29. 反撃――そして黒い渦の先へ

「届いたよ……これ以上ないくらい、最高のタイミングでな」

『よかったー! あ、使い方は……リゼっちに代わるね!』


『颯太……生きてる?』

「なんとか。……もう少しで死ぬところだったけどな」

『よかった……。ギアの使い方はシンプル。願うこと、イメージすること――そして、マナを込める。それだけ』

『それだけで、颯太はきっと、誰にも負けない』

「……ふわっとしてるけど、ありがと。助かったよ。――今ちょっと取り込み中だから、また後でな」


 通信を切り、再びカイムと向き合う。


「治れ」と強くイメージしながらギアにマナを流すと、肩と足の傷が嘘のように塞がっていく。

 マリアの凍てついた手にも、瞬く間に温かい血の気が戻った。


「……なんなんだ、そのギアは。明らかに異質だ。術式の構造が……おかしい……」


 カイムの表情に、明確な動揺、そして――恐怖が浮かんでいた。


「ああ、これは特別製だからな。この世界の天才と、異世界の知識の結晶さ」

「異世界……だって?」

「あれ、言ってなかったか? 俺、異世界から来たんだ」

「――!」


 カイムの目が、これまでのどの場面よりも大きく見開かれる。


「そうか……そういうことだったのか。ようやく全てが繋がったよ」


「君だけじゃない。あの少女――彼女もそうだね? やはり、君たちには一緒に来てもらう必要がありそうだ」

「だから、なんだよ」


 ギアに力を込め、静かに息を吐く。


「……こっちはお前たちと一緒に行く気はない。だから――ここで、終わらせる」


 再び、周囲の空間を無数の氷の棘が埋め尽くす。

 だが、不思議と不安はなかった。


 「溶けろ」と、ただそれだけをイメージする。

 手をかざしてマナを込めると、氷の棘は一斉に霧散し、蒸気と化して消えた。


 ほぼ同時に、空気の流れに違和感を覚える。

 高速で迫る真空の刃の存在を、“感覚”が教えてくれた。


「……来るな」


 反射的に気流の渦を生み出し、見えない刃をかき消す。


「今のは、初めて見せたはずなんだけど?」


 カイムが、隠していた手札をあっさり破られ、忌々しげに言う。


「……悪いけど、もう驚かない」

「参ったよ……お手上げだ」


 カイムは両手を挙げ、肩をすくめる。


「初めて会ったときから、ただ者じゃないとは思っていたけど……ここまでとはね」

「なら、“門”を閉じろ」


 掌をカイムに向け、静かに告げる。


「その前に――1つだけ、教えてくれないか?」


 その声は、からかうような響きのない、真剣なものだった。


「君が女神に会いたいのは、“元の世界に帰るため”かい?」


 突然の問いに、眉をひそめる。

 

 ――何を企んでいる?

 

 警戒しながらも、俺は正直に答えた。


「ああ。あの世界はクソみたいな場所だけど……大切なものを置いてきたんでな」


 それを聞くと、カイムは静かに目を細め、笑みを浮かべた。


「……そうか。僕の目的と、ほとんど同じだよ」

「けど――残念なことに」


 口調が冷たく変わる。


「女神に、その願いを叶える力はない」


 ――そんなはずはない。


「……その女神が、『帰りたければ来い』って言ったんだ。なのに、叶えられないなんておかしいだろ」


 女神が嘘をついているとは思えない。

 だが、カイムは静かに首を振った。


「君を連れてきたのは、本当に“女神”かい? ――違うはずだ」


 鋭い視線が、俺の心を見透かすように射抜く。


「僕の予想が正しければ、――あの子だろう?」


 図星だった。

 けど、認めるわけにはいかない。

 リゼを危険に晒すわけには。


 俺が黙り込むと、カイムは確信したように薄く笑った。


「やはり、ね。反応が何よりの答えだ。……おそらくその子も、女神の干渉に阻まれて、君を帰せずにいるはずだ」


 それは――あり得る話だった。


「けれど、女神さえいなくなれば、その制約も消える。つまり――君は“帰れる”」


 カイムは、俺に向かって手を差し出す。


「だからこそ、あらためて言うよ。僕たちと共に、女神を打倒しよう」


 迷いは――なかった。


「……何度言われても、答えは同じだ。俺は、行かない」

「そうかい。残念だね」


 言葉とは裏腹に、カイムの口元には薄い笑みが浮かんでいた。

 まるで――すべてが、想定通りだったかのように。


「クラリス、聞こえるかい? プランを変更する。――建物ごと、頼むよ」

『……はあ。やっぱりそうなるのね。無茶苦茶言うわ』


 通信が終わると同時に、ふわりとした浮遊感に全身が包まれた。

 地面がなくなるような、奇妙な感覚。


 ――まずい。

 何が起こってるのかは分からない。けれど、とにかく“あの奥の部屋”だ――!


 思考よりも先に、体が走り出していた。


「おっと、行かせないよ」


 カイムが正面に立ちふさがる。

 俺は躊躇なくギアに力を込め、拳を振り抜いた。


「どいてろッ!」


 黒い腕の防御ごと、その体を吹き飛ばす。

 壁に叩きつけられたカイムに、フィオナが悲鳴を上げて駆け寄った。


 ――構っている暇はない。


 そのまま奥の扉に飛び込み、中の様子を窺う。


 そこにいたのは、面を被った小柄な人物。

 ――あの試験会場で、ヴァイルとともに現れた奴だ。


「また君か……」


 静かな声でそう言いながら、面を外す。

 茶色い髪を後ろでまとめた、俺と同年代くらいの女性だった。


「クラリス=クロスタよ」


 彼女が――あのクロスタ博士……!

 

「今から、この建物ごと、女神の元へ転移する」

「――はあ!? 何言って――」


 その言葉を最後に、空間がぐにゃりと歪み始めた。

 黒いもやが渦を巻き、視界を侵食してくる。


 やがて、世界は完全に黒に飲まれ――

 何も、見えなくなった。

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