第7話

 山田宅から車で五分とかからない自宅へ彼女を招き入れ、近所のコンビニで買い物を済ませた。

 高台の住宅地から一気に下った川沿いにあるこのアパートは、日当たりが微妙なせいか家賃の割に人気がない。

 ドアを開け、いつもどおり無言でリビングへ向かう。


「あっ」


 リビングにいた山田は俺が出ていったときと同じ場所に鎮座しており、俺の帰宅に少しだけ驚いた様子だった。

 

「わるいわるい、戻った」

「うん」


 山田は相変わらずソファではなく、その手前のカーペットに座っている。借りてきた猫のような態度に、少し調子が狂う。

 弁当をレンジで温め、コップと飲み物を用意してローテーブルに並べていく。

 途中どっちがどこに座るかで軽く揉めた結果、並んでコンビニ弁当をつつくことになった。


「美味いか?」

「……普通、ちょっと味濃い。そっちは? サンドイッチで足りる?」

「夕飯はいつも軽めなんだ。そっちこそ足りるか?」

「食べれるけど、食欲湧いてない」

「そうか……」


 山田なら食べるだろうと思って余計に買ってきたものもあるけど、失敗だったか。

 機械的にもそもそと弁当を口に運ぶ山田。会話の波は訪れない。経験上、このまま深追いしても空回りするだけだ。


「……どうしたの?」


 弁当を食べ終えた山田が小首をかしげる。


「いや……なんでもない」


 駄目になったネタを明かすのはごめんこうむりたい。


「いや、全然なんでもなくないでしょ?」

「いいって……」


 なのに山田は追及の手を止めてくれない。


「説明して」


 この圧はなんだ。姉特有のプレッシャーというヤツか。さっきまで怯えた猫みたいだった山田が瞬く間に虎に変わった。


「わかったよ。持ってくる」


 コンビニで買ったケーキを冷蔵庫から取り出し、彼女の前に差し出した。


「食べるかなって思って買ったんだけど、食欲ないんだったら……」


 弁解している途中で半開きだった山田の口元が歪み、瞳が激しく揺れた。そして、大粒の涙を流し始めた。


「あれ? あれぇ?」

「おい……?」


 ぬぐってもぬぐっても涙は止まってくれず、本人が一番戸惑っている様子だ。


「待って待って、え? なんで?」 


 狼狽えていた山田だったが、やがて唇を固く結んで両手で目元を隠してしまった。

 ポーズは大泣きしている子供そのものなのに、山田はそれを堪えてしまっている。

 その姿は痛々しく歪だ。それに、らしくない。


「えっ? ちょっと? なにすん、の……?」


 気付けば、彼女の手首を掴んでいた。困惑の表情が苦しそうに歪んだ。

 

「山田、聞いてくれ」


 その表情が動きを止めた。

 そんなこと、しなくていい。


「泣いていい。我慢なんてするな」


 泣きたいほどの理由はあるはずなんだ。それが言葉にならなかったとしても。

  

「こういうことは誰にでも、いつになっても、ある。大人になっても、な」


 山田はいやいやと首を振り抵抗するが、その力は弱い。

 なにか言い返そうと口を開き、やがてそのまま胸に頭突きをくれた。

 このままじゃかなわんとその頭を抱きしめると、彼女の体から力が抜け、熱と重みが増した。

 思いもよらず抱きしめる形になってしまったが、それから山田が子供のようにわんわんと泣き始めたので、しばらくそのままでいることになった。



◇◇◇



 泣き続ける山田を宥めようと頭を撫で始めてからしばらくして。

 嗚咽は聞こえなくなり、山田の呼吸は安定していた。

 もういいよな、と自問自答を何度か繰り返してからその身体を引き離す。


「ケーキ、食わないか?」


 さっきの言葉と落差がありすぎて苦笑してしまう。二の句が継げぬというのはこういうことをいうのだろうか。

 

「……食べる」


 本当に食べられるのか。助かるけど。

 泣き腫らした目を俺からケーキに移した山田は身体を起こすが、すぐにしなだれかかり腕を絡めてくる。手を伸ばしてフォークを取ると、水滴ができ始めたショートケーキを指し示した。


「開けて」

「いや、自分で……」

「フ・タぁ、取れない」

「…………」

「取って」


 女王様か、お前は。

 山田に絡まれたほうも使ってケースを外すのは案外難しかったが、なんとかやり遂げると山田はもりもりとケーキを食べ始めた。甘いものはイケるくちだが、それでも胸やけを起こしそうなペースで山田はショートケーキを消費していく。

 こちらの視線気が付いた山田が上目づかいで応える。


「翔くんも欲しい?」


 なんで丸々お前のものになってんだよ。

 確かに山田を元気付けるために買った。そういう意味ではお前のもんだよ。けど、これじゃあんまりだろ。


「……一切れ寄越せ」


 不満が滲む応答に山田が鼻でわらって応えた。元気が出てなによりだ。

 

「あーん」

「…………」


 適当に切り分けたケーキにフォークをぶっ刺し、それをこちらへ突きつける。

 なんか、雑じゃないか? お前の食事風景が優雅なこと、俺は知ってるぞ? 下肢かしするなら相応に振舞えよ。


「あーん……」


 不承不承ふしょうぶしょうながら開いた口に押し付けられたケーキのクリームは緩んでいて、やたらしっとりしたスポンジがまた甘い。

  

「甘い?」

「……甘い」


 そう答えることを知っていたように、今度は赤いイチゴが差し出される。


「全部は、ダメ」

「はいよ」


 ちゃっかりヘタ側を突き出されたことには知らん顔で飾りのイチゴに噛り付く。甘いイチゴだったろうに、酸味ばかりが目立つ。

 彼女は次にガトーショコラのケースをフォークで示した。


「次はコッチ、だな」

「うん♪」


 なんてことだよ。

 俺たちは教師と生徒だ。それを忘れたことはない。

 強者は悪で、弱者が正義の世の中だ。

 それでも公正で真っ当な立場に立つ者がいるなら、わかるだろう。

 どう見たって、山田が強者で、俺が弱者だ。

 どっちもどっちでそれぞれ罪深いんだろうけど。



◇◇◇



「明日、誕生日なんだ」


 ガトーショコラを口にした山田がぽつりと漏らした。


「十八歳?」

「そう。成人。大人」


 祝われるべきことのはずだが、誰も盛り上がらない。

 面白くなさそうにぼやく山田がケーキを俺に寄こす。カカオの苦味こそ感じられるが、やっぱり甘い。


「お父さんお母さんに特別チヤホヤして欲しい訳じゃないよ。友達も受験で忙しいし。でもさ……」


 深いため息に続けて山田は独白する。


「誰からも『おめでとう』をもらえないのは違くない?」


 十八歳で成人になる感覚は、経験のない俺にはわからない。

 その意味を考えたこともない。気づけばそこは通り過ぎてきた気がする。


「ランクルの元カレ……私が怖かったのはね」

「うん」

「あいつが誕生日を覚えてたら……私はきっと付いて行っちゃう。そうなるのが、怖かったんだ」

「…………」


 言葉にすればそれだけのこと。

 それでも、目の前の山田を見ていると笑い飛ばす気にはなれない。


「夜通しゲーセンで遊ぶだけだったと思うけど」


 自嘲ぎみに笑い、山田は大きく息を吐いた。

 

「それでも私は『常識違うし、ないわー』って彼を振ったんだよ。それがたまたま誕生日に独りだからって、誘われたらホイホイ付いていく? 違うでしょ、そんなの」


 吐き捨てるような台詞に対して山田の瞳はさっきから湿ったままだ。

 推薦合格している立場も鑑みると、利口な判断だ。けど、気分が沈んだ高校生ならそういう誘いに乗っても不思議じゃない。

 いや、男基準で考え過ぎか。

 そう思った途端、すぐそばの山田の存在を意識してしまう。細い黒髪は電灯の光でエナメルのようにピカピカしている。


「ん~?」


 俺の動揺に勘づいたのか、山田がこちらに振り向く。その目は驚きに見開かれたかと思うと、笑った。


「もしかして、妬いてる?」

「どうして、そうなる……?」


 ニヤリと口元に笑みを浮かべて山田が立ち上がる。こちらを見下ろす彼女は背丈も相まってその姿はなかなかの壮観だ。

 思わずこちらも立ち上がったタイミングで山田が一歩引く。


「寂しそうな目、してたから」

「……俺が?」

「うん」


 踏み出しかけた脚を理性で抑える。いままで通り踊らされては駄目だ。


「だとして、妬いてるなんて……その自信はどこから湧き上がってくるんだ?」

「よく言われるけど正直そうでもないんだなぁ、コレが?」

 

 憎まれ口を叩くが、山田は乗せられることなくステップでも踏むように後退してくるりと背を向けた。


「案外……こうやっても、追いかけてくれる人ってあんまりいないんだよ?」


 そう言いながら振り向く彼女の瞳こそ寂しげで。


「魅力が、私にないだけかな?」


 山田はよろめき、そこから独りくるりと回ってみせる。

 相対した山田が俯きがちのまま両腕をこちらに広げた。

 誘い煽る台詞とは裏腹な黒髪越しのまっすぐな目に、半歩詰め寄る。

 押しのけるように、近づけるように。

 すると彼女の身体が傾ぐ。

 押し返すように、近づくように。

 解釈の余地は淡く塗り潰されていく。

 やがて触れ合うふたりを阻むはずだった俺の手は山田の腰を抱きとめていた。


「「…………」」


 目前の榛色に一筆喜びが描き添えられる。 

 寒空に渡り鳥を見つけた、と思った。

 次の瞬間気が付いてしまう。

 この鳥はやって来たんじゃない。去ってゆくんだ。

 息を呑む一拍より速く、その羽根が首筋をくすぐった。



◇◇◇



「はぁーー♪」


 二人を結ぶ糸でも切れたかのように、山田が大の字になってベッドに転がった。

 胸の早鐘に追いつけない呼吸音が響くなか、彼女は柔らかな笑みを浮かべる。


「大変、満足でしたぁ~」


 汗ばんだ素肌が眩しいが、このままじゃ寒い。

 そう思って寝具に手をかけるが、それを山田が制した。


「翔くんは? 満足、した?」


 ほんのりと甘い確認。くん付けがしっくり来たらしい俺の呼称。それで釣り合うのが少し可笑しい。仕方ない。山田は案外大人で、俺はまだまだガキってことだ。知ってたけど、分かってなかった。


「ああ、若さに圧倒されか……っ、悪かった。いまのは、失言だ」


 軽口を返そうとしたら無防備のわき腹をつねられた。

 距離が近づくことでわかること、わかってしまうことがある。


「よろしい。素直になりたまえ♪」


 じゃれ合いは楽しいが、誤魔化しは嫌い。山田はそういう奴だ。


「案外、優しくて……安心感があって……満足、したよ」

「包容力、結構あるだろ~?」

「そーだな」


 率直な感想を告げ、こつんと額と合わせる。


「ふふっ♪ ふふふ♪ 翔くんはいい男だね」

 

 こちらの胸もぽかぽかさせるような音を鳴らすと山田が身体を起こした。


「私さ、一度寝ちゃうと朝まで起きないんだよね。翔くんも満足なら、シャワー浴びて寝ちゃおう?」

「なら、先にどうぞ。風呂場はあっち。新しいタオル探しとく」

「ええ~? いいよ~、一緒にチャチャッと入っちゃおうよ」

「おっけ」


 あっという間に日常モードに戻る山田。少しだけ近くなった距離と滑らかにそれを詰める動作もまるで俺たちが元々幼馴染だったかのように錯覚してしまう。

 それからシャワーで汗を流した俺たちは会話も早々に熟睡するのだった。

 翌朝。

 気合いで山田よりも早起きして、起き抜けの彼女に『誕生日おめでとう』を伝えた俺は案外いい男なのかもしれない。

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