放はなかった。永遠に続くかと思われる快楽による地獄。

 口枷の嵌められた漏れ出る涎は涙の様であり、目隠し越しに滲む涙は溢れる蜜の様だった。

 それを舐め取りねぶるは女。

 淫靡な悦びを満面に湛え、幼さを残す肢体に凄艶な色気を醸す、魔性の女であった。


 しかして何事にも終わりは訪れる。

 それは朝焼けの白さによるものか、精神の限界による白さによるものかは判らない。

 だが終焉は存在し、審判もまたあった。それは言葉により始まる。


「愛い奴よのう。人程に浅ましく醜くて、美しくも愛しいモノなどないのう」


 口枷が外される。言葉は出ない。意味のない喘ぎは漏れるが意味を持つ言葉なぞ、産まれなかった。


「愛しい愛しい妾の坊や。どうか狂うてくれるなよ」


 唇を塞がれる。落とされるは接吻。

 舌によりこじ開けられるまでもなく、口内は蹂躙された。


「超えてみよ。越えてみよ。狂うことなく己のままに、全てのモノをみよ」


 一息。

 後には粘性の唾液が混じり合い、熱を持つ舌同士が絡み合う。睦み合いにも似た激しい動き。


 そして口内へと溢れるのは『何か』。

 その中へ、流し込まれゆくのも『何か』。


 そして臨界を迎えた男は果てていた。ついぞ一指をも触れ得ぬままに、白き欲望を吐き出して。




 背徳的な生活を送っているファビオであるが、鍛錬を欠かす事はない。


 才能がないのは判っていた。だからこそ冒険者一本での生活を諦めて、就職をしている。

 何と取り繕おうとも、冒険者なんて職業は日雇い労働者に過ぎないものだ。才能を切り売りし、日銭を稼ぐだけでしかないものだった。

 錬鉄の士として、名士とされる鉄位階になったってそれは変わらない。寧ろ才能の差がよく表れた。


 労働依頼一つにしても、分野によっては専門的な知識や技術を求められる様にもなった。学問を積んでいる者程有利だ。

 錬鉄となって解禁される討伐や護衛などの戦闘依頼だが、それこそ才能の世界であった。

 残酷な事実であるが、強い奴は強い奴だからこそ強いものなのだ。

 それを努力や技術で埋めるのには大変な労力が必要となる。割に合うものかとなれば微妙であった。


 十八年、成人まで生きてきて損得勘定が出来ないでは頭が足りない。

 勝てる相手にきっちり勝ち、勝てぬ相手を味方とする。そんな生き方こそが望ましい。

 無理をせず、無駄なく生きる。一般人には相応なやり方だった。


 ファビオの家は祖父母の代で、豆農園での小作を辞めて都会へ出てきた家だった。

 それからは商家で雇われていて、それなりに暮らせていた。

 そんな祖父母や両親も既に他界してしまっている。

 天涯孤独の身であった。遺されていたのは学府進学に足りるかどうかの貯金くらいである。継ぐべき家や稼業があるのではない。


 だからこそ、未練はあるが故郷を離れた。冒険者として生計を立てながら、学府生活を送る。そんな進路がなかった訳ではない。

 だが、選ばなかった。

 頭の回転や器用さなんかには自信もあるが、力はそこそこで別に頑丈な訳でもなかった。冒険者としてエトナへ潜り、無事帰還する。

 可能であっても、それで生計を立てられるかという不安があった。


 だからこそ、就職をして今ここにいる。

 鍛錬を欠かさぬのは習慣みたいなもので、二十歳を迎えたらシシリアへと帰り、レンツォと共に州兵となるのも悪くはないとも思っていた。

 軍で鍛え直して貰い、その先はその時になって考えようなどと。


 そんな思惑もあるので、鍛錬の手は抜けない。

 あの体力バカに笑われるなど御免であった。

 鈍ったなどとも、成長が止まったなどとも思われたくはなかった。

 同じ様に非才でも、今やれる事を。それを僅かにでも広げよう。そう思える同類で、仲間だ。


 レンツォは考えこそ浅いが気の良い奴だった。

 仲間の為に身体を張れるし、カラッとした気性で失敗なんかを引きずらない。

 太陽みたいに明るい奴で、理不尽に対しては怒れる熱い奴なのだ。


【決闘】の名の下で行われる喧嘩は遥かに勝ち越している。当然の結果であった。

 レンツォは高等学園へ入るまで武器を握った事さえないど素人だった。

 我流とはいえ、十年も剣を振ってきていたファビオだ。負ける訳にはいかない。あっさりと勝っている。

 勝者の権利としてパーティを組めば、その成長は著しかった。

 幼馴染のマルコも含めて研鑽に励み、共に力を付けている。学園も二年目ともなれば、【決闘】で一本を取られる事も増えていた。


 同類で仲間であり、好敵手であって友である。そんな奴と肩を並べて兵となる。中々面白い将来ではないかと思えば、鍛錬に励まぬ筈もない。


 ファビオだって、格好を付けたいのだ。

 散々に打たれて意識を飛ばした癖に、瞳を輝かせて技の解説を頼む様な大バカの前では口先と器用さが売りなだけでなく、強くもありたかった。


 だからこそ、身体を鍛えて技を磨く。術式にも磨きをかけて、また一つ差を見せつけてやりたい。

 安穏としていながら倒錯的な生活の中にあっても、その想いだけは変わりがなかった。




 そんな日々の中でカミラが襲われた。

 通り魔や強盗の類いではなく、明確な殺意を持ってであった。

 ガムランは大企業であるも、敵は少なくない。

 巨大化し、吸収合併を繰り返す内に割を食う者も出ていて、そういった者達が恨みを晴そうと凶行を働く事があった。

 失う物のない無敵の人々。衝動的な行動でもある。

 その時の襲撃者は四名。銃による狙撃であった。


 州法による違いもあるが、ビタロサ王国内においては銃の携行と帯剣は認められている。

 発砲は認可制であるものの、これは後の裁判により正統性があると認められれば軽い罰金刑で済んだ。

 正当防衛などでの使用は認められていて、人などへ向けて撃たず、被害がなければ不問となる。


 そうでないからこその襲撃だ。

 政治や思想での対立への解決策として、殺害という手段に走る事は暗殺とも呼ばれている。

 カミラは影響力の強い要人として、ガムランへ損害を与えるに打って付けの対象であった。

 そんな理由で狙われた。否、狙われ続けている。


 その現場へ居合わせたファビオは、暗殺者達四名を斬っている。

 一人は真っ向からの唐竹割りとし、一人は頸を刎ねた。一人は風の術式により眉間を貫いて、最後の一人は尋問用に、手脚を斬り跳ばす事で生け捕りにするつもりであった。だが事切れてしまっていた。

 どうやらあまり身に付いた修練もなく、術式も未熟な連中である様だった。

 銃などの火器は扱い易く、強力な武器でこそあるが人の力をを超えるモノではない。多少の心得さえあれば、充分に対処可能なものだった。


 それでも、恐怖に震える様にも見えるカミラの背中には切なくもなるものだ。

 不可思議で傲岸な、性悪の捉えどころのない少女であるがそういった背中は只の少女である様でいて、哀れを誘うものだった。

「ご無事でしょうか」と尋ねてみれば、必死としがみついてくる。

 それは淫蕩で狂気的な夜の抱擁とはまるで別物の、か弱いものだった。


 ——この娘を、守護まもってやらないといけない。


 まるで燃える様に、胸の奥へ湧き上がる想い。

 ファビオにとって、この時が初めての殺人だった。

 嫌悪感や忌避感はない。恐怖心も充足感もなかった。ただ、当たり前の障害として殺す。

 必要であるから、守護の為に平穏の為に。禍根を残さぬ為に仕事の一貫として殺していった。


 この時よりファビオはカミラへの脅威を排除する駒となる。

 騎士ではない。誓いを捧げていないし、家族として心を寄せ合う関係でもない。

 お互いに都合良く利用し合う、それぞれの目的を持つ乾いた関係だ。


 ファビオはカミラの為に己を賭して闘うつもりはないし、カミラにもないだろう。

 邂逅の日にカミラがファビオに求めた様なものでなく、主従とは形ばかりの関係だ。

 お互いに心には仮面を被り要請し、それに応えるだけの冷めた仲。

 守護ってやりたいなど柄ではなかった。


 それに彼女は世慣れていた。最初の労働契約の際には同時で指名として冒険者組合へ依頼も出している。

 功績を稼げれば位階は昇る。位階が昇れば美味しい依頼なども増え、何より社会的な信用が上がった。

 才能は弁えてはいても、立身出世はやはり男の夢であり、冨貴栄達も浪漫であった。


 斬る、刺す、穿つ。


 ファビオが磨いてきたのは剣術だ。状況制限下で人を相手とする武術として発展してきた業である。

 山の獣や怪物達を相手取るには威力不足を感じていた。

 彼が剣を好むのは対人に有利だからだ。修行を積んできたこともあり、自信もある。

 だが、自分の剣は中層以上の狩猟では通用しない。そんな気持ちがあった。

 死力を尽くしての立ち合いならば、クマやハンノキの王であろうとも屠れる。だが一体が限界だ。複数であったり連戦であれば厳しかった。

 その程度では稼げない。パーティを組めば話は別だが、そんなつもりもなかった。


 となれば、人斬りという仕事が都合の良いものとなる。人は斬れば死ぬし刺せば死ぬ。突いても殺せた。

 カミラが襲撃を受けても斬れば済む。

 敵対する組織が襲撃を企てても刺せば解決する。

 裏切りがあろうが、突けば殺せた。


 斬る、刺す、穿つ。


 たった三つの技だけで、どうとでもなった。

 斬れば斬る程に剣が冴え、培った修練が馴染んだ。

 強くなっているのだと、結果と手応えから知れた。


 敵への勝利に酔っていた。カミラの賞賛に酔い、己の技に酔っている。

 そして何よりも、血の味に酔っていた。それでも赤金として昇級している。


 思ってもいなかった成功に、益々気持ちは奮った。


 斬る事で認められる。楽しくならない筈もない。


 カミラの言うままに斬る。彼女には、素質のある若者を求めていたのだとも褒められた。

 素質がある。ないと思っていたものだった。そう言われて、浮かれぬ筈もなかった。


 繰り返す殺戮の日々。繰り返される夜伽の日々。


 繰り返す刺激の中で、ファビオは狂っていった。


 戦闘の高揚感に殺人の背徳感。栄光と快楽による酩酊感。

 昇級を果たした二十歳を迎える頃ともなると、故郷へと帰ることや友とくつわを並べたいなどという想いも忘れている。


 それからも殺生は続いた。その中には様々な立場の者がいる。

 敵対者や犯罪者、裏切り者に魔薬中毒者など。これらを屠るに躊躇いはない。

 その中には武芸者や騎士、貴族などもいて、良い剣の糧ともなってくれた。


 肉体には力が漲り技は冴え渡る。そんな充実した日々の果てに冒険者としても、魔銀へと至った。




「めでたいことじゃ。新たなる貴顕を寿ごうぞ」


 カミラの祝いの言葉には、大仰な貴族礼にて返している。ファビオはこの時二十四。冒険者登録から十年も経っていない。


 当人一代限りとはいえ、魔銀への昇格は各国における叙爵の栄誉に相当するものだ。

 戦時においては個人による万軍への勝利や領土の防衛、あるいは獲得を果たす事にも等しい。

 文化面においては専門書などに名前が載るかもしれない、という程度には有意な発見や発明などの功績があって、叙された。

 そういった位階であるからして、大きな栄誉であった。一般的な冒険者達には、なんか強くて凄い奴程度の認識でしかないが。


「して、どうじゃ。満足したかえ? 魔銀にまで至れば己の果ても知れたであろうよ。妾の同胞となりて、共に永遠を歩まぬか」

「……もう少しだけ、考えさせてくれ」


 五年もの付き合いとなると、カミラからも様々な情報がもたらされていた。

 手駒として信頼され、それに応えてきた実績が培ったものである。冷めて乾いたものなれど、それは強い絆であった。

 ファビオは半信半疑であるものの、彼女の言葉を受け入れている。曰く。


 カミラが反社会組織カムラの裔にしてガムラン創業者、カミラ・エリナ・ザガリア=トンバロロ本人であること。

 少数民族の吸血種族であり、齢百を悠に超えている高齢だということ。

 ある意味での被差別民族である同胞達の安全確保の為に、強く信頼の置ける者を求めていた事などだ。


 彼女が近代史上の偉人本人かというのは、そういった設定とかなのだろうと流した。実際に、それはどちらでも良い事だった。

 彼女の主張を補強するのは吸血種族である事で、そうかもしれないと頷けるものだった。カミラの容姿にこの五年間、成長の痕跡はない。


 彼等の肉体は何故だか成長も老化も止まり、魂の形質変化も鈍った。

 これにより擬似的にであるが寿命を克服している。彼等の死は主に外的要因によるものとなる。

 止まるのは吸血種族化した時点であり、この性質から先祖返りだともされていた。


 この事が、当時のファビオを迷わせた。加護により強大な力を得るが、その先に肉体的な成長はない。

 老化による衰えの心配がない事は魅力だが、それは肉体的な限界をも意味する。

 それで良いのかと思ってしまう。まだ強くなれるのではないかとも。


 確かにこれ以上の伸び代はなさそうだった。それでも、はっきりと打ち止めだと思えるまでは諦めたくないとも思っている。


「まぁのう。実力が伸びるならば、それに越した事はないからのう」

「……すまない」

「謝罪には及びませんよ。騎士殿」


 そう一斉に頭を下げる、彼女へ仕える侍女達。

 彼女達こそがカミラの同胞にして眷属、あるいはその候補であった。彼女達は様々な理由から女主人の側にいる。

 古くからの仲間だけでなく、自ら来た者や雇用された者、縁を繋げるために来た者に、行き場がなくて連れて来られた者など。来歴は様々だ。

 カミラが吸血種族であるのは上流階級や裏社会の一部において、隠れなき事実として認知されていた。彼女の特殊な嗜好と共に。


 カミラは吸血種族としては珍しい事に、異性の血液を好まない。口に合わぬらしかった。

 その為に身辺に女性を侍らす。

 同胞として眷属として。糧として滋養として。

 彼女達は吸血種族を中心とする、一種の共同体を形成していた。

 肉体的に吸血種族へと変生させる契約には、二つの意味での吸血が必要とされる。今のカミラの眷属は、女性しかいなかった。


「妾達は弱い。この残酷な世界で生き延びるには、力持つ男の力と血が必要なのよ」


 血が騒めいた。頼られている。信頼されている。美しい女達に。男としてはこの上のない報酬だ。


 そう。吸血種族は弱い。加護により力が強く、術式に優れた上で異能を得ていたとしても。

 生命維持を他者と社会に依存し、成長がない。契約により連帯する少数民族達は弱く儚き者達であった。


「妾達を守護ってくりゃれ。魔銀を御せし卿よ」


 カミラの冒険者としての位階は黄金。国際評価的には子爵位相当である。実力者ではあった。

 だがそれは相応と呼べる程の武力ではなく、内実は経済界における実績と立場からのものであるらしい。

 素の戦闘能力で言えばシシリアでの錬鉄並、入念な準備を施していても魔銀には届かぬだろうというのが彼女の自己申告であった。


 それはファビオの見立てとそう離れたものではない。

 出会いでこそ不覚を取ったものの、単純な身体能力においては今の彼の方が恐らくは高かった。

 あの時は姿形で力を読み誤り、強力な結界内での搦め手から不覚を取ったのだと分析している。


 まだこの時のファビオは知らなかった。

 弱さが為に生き残る事に貪欲で、狡猾な吸血種族の本質を。

 カミラという女の業の深さと、小賢しいだけの自分ではとても及ばない、経験を踏んだ権謀術数の恐ろしさというものを。




 ファビオはカミラの言うがままに敵を屠り、裏切り者達を誅していった。だが、段々と妙な感覚を覚えてくる。

 敵はまだ良い。実際に襲われていたり、力が足らぬから。と求められてのものだ。


 大抵の敵に関しての後処理は、ガムランという権力により捜査にもならない。

 反社同士の争いなどとして処理された。

 相手によっては【決闘】として剣を振るっている。

 決闘の結果は勝敗のみで、その他に問われるものはない。だからこそ良心の呵責なく殺人を行えていた。


 だが、裏切りとなると妙だった。

 どういった裏切りか説明がない。だけでなく、その女達にはどこか既視感があるもので、だが何も思い出せなく殺していった。

 彼女達は弱かった。

 というよりも、抵抗もせず逃げもせず、ただ悲しく微笑んでいただけだった。


 その頸を跳ね、心臓を穿っても何も言われない。

 だが、賞賛もなかった。それでも関係ないと淡々として熟していた時期に、その女は現れた。

 侍女として雇用された街娘。ナープラの街に住む、ごく普通の食品加工業業者のお嬢様。

 そんな彼女はどこか、幼馴染のアイツに似ていた。

 恋人がいて、行儀見習いに偉い人の所へ来ているという話を聞けば、幸せになって欲しいと思えた。


 何が、と言われて思いつくモノはない。

 ただ、おせっかいで話好きな所とか、真っ直ぐに目を見て話す所とかが似ていた。

 彼女を見ていると、何故だか思い出すのだ。

 やがて終わりの来る事を知っていた昔を、それでも楽しかった過去を、四人ではしゃいでいたあの頃を。





「また裏切り者が出よった。頼まれてくれるかえ?」

「……」


 珍しい事にその要請は夜伽の終わりに告げられた。

 息も絶え絶えとなったファビオは答える事もない。


「英気を養ってから出よ。妾達はお主の働きに期待しておるぞよ」


 だがやる事なぞ決まりきったものだった。

 裏切りには報いを。無慈悲な死を。

 剣を振るい、ただ斬るだけである。

 標的の情報を、ファビオは宵闇の訪れと共に狩りへ出た。


 寒い季節であった。

 昏く静かで月のない、い夜だった。

 闇は良い。殺害対象の表情を隠してくれるから。


 器用であっても才能があるでないファビオは、殺傷力の高い破壊系術式よりも多彩な小技を磨いた。

 それらは一撃必殺の力はなく、また戦況を覆すに足るものではない。


 隠蔽ハイド偏光ポラリゼーション消臭デオドラント静音クワイエット

 どれも小技である。対象の認知能力を阻害した上で姿を隠し、匂いと音を消す。

 複合術式、隠密カバートは野生の狩人が得意とする術式だった。

 殺気を抑え込む事で認識の外へと入るコレを人類種は模倣し、今では専業の斥候や隠密、職業暗殺者などに好まれる技術となった。


 この偵察や奇襲に適した術式を駆使して、これまでの要請に応え続けている。情報通りに獲物の背中が見えた。

 足音は慌ただしい。必死で駆けている。

 当然だ。彼女は短い時間で、カミラの邸宅との往復を果たさなければならない。彼女は侍女だった。

 だが、その偽りの立場は割れている。彼女の正体は王都の警務官である。

 カミラの周囲で起こった失踪や事故死を不審と怪しんで、内偵する潜入捜査員だった。


 朦朧とする意識の中で、ふと覚えてしまう疑問。

 内偵は裏切りではないのでは? という下らない言葉遊びであった。

 実際に、そういった者もガムラン社内には多くいる。彼女はそれらを捨て置いた。好きにすれば良いだろうと。


 過去には侍女達の中にもそういう者達がいて、幾名かは処分したものの見逃される者も少なくなかった。

 そういった者達も今ではカミラに心酔している。

 捧げ物として己が血液を差し出して、吸血の栄誉を賜ろうとしていた。

 吸血種族による吸血には二つの意味がある。糧としてのものと、同胞へ迎え入れる契約の一環としてのものだ。

 吸血を行い、またそれを受け入れる事でお互いの気持ちを確かめ合い、少しずつ契約を馴染ませてゆく。

 吸血種族化だけが目的ならば、一回でも済む事である。なのに彼女達がそうするのは、連帯と保身の為であった。


 肉体の成長が止まる吸血種族。知識や技術の錬磨はあれど、その成長性は僅かなものだ。世界は若さと美しさだけで生き残れる程、優しいものではなかった。

 だからこそ、彼等は加護へと縋る。

 己が祖と呼ぶ『超越種』の加護を求めた。

 加護の強さは契約の強さに依存する。

 肉体への契約の馴染ませは歴史の中で磨かれて来た技術であり、ファビオへ施された夜伽とは、この契約強化への儀式であった。


 無論、それだけという事もない。利点は多くも制約も少なくない吸血種族。苦難の道行として、長い時を共に生きる事となる。心を確かめる為でもあった。

 連帯と契約による結び付きにより血族となる吸血種族達は、『人』の肉体からどれだけ離れようとも、実に『人』らしい強さと弱さを併せ持つ民族である。


 ——裏切りってのは、何なんだろうな。悪や罪ってのも、一体何なんだろうな。


 曖昧な思考の中でそんな事を考えていると、背中が見えた。首から下げる銀灰色の冒険者証を握り締めている。大陸各国において下位貴族と同等の権利を認められた、魔銀位階の証を。


 速いとはいえ、ファビオが追えぬ程ではない。段々と間合いを詰めてゆく。狙うは背骨の上の方、心臓の位置となる。

 その位置へと手を当てて収納の術式を使う事で、必殺の一撃となった。


 収納は物品を仕舞い込むだけではない。出現させてこそ意味がある。そして顕現された物品は、意よりも光よりも速くという結果を齎した。

 強化のない人体なぞ脆い。斬れば離れるし、刺せば貫けた。急所である心臓を一瞬で破壊するこの戦術は、奇襲における必殺の業だった。

 この技に磨きを掛けて、魔銀へと至っている。


 魔銀灰に御されし卿とは、咎人へと贈られたある種の戒めだった。

 汝、殺すことなかれ。という教えがある様に、殺生は罪にあたる。しかし生存において、殺生を働かずに存在するものなど、いない。


 そこで社会は罪の意識から逃れる為に、法や律などを作った。生存や統治的な要求からのものだった。

 殺生、その中でも同胞殺しである殺人は罪深き業。

 そう定義することで概ねは平和的な方向へ向かったが、そういったモノは時代や情勢によっても左右される事である。

 罪と罰の論理は複雑かつ難解で、戦乱の歴史を生きる人類種達にはよく判らない、曖昧な基準となった。


 そこで理解しやすい規律を設けたのが、冒険者組合であった。

 先ずは、絶え間なく続く戦時における軍務での殺人は罪に当たらないとし、【決闘】とそれに準じる闘争、両者合意の上での殺し合いでもまた、罪には当たらないと線引きした。

 これ以外の殺人では罪ありきとされる事となる。

 社会への多大な責任を負う魔銀へと至りはっきりと指摘され、烙印を刻まれる。

 この者をどういった手段で殺そうが、罪はないと。


 別に冒険者組合自体は罰を与える存在ではない。魔白銀を御せし卿と、扱いは何も変わらない。

 だが、社会は別である。価値観や倫理観により、無用な殺人への戒めとなった。

 それは、公正でこそあるが野蛮で残酷な冒険者組合らしい、雑で単純な戒めであった。


 そうは言っても馴れたモノ。ファビオの感情に揺れはない。名誉と利益を比べ、より効率良く利益を得られる手法を選んだだけだった。罪悪感はない。


 そして間合いへと入った。

 収納はファビオの術式の腕前では詠唱を必要するが、何も問題はなかった。

 静音クワイエットを内包した隠密カバートを展開維持している。なのに——。


 女が振り向いた。偶然か。そう思うものの、息が吐き出せない。彼女の瞳は真っ直ぐに、ファビオの瞳を捉えていた。

 懐かしい、若き日の、幼い頃の思い出。

 そしてそれはここ最近、ずっと胸の内へと燻っていた感傷であった。

 王都ロウムから内偵の為に来た潜入捜査員。なんとなく、幸せになって欲しいと願った少女。


「——あれ? 気のせいかな?」


 吐息の様に漏れ出た疑問。

 瞬間、我に帰ったファビオは収納を発現する。

 そこに存在するのは背中から心臓を貫かれ、破かれたという絶対の死。

 の筈なのに、彼女の身体は離れていった。間合いから外れる。そして、その前に——。


 斬撃。「開く」その意思よりも疾い剣閃。

 殺戮衝動を解放する前に跳んでいた。後ろへと。


「——恐ろしい技だな。おいお嬢ちゃん、ポケッとしてんな」


 そして聴こえたのは男の声。少し嗄れた、中年男性のもの。


「アモーレ!」


 と、陽気な女の声音であった。その明るさに、何故だか口角が上がってしまう。それでも。


「マジかよ。もったいねぇな」


 その剣戟に何もできないでいる。

 上段、中断、下段。広範囲へと迫り来る刃。

 正確には、何も出来ていない訳ではない。

 致命傷を避けるべく、躱し、合わせ、いなしてはいる。

 それを代償に退がれない。逃げる事が出来ない。

 釘付けだ。動く事の出来ない的に、冒険者が反応しない筈もない。一閃。

 致命の一撃、体躯を両断せしめる斬撃。


「……見事」


 思わず賞賛が漏れる。だが、受け切った。ファビオに損傷はない。

 肘と膝により剣閃を受け止めて、立っている。

 咬牙という、刃を挟む事で斬撃を無効とする護りの技だった。


「やべーな。兄さん、魔銀かよ」


 それは首飾りを見てのものだろう。隠密カバートは解けている。集中の維持を出来なくなって、姿を晒していた。


「そういう貴殿も同格なのではないか? 腕の立つ武芸者と見た。某に、一手ご教授下され」


 だが、強者の気配。女達とは違った形で血を騒めかすものへの執着が強くなる。

 屠りたい。壊したい。殺したい。

 そんな、一方的な感情だけではなかった。

 受けてみたい。躱してみたい。そして一太刀を。


 湧き上がる渇望に、唇が捲れた。


「悪いが俺は錬鉄だ。——ただし、シシリアの」

「……見事だ」


 同じ言葉しか、告げられない。

 心臓が穿たれている。

 得意とした突きよりも、「刀剣顕現」と名付けた必勝の業よりも疾い技で。


 それは正面から闘り合って、打ち勝つ為に錬磨された剣だった。小賢しい、自分には届かない剣だった。

 これが終わりなら、それでも良い。そう思えた剣を受け、やっと終わりかと息を吐く。

「どうしましょ」の声や、「逃げようぜ」などという声が耳を打つ。良い良い、それで良い。

 さっさとこんな暗い場所から抜け出して、アンタらは楽しくやっててくれ。

 そんな気持ちが心へ過ぎる。

 同時に、終わりが目の前に迫った。

 やっと死ねる。そんな安堵が湧き上がる。


 この時、満足してファビオは逝く筈だった。そのつもりであった。だが——。


「のう。妾の玩具を壊して、そのままという訳にはイカンじゃろう」


 結界を展開するカミラが居た。彼女は嬉しそうに、悲しそうに淫笑わらう。


 走る潜入捜査員と冒険者。ファビオには判ってしまう。彼等が結界を脱け出る事がないことを。


「おうおうおう。こんなになってしもうて、痛くはないかえ? 苦しくはないかえ?」


 それへと答える術はない。心臓が潰されている。気道も塞がっていた。声など、出せる筈もない。生きている事さえ奇跡であった。


「良いのじゃ、良いのじゃ。妾は主を好いておる。だから、死なんでおくれ。今ならばまだ、間に合う」


 沈みゆく死の中で、結構だと叫んだ筈だった。


「眩いのう。羨ましいのう。ほれあの女子、何度もあの男とまぐわっておる。寂しくはないかえ? 悔しくはないかえ?」


 そんな事に興味はない。やっと、死ねるのだ。どこにも居場所を見つけられなかった自分が眠れるのだ。

 それを邪魔して欲しくはなかった。


 ずっと、他人と自分を比べていた。

 羨ましい、妬ましい。なんでそうなれない。少しも違いはない筈なのに。

 何故お前らは、そんなにも嬉しそうなのだ。

 いつ蹂躙されてもおかしくない箱庭で、何故そうも美しく笑っていられる。


「お主の想い人と同じようにのう。好いた男の腕に抱かれ、幸せに微睡むのじゃ。だがのう——」


 やめてくれ。望んだ事ではないか。そう叫ぶ。

 為の声はない。心が、魂が『何か』に侵食されてゆく。這い寄る混沌が、胸の中を覆っていった。


「そこにお主の居場所はない。寂しいのう、悲しいのう。……ならばいっそ、壊したくはないかえ?」


 誘惑が魂を蝕む。何も叶えぬ世界なぞ、なくなってしまえ。そんな黒い想いが胸に溢れる。


「妾達ならば、傍におるぞ。いつだって、寄り添うてやろう。我等が騎士よ。こんなモノ世界、壊してやりたくはないかえ」


 迫る唇白い牙。そう、思い出す。

 彼女の二つ名は誘惑者。そして、吸血鬼。


「受け入れておくれ。愛しておくれ。そして……」

「……こんな骸で良いならば、好きにせよ」


 首筋に、熱いモノが吸い付いた。





「……その後に俺はその男を殺し、彼女の血を貪った。それに気付いた時、呪ったよ。俺は逃げた。アイツも追ってこなかった。もう戻らぬ。だが、カミラだけは殺してやる」


 そう呟いたファビオへ、レンツォに返せる言葉はなかった。言える事などあろうか。

 それは知らない感情で、知っていながら遠いもの。

 挫折は知っている。悔しさだって知っている。烏滸がましくとも、恋や愛だって知ったつもりであった。


「なぁ、ファビオ……」


 名前を呼ぶのが精々だった。薄々は気付いていた。

 コイツが求める何かの為に、今の何もかもを捨て去っても構わないと思っているだろう事を。

 武芸者などではなくとも、話に聞く限りカミラは優れた術者であった。

 環境を構築し、自衛の準備を整えた術者は強大で厄介だ。

 これまでも殺す機会を伺っていて、隙を見つけられなかったのだろう事が想像出来ていた。

 そこでシシリア滞在の情報を得て、もしやと追って来ない筈もない。

 彼女がエトナへ、その中層へと向かうかは賭けだったのかもしれない。だが、その賭けには勝っている。


「カミラは、まだ飢えているのか?」


 頷いた友に、胸が痛んだ。


 それでも喪失を埋める様に笑う。


「んじゃよぉ。お膳立てはしてやるよ。お前が殺したくない奴等は、俺が請け負ってやろう」

「……穢れるぞ」

「別に良いさ。気に食わないしな。だが、まぁ」


 もう、無表情で無口になっちまったファビオが何を考えているのかは判らない。

 それでも、強く望んでいる事がある。


「友達がやろうってんだ。お膳立てくらいはしてやるよ。お前さんじゃ、失敗しそうだけど」

「喧嘩売ってんのか、テメェ」


 懐かしい。こういった喧嘩腰の方がコイツっぽい。


「つってもよぉ。オメェみてぇなモヤシにゃ、荷が重いぜ。『英雄』である俺が倒してしまっても、構わんのだろう?」


 そう言ってやる。下手を打っても何とかしてやる。

 そういう意味だ。気負うなよ。だから。

 お前の背中は押してやる。露払いだってなんだってやってやる。


「……ぷ。お前が『英雄』? 騎士の一人にも勝てないのにか?」

「はぁ〜? 騎士達が満足しているのなら、実質的に俺の勝ちなんですけど」


 爆笑を始めるファビオであった。


 ——やっぱ、コイツは笑っていた方が良い。格好付けで、意地っ張り。その癖に人と比べて調子に乗るし、勝手に落ち込みやがる。それでも。


 優しい奴だし、頭も良くて凄い奴なんだ。

 間違った事をしているのかもしれない。コイツが自分で言う様に、存在そのものが罪で悪なのかもしれない。


 それでも、友達だから笑っていて欲しい。

 世界の全てが大好きで、愛しているのだと想っていて貰いたい。

 過去も、今も、未来も。その全てが愛おしいと笑いながら、愚痴って欲しい。

 それは只の我儘だ。それでも。


「……オメェと一緒なら、なんとかなりそうな気がするな」

「なんとかなるさ。なんとでもなるさ。何せ、俺達はシシリアの——」


 口の中に干し肉を詰められた。エトナボアのものである。味は良い。旨かった。


「ダセェ事言ってんじゃねぇ。ガキじゃあるまいし」


 なんだ。判ってんじゃねぇかとレンツォは思う。

 どんな無茶だって、無謀だって乗り越えてやる。それが格好の良いビタロサの民だ。その上で。


 レンツォはファビオと共に手を上げると、掌を叩き合う。

 高らかに音が響いた。

 難しい事はない。やれる事をやり、その範囲を広げてゆく。それだけだ。


 ——何せ、俺達はシシリアの冒険者なんだ。愛情深く誇り高い、自分勝手な挑戦者達なんだからよ。


 そう考えながらも口には出さない。そんな事、今更出すまでもない。


 口内にはまだ干し肉が残っている。ゆっくりと咀嚼して飲み込めば、濃いめの塩と脂の味が残った。

 それを流し込む様にして、炭酸水で割った値段も度数も高い酒を一息に呷る。


 爽やかに口の中は洗われて、腹の中には熱いモノ。


「んじゃ、明日からは山狩り中心だな。派手に動いてやるからよ。忙しくなるぜ」


 ファビオへ背を向けて、寝袋に入るレンツォだった。不寝番は任せておいた。


 ——因縁なんてものは、さっさと片付けちまうに限る。おやすみ、また明日。


 そう思いながらも目を閉じて、眠りへと向かう冒険者であった。



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