花天月地【第35話 荒野の向こう】

七海ポルカ

第1話



 広い荒野を三頭の馬が走っている。


 


楽進がくしん! もっと馬を寄せろ!」




 後ろから声が掛かり、楽進はくっ、と奥歯を噛んだ。


 必死に馬を寄せていくが、それにばかり気を取られていると、手にしていた剣に相手の剣が絡みついて、引き上げられた上体が思わず浮いた。



「手元がガラ空きだぞ、坊や!」



「うわっ!」


「振り落とされるぞ!」


 馬上で腰が浮いたが、引きずり込まれて落馬する前に、楽進は剣を手放し、自ら馬上から飛んだ。

 受け身を取り、なんとか転がりながら着地をし、起き上がる時には小手に仕込んだ短刀を手にしていたが「後ろ!」と声が飛び、慌てて体勢を低くして背後を振り返った。




「四十点。」




 獲物のように賈詡かくが、奪い取った楽進の剣を掲げると、彼は首を取られたかのように天を仰いでから膝をつき、大地に倒れ込んだ。


「だいじょうぶ?」


 賈詡が馬上で愉快そうに笑っている。


「楽進は馬寄せるの苦手だね」

「はい……普段あんなに寄せることはないので、つい意識がそっちに持って行かれます。でもそれにばかり集中すると、仰るとおり手元が甘くなってしまって……。

 くっ……。

 間合いを覚えたと思ったんですが、馬を駆らせながらだと全然違うな……」


「振り落とされるくらいなら自分から飛んじゃえ! っていうあの決断力も、着地してる時にすでに短刀を手にしてるのもいい判断なんだけど、残念。構える向きが違うよね」


「はい。つい反射的に賈詡殿の方に構えてしまいます」


「まあそれが自然な反応だからな。お前は元来、反射神経はずば抜けていい。

 だからこそそういう『定石通りの動き』が奴らと戦う時にはあだとなる。

 奴らは戦略立てて襲いかかってくるんだ。こっちも本能に頼りっぱなしじゃいかん。

 理屈でやらんと。

 涼州騎馬隊りょうしゅうきばたいは基本的に三人一組で行動してる。

 振り落とされた時、剣を交わらせた相手の方を見たり構えるのは絶対に駄目だ。

 すぐに左右のどっちかに飛べ。

 着地して瞬間的に背後を振り返るのは本能。

 こらえて正面を向け。あと短刀は構えるな。すぐ投げる体勢に入るんだ。

 剣を交わらせてた相手は馬に乗ってんだから、そんなすぐに戻ってこない。気にしないでいい。

 後ろから追尾して来てる奴が問題なんだ。頭を切り替えてそっち相手しろ。

 涼州騎馬隊は必ず複数人で来る。

 それを絶対に忘れるな。いいな。その意識を叩き込んでおくだけでも、全然戦場じゃ違う」


「はい。寄せが甘いと逆に槍の間合いに入るから危険なんですね」


 追って、楽進に助言をしていた李典りてんもしきりに頷いている。


「そう。ギリギリに寄せれば槍が自分の馬に当たりかねないから攻撃が来ない。

 一瞬の判断だぞ楽進。迷わず寄せろ。

 出来る限りだ」


「はい」


 うなだれていた楽進が頷き、立ち上がる。


「聞いてはいたけど、やはり涼州騎馬隊の戦い方は他と全く違いますね。

 これはちゃんと知っていないと、どんな精強な兵でも負けるはずです」


流星鎚りゅうせいついも馬を止めるのにいいんですね。賈詡殿が趣味で選んだのかと勘違いしてました」


「とんだ勘違いするのやめてくれるかな李典君。どんな趣味だよ。

 言っとくけど涼州騎馬隊は流星鎚りゅうせいつい多用してくるよ。近距離に遠距離攻撃も出来て便利だからね。

 よくこれで近づいてきた相手の馬を先制攻撃で潰す。

 まず相手の馬を潰して行動力を低下させるのが定石なんだ。

 あとは三人一組でどうとでも料理できるからな」


「間合いを躊躇っていたら、遠距離から馬を潰されるし、

 半端な寄せ方をしてると槍が来る」


「こっちも先に馬を潰せればいいけど、涼州騎馬隊は馬の装備も頑強だ。

 余程弓の腕が立たないと、馬の鎧の合間は打ち抜けないだろうな。

 狙うなら馬の目だぞ。楽進」


「はいっ!」


 楽進は今の一連の流れの正しい動きを頭の中で反芻し、身体を動かしている。


「ん~~~~! でも地上で出来ても馬上で出来ないと全然使い物になりませんね!」


 難しい! と言ってわしわし、髪を掻いている。


「さて……」


 賈詡は剣を楽進に返してやると、後方を振り返った。


 遙か向こうに三騎、見える。


 挨拶を交わしてから、一騎が走り出した。

 数秒して残りの二騎がそれぞれ、続いて走り出す。


 楽進もハッとしてそちらの方を向いた。

 

 先を行くのは張文遠ちょうぶんえん

 続いたのが陸伯言りくはくげんと、徐元直じょげんちょくだ。


「まずあの坊やに張遼ちょうりょう将軍の騎馬術に追いつけるかが一つの関門だな」


「張遼将軍なら涼州騎馬隊の馬術に引けを取りませんからね」

「張遼将軍には槍はほどほどに、そのかわり馬術は容赦なくやってくれと言ってある。

 よく見ておけよ、楽進」

「はいっ」


 土埃を上げて一定の距離を保ち三騎は走っていたが、

 意を決したように陸議りくぎが馬に合図を入れた。

 張遼も戦場ではあそこから更に馬を駆らすだろうが、今はそのままにした。

 速度を上げていないだけで、かなりの早さは維持したままだったからだ。

 これで追いつければ問題ないと判断してのことだろう。


 陸議は相手の槍の射程範囲外から、猛然と走る馬の跳ね上げる土が自分の馬に掛からない、非常に狭い範囲に後方から的確に寄せて来た。


「うん、いいね」


 李典りてんが頷いている。


 張遼ちょうりょうが肩越しにチラと片目で陸議の位置を確認すると、手にした槍を自分の頭上で旋回させ、柄で陸議を叩き落とそうとした。

 剣の根元の方でそれを受け止めたが、張遼は力で押し込んで来た。

 両手で受け止めているが、体勢が起きてくる。


「あの体勢になるといかん。ああいう場合は残りの二体が接近してきてトドメを刺されるぞ。胴体も背後もがら空きだからな。

 場合によっては近づくまでもなく、遠距離で弓や流星鎚で仕留めることもある。

 楽進、涼州騎馬兵とは鍔迫り合いは絶対するなよ」


「はい!」


 見ながら、賈詡かくが指導する。


 陸議自身も上体が起きてきたことは自覚があったようで、彼は敢えて片手を離し、張遼の押し込んでくる力をそのまま後方に押し流した。

 強襲してきた槍の柄を、馬上で上半身を非常に低く、しなやかに捻るようにして躱す。

 その一瞬で、陸議は後方に流れた自分の左腕を折り曲げるようにして返し、刹那、宙に手放した剣を右手に持ち替える。

 素早く、流れるような動きだった。

 馬上の動きというものは限られているが、板についている。 

 

 賈詡が口笛を吹いた。


「やるねえ」


 そのまま一瞬で入れ替わった剣を横に切り払ってくるが、尚も槍を旋回させた張遼は、槍を傾けて胴に入りかけた陸議の一撃を的確に受け止める。

 その瞬間、足だけで馬に合図を入れ、陸議はそこから更に馬の速度を上げつつ、寄せた。


「!」


 槍の可動範囲を押さえ込み、しかも馬上で身をひねっている騎馬兵がそれ以上は振り返られない方向に、更に踏み込んだ。


 張遼も馬の速度を上げたが、陸議は歯を食いしばってついて行く。


「あそこまで接近されると味方も巻き込む可能性があるから他の騎馬が突撃出来ない。

 彼は勘がいいね」


 賈詡の言葉に、楽進も自分が言われたように目を輝かせて拳を握って頷いている。


「……。」


 相手がついてくると見た張遼が、槍で陸議の動きを封じたまま、足で、接近していた陸議の馬の胴を蹴り上げた。

 蹴られた馬が飛び上がると同時に捕縛が解ける。

 力尽くで陸議を引っ剥がした。



「次で決まるぞ!」



 張遼は引き戻した槍を再び薙ぎ払ってきた。

 

 賈詡の言った通り、相手を仕留める鋭い一撃だ。


 馬自体の体勢が崩れていた為、ほぼ陸議の身体も投げ出されていたが、倒れるような体勢のまま、手綱を引き続け、張遼の槍撃そうげきを寸前で避けながら右方向へ馬を導き、離れていく。

 崩れそうな体勢を人馬も逃れながら持ち直して、更に加速して行った。

 あの速度なら追っ手を振り切れるし、仕切り直せる。

 張遼ちょうりょうの騎馬将としての技量は陸伯言りくはくげんよりも上だ。

 これ以上接近戦に持ち込むよりも、いい判断だった。

 仕切り直せば新しい展開も生み出せる可能性は高くなる。



「はっはっは!」



 賈詡が馬から身軽に飛び降り、手を叩いた。



 楽進と李典も頷きながら叩いている。

 張遼は速度を落とした。

 槍を収め、緩やかに彼も馬の方向を変え、こちらに軽く駆らせて来た。


「いいねえ。伯言はくげん君は馬術は……なかなか光るものを持ってるね。

 勘がいい」


「すげー。張遼相手にあそこで更に馬を寄せたぞ」


「まあ新顔ならではの恐れのなさだな。

 俺たちは張遼将軍の騎馬術いつも見てるからね。

 あんな近くに寄ろうとなんて、そもそも思わない。

 あの副官、見た目に似合わず豪気だな」


「しかし、きちんと槍の間合いからは外れていた。

 攻撃の死角をよく把握出来ている。あれなら容易く討たれることはないだろう」


 最後は歩かせるように戻って来た張遼が馬上から、そんな風に声を掛けてきた。

 そこにいた三人が彼に一礼した。


「お付き合い頂き、感謝する。張遼殿。

 どうしても馬上で彼らに指導したくてね」


「なんの」


 張遼ちょうりょうは優れた騎馬将であり、軍でも位の高い武将だが、驚くほど修練熱心で、こういった模擬戦に駆り出されても、嫌な顔をせず相手を引き受けたりすることで知られていた。


「おかげで実際の涼州騎馬隊に近い感覚が彼らも分かったはずだ。助かりました」


 無駄口や愛想笑いは見せない人物だったが、遠い向こうから、こちらに戻ってくる二騎を見やっている今は、少しだけ穏やかな空気で張遼は目を細めていた。


「陸議殿には是非、次回はご自分の武器でお相手をと」


 賈詡が頷くと張遼は馬上で一礼し、その場から去って行った。


 陸議と徐庶じょしょが戻って来て馬から下りると、去って行く張遼の背に深く一礼し、見送る。


「ご自分の武器とは何のことでしょう?」


 楽進が首を傾けた。


「双剣のことだろう。伯言はくげん君、きみ普段は双剣使うんだね?」

「あ……はい。そうです」

「そうだったのですか」

「常々君の剣技、綺麗だけどなんか違和感あるなと思ってたが、片手剣だから手持ち無沙汰だったんだな。いいんだよ。修練場に双剣持って来ても」

「はい。申し訳ありません。まずは賈詡将軍が指導して下さる涼州騎兵の間合いを覚えねばと思って」

「さすが張遼ちょうりょう将軍。君と剣を合わせるのは初めてなのに一発で見抜いたね」

「なんで分かったんだろう?」

「馬上だとやれることが限られるだろ。

 今日も伯言君は随分と馬上で自分のもう一本の剣を探してた」

「す、すみません」


「いや。ということは双剣を持てば君はもっと戦えるってことなんだからいいんだよ。

 張遼将軍は戦場で光る才だが、こういう修練でも決して下手な手加減や不要な遠慮はなさらない方だ。

 そういう修練が何の意味もないことを分かっていらっしゃるからね。

 その張遼将軍が君の馬術に対して何も言わなかった。

 これは素晴らしいことだ。

 君は何をやらせても優秀だから、私もそこそこには乗ってくるだろうとは思ってはいたが、想像上以上だったよ」


「俺もです。正直、陸議殿はどちらかというと文官が適正かと」


 李典も素直に感心してる。


「馬術は俺や楽進より貴方は上ですよ」

「はい……あの……すみません、ありがとうございます……」


「最後まで馬を捨てなかったあの感じがいい。

 あれなら涼州騎馬兵とも最後までやり合える。

 奴らの特徴なんだが、奴らも馬を簡単には捨てない。

 かなり拘るということは覚えておくといいぞ。

 涼州騎馬隊の馬は特別な調練を受けていて、人間で例えれば有能な騎馬将みたいなもんなんだ。

 いくら涼州の馬でも、全部が最初からああいう動きを出来るわけじゃない。鍛え上げられた動きなんだよ。つまり涼州騎馬は手塩を掛けて育て上げられてる。

 俺たちだって育て上げた有能な騎馬将をいとも簡単に戦場で見捨てたりするのは勿体ないだろ。

 だから奴らは馬が狙われた時、これを庇ったりもする。

 このあたりは奴らの唯一の弱点とも言えるかもな。奴らの本能的な部分だ。

 奴らの考え方はまさに人馬一体だ。

 やれる隙があるならまず馬をやれ。

 卑怯だ何だとか言ってる場合じゃない。生か死だ。

 馬から叩き落とすだけでも涼州の騎馬兵の戦闘能力は大幅に下げられる。

 狙える隙があったらまず馬だ。

 馬を潰せば一対一に持ち込める」


 楽進、李典、陸遜の三人は賈詡の話をよく聞き、頷いている。


「伯言君は敵との間合いの取り方が上手い。

 今日の修練でそれがよく分かった。涼州では君の馬術は頼らせてもらおう」


「……はい、どのような任でも受けますのでよろしくお願いします」


「賈詡殿、先程基本涼州騎馬隊は三人一組で行動すると仰ってましたが、一人目が先陣、二人目が挟撃、三人目の役割は?」


 土の上にガリガリと賈詡が短刀で絵を描く。


 一人目が先を行き、

 二人目が敵の背後をつく。


 三人目を少し遠くに描いて、そこから大きく矢印を対象へと伸ばした。


 彼は四人を見回すと、ニッ、と笑った。



「遠距離で一撃必殺。」



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