第4話 なんだよ、こいつら

 酔って介抱してもらった相手が中学の同級生で現役アイドルで隣人、これは宝くじで六億円が当選する確率より低い気がする。そんなことを考えながら来た道を引き返している。


麻衣は、歌番組に出るはずのメンバーが体調不良となり、そのメンバーの代打として急遽呼ばれたらしく、先にマネージャーが運転する車に乗って帰って行った。




 そのとき、念には念を、と麻衣が言うと、「財布を拾ってくださってありがとうございます」と演技感満載で言った。俺はその演技に合わせて、「どういたしまして」と言った。何故かダンディーな声になったのは自分でもよく分からない。


 麻衣はくすっと笑い、鼻の下に丸めた指を置いた。麻衣は、「相変わらず面白いですね」と笑いが混じった声で言った。相変わらず面白いことをしていた記憶はないが、麻衣が喜んでいるならそれでいいや、と思った。とりあえず、昨夜の失態を忘れていることを願った。






 俺は家に帰り、すぐに開きっぱなしのノートパソコンの前に座って、『流渓橋37』を検索した。今頃この名を検索する人は珍しいくらい一流アイドルグループだ。昨年末、最大規模の楽曲大賞を受賞したことすら知らない俺は、普段どうやって生きてるんだろう、と過去を振り返ってみたくもなる。


 次にオフィシャルサイトのページに行き、メンバー一覧のページに移る。まずは『橋掛麻衣』の名があることを確認する。決して疑っているわけではないが、麻衣の言葉を借りるなら、念には念を、である。


 似たような顔写真が並んでいるなか、下の方で『橋掛麻衣』の名を見つけた。実物と写真に差は生じず、個人的には飛びぬけて綺麗だった。


 誰が人気で誰が人気ないかなんてアイドルに疎い俺には全く分からない。麻衣の美貌で【じゃない方アイドル】になる理由が分からない。ただ麻衣が口にした人気メンバー『西野奈々未』のページに行ってメディア出演のスケジュールを見ると、恐ろしくハードに詰められている。バラエティやドラマ、ゲスト声優の舞台挨拶、歌番組、モデル、雑誌の取材、アシスタントMC、ラジオといったほぼ全てのメディアを網羅している。開きたくはないが、麻衣のページを開いた。真っ先に思い浮かんだ言葉は、月とすっぽんだ。レギュラー番組であるはずのバラエティには今月の出演予定はなく、歌番組もラジオもない。雑誌のグラビアとファンクラブの動画出演、ローカル放送のグループ冠番組(月に一回)が書かれていた。一見、仕事があるように見えるが、見比べると質が全然違うというのはさすがにすぐに分かる。


 これが現実か、と心がやられた。アイドルは皆、キラキラしたステージの上に立ってたくさんのファンに見守られて幸せな職業だと思っていたが、現実はそうではないみたいだ。はっきりと人気の明暗が分かれ、評価がつけられる。


 そのくせ、プライベートはかなり制限されている。空中でガラス瓶を堕とすように、粗相があればあっという間に砕け散る。二十四時間仕事をしているようなものだ。


 俺は希望を抱いて麻衣の個人名で検索した。すると、とあるネット掲示板にたどり着いた。しかしそこに書かれている文字を見て、本当に人間が書いたものなのか疑いたくなる。本当に酷い、グロいと思った。




『クールキャラなのか知らんけどかわいくない』『いけ好かねえやつ』『笑顔が自然じゃない』『平均すぎて取り柄がない』『絶対に一番になれない女』『人間味が無い、ロボットみたい』『単純にブス』『人気ないんだから早く辞めろよ』『給料泥棒だろあんなやつ』『握手会行ったけど塩すぎてむくんだ』『グループに甘えすぎ』『おっぱいデカいだけで何もなし』『ダンスも歌も演技も下手すぎ』『人気ない一期生は早く辞めろよ。卒業しても誰も気づかねえんだから』




 ――なんだよ、こいつら。




 この辺りで俺はページを閉じてシャットダウンをした。画面にホコリがたくさんついたパソコンを閉じてペットボトルに入った水を口に流し入れた。それで邪悪な言葉たちが流れればいいのだが、そんな簡単な仕組みにはなっていないらしい。


 俺なんかの不幸者はむしろ幸せなのかもしれないと、麻衣のことを調べてそう思った。


 麻衣のことを悪く言う奴らには、弟を殺した加害者と同じくらいの怒りが湧いている。ただの一般人が何を偉そうに批評しているのだろう。母親を亡くして、おそらく父親も亡くしているほど辛い人生を歩んでいるのにさらに陥れようとしている。匿名を利用して悪口を言う彼らは殺人者になりうる可能性を感じられる。でも、なんとも思わないんだろうな。


 麻衣が歌番組の代打として出るということを思い出した俺は、脱ぎ捨てられた服の下からリモコンを取り出してテレビを点けた。顔も名前も知らないバンドが、この世は俺たちで回ってる、とでも言ってそうな顔をして意気揚々と歌っている。どれくらい人気なのか計りようがないが、ドラマの主題歌を担当しているみたいだから、それなりに知名度はあって、人気者なのだろう。でも、大切な人を星と例える歌詞は、俺には全く響かない。


 熱いパフォーマンスをするバンドに目を向けず、俺は冷蔵庫に冷やしていたジュースを取り出して飲んだ。味のする液体は嫌というほど生きていることを教えてくれる。ちらっとスマートフォンでツイッターを眺めていると、絶頂の盛り上がりを保ったままバンドのパフォーマンスが終わった。そして中継が入ることなく次のパフォーマンスが始まる。


 テロップには『流渓橋37』と書いてあったため、俺はスマートフォンを伏せて置いた。運動会で我が子を探す父のように俺は麻衣を探した。だがカメラが映すのは所謂〝顔〟となるメンバーばかりである。ついさっき覚えた西野奈々未はサビに入るまで七割ほど映っていた印象だ。サビに入る少し前、麻衣の姿を確認したが、そこでは俺に見せた人間らしい笑顔をしていない。ロボットができる最大限の笑顔のような麻衣の顔が脳裏に焼き付かれる。


 サビが過ぎると、麻衣の顔を見ることは無かった。西野を筆頭に人気メンバーが次々とカメラに抜かれる。麻衣は自ら【じゃない方アイドル】と語っていたが、信じたくなくても信じざるを得ない結果が映される。


 もちろん麻衣を応援するファンはいるが、それは西野奈々未と比較するとちっぽけな数字なのかもしれない。それはツイッターで検索して分かることだ。


 だがよく分からないことがある。この人気の差はいつ生まれたのだろう。数万人の受けるオーディションから選ばれたメンバーは誰にも引けを取らない容姿端麗な姿だ。それにスタートは皆同じなはず。人気となるきっかけは何なのだろう。ツイッターを眺めながら考えるが、いままでアイドルなんて、指先にも触れなかったものを考えることはとても難しい。


 『流渓橋37』の出番が終わると、俺でも知っているシンガーソングライターの人が歌い出した。人生に行き詰って眩しい光から目を背けるような人たちを救ってくれる歌詞には何度も救われた。でもあの頃と違うのは、その歌詞を心の底から共感して、涙を流してしまったことだ。俺はもう、手遅れなのかもしれない。

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