第47話
翌建安六年一月。
相変わらず昌豨の抵抗は激しい。
文遠と子賁は騎兵を率いて散発的に攻撃を加えたが、埋伏のうまい昌豨もかなり粘る。
「落とし穴は厄介すぎる」
馬の機動力を殺す落とし穴を多用されてしまい、完全に膠着状態になってしまった。また昌豨もかなり粘る。
妙才はかなりイラついているが、子賁は別な見方をしていた。
一日文遠の麾下が集まる一室。
それなりの広さの室だが、部屋はいくつか火鉢をたき、窓を薄く開けてある。
人も多くかなり暖かかった。
「落ち着いているな」
文遠に声を掛けられ、子賁はうなずく。
「昌豨がなぜここまで頑張れるか、って考えるとね。面白い」
そこで大朴刀を手入れしている貌利が口を開いた。貌利も攻め手にすでに複数回加わっている。なかなかの活躍ぶりだ。
何か感じることがあったらしい。
「何度か攻めたが、意外に昌豨に心服しているものが多い。俺に向かってくる奴らも恐怖はあっても引かねぇ。必死だ。あいつら利害だけじゃねぇぞ」
雑兵にとって長身巨躯で異相の貌利に立ち向かうのは恐怖であろう。それでも立ち向かうのはなんらかの行動原理がある、ということだ。
それに子賁はうなずく。
「昌豨は恐らく侠客の集団の頭のようなものだろう。地元の心服もあるからここまで粘れる。逆に言えば昌豨の首だけ狙うといつまでたっても勝負が決まらない」
それに立がいう。
「確かにそうかもしれませんが、交戦しないと許方面に戦線が下がっていくことになります」
文遠がうなずいた。
「当然だ。昌豨との戦場は東海内で収めないとならない」
「となると…戦場の外でも工作をした方がいいことになるか」
子賁が腕組みをして天井を見た。
「戦場の外で、ですか」
巵が問い返すのに、子賁がうなずく。
「昌豨に心服しているというのは昌豨にも人を懐かせるものがあるということだろう。そういう昌豨を殺したくない民意というのは確かにある。さらに言えば曹公の支配がどのようなものかがわかっていないというのも一因じゃないか」
「ああ、そう言われてみるとそうですね」
「人の上に立つ人間からすると、下の人間が嫌がっているのに降伏はできない。逆に下の人間は降伏した後の扱いが分からないから上に降伏を勧められない。昌豨も結構つらい立場かもしれないね」
この状況を覆すとなると、広報活動と政治になってくる。
ここにきてから1月。
幸い糧食に困ることはない。
ただし攻め潰せないとなると、どこかで降伏はさせないとならない。
「まぁもう数か月は揉める必要はあるか」
揉める、というより揉んでみる、という感じである。曹軍は補給路を確保できているが、昌豨側からすれば持久戦に限界があるはずである。
今交渉して講和したとして、昌豨はすぐに反抗するだろう。そして民意も望んでいない以上勝ったところで片手落ちだ。民意まで味方につけるには時間がいる。戦線維持は時間稼ぎも意味した。
「今しばらくはここで足止め」
ただし別方向からできることをしていくという思考になる。
「柳を借りるか」
そういって子賁は筆を執った。柳は楊家にいる。そして丹香も今許の楊家にいた。用があるのは柳だが、そろそろ丹香にも次の方針を示さないとなるまい。一緒に来てもらうつもりである。
それににやりと笑って文遠がいう。
「巵と魚を貸そう」
子賁の考えを読んだのだろう。文遠をちらりと見て、にっと笑い返しながら子賁は「ありがたいね」と返した。
二人とも人に警戒心を与えない雰囲気だ。特に魚は十七歳になるが、まだ幼さが抜けないこともあり人に可愛がられる。この点十三歳の安衛のほうが大人びているようにさえ見えた。
何事も適材適所である。
柳は泥鰌のような印象を与える男である。
口数が少なくのんびりしたような風貌だが動くときはせせこましく動くのである。
その柳は牘を受け取ってすぐに飛んできてくれた。丹香も一緒である。
「わたくしにできる事でしょうか」
戦場に引っ張り出されるのはさすがに肝が冷えるのだろう。おっかなびっくり室に入ってきて、丸座に座っても硬い表情をしていた。筒を置いたら中に潜り込むかもしれん、と子賁は思った。部屋には貌利もいるのでなおさら威圧を感じたのだろう。
その気配を感じたのか、貌利が横を向いて頭を搔いた。
楽にしてくれ、といいながら子賁は茶を出す。
「戦場ゆえに何も歓待できない」
「お気を遣わず」
「単刀直入に言おう。やってほしい事はな、商売だ」
「は」
あっけらかんとした子賁の言葉に、柳がぽかんとした顔になる。こうするとますます泥鰌だ。
「今楊家で余っているものはあるか。庶民向けに売るものでだ。比較的長持ちする食べ物のほうがいい」
「…麦は曹公に全部お買い上げいただいているので…野菜でしょうか。蕪は今年豊作なのでかなり余っています」
「干してあるかな」
「一部は塩につけてあります」
この時代漬物は既に存在していたが、惜しむらくは製造方法を明記した資料はない。が、かなり時代が下がって6世紀の書物『斉民要術』には、小松菜・蕪・高菜の塩蔵を含む多くの漬物のレシピが残されている。このころでも長期保存の必要な食品は多かったであろうから、原始的な塩蔵程度の調理法は確立していたであろう。
「なるほどな。麦より蕪のほうがいいだろう。…ではその中から特に大きいいいものを抜き出し、東海内で行商してもらいたい」
「…どういうことでしょう」
それに対して子賁は答えた。
「普通に行商してもらえばいい。どこで作ったものかと聞かれたら素直に答えてくれ。そして麦も肉もほかの物はすべて曹公の土地では当たり前にいきわたり食べられていると答えてほしい。塩蔵も工夫したものを売ってもらうとよいだろう」
「?」
柳はしばらく首をかしげていたが、「要は東海の庶民に曹公の支配も悪くないと知ってほしいのよ」という子賁の言葉ではたと柳は自分が何をたのまれているかわかった顔になった。
胃袋から民心を掴めということである。当方の国情を知ってもらうには食べ物という選択肢は外せない。
そして蕪は主食の麦と違い野菜である。兵糧の主力にならない分、敵に渡す食料としては最適と言えた。
「わかりました。そういうことですか」
「忙しいときにすまない。だがこの手の事を警戒されずに無難にこなせる人間となると柳殿しか思い浮かばなかった」
「いえいえ、ありがとうございます。お手伝いしつつ蕪も売れる。面白い仕事ですね」
「二人手伝いをつける。双方おとなしい男だ」
「わかりました」
「必要な金や道具は遠慮なくいってくれ。準備する」
「行商なら若いころにさんざんやりました。天秤棒一つで十分ですよ」
そういって柳は下がっていった。
「さて丹香」
丹香に向き直ると、胸を張った。
「お前に聞きたいことがある。どうしたい」
その質問に丹香は眉を寄せた。
「どういう意味だ」
「そのままだ。確かにお前は身が軽い。このまま諜報をやってもいいだろう。が、お前はそれで満足かと思ってな」
それに丹香はまっすぐに子賁を見た。
「オレも騎兵になりたい」
予想していたそれに子賁は少々渋い顔になった。
「女であることを隠さないとならなくなる。つらいぞ」
「かまわない。わかっていることだ」
分かっちゃいねぇ、と子賁は内心ため息をついた。腕に自信のある子賁でさえ軍の中夜一人でいたらどんな目に合うかわからないのである。人一倍小柄な少女の丹香はましてや、であった。
軍の中ではどんなに厳しい規律を敷いてもしばしば理不尽な暴力が横行する。
それゆえに用心深いものほど油断しない。兄弟や係累で軍に入った者たちは、弱い者を護るために夜は離れないようにする場合が多い。珂、魚、邲も若く体の小さい魚を護るために夜は極力三人で行動し、昼間も残り二人は決して魚から目を離さない。
文遠も立も麾下でおとなしいものはきちんと把握しており、目配りを忘れないのを子賁も知っている。自分たちの軍がどんなに規律を守っていても、友軍から狼藉者が忍び込む可能性もありうる。
とはいえ丹香を不本意なことに従事させ続けるのも決して良いとはいえない。丹香は子賁にさえ反発するぐらいの相当な頑固者である。異国の地であることなど全く顧みず、自分のしたいことのために飛び出す可能性があった。
そろそろここらへんでこの国のやり方に沿ってたたき直す必要があるが、さて、誰に預けるか。
「お前はまず礼儀作法と馬の乗り方を学ばないといけないが…礼儀作法を教えられそうなやつが今のところ見当たらない。騎乗と剣を安衛から学べ。お前と同い年だが師と思え。まずは口調を改めろ」
丹香は複雑そうな顔をした。
それに部屋の片隅から貌利がおもむろに口を開き、叱責した。耐えかねたらしい。
「お前、自分の身の程を知れ。この城の大人は全員敵と戦っている状態だ。安衛殿も本来であれば出撃しているぐらいの実力はあるが、まだ若いからお前をつけると言っているんだ。文遠殿はもちろん子賁も俺もお前にかまけている暇はねぇ」
「なんだと」
「命がけの中で今戦力にならんお前にかまけている暇はねぇってことだ。それがわかららんうちはお前は尻の青いガキってことだよ」
それに憤然として丹香が立ち上がる。が、がっしりと頭を貌利に掴まれ「痛い!」と悲鳴を上げた。
貌利が殺気を出した。青い目が冷たく光る。
頭を掴んだまま、貌利が震える丹香に顔を近づけた。
「お前この状態で俺を倒せるか?戦場ってのぁこういうことを昼夜分かたず相手にし続けねぇと死ぬ場所だ…分かったらおとなしく言うことを聞け。聞けないならさっさと許に帰れ」
突き放すように解放され、丹香が立ちすくんだ。
それに子賁は顔色を全く変えずに言う。
「…安衛は厩にいるはずだ。顔を出して挨拶してこい」
それを聞き、とぼとぼと丹香は退室しようとした。
「退室するなら上官に礼をしろ!」
貌利に厳しく言われ、反射的に礼をしてから丹香は今度こそ下がっていった。
子賁は慰めの言葉を掛けない。
こうなった以上は丹香も麾下である。服従の姿勢が身につくまで子賁も甘い顔はできない。貌利も子賁には一見対等のように接しているが、命令となったら絶対的に服従する。他の気さくに接している麾下たちも同様だ。
命令に背くことは死に直結する。それは当人だけでなく周囲を巻き込むこともあるのだ。
足音が消えたと同時に子賁がため息をついた。
「…憎まれ役をさせてしまった」
「あいつにとっては元からだ。気にもしねぇよ」
なんてことなくいう貌利に、子賁は気持ちを換えるように軽く首を振る。
「さて、一旦今打てる手は打ったが…もうしばらくかかるか」
「明日も出撃か」
「ああ、矢を射かけて終わりになりそうだが、それでもやらにゃならん。戦闘が作業化するっていうのもなんだかなぁ」
ぼやく子賁に、貌利は先程とは打って変わった人懐こい顔で一笑した。
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