第12話 ニュース

 午後六時ごろ、俺の仕事は終わった。


 蝉時雨が閑静な街並みに降り注ぎ、その道を一人で歩く。ただ歩いているだけで額に汗をかいてしまうほどジメジメしている。


 向こうから二人組のサラリーマンが歩いてくる。どちらも疲弊していて浮かない顔をしている。すれ違う際に聞こえた会話は、俺にとっては好印象だった。結婚願望のある二人は彼女が欲しいと嘆いていたが、まずは仕事で結果を残さないと、と言っていた。何枚も立ちはだかる壁の向こうにある幸せは置いといて、目の前にある壁に向かって意欲的に奮起する、このような考えをする人たちで溢れてくれたらいいな、と思う。


 ぶるぶる、とスマホが震える。画面を見ると、ニュースアプリからの通知だった。




〈流渓橋37の超人気メンバー・西野奈々未、グループからの卒業を発表!〉




 それを見て思わず足が止まった。いつもなら関心なく違うニュースを見るのだが、今は惹きつけられるほどの関心がある。


 俺は道端に寄り、ニュースアプリに綴られている文章を読み始める。




『人気アイドルグループ・流渓橋37の西野奈々未が卒業を発表。十一月中旬に発売される16thシングル(タイトル未定)の活動終了をもって卒業する。なお、卒業ライブについては現在、日程を調整中。公式サイトでは西野奈々未がブログにてコメントを公表。




 突然の発表ですみません。冒頭にも書きましたように、グループからの卒業を決めました。このグループはみんな仲が良くて、話が絶えないくらい楽屋が賑やかなんです。私もついつい話をして、集合時間に遅れたりなんてことはしばしばです。そんな大好きなグループだから、断腸の思いで卒業を決めました。


 でも、私がずっとグループに居続けると、この環境に甘えてしまいそうですし、私がいると後輩が輝けない、要は巣立ちです。活動中に見つけた女優という夢に向かって羽ばたく私を、卒業した後もずっと見守っていただけると嬉しいです。


 卒業ライブの日程がまだ決まっていないので、具体的な卒業日は決まっていません。決まり次第、ファンの皆さんにはお知らせしたいと思います。あと何カ月、流渓橋37として活動できるか分かりませんが、残された大切な時間をかけがえのないものにしたいと思います。終わった頃には誰も悔いることなく、お腹いっぱい楽しんでもらえるような活動をしたいと思います。まだまだ修行中で未熟者ですが、西野奈々未をこれからもよろしくお願いします。




 グループ発足当初から、流渓橋37の顔として活動してきた西野奈々未。十八歳のとき、流渓橋37のオーディションに見事合格。その後、デビューシングル『アウト・オブ・ザ・ブルー』でセンターを務める。その後、バラエティ番組のアシスタントMCで天然な発言で注目を浴び、バラエティ番組の露出が増える。それからは、持ち前の圧倒的なスタイルや美貌、演技力を駆使して数々の有名なドラマや映画、舞台に出演。CM起用社数は女性タレントでは昨年最多の十六社を記録。それ以外にも、雑誌の表紙を飾ることや日本最大規模のモデルイベントにも出演。


 グループにとっても、絶対的エースと言える必要不可欠な存在である西野奈々未。この卒業はグループにとってどれだけのダメージとなるか、西野奈々未の後継者は現れるのか。流渓橋37の今後の動向に目が離せません』




 普段は斜め読みをして読むのだが、このニュースに関しては久しぶりに一文字ずつしっかり読んだ。終始、西野奈々未はすごい、ということが伝わる文だった。それは本人が綴ったブログも含めて。


 これに対して世間はどんな反応をしているんだろう、気になって調べてみた。




『ついに……』『悲しいよぉぉぉぉ!!』『グループ存続のキーパーソンが!』『やっぱりいなくなっちゃうよねぇ』『知名度下がるかなぁ』『辞めないでくれぇぇ!』『俺のななみんがぁぁ!』『席はいつでも空いてっからな』『取り消してくれぇぇ!』『考え直してくれぇぇ!』『見なかったことにします』『涙が止まらない……』『嘘って言ってくれよぉぉ!』




 コメントでは卒業を悲しむ声が多かった。西野奈々未が卒業発表をした影響なのか分からないが、通り過ぎる人々は流渓橋37の話をする人が多かった。それだけインフルエンサーで彼女の存在の大きさを痛感した。






 アパートに着くと、ドアの前で麻衣がしゃがんでいて、生温い夜風を浴びながら、藍色を背景にちりばめられた星屑が輝く空を眺めていた。不思議そうに見ていた俺の目を感じ取ったのか、こちらを振り返る。


「おかえりなさい」


 その言葉にどう返していいか分からなかった。なんだか照れくさくなり、頭を掻きながら、「ただいま」と言った。麻衣は少しだけ微笑むと、また星空を眺めはじめた。


 麻衣を無視して家に入ろうとも思ったが、初めて会った日以上の憂いをまとう目をしていることが心配になり、俺もドアの前に、麻衣と同じ体勢で座った。


「何してんの?」


 俺も麻衣が見てるであろう星空を眺めながら言った。


「なんか、悲しいんですよ。色んなことがたくさん起きて」


 西野奈々未のことか、と思いながら適切な言葉を考える。


 だが、とある思考が割り込んでくる。メンバーなら西野奈々未のことを事前に聞いているはずではないか、ということ。だからそれ以外のことで、麻衣の気持ちが沈むような何かが起きているのだろう。


 麻衣は浮かせていた尻を地面につけ、膝を抱くようにして、膝の間に顔を埋めた。その姿はほんの少しだけ愛おしく思えた。胸の鼓動が少し早くなる。


 とりあえず、西野奈々未の話題を出してから、他の話題を聞いてみようと思った。


「西野奈々未、卒業するもんな」


「お、情報が早いですね」


「まぁ、ニュースになってたからな」


「私も、それで知ったんですよね」


 思わず、視線を麻衣に向けた。は? という言葉も自然と漏れた。


「同じ仕事仲間じゃないのか? なんで知らされないんだ?」


 麻衣が悪いわけじゃないのに、問い詰めるように訊いてしまった。


「そんなの私に言われても……。もちろん、常連選抜メンバーは知っていたみたいですよ。奈々未センターの新曲がありますから」


「でも、そんなのおかしい――」


「いいんですよ、掛橋さん」


 思わず感情的な声を発してしまったが、麻衣が遮って止めてくれた。両膝に顔を埋めていた麻衣は、再び星空を見上げた。


「これが、芸能界なんです。きれいごとで上手くいく世界じゃないんです。私の人気の無さが招いた結末ですから」


 強がっているみたいだが、ツーッと涙がこぼれている。相当悔しいのだと思う。


 そりゃあそうだ。同じグループで働いてるはずなのに情報が繋がっていないのは、まるで仲間外れ、あるいは階級で差別をしているみたいだから。


 なんて声を掛ければいいのだろう。答えが全く分からない俺は、ただ麻衣の頭を、初めて触る犬のように恐る恐る撫でた。すると麻衣の目から、堰を切ったかのように涙が溢れだした。泣き顔を見られたくなかったのか、顔には両手が覆われる。過去の辛かったことが涙に凝縮されている、そんな風に泣いている。それを見て目頭が熱くなる感覚を覚える。視界がだんだんと滲み始めた。これから涙がこぼれるんだろう、と思っていたが何もこぼれることは無かった。だが、こんな感覚は初めてだった。


 遠くで目を光らせる野良猫は、心配そうにこちらを見ている気がした。しかし猫はすぐに姿を消した。

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