第26話 脱出とお説教。


 高山。しかも雪山を意識しなかった訳ではない。

 レンツォは脚を抜く。白く柔らかな積雪から。

 こんな場所にはいられない。そう思いつつも、足取りは重い。

 凍りつくからだ。

 寒さという体感は結果でしかなく、運動の停止により齎される現象だ。相互に関わり合い影響しあって結果として現れる。

 それは肉体に対しても起こる事であり、活動が停止へと近付けば運動機能は低下した。緩やかな死へと繋がる事となる。

 そうならない為に出来る事などあまりにも少ない。

 絶えず運動の停止に逆らい、動き続けなければならなかった。それは消耗に繋がって、人は無限の活力など有してはいない。



「マジかぁ……」


 無駄で有害だと判っていても、漏れ出てしまうものである。熱量の確保の為に口にしている蒸留酒。

 チビりチビりと口にしていたそれは、凍結を始めていた。となると、この辺りの気温は。

 考える事を止め、脚を運ぶ。

 一面は真っ白だ。慰めとなる様な物はない。雪は深々と降り積もり、自由を奪ってゆく。

 それでも動かなければ先はない。氷像となる訳にはいかなかった。方向感覚はなくとも、真っ直ぐに一方向を目指して。


 磁場に反応し、方位を取る道具がある。方位磁針であった。全幅の信頼は置けないが、進路を取るのに都合がよい。右も左も判らぬレンツォには、これに頼るよりなかった。

 楽観するつもりはないが、ここはそう広いものではないと考えている。

 見上げる空はまだ遠い。暗雲があり、雪を降らせている事からも、そう出鱈目な高さではないとも思っていた。

 山の中に山が起こる。出鱈目ではあるが、エトナではそう珍しい事ではない。

 だがその現象には一定の法則があった。測量や経験則の結果でしかないが、新山は三角錐や三角柱に似た形状を取って顕現する。

 そしてその体積だか容積なんかは一定の範囲内で収まる規模となるともされていた。


 レンツォに難しい事は判らない。

 だが、標高の高い新山が造成されたのだとは判った。推測する気温や環境を考えれば、かなりの高地。ならばそこまで広大とはならないだろう。

 山の頂点から外れれば抜けられる。そう信じて、歩むしかなかった。

 

 そうして方針を固めて進んでいれば暇だった。

 暇であるから色々と考える。最初に考えたのはファビオの安否だ。

 新山の造成に巻き込まれているのだろうか。そうであれば、この何処かにいるのかもしれない。

 だが、探す気はなかった。探したとしても、共倒れとなる危険が増すだけだからだ。

 自力で抜け出すと信じるしかない。

 吸血種族は環境変化にも強く、このくらいの気温ならば活動に支障もない筈だった。

 

 そもそも。異変を感じて叫んでいたのだから、新山の造成に巻き込まれてはいないのかもしれなかった。

 そうだったのならば、しめたものである。

 当初は救援の可能性は低いと考えたものの、冒険者には異変報告の義務がある。

 新山の造成は珍しくもないが、それでも環境変化は立派な異変であった。

 ファビオが報告に走らない筈もなく、調査隊が編成される。ついでで救助隊ともなった。

 周辺の封鎖や各種申請からの編成だ。年末の忙しい時期という事もあり、緊急度の低い異変への対応は緩いものとなるだろう。編成までに三から七日か。


 そこまで考えて、レンツォはやはり自力で抜けるしかないかと覚悟を固める。

 調査を行いながらの登山となるので、推定登頂部付近であるこの辺りまで辿り着くのもいつになるか判らない。救助はついでであった。

 大体、この環境下では丈夫が取り柄のレンツォとて七日も保たない。三日だって怪しいものだった。


 蒸留酒。であるものの、その実はエトナ低層産の霊薬を口にする。口内に僅かに染みる刺激。

 非常時の補給用として、大人達の間では親しまれている酒だ。酒でこそあるが、少量でも水分と滋養を補い体力維持を助けた。

 その霊薬にして蒸留酒は既に凍結している。

 僅かな時間、外気に晒していただけでもこれだ。そう呆れながらも懐へ仕舞い込む。

 耐久は現実的ではない。今動けているのだって、肉体への強化ストレングセンのおかげである。

 術式が途切れれば血液は凍結し、細胞の活動は停止する。そしてそのまま死ぬだろう。そういった環境であった。

 レンツォでは不眠不休でのこの術式の維持は、三日が限界だった。

 救助に期待は出来ない。冒険者は自己責任。その生命は軽かった。


 だからこそ、無謀を承知で進むのだ。

 時が過ぎれば調査隊が発見し、遺品の回収くらいはされるだろう。

 それでは意味がない。死ぬつもりはなかった。

 時間だって無駄にする気はない。ファビオに結ばれた契約を解いてやりたいし、もう少し稼いでもおきたいものだ。年末年始くらいは懐を暖めておきたいものだった。

 大体が、予定を過ぎて帰らなかったらイラーリアに何と言われるものだか。

 

 ——アイツは忙しい。お貴族様なんだから当然だ。俺だって忙しい。その騎士様なんだから当然なんだ。


 そんな事を考えていれば、足も進んだ。

 騎士は夜会のエスコート役でもある。

 然程に夜会好きではないイラーリアとて年末年始や祝祭が重なるこの時期に、それなり程度の顔を出さない訳にはいかなかった。

 叙爵するのである。社交は必須で、夜会の参加は不可欠だった。

 そこへ一人で行かせるものか。寂しい思いをさせるものか。それは嫌だと彼女の騎士は想う。


 その為には、一刻も早く。

 この銀世界を抜けなければならない。

 その為に脚を進める。止まらずに、一歩ずつでも確実に。動き続けなければ、先はないのだから。




 そんな執念が実ったお陰か、レンツォは山頂の端である崖へと辿り着いていた。やはり予想通りにそう広くはなかった。

 念願の脱出経路の発見である。喜んでいてもおかしくはないのだが、彼は頭を抱えていた。


「嘘だろ。勘弁してくれよ……」

 

 氷雪に晒されながら、立ち尽くす。降り積もる雪から抜け出る事もなく。

 その高さが膝上まで来ると、流石にマズイと動き出すレンツォだった。

 グルグルと歩き回って対応する。そうしながらも考える。

 見つかった脱出経路は崖である。想像した通り、切り立った崖だった。垂直に近い急なものだ。

 それは予測の内だった。崖沿いに降りて行く事で降りられる。最悪は飛び降りればなんとかなるだろう。

 そう考えていたのだが、下を見ても大地は見えない。白く見えるものが漂っていた。雲である。

 腹いせに崖から雪を落としてみるも、どうなったのだかさえ判らない。

 グルグルと歩きながらも考える。


 ——この山の高さは雲を超えている。つまりはかなり高い山で、断崖絶壁だ。飛び降りる? 無茶言うな。下に何があるかも判らないのに、出来るか。考えたくもなかったが、此処の高度は……。


 つい自問自答してしまうのも仕方がなかった。

 レンツォにだってそれなりの知識があった。

 雲なんかの高さやら、高度と気温や空気中の成分なんかの関係だ。

 雲はかなり広くの高度に浮かぶ。雪が降っているのだから、その上限でない事は確かであった。

 対流圏にある事は間違いないにせよ、空気が薄いのでかなりの高さであるとは想像出来た。

 そして高度と気温の関係であるが、ざっくりと言えば高度が上がれば気温は下がる。

 そんな単純な話であり、強い酒精を持つ酒が僅かな時間で凍結している事実から導き出されるのは——。

 

 とても高いという事だ。その高さから飛び降りて、無事で済む。筈もなかった。

 限界まで術式を施したとして耐えられるか。非常に微妙なところであった。

 衝撃だけを考えるならば彼自身は耐えられるかもしれない。

 実際に、それよりも遥かに大きな衝撃を受けるクマからのぶちかましには耐えている。自分自身のぶちかましだって、近い強さの衝撃が掛かった。

 だがそれは全てを出し切った上でだ。

 幾重にも障壁を張り巡らせ衝撃を相殺し、武器防具を構えた上で最適な姿勢を取るからこそ耐えられている。それでいて体内術力全てを振り絞る事となった。


 自由落下であるのなら、そこまでの衝撃とはならない。充分に絶えられた。付与の施された装備であるので斧盾に騎士鎧、外套はなんとか耐える事だろう。斧盾は収納しておく事にするが。

 だが、他の荷物は。

 収納の付与された術具へ入れられていない持ち物はどうなるか。

 とても無事では済まない。


 懐から酒瓶を取り出した。

 霊薬でもあるので、とてもお高い酒だった。一瓶が普通の労働依頼三日分程になる。

 少し溶けたそれを呷る。涙が零れた。

 五本の用意があった。とても保たない。

 背負った背嚢から革鞄を取り出した。なんとか耐える事だろう。耐えられなかったら中身はどこぞに消える事となる。

 そして保存食や水、消耗品などを確認していった。どれも消耗品であるとはいえ、中層用として用意している品物だ。割高である。

 耐えられそうな物品はなかった。

 泣く泣く鞄を開く。貴重品を取り出していった。原石などである。

 鞄の中身を入れ替えてゆく。山歩きに優先度の高いものを仕舞い込む。


 背嚢には原石を詰めていた。

 砕け散る事となるだろう。悲しいかな原石は結晶の状態で取引される。欠片に商品価値はない。依頼を達成するには、また採掘するしかなかった。

 薬草や蔓草などの採集品も保たない。仕方ないので雪の上へ置いてゆく。

 どこからか山にゴミを捨てるなという声が聞こえたのだが気のせいである。

 本当に仕方がないのだ。薬草はともかくとして、採集品には壊れると毒を流したり爆発するものがある。

 これらも依頼の品ではあるが、危険なので置いて行く事となる。雪の上へと広げたそれらには惜別の挨拶を送っておいた。

 

 一通りの支度が済むと、崖から身を乗り出した。


「あーあ。昨日の稼ぎは殆どなしか……」


 強化強度は念の為最大に。荷物の護りとして障壁を展開しておく。機巧制限のせいで強力なものは展開出来ないが、何もしないよりはマシである。ほぼ全力であった。少しでも破損を防ぐ為に。

 体内術力は心許ないが、なんとかなるだろう。

 


 ——まぁ、それでも。稼げる事は確かだし、油断禁物って事は骨身に染みた。なんとかなるさ。


 ファビオがまだ雪山に取り残されているとは思わない。斥候の生存能力は高かった。

 目を凝らせば、大空を舞う巨大な鳥の姿があった。

 初めて見る鳥である。直接的には。


「あー。やっぱ、そんな高さなんだな」


 トゥオーノ・ストラストフェリコと名付けられている霊鳥だった。雷鳥となんかも呼ばれている。

 キジ型の霊獣であり優美な鳥である。夏場は褐色の羽毛を持ち、冬場であるこの時期は純白の冬毛となっている。

 名の通りに雷を操り、成層圏に巣を作る。

 この高度まで降りて来ているという事は餌探しの為だろう。彼等は雲の間を遊泳し、地上で獲物を見つけると雷鳴と化して狩った。

 獲物は中型や大型の霊獣だ。イノシシやウシなんかを狩る事が多かった。人は襲わない。あまり好みではないのだろう。


 縁起の良いとされる鳥であり、空を泳ぐ姿を見れば家庭円満に、また雷鳴から姿を戻し大空へと羽ばたく姿を見ると、立身出世が約束されるらしい。

 どちらも迷信の類いであるが、雄大な霊鳥の姿は美しかった。せっかくなので、祈っておく事とする。

 彼には家庭はないのだが。


「ほーらよっと!」


 そう叫び、空へと身を投げ出した。

 垂直方向へと向かう加速度。それはドンドン増してゆく。

 このままの速度で地上へ降りたならレンツォ自身はともかくとして、人などがあれば無事では済まない。


 ——次からは、落下傘なんかも用意しておかないとな。荷物が増えるから、収納の付与された鞄をまた買わないと。


 そんな事を考えながら地上へと向かい自由落下を続けている。

 切り替えていくしかないのだ。『居着く』必要はなかった。慎重に油断なくやっていれば、いずれ結果は付いてくる。


 ——なんとかなるさ。なんとでもなるさ。


 シシリアの男は気楽なのである。その中でも一般的な冒険者なんかは特に気楽なものだった。

 冒険者は自己責任だ。意地や誇りはあっても、重い責任は課されない。働くのも稼ぐのも闘うのだって、自分の為だった。

 少しは良い思いをしたいし、格好も付けたい。そんな小さな目的を頑張るのが普通の冒険者達だった。

 美味い飯と美味い酒、刺激的な冒険があれば満足で、その日暮らしを楽しんでいる。

 稼ぎたいなら精一杯働けば良い。仕事なんていくらでもある。健康で丈夫であるなら、なんとでもなる。

 それで良いのだ。これが良いのだ。


 そうでも思っていないと、やりきれなかった。


 無事地上への着地を果たしたレンツォは、落下の衝撃が身体を抜けると思わず目頭を押さえた。

 予想通りに無惨なものだった。

 背嚢は破裂しており、原石も爆発四散してしまっている。その他の中身も同様だった。

 唯一、革鞄は無事である。それだけが慰めだった。


 幸いにして辺りに人や獣はいなかった。人はともかくとして獣は構わないのだが、あまりに破損が酷ければ剥ぎ取りも出来やしない。なので、いないに越した事はない。

 落下場所は開けており、森や川などではなかった。

 結果として巨大な窪地を作ってしまったが、自然破壊は最小限なものだとレンツォは主張したい。

 最近は自然保護団体だか何だかとかいう輩共がうるさいからである。異界内であろうとも、自然を汚すなとか壊すなとか。

 クマ狩りは野蛮であるとか、野鳥の狩猟は法律で取り締まれとかも言う。自衛くらいはさせてくれ。

 それに、自然と言うが異界なんてものは存在自体が不自然な存在である。

 山がポコポコ産まれるエトナで山を壊すななどと言われても困る。間引きや剪定は大事な仕事だった。


 そんな思考は単なる現実逃避でしかない。


 レンツォの降り立った地には巨大な窪地が出来ている。衝撃で地は抉れ、周辺の岩肌や小山なんかも吹き飛んでしまっていた。

 そして現在、付近では激しい爆発が起きている。着地の衝撃により、鉱石などに含まれる成分が反応し、爆発炎上しているのだろう。

 嫌にケバケバしい光が目に痛い。気持ちの悪い悪臭を伴う煙で鼻も痛い。

 もうもうとした黒煙が立ち昇っている。

 どうやらここの原石には、可燃性の成分が多く含まれていたらしい。


 なんとかなるさ。などと考えていたのには歴とした根拠があった。

 また稼げるさ。などと思っていたのには理由があったのだ。近場には原石の採掘場があるからだ。

 原石は良い値段となる。

 気合いを入れて多少の傷を無視して採掘すれば、それなりに採れた。そんな思惑があったのだ。


 それらは現在、爆発炎上中である。

 何故か? 強い衝撃を加えたせいだ。

 原石の組成は様々であるのだから爆発する事もあるし、可燃性の成分を含む事もある。人体に有害な性質を持つ物だってあった。

 なので、採掘は丁寧に行われる。

 遠慮なしに強引な手管で削り出したり掘り出したりすれば、台無しとなってしまう。

 だからこそ、大規模公共事業として行われていた。


 レンツォは涙を拭う。もうここに居る理由はない。

 一稼ぎする夢は潰えた。原石はもう採れない。

 『居着く』な。未練を捨てろ。ファビオも探さなければ。

 そんな感じで炎上し、惨状を見せる元採掘場を跡にしようとした。

 跡地となった採掘場に用はない。そして冒険者としも、異変の目撃者となっているのだから報告の義務がある。

 一刻も早くこの惨状の報告をしなければならない。

 

 たまたま来てみたら、酷い有様だったと。偶々空を見ていたら、トゥオーノ・ストラストフェリコが飛んでいた。もしかしたら、不幸な事故が重なったのではないか。


 そんな報告をしなければならなかった。

 そうでもしないと面倒な事になる。結界まで行けば機巧兵団の兵達がいる。急がなければ。





「無事だった様だな。で、何が起こった?」


 ファビオの声が聞こえ、振り返る。

 そこには彼だけでなく、機巧兵団の皆様も並んでいた。四名である。バランスの取れた編成だった。


「いや、何が何やら。たまたま此処に足を運んでみたらこの惨状だ。もしかしたら、雷鳴でも降ったのかもしれないな。雷鳥を見たし」

「……ほう。その背中の背嚢の残骸は?」


 ファビオによる疑問の声ではない。機巧兵団の一人からのものである。武運を祈って貰った、格好の良いおっさんの声だった。他の元州兵の皆様方の眉間にも皺が寄っていた。


「運悪く新山の造成に巻き込まれた仲間がいる。危険な状態かもしれないので協力を要請したい。で、あったなファビオ殿」


 やはりファビオは出来る冒険者であった。報告、連絡、相談をちゃんとして、仲間を助ける気概もある良い男なのだ。


「ありがとうな、ファビオ。俺は無事だったさ。何の問題もないんだ。兵団の皆様、お疲れ様でした」


 ファビオは新山を見上げている。下からでは高さを測れないだろうにご苦労な事だ。


「レンツォ殿でしたかな。夏頃に赤金となられた」


 はい。光栄です。と応えるレンツォ。

 兵達は新山を見上げたり、飛散した鞄の内容物などを拾い上げている。破れた背嚢の一部などと一緒に。


「少し、話が聴きたいものです。どうかご同行願えますかな?」


 笑顔を見せる元州兵。


「……レンツォ、お前……」


 ファビオのヤツも漸く察した様である。仕方のないヤツだ。


「仕方がありませんね。伺いましょう」


 都合が悪かろうが、仕方のない事である。

 憧れの元『州兵』に頼まれては断れないものだ。

 レンツォはどう言いくるめてくれようかと密かに闘志を燃やしている。これでも結構弁は立つのだとも自惚れていた。

 

 



 そんな物は気のせいであった。

 散々に搾られて、お説教を喰らう事となる。

 冒険者は自己責任。今回の一件、不可抗力でもあった為、別に罰則などはない。

 それでも公の利権を侵害したとして、とっちめられている。反省くらいはしておけと。

 基本的に官憲も面子商売だ。機巧兵団は公僕として治安維持に励んでもいる。

 嘘を吐いたり誤魔化したりされるのは仕事の邪魔である。なので、彼等はそういった事を許さない。

 何かしらの悪事を働かなくとも、曖昧な証言をされる事を許しはしなかった。


 なのでレンツォ達は叱られるのである。罰はない。それでも反省を求められた。

 誤魔化しや言い逃れに対して世間は厳しい。

 そんな事まで身に染みて、山籠り二日目を終えている。稼ぎは増えていない。しかし、仕方のない事だ。


 信頼というものは行いに拠って担保される。まだまだ若造扱いの彼等にはそれを稼ぐ必要があった。

 そういった事を教えられて諭されて、解放されている。頑張れよと。

 自分なりに一端の大人な自覚はあっても人の評価は別物だった。そういった事も教えられていて、励みとする事となる。

 先達の背中を追わないとならないし、後進にも背中を見せなければ格好が付かない。

 自分の行いは自分一人だけのものではないのだな。

 そんな事まで考えながら、社会人としての責任や大人の振る舞いなどを覚えてゆく。


 冒険者は自己責任。そうは言っても格好は付けたいものである。

 良い大人。憧れられる人となりたいと考えるのは烏滸がましい事であろうか。そんな筈もなかった。


「なぁ、レンツォ殿。せっかく英雄の入り口に立ったんだ。らしい姿を見せてやれ。その背中を見たひょっこ達が追いたいと思えるくらいに」


 まだまだ若造であるレンツォには難しい事だ。だが期待されている。憧れた大人達に。


「はい、ありがとうございます」


 その背中を追いたいと思った人達に言われれば、気持ちは振るうものだった。


「……単細胞め」


 ファビオの雑言も気にならない。お説教を頂き、少しだけ痛い目を見たが無罪放免とされていた。

 それに、貴重な情報も得ている。


「近頃はカンパニアから来ているカミラ・エリナ・ザガリア=トンバロロ嬢のパーティが中層を探索中だ。あまり邪魔をしないでくれると有難い」


 その名こそファビオと契約を結んだ巫女のもの。

 カンパニア州に拠点を置く大企業、ガムランの重役にして、機巧販売企業であるザガリアの役員にも名を連ねる者だった。


「百年乙女はアンブロジアをお求めの様でな。我等がシシリアにも多額の献金を納めておられる。もしも出会ったのならば、協力するのをお薦めしよう」


 百年乙女の二つ名は黄金位階の冒険者へと送られたものである。

 かつての反社会組織、カムラを健全なる企業ガムランとして再生せしめた手腕から銅位階、真鍮として認められたカミラは、その後百年をガムランの役員として支え続けている。

 そして至ったのが黄金だ。大戦期、魔王統治期を経てもなお企業として存続せしめた功績によるものだった。同時に少数民族である吸血種族の偶像アイドルでもある。


「乙女ねぇ……。ガワだけ取り繕ったとしても、中身はボケた老婆じゃねーの」

「人を悪様に言うでない。大人の態度ではないぞ」


 機巧兵団員達も、思う処がないではないらしい。だが、やんわりと注意されただけだった。


 力が強い。術式に優れ、有用な異能を授かる。

 血液以外の食事を不要とし、睡眠も休息も必要とせず、過酷な環境下でも何不自由なく生き延びる。

 個として強大で、『超越者』への先祖返りとも畏怖される吸血種族達は長きに渡り生命と若さとを保つ。

 一見では良い事ずくめであった。


「……停滞した彼奴等では、永遠に大人にはなれぬ」


 だが、彼等は肉体的な成長をしない。そのせいか、精神的な成熟もされなかった。

 享楽的な刹那主義者達。その癖に永遠に固執する。

 知識や技術の向上はあるし、老化がないので肉体的な劣化もない。人によれば利点しかなかった。


「揉め事や喧嘩は損でしかないぞ。せめて取り繕え。真面名マトモに相手をする手合いではない」


 吸血を特性とする彼等に、他者へと向ける慈悲はなかった。糧で滋養であるからだ。

 口にする物に情を掛ける者がない様に、吸血種族も他人類種へ向ける感情は乾いたものだった。


「判っているつもりです。偉い人に逆らっても、良い事なんてないでしょう」


 レンツォの口から出たのは嘘である。そんなつもりはない。ファビオと二人、殺す為に来ている。

 彼女は黄金位階の冒険者。立場としては子爵位相当のものとなる。貴族籍には無礼討ちが許された。

 面子を何よりとする彼等は、侮りや非礼に対し報いを受けさせる権利を有する。

 通常は妥当であったか理非が争われるものだが、異界内での出来事にそういったものはない。

 それを利用した快楽殺人なども横行している。ましてや吸血種族である。糧となる他人への情がないならば、忌避する理由もなかった。


 低層での治安維持を務める彼等には、管轄外であるとはいえ中層の治安も気になる様であった。

 せいぜい気を付けろ。というお言葉を頂いてレンツォ達は解放されている。

 異界内は治外法権とされていて、貴重な財源を潰されたとしても取り締まる法はない。

 だがやはり、心情的には惜しく悔しいものなのだろう。そういう憂さを晴らすが為のお説教であった。


 人は人同士の関わり合いにより何かを学び、成長してゆくものである。そして己以外を尊重出来る様になる事こそが、大人の条件であった。

 そういう事をないがしろにしがちなので、吸血種族達はあまり敬意を持たれていない。

 安易に力を得られ、契約により増える彼等が少数民族でしかないのは、そういった価値観が普遍的なものであるからだった。


 



「昨日今日の稼ぎはなくなっちまったけど、中々有力な情報が得られたんじゃないか?」

「……まぁな。俺はあるが。とはいえ、広い山だ。探すにしても一苦労であろうな」


 実の所レンツォは楽観している。色々と。


 パーティを組んでいる。パーティであるから依頼の達成は共有のものであるし、報酬も同じく共有口座へと振り込まれた。

 ファビオが依頼を達成するならばレンツォも達成した事として扱われた。報酬は等分割が基本となった。

 そういった事からもパーティの奇数編成が避けられがちで、実力に差がある者達でのパーティ編成も嫌われた。


「なんとかなるさ。これで俺って結構モテるんだぜ」


 編成に不安はない。それにファビオが思うより、探索には自信があった。

 それは吸血種族の特性によるものだ。

 その糧となる血液は異性のモノが好まれる。

 味も若く健康な者のモノが良質とされており、彼はそれなりに若く、とても健康であった。


「……その自信、どこから湧いてくるのだ」

「僻むなって。俺がいりゃ、その内向こうから来るだろうよ」


 これで己を結構イケていると思っているレンツォであった。背は高い方だし身体は引き締まっていて、清潔感もある方なのだと自認していた。


 吸血時の味わいへ影響する好意というもの。

 それには様々な要素があるのだが、容貌への好感度なども無視出来るものではなかった。

 昔から、お年寄りには良い男扱いされている。百年乙女カミラも年寄りだ。とても傲慢て貪欲な性格であるのだともファビオに聞いている。


 そんな女が、自分を探す若い男を無視するか。

 出来ないだろう。無礼討ちと称して生き血を啜る吸血鬼にそんな淑やかさなどないとも思っている。

 とても自惚れていた。


「自惚れるなよ」


 そんなファビオの指摘なぞ気にならない。既に日は暮れ始めている。少し草臥れてもいた。


「今日は早めに野営としようぜ。明日こそ稼ぐぞ」

「……まったく」

 

 派手に動いていれば、向こうからの接触の可能性さえもある。

 そんな皮算用をしながらも、ファビオと共に野営の準備を始めるレンツォだった。

 

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