第33話

 様子をうかがわせると、やはり下邳には関雲長と劉豫州の家族が籠っていた。

 劉豫州自身は、すでに張翼徳他謹慎とともに逃亡済だった。

「とんでもない逃げ足の早さだ」

 雪の中城を見ながら少々呆れたように子賁が言うと、隣に控えていた宋明が苦笑する。

「左将軍の良いところです」

 宋明は年齢を重ねた分、様々な考え方のできる人間である。逃げるということが必ずしも悪ではない、というのがその一例だろう。

 それにまぁそれもそうか、と子賁は思い直した。死んでしまっては終わり、というのは呂奉先の末路がよく物語っている。この点劉豫州は終わりにしないために逃げる。この逃げ足の速さは亡命王子の子賁も理解できるものではあるが、家族も腹心も放り捨てるというのは理解の届かないものだった。

 それにしても。

 子賁は考え込んでいた。

 文遠の軍が布陣した後、すでに司空の本隊は到着している。力攻めができないわけでもない。が、正直子賁はそこまでやる意義を感じていなかった。

「城の中は少人数、関雲長と女子供…攻めれば司空の徳がすたる」

 はて、と首をかしげながら子賁がいう。そこにひづめの音が近づいてきた。

 文遠である。甲は脱いでいた。

「子賁、城に行くぞ」

「は?」

 町中に買い物に行くかのように気軽に言われ、子賁が面食らった。

「城って、…あれ?」

 下邳の城を指さすと真顔で「それ以外にないだろう」と言われる。

 文遠に行くぞ、と言い切られている所で反論しないのが子賁である。

 ふむ、と一考した後に「ではいこう」と言って蟾を引いてくるように宋明に恃む。

「主よ」

 さすがに宋明も不安になったらしい。止めたいという顔のままで文遠を見た。

 が、文遠は全く気にする様子がない。

「子賁、剣は預けていけ。甲も脱ぐんだ」

「うぃ」

 文遠が剣を宋明に渡すのにならい、子賁も瑤巫と甲を預ける。

「主よ!」

 叫ぶ宋明を後ろに馬を走らせる。子賁もそれに続いた。

 牡丹雪のちらつく中、白一面の雪の隙間から枯草のみしょろしょろと生える冬の野を二人は駆けた。

「公の御命令かい」

 上がったままのつり橋の前で子賁が聞くと、文遠が軽くうなずく。

「半分は。そもそもは俺が説得したいと言ってみたんだが」

 なるほど。力攻めのばかばかしさを感じていたのは文遠も同じだったらしい。

 しかし武器なしで使者か。

 下手をすれば死が待っている役目に子賁を連れてきた意味が分かり、子賁はかすかに笑う。

 死なばもろとも、という奴だ。

「曹公の使いだ。中に入れてくれ」

 文遠がそういうと、つり橋が下りてきた。城に入る。

 入ったら槍衾。まぁ警戒されるのは分かる。

「武器は無だ。雲長に合わせてくれ」

「探すまでもない。俺はここにいる」

 そういって一人の男がすすみでてきた。

 顔が赤い。そして髭が長い男だ。

 そして大男である。

 これが関雲長か。子賁は黙って観察していた。

 髭殿、というあだ名のある男と聞いたが、なるほど美髭である。

 そして背丈が高い。徐公明より大きそうだった。

「案内しよう」

 そういって建物の中に案内される。

 そして一室で文遠は雲長と差し向った。子賁は文遠の後ろで侍立する。

「久しぶりだな」

「ああ、1年ぶりだが、今度は立場が逆になった」

 子賁は聞きながらなるほど、この二人は顔見知りだったかと納得する。

「少し見ない間によみがえったな」

「そう見えるか」

「呂布のもとにいたころより今のほうが、よほど恐ろしく見える。今は貴公と戦いたくない」

 それに文遠がからりと笑う。

「その戦いたくない男から降伏を勧めに来た」

 すると、雲長がかすかにうつむいた。

「それはできぬ。…義兄を裏切ること等許されぬ」

 子賁は何とも言えない気分になった。裏切りたくないその男があんたをほっぽって逃げてったんだぞ、という気分である。一方で自分が文遠に放り出されたら同じ態度取るんだろうなぁ、という気持ちもあるので馬鹿にする気には到底なれない。

 ただし劉豫州ほど文遠は臣下に甘ったれる性格ではない。麾下を放り出していくなど考えられない男である。

 文遠が諭す。

「おぬしがここで矢玉尽きるまで戦うのはいいが、ご夫人方を見守ることはできなくなるぞ。いま下れば夫人の安全は保障すると曹公はおっしゃっておられる」

 そう言われ、雲長が唸った。

 更に文遠が続ける。

「劉豫州は袁氏に逃げたのだろう。近々袁曹の間で戦いが起きようが、袁が勝つにしても曹が勝つにしても、別れているということが必ずしも悪いことになるとも限らん」

 言外にどちらかが負けたら勝った方を頼れる、といっているのだ。曹操に歯向かった劉豫州は関羽を通して降伏は難しいかもしれないが、地位はともかく命の保証については可能性がないわけではない。当然逆に雲長が劉豫州を通じて袁紹を頼ることは可能だろう。

 子賁は呆れた。自分の主人が負けたらとはよく言ったものである。

 だが現実的に考えると、軍の大きさで言えば曹軍のほうが小さい。それが現実にならないとも限らなかった。

「勝負が決まった暁にその時の状況を見ながら、劉豫州をおたずねするのもよいのではないか」

 そういう文遠に、なるほど去りたいなら去ってよいという条件まで付けたか、と子賁は気が付いた。

「いつ去ってもよいのだな」

「ああ。約束する」

 己の首を叩きながら文遠が断言した。もし曹操が約束を破ったら首を差し出す、ということである。

 困った奴、とかすかに子賁は苦笑いをした。文遠のこういう激しい真っすぐさは子賁の好むところでもある。同時に大概付き合いのいい自分にも呆れた。

「わかった。軍を三里下げていただこう。奥方様にお許しを戴き、後に参る」

「承知した」

 そういって双方立ち上がる。そこで雲長は初めて子賁を見た。

「文遠の副将か」

「白子賁と申します」

 穏やかに拱手すると、雲長も丁寧に礼を返した。雲長の人となりが分からないうちは当然何かあれば文遠の盾になるつもりだった。それを見透かされたかもしれない。

 そして文遠を見る。

「では後程」

 外まで出てそう言うと、兵が盈と蟾を連れてきた。

「雲長様、質を取らないでよいのですか」

 兵の一人が訴えるようにいう。まぁ二人で来たのだからそういう話は出るだろうな、というのは子賁の想像の範囲内だった。

 が、その言葉は少々別なものを含んでいたらしい。

「質としてそいつを置いていけ。…降伏が成立するまで、お前と遊んでおくことにしようか」

 そういうとその男は子賁の腕を掴んだ。下卑た笑みにあ、これやばいのではないかと思いながら反射的に子賁は文遠を見た。視線が合う。

 激情に燃える目が子賁を見た後で、子賁を掴む兵の腰に行く。そこには剣が下がっている。

 ふと子賁は笑い、目を閉じた。

 次の瞬間激しい音とともにその男が消えた。一瞬後に空を仰げば人間が宙を舞っているのが目に入る。雲長が鉄拳を食らわせたのだ。

 子賁は冗談のように青空を思い切り飛んでいく人影に一瞬ぽかんとした後で、ほっと溜息をついた。

 よかったよ髭殿の始末が早くて。

 使者が暴力沙汰を起こすのは本末転倒である。

「子賁」

 文遠が子賁の腕をつかみ、己の傍に引き寄せた。

 周囲が殺気立つ。

 が、次の瞬間文遠の発する凄まじい殺気に押されたようにそれもすぐに消えた。

「無駄に命を捨てるな」

 低く唸るように文遠が言う。

 殺気に堪えられなくなったか、数名が俯くと嘔吐しだした。

 かなわないまでも素手で武器を持った雑兵10名は殺せるのが文遠である。

 その彼らとの間に、ゆるりと雲長が入り込む。

「すでに信を置いて約束したのだ。質はいらん。…将軍、お気をつけて」

 そう言って拝礼した。

 今度こそ雲長は二人を送り出したのである。


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