39. 祝祭の夜

 安堵と共に、全身の力が抜けていく。

 自分ではだいぶ強くなったつもりでいたけど……まだまだだな。

 索敵もすり抜けられた。

 油断せず、もっと鍛えないと。


 ……って、ルミナ! 助けなきゃ。



 セシルが繭を切り裂くと、中からルミナがずるりと転がり出てきた。


「うへぇ~……でろでろだよ~……」


 どうやら無事らしい。

 ただ、粘液まみれでベトベトだ。

 ……しばらく距離を取っておこう。


「ルミナ」


 リゼが心配そうに駆け寄る。


「繭の中、どんなだった……?」


 えっ。今それ聞く!?


「えーとね、ぬるぬるで気持ち悪かった。けど……ちょっとあったかかった!」


 ……その情報、2度と役に立つことはないだろう。



 その時――足元で何かがきらりと光った。


 拾い上げると、それは赤い宝石が埋め込まれたペンダントのようなものだった。

 おそらく、さっきの魔物から出てきたのだろう。


 

「……もう大丈夫だよな」


 索敵をすり抜けられたのが気がかりだった。

 自動的に攻撃を相殺する――そんな特性を持った魔物だったからだろう。

 けれど、まだ他にも潜んでいるかもしれないという不安は消えない。


「あれだけの魔物……おそらく、この一帯の主だったはずです。もう大丈夫だと思います」


 セシルの言葉に少し安堵しつつも、胸のざわめきは残る。

 ――けど、やるしかない。



 あらためて記憶装置に手をかざした。

 力が抜けていく感覚。

 けれど装置は淡く光るだけだった。


 まだだ。まだ足りない。

 限界突破オーバークロック――ありったけのマナを!


 光が広がり、視界が暗転する。

 人影以外はすべて消え、女神と初めて会話したときと同じ、あの不思議な空間に変わった。




「女神様……女神様……」


 呼ぶ声とともに、世界が色づきはじめる。

 そこに現れたのは――1人の少女。


 フィオナ。

 だが、俺たちの知る彼女より、少し幼い。


「お誕生日、おめでとうございます」


 視界いっぱいに広がる満面の笑み。

 俺の知る冷ややかな彼女からは想像もできない、無邪気な表情だった。


「今日はもう上がっていいですよ」


 声に振り返ったフィオナの視線の先には、細身で落ち着いた雰囲気の女性が立っていた。


「よろしいのですか、イリス様!?」

「もちろん。お祭り、楽しみにしていたでしょう? 行ってきなさい」

「ありがとうございます! さっそく準備しないと……!」


 ぱたぱたと駆け出していく小さな背中。

 その後ろ姿を見送る女性――イリスの表情は、柔らかく穏やかだった。


 足音が消えた後、彼女の瞳がこちらを捉える。


「……連絡が途絶えてから、1週間が経ちました。こちらの様子は……ご覧になれていますか? あの子の――フィオナの声は、届いていますか?」


「――女神様……」

 



 背景がふっと切り替わる。

 そこは見覚えのない場所――だけど、直感でわかった。

 転移ステーションだ。

 洗練されたデザイン、行き交う人々の賑わい。

 これが滅亡前の都市の姿なのか。


「いやー、今日は楽させてもらったぜ。さすがはヴァンガードの若手エースだな!」

「こんな日に“外”の調査とか、やってらんねえもんな。ほんと助かったぜ」


 男たちの笑い声が耳に入る。

 ヴァンガード――そう口にする彼らの中に、見知った顔を見つける。


 ――カイムだ。


「いえ、僕はまだまだです。先輩方の力添えがあってこそですよ」

「よく言うぜ!」


 先輩らしい男が、豪快にカイムの背を叩いた。


「隊長もお前に期待してんだ。頼んだぜ」

「ありがとうございます」


 丁寧に礼を返すカイム。

 笑みを浮かべるその顔は、俺の知る彼よりもずっと柔らかい。

 肩の力を抜いた、年相応の青年の表情だった。


「さて、一仕事終えたし、一杯行くか」

「すみません、今日は――」


「おーい! 兄ちゃーん!」


 弾む声が会話を遮る。

 カイムに向かって手を振る少年が駆け寄ってきた。

 その隣には小さな少女、そして――フィオナの姿も。


「おっと、先約ありか。まあ、今日はそういう日だもんな」

「俺たちは俺たちで楽しんでくるさ。じゃあな、カイム! しっかりサービスしてやれよ!」


 笑い混じりの言葉を残し、先輩たちは人混みに消えていった。


「お帰り、兄ちゃん!」


 少年が勢いよくカイムに飛びついた。


「ただいま、エリオ」


 その隣で、フィオナの手をぎゅっと握ったまま、恥ずかしそうに立っている小さな少女。


「リリも、おいで」


 カイムはしゃがみこみ、優しく手を差し伸べる。


「……おかえり」


 おずおずと答えたリリを、カイムはエリオと一緒に抱きしめた。


「ありがとう、フィオナ。ふたりを連れてきてくれて」

「お安い御用ですの」


 フィオナが、少し照れくさそうに微笑む。

 カイムの視線がじっと彼女をとらえる。


「……ど、どうされました?」

「いや、今日のフィオナは、いつもと少し雰囲気が違うなって」

「あ……そ、それは、イリス様が早く上がっていいって……今日は聖女にとっても大事な日だから」

「そう。……とても、似合ってる」


 穏やかなカイムの言葉に、フィオナは顔を真っ赤にして俯いた。

 

(……俺たちは、一体何を見せられているんだ)


「さあ、今日は生誕祭――女神様の誕生日だ。思いきり楽しもう」


 カイムに促され、4人は賑やかな人混みへと歩き出した。



 太陽が沈み、薄暗くなった街に灯りがともる。

 その光景はまるでクリスマスの夜のようだった。

 ――女神は、俺たちの世界でいうキリストのような存在なのかもしれない。


 カイムたちは、幻想的な街並みをゆっくりと歩いていた。


「ねえ兄ちゃん、今日は何匹魔物をやっつけたの?」


 無邪気に問いかけるエリオ。


「うーん、覚えてないな」

「カイム様はヴァンガードのエースですから、百匹は余裕でいってますわ!」


「百匹!? すげー!」

「そんなにいってないと思うけど……。それに、本当にすごいのはフィオナだよ。15歳で一人前の聖女なんだから」


「そ、そんな! わたくしなんて、まだまだ……」

 

「わたし、大きくなったら、フィオナお姉ちゃんみたいな聖女さんになりたい」


 リリのつぶやきに、フィオナの顔がぱっと明るくなる。


「なれますわ! だってリリはとても優しく寄り添ってくれるし、もう十分“聖女らしい”ですもの」

「ほんと? ……じゃあ、がんばる」

「リリと一緒に働ける日、楽しみにしてますわ」


 そんなやり取りを、エリオがうらやましそうに眺めていた。


「いいな~。じゃあ俺は、兄ちゃんと同じヴァンガードになろっかな!」

「危ないから、よく考えた方がいいよ」

「えー、フィオナお姉ちゃんみたいに応援してよ!」

「本当に危険だからね」


 カイムは苦笑しながらも、その表情は幸せに満ちていた。



 どん――と大きな音が弾ける。

 ――花火だ。


 夜空に、色とりどりの光の花が咲いては消える。


「きれい……」


 子どもたちが見とれて声を漏らす。


「来年も、こうしてみんなで見たいね」


 カイムの言葉に、フィオナが微笑んでうなずいた。


「はい……こうして花火を見られるのも、女神様のおかげですわ」

「そうだね」


 しばしの沈黙。

 それぞれの胸に、思い思いの感情を抱いているようだった。



 ――それは突然だった。


 街の明かりが、一斉に消える。


 夜の闇が押し寄せ、人々のざわめきが広がっていく。

 かろうじて月明かりだけが、人や建物の輪郭を浮かび上がらせていた。


 数秒後――鈍い衝撃音が響き、地面が震える。


 振動の中心は聖堂。

 その上階を、漆黒の球体が覆っていた。


 球体が消えた時、そこにあったはずの建物は――跡形もなく消え失せていた。

 空間ごと切り取られたように。


 ただ、ひとつの影だけが残されていた。


「やあやあ、皆さん。はじめまして」


 夜の闇に、低く、愉悦に満ちた男の声が響き渡る。


「今から、ここにいる全員を殺す。……さあ、本気で抗え。俺を楽しませろ!」

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