51. 狂犬の妹
「その方から、今すぐ離れてください」
セシルが低く冷静に告げる。
――来ちゃダメだ。このままじゃ、セシルまで巻き込んでしまう。
そう伝えたいのに、声が出ない。
「なんだ? 姉ちゃん。こいつのお友達か?」
「よく見たら、めっちゃ可愛いですぜ。この野郎、ルーティちゃんだけじゃなくこんな子まで……」
「もう一度言います。離れてください」
「そんな怖い顔してないでさ、俺たちと一緒に遊ぼうぜ。気持ちよくしてやるからさあ――」
取り巻きのひとりがセシルの肩に手を伸ばしたその瞬間。
「あがっ!」
セシルの掌底が顎を正確に捉える。
取り巻きは意識を失い、崩れるように倒れた。
「な、何しやがる!」
「こいつ、セシルじゃねえか!? ヴァンガードの……確か、ヴァイルの妹だぞ。手出したらやべえ」
「あの“狂犬”の妹!? でもヴァイルの野郎、3年前から行方不明って話だろ?」
「それが、最近見つかったって噂もあるらしいぜ」
「ビビッてんじゃねえよ!」
ネルドが取り巻きに向かって怒鳴る。
「ヴァンガードでもギアが使えなきゃ、ただの女だ。そこで押さえつけてろ。後でゆっくり楽しむからよ」
ネルドの言葉に従い、男たちがじりじりと迫る。
逃げろ。セシル、逃げてくれ!
そう願ったのも束の間だった。
次の瞬間、空気が裂けたような音がして、取り巻きの二人が宙を舞う。
地面に叩きつけられた男たちは虫のように呻き声を上げ、そのまま動かなくなった。
「なっ……馬鹿な……!」
予想外の結末にネルドの顔が引きつる。
「離れてください」
セシルの静かな声。
だが、その一言に有無を言わせぬ力があった。
「……ちっ」
舌打ちをひとつ。
ネルドは悔しげに俺から手を離した。
「ソウタさん、大丈夫!? すぐに治療を……」
「ありがとう。でも、今は大丈夫。それより、伝えなきゃいけないことがある」
俺たちがその場を離れようとしたとき、背後からネルドの声が飛んだ。
「覚えとけよ。今度会ったら、ただじゃおかねぇからな」
セシルが振り返り、氷のような視線を向ける。
「じゃあ、“今度”が無いようにしておかないとですね」
「ぐっ……」
ネルドが一歩退く。
おっとりしているようで、実はセシルが一番怖ろしいかもしれない――そう思った。
「そんなことが……。マリアちゃん……」
俺はセシルに、ルーティのこと、マリアとの確執、そして聖堂で“リゼもマリアも存在しなかった”ことにされていた件をすべて話した。
「人の記憶を書き換えるマギアって、存在するのか?」
「あるにはあります。ストレス緩和とか、トラウマ治療用の医療ギアなら。でも、聖堂にいる全員の記憶を改ざんできるような規模のものは……ありえません。そんなの、まず認可が下りませんし」
「ってことは、やっぱり違法に作られたもの、って線が濃厚か」
頭の中に、ひとりの顔が浮かんだ。
――クロスタ博士。
マギア技術の天才にして、カイムの協力者。
「ありがとうございます。すごく大事な情報です。対策なしで挑んだら、全員の記憶を消されて終わるかもしれないから」
「もとはといえば、俺のせいでこうなったのかもしれない……。でも、少しは役に立てたならよかったよ」
セシルと話すうちに、胸の奥のざらつきが少しずつ消えていく。
冷静になって、今できることを考えよう――そう思えた。
「セシル、ひとつ頼みがあるんだけど」
「はい。なんですか?」
「エミリアの連絡先、知ってるよな? マリアの妹の……教えてもらえないかな」
「知ってますけど、どうして?」
「はっ、まさか……マリアちゃんもルーティさんもダメそうだから、今度はエミリアちゃんに乗り換え――」
「なんでそうなるんだよ!」
セシルの中での俺の評価、どうなってんだ……。
「ルーティのことを聞きたいんだ。エミリアなら知ってるはず。あの反応を見る限り、リゼやマリアのことを忘れていた感じじゃなかった。多分、彼女がフィオナの協力者だと思う」
「なるほど。そういうことなら……」
セシルのデバイスからエミリアの連絡先を受け取り、すぐに呼び出す。
頼む、出てくれ……。
『……はい。え? えっと……ソウタさん、ですか?』
「エミリア! 久しぶり。急にごめん」
『お久しぶりです。でも、どうして私の連絡先を? それに、お姉様は?』
「連絡先はセシルに聞いた。悪いとは思うけど、緊急なんだ。マリアのことも関係してる」
『セシルさん……! 懐かしい。でも、お姉様が関係してるって、どういう――』
「実は――」
俺は一気に、今起きていることを説明した。
『……最悪ですね』
「だよな。ほんとに……ごめん。マリアを傷つけた」
『もし私がその場にいたら、間違いなくソウタさんを平手打ちしてました』
痛いほど真っ直ぐな言葉に、何も返せなかった。
『よりによって、ルーティさんですか……』
「ルーティのこと、教えてくれないか?」
『そうですね……。あの人は、お姉様のことを酷く嫌っていました。最初は、周りを巻き込んで物を隠したり、陰口を言ったり。その程度だったんです。でも、次第に……』
『事件のことを、聞かれたんですよね?』
「ああ。『熱心なファンに襲われた』って……」
エミリアが小さく息を吐く音が聞こえた。
慎重に言葉を選んでいるのが伝わってくる。
『誤解されているかもしれないので、最初にお伝えしておきますね。事件は未遂に終わっています』
「そ、そうなのか!?」
『はい。おそらくルーティさんのことですから……最悪の想像をさせるような言い方をされたんじゃないですか?』
「まさにそれだ。完全に、そう思い込んでた」
『やっぱり。お姉様にとって、ソウタさんにそう思われたかもしれないことが、きっと何よりショックだったと思います』
正直、胸をなでおろした。
けれど、未遂だったとしてもマリアが深く傷ついたことに変わりはない。
『ルーティさんは、お姉様の熱心なファンのひとりをそそのかして、倉庫でふたりきりになるよう仕向けました。そして……事件は起きたんです』
『お姉様はなんとか逃げおおせ、犯人は逮捕されました。その過程でルーティさんの関与も明るみに出て、彼女は謹慎処分を受けました』
『その間に、私とお姉様はローセルへ異動した……というわけです』
「そうだったのか……。そんな相手に、俺はうつつを抜かしていたなんて」
『見た目は可愛いですからね。ソウタさんが惑わされるのも、仕方ないのかもしれませんが。……それでも、最悪です』
「……ぐうの音も出ないよ」
自分でも情けないと思う。
どれだけ後悔したところで、取り返しのつかないこともある。
『それで、今起きているという問題なんですが』
「……ああ」
気を取り直し、エミリアの次の言葉を待つ。
『記憶操作の犯人は、ルーティさんではないと思います』
「……えっ?」
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