第 11章「過去の夕闇と、記憶の聖域」

深い夕闇が忍び寄る時間帯――黄昏の空が赤紫に染まる頃、三者は再び暗い旅路へと歩を進めていた。

 行き先は、“記憶を聖として祀る”という、伝説の聖域。そこで語られるのは、忘れられた過去を神格化した意思である。


     * * *


 辿り着いたのは、海と山に挟まれた古い谷間だった。

 その奥深く、断崖に彫られた巨大な聖堂──“記憶の聖域”は、夕闇のなかで異様に光を帯びていた。


 外界からの光は届かず、谷間に残るのは炎の照明と蝋燭の光のみ。

 古びた壁には、人々が過去の罪と歓びを刻んだレリーフが並ぶ。


 大地の声に導かれたかのように、三者は無言のままその場へと進み出た。


     * * *


 まず視界に飛び込んだのは、過去の契約者たちの像立だった。

 風、海、地の三つの立像が、晩鐘の音とともに灯りに浮かび上がる。


 像の顔はそれぞれ異なり、しかし――どこか魂の深淵を映していた。


 ガルドが手を伸ばすと、像の目元に黒曜石のような涙が浮かんだ。

 それは地が紀元を超えて流してきた“悲しみ”を象徴しているかのようだった。


     * * *


 一行は聖壇に向かって歩みを進めた。

 そこには、古文書と蝋燭台、そして古色蒼然とした礼拝席があった。


 シェリアが静かに息を吸う。

 「この場所は、人が“記憶を祈る心”こそが、神聖なのだと示している……」


 リヴィスが頷く。

 「ここに祀られた過去の意思は、人類への裁定だけでなく、“許し”の可能性も含んでいるようだ」


 ガルドは礼拝席の最奥に座り込み、手に持った古文書を開いた。


 そこには詩のような記述があった。


『我らは忘却の砂に覆われし民よ。

だが魂の記憶に灯がある限り、

記憶は聖となり、迷える者を導く。

過去に涙を流すことは罪ではない。

それこそが、未来を縛らぬ唯一の解放。』


 その言葉を見た瞬間、三者の胸に深い共鳴が起きた。


 海のリヴィスは静かに呟いた。

 「海もまた、記憶を抱えていたのだ。忘却だけでは、許しには至らない」


 風のシェリアも目を潤ませて言う。

 「風が運ぶのは、未来の予兆だけではなく、過去の嘆きも……」


 ガルドは文書を閉じて言った。

 「地も、“痛みによって癒える”という真実を記憶していた」


     * * *


 そのとき、不意に静寂が割れた。

 蝋燭の炎が一斉に揺れ動き、壁に飾られたレリーフが淡く光を帯びる。


 影絵のように浮かび上がったのは――

 過去の契約者たちが大地に誓いを立てる儀式の瞬間だった。


 「これは、一度目の再契約の儀かもしれない」

 リヴィスが囁いた。


 その絵に宿る動きの中で、風・海・地の意思がひとつに重なる。


 ――過去の契約者たちは、自然と人類の相互理解と許しを欲したのだ。


     * * *


 三者は影絵の中に融け込むような感覚を覚え、無意識のうちに声を揃えた。


 「我らもまた、その祈りに応えよう」


 それは言葉というより、魂のさざめきに近かった。


 聖域の光が収まり、谷間に再び夜の闇が戻る。


     * * *


 谷間を抜ける風が、ささやくように響いた。


 ――「記憶を祈る者に、未来は開かれる」


 誰かの声ではなく、この場に込められた意思そのものが語りかけるようだった。


 三者は、ゆっくりと立ち上がった。

 決意が胸に灯った。


 過去を祈る――それが、自然と人類の再共鳴の礎となる。

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