「短編」真田幸村、高校生になる。〜俺と武将と、守るべきマドンナの物語〜
ビビりちゃん
第1話 プロローグ:平凡な日常に現れた異質な影
関ヶ原、慶長五年九月十五日。
天地を揺るがすような轟音と、血肉が飛び散る生々しい音が混じり合う中、真田 源次郎 幸村は、もはや満身創痍の体で立っていた。全身を切り刻まれ、鎧は血で赤黒く染まっている。口からはごぼりと血が溢れ、視界は霞んでいた。
「くっ……これほどとは……」
目の前には、黒田、福島、加藤といった、東軍の猛将たちが幾重にも重なり、立ちはだかる。数刻前まで、この地は西軍の勢いと鬨の声に満ちていたはずだ。だが、小早川秀秋の裏切りにより、戦況は一瞬にして逆転した。味方の兵は次々と討ち取られ、今や幸村の周りには、わずかな手勢しか残されていない。
「真田幸村、覚悟!」
一人の武将が、大音声と共に槍を突き出してくる。幸村は、朦朧とする意識の中で、その槍を辛うじて避けた。だが、体が思うように動かない。膝が笑い、視界がぐらりと揺れる。
(もはや、これまでか……)
脳裏に浮かぶのは、故郷、信濃の山々。父、昌幸の厳しくも優しい顔。そして、妻子の顔。
「まだ、だ……!」
幸村は、残された最後の力を振り絞り、刀を構えた。武士として、この場で散るならば、せめて一矢報いてみせる。
「うおおおおおおおっ!」
最後の絶叫と共に、幸村は敵陣へと突っ込んでいった。振り下ろされた刀が、一人の兵士の鎧を切り裂き、血飛沫が上がる。だが、その背後から、無数の槍が突き出された。
「ぐっ……!」
何本もの槍が、幸村の体を貫く。激痛が全身を駆け巡り、幸村の体はゆっくりと、地面に崩れ落ちた。
視界が、暗転していく。意識が、遠のいていく。
(無念……)
その言葉を最後に、真田幸村は、関ヶ原の地で、静かに息を引き取った。
東京都世田谷区、ごく普通の住宅街の一角に建つ二階建ての一軒家。その自室で、佐藤 悠真は大きくため息をついた。
「はぁ、また今日から学校か……」
梅雨も明け、本格的な夏が始まったばかりの、ジリジリと肌を焼くような陽射しが部屋に差し込む。悠真は、都立桜ヶ丘高校に通う二年生。成績は中の上、運動神経は中の下。身長は平均よりやや低く、顔も「ごく普通」という形容詞がぴったりくる。特技は強いて言えば、ちょっとばかり物事を深く考えること、くらいだろうか。しかしそれも、ただ優柔不断なだけだと自覚している。
彼の日常は、あまりにも平穏で、刺激がない。けれど、それが悠真にとっては心地よかった。波風立てずに、ごく普通に、このまま卒業していくのだろうと、そう信じて疑わなかった。
その日、悠真はいつものように、通学路の公園を通り抜けていた。公園の奥まった場所で、数人の男子生徒が一人を囲んでいるのが見えた。彼らは桜ヶ丘高校の生徒ではない。大柄な体格に、いかにも粗暴な雰囲気をまとっている。
囲まれているのは、見るからに頼りなさそうな、小柄な男子生徒だった。カツアゲだろうか。悠真の脳裏に、そんな単語が浮かんだ。足がすくむ。関わりたくない。面倒ごとには巻き込まれたくない。悠真の心が警鐘を鳴らす。
「おい、てめぇ、さっさと金出せよ!」
一人が男子生徒の胸ぐらを掴み、凄みをきかせた。男子生徒は怯えきった顔で、ただ首を横に振るばかりだ。
悠真は、その場を立ち去ろうとした。見て見ぬふりをする。それが、これまで悠真が平和に生きてきた術だった。けれど、足が動かない。助けたい、と心のどこかで叫んでいる自分がいた。しかし、同時に「無理だ」「どうすることもできない」という諦めも渦巻いている。
その時だった。
悠真の頭の中に、まるで雷が落ちたかのような衝撃が走った。耳鳴りがする。視界が歪む。そして、聞こえてきたのだ。
『ふん、小童どもが。たかが数人、この程度で怯むとは、情けない!』
低い、しかし響き渡るような声。それは、悠真自身の声ではない。深く、そしてどこか古めかしい響きを持つ、男の声だった。
悠真は混乱した。何が起こっているのか理解できない。頭を抱え、その場にうずくまる。
『何をしておる、愚か者め。助けたいと願うのであれば、足掻け! 動け!』
声は、悠真の意識の奥底から響いてくる。まるで、もう一人の自分がそこにいるかのようだ。
「だ、誰だ……?」
悠真は震える声で呟いた。しかし、その声は誰にも届かない。
その瞬間、悠真の体から、それまで感じたことのない力が漲るのを感じた。目の前の光景が、まるでスローモーションのように見える。いじめっ子たちの動きが、男子生徒の怯えた表情が、はっきりと捉えられる。
そして、悠真は、衝動的に走り出していた。
「やめろ!」
自分でも驚くほど、芯のある声が出た。いじめっ子たちが、一斉に悠真の方を振り向く。
「あぁ? なんだ、お前?」
体格のいい一人が、悠真を睨みつけた。悠真は一瞬怯む。足がすくむ。しかし、先ほどの声が、悠真の心に再び響き渡る。
『怯むな! この程度の輩に、臆するでないわ!』
悠真の体が、自然と前に出る。そして、次の瞬間、悠真は自分でも信じられない行動に出ていた。
一人のいじめっ子に、思い切りタックルをかましたのだ。
「ぐっ!?」
不意を突かれたいじめっ子は、体勢を崩し、尻もちをつく。悠真はそのまま、怯えている男子生徒の手を取り、走り出した。
「おい、待て!」
いじめっ子たちの怒鳴り声が背後から聞こえる。しかし、悠真の足は止まらない。どこからこんな力が出ているのか、自分でも分からない。ただ、この場から逃げなければという一心だった。
公園を抜け、大通りに出たところで、悠真は足を止めた。振り返ると、いじめっ子たちの姿はもう見えない。隣にいた男子生徒も、息を切らしている。
「大丈夫か?」
悠真は思わず声をかけた。男子生徒は、震える声で「はい……ありがとうございます……」と答えた。
「もうあいつらには関わるなよ。何かあったら、大人に相談するんだ」
柄にもなく、悠真はそんなことを口にしていた。男子生徒はこくりと頷き、そして深々と頭を下げて、走り去っていった。
一人残された悠真は、公園のベンチに座り込んだ。心臓がバクバクと鳴っている。あの行動は、本当に自分がしたのか? まるで、誰かに体を操られていたかのようだ。
『ふむ、なかなかやるではないか。我の助言がなければ、尻込みしていただろうがな』
再び、あの声が悠真の頭に響いた。
「お前は、一体誰なんだ!?」
悠真は思わず叫んだ。周りの通行人が、奇異な目で悠真を見ている。
『我は、織田 信長じゃ! ……と言いたいところだが、残念ながら我は信長ではない。我は真田 源次郎 幸村**。関ヶ原の戦にて、西軍につきし者よ』**
信じられない言葉が、悠真の脳裏に直接語りかけられる。真田幸村? 戦国時代の武将が、なぜ自分の頭の中に?
悠真は混乱の極みにあった。これは夢か? それとも、幻覚でも見ているのか?
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 真田幸村って、あの戦国時代の武将の!?」
『うむ。まさか、二百年以上の時を経て、このような世に目覚めるとはな。しかも、よりにもよってそなたのような、腑抜けの若造の体とは……』
幸村と名乗る声は、明らかに呆れたような口調だった。悠真は、その言葉にカチンときた。
「腑抜けとはなんだよ! いきなり人の頭の中に現れて、失礼だろう!」
『失礼? この我に向かって、そのような口を叩くか。この体は今、我とそなた、二つの魂が宿っておる。いわば、我々の共有の器よ。己の体に、かの勇猛な武将が宿っていることを光栄に思え!』
幸村の声は、どこか高圧的だった。悠真は、自分の体が、文字通り二重人格になってしまったことを理解した。しかも、相手は戦国時代の武将。考え方も、価値観も、全く違うだろう。
悠真の平穏な日常は、この日から、完全に終わりを告げたのだった。
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