23話 ゴブリン討伐
木立の隙間から、微かに空が覗いた。
前方――木々がまばらになり、かすかに開けた地形が広がっている。地面に積もる落ち葉の量、風の通り方、音の反響。さっきまでと、何かが違う。
……たぶん、あそこだ。
知識じゃない。ただ、森と繋がるような感覚の中で、体が告げている。湿った土の匂い、緊張した空気の重さ、踏み締める足元の感触。それが確信に近い直感を与えていた。
そして、その確信と一緒に、ぞわりと背筋を撫でる違和感。
俺は静かに片手を挙げ、後ろのふたりに合図を送る。
「ちょっと偵察してくる。……ここで待ってて」
マリネさんが息を呑み、わずかに表情を強ばらせたが、黙って頷く。グルメマンも目を細め、黙然と木陰へ身を隠した。
俺は小さく息を吸い、スキル――【ハイド】を展開。
ひやりとした風が皮膚の下を通り抜けていくような感覚。空気の層が変わる。まるで、存在そのものが「風景の一部」になったようだった。葉の揺らぎ、枝のしなりに合わせて、ゆっくりと一歩ずつ進む。
森の音に同化するように、足音を消す。気配を沈める。
一歩、また一歩。
低木の陰に身を滑り込ませると、視界の先に広がる伐採跡地が現れた。
そこは不自然な静けさに包まれていた。大木の切り株が点在し、地面は抉れ、むき出しになった岩肌が夕陽に鈍く光っている。その裏に――
……いた。
子ども位の大きさで、俺の腰より少し高い程度の背。醜く歪んだ顔は見るに絶えない程で、頭部からはくすんだ灰色の角を生やしている。間違い、ゴブリンだ。
四体のゴブリンが、散らばるように配置されている。細い腕に粗末な武器を携え、落ち着きなく周囲を見回していた。
そして、そのさらに奥。半ば崩れた倒木の上に、ひときわ大きな影がどっしりと腰を下ろしている。
ゴブリンとは明らかに違う。
体格だけじゃない。息づかいの重さ。周囲へとにじみ出る、獣のような殺気――。
見られているわけでもないのに、ぞっと肌が粟立った。
俺は音もなく身を引き、ふたりの元へと戻る。
「……ゴブリンが四体。あと、ひときわ大きな個体が一体」
そう言いながら、枝を使って地面に簡単な図を描く。切り株、岩、敵の配置。それを囲むように指で線を引き、最後に、大きな影の場所を示した。
グルメマンの顔がわずかに強張り、唇の端が歪む。
「恐らく……ホブゴブリンだな」
「ホブ……?」
マリネさんの疑問に、グルメマンは低い声で続けた。
「ゴブリンの突然変異。体格も力も段違いだが、何より厄介なのは――知性があるってことだ。群れのリーダーになるのも珍しくない。今回も、周囲を見張らせているあたり、その線が濃厚だろう」
グルメマンは一呼吸置いて、重い口を開いた。
「……やつは、前回のラージペロゴンと同じCランクだ」
取り巻きのゴブリンに加えてCランクのモンスター。前回よりも厳しい戦いになるだろう。
森の匂いが、微かに変わった気がした。濃い土の香りの奥に、乾いた血のような、刺すような臭い。
空気が、確実に変わったのを感じた。
唇を引き結びながら、俺は静かに息を吐いた。
「……やることは変わらない。ただ、倒すだけだ」
不安や恐怖がなかったわけじゃない。むしろ、背筋を走る悪寒が、その存在感の強さを物語っていた。
けれど、やるべきことは決まっている。
俺はふたりを見渡して言った。
「作戦はこうだ。俺たちは周囲を囲むように回り込んで、まずはマリネさんの魔法でゴブリンたちを拘束する。その隙にグルメマンが仕留める」
マリネさんが、こくりと頷く。すでに詠唱の準備を始めているようだ。
「ただし……ホブゴブリンには、たぶん拘束魔法は効かない。あいつが動いたら、俺が正面から引きつける。その間に、グルメマンが対応してくれ」
「了解した。時間をかければ、こちらが不利になる。速攻で仕留めよう」
作戦の確認を終えると、三人は静かに動き出した。落ち葉を踏まぬよう、風の流れに紛れるように、伐採跡地を囲うように位置を取る。
やがて、マリネさんの囁くような詠唱が、森の空気に溶けた。
「――【ウィンドバインド】」
空気が一瞬、震えた。
次の瞬間、草葉を揺らしながら無数の風の鎖が地面から吹き上がり、ゴブリンたちの手足を絡め取った。叫ぶ間もなく、四体のゴブリンはその場に拘束される。
直後、俺とグルメマンが動いた。
俺は真っ直ぐにホブゴブリンへと躍りかかる。反応は速い。獣のような唸り声をあげ、地響きのような足音で突進してくる。
「こっちだ、化け物!」
狙い通り、やつの注意は俺に向いた。ホブゴブリンは、まるで土の中に潜む巨大な何かが一瞬で姿を表したかのような気迫をもって迫り来る。思わず足がすくみそうになるが、俺はなんとか一歩を踏み出した。
そしてその隙を縫うように――
「【ミザン式武刀術・コルレット】……!」
風を切る音とともに、グルメマンが飛び出す。刃が走り、拘束されたままのゴブリン二体が一閃の下に両断された。
残る二体がもがき声を上げるより早く、横薙ぎの一撃がその命を奪う。
森に、血と金属の匂いが広がった。
* * *
ホブゴブリンの猛攻をかわしながら、俺は荒くなる呼吸を抑えきれずにいた。肺が焼けるように熱い。視界の端が赤く染まり、頭に血が上るのを感じていた。
心が、急いている。
だが、そんなとき――
「マーシュさん、氷魔法いきます!」
マリネさんの声が、まるで水を浴びせるように、俺の思考を引き戻した。
「……っ!」
咄嗟に身を翻し、距離を取る。直後、眼前の地面が悲鳴のような音を立てて盛り上がった。
鋭く、長く、身の丈ほどもある氷の槍が、咲くように突き出される――【フロストスパイク】。
しかし。
ホブゴブリンは、それを読んでいたかのように滑るような動きで横へ飛び、迫り来る氷を易々と躱す。
そのまま、マリネさんのいる方へと走り出した。
「――!」
考えるより早く、俺の身体が動いた。
ホブゴブリンの太い足に飛びつき、その勢いのまま転がるように倒れ込む。
「がっ……!」
地面に叩きつけられた背に衝撃が走る。すぐに、凄まじい怒声とともに蹴りが降ってきた。
一発。二発。三発……何度も、顔を。
鉄のような踵が頬を抉り、鼻を砕き、視界が一気に霞んでいく。
身体が言うことをきかない。けれど、それでも、俺は離さなかった。こいつを止めなければ、マリネさんが――
そんな俺の視界の隅に、ぼやけた影が立つ。
長さの違う、二本の刀。
それを構える、グルメマンの姿が、血の膜を通して見えた。
視界の中、グルメマンが音もなく踏み込んだ。
「【ミザン式武刀術・コンカッセ】」
名乗ると同時に、二本の刀が交差するように閃いた。
鋭い切り口が、ホブゴブリンの胴を深く裂く。交差した瞬間、肉が裂け、骨が砕ける音が響いた。
刹那、盛大に血飛沫が噴き出した。
巨体がぐらりと揺れ、ゆっくりと地面に崩れ落ちる。その足にしがみついていた俺の手が、力なく、ずるりと滑って離れた。
「……よく耐えてくれた」
膝をつく俺の前に立ち、グルメマンが静かに言った。
その言葉は、思っていた以上に、深く胸に響いた。
「マーシュさん!」
駆け寄ってきたマリネさんが、すぐさま【ヒール】を詠唱する。温かな光が俺の体を包み、砕けていた視界が少しずつ、まともに戻っていった。
鼻血も止まり、腫れ上がっていた頬の痛みも引いていく。だけど、まだ終わりじゃない。
「……ありがとう。助かった。けど、まだ四体しか倒してない。クエスト達成にはあと一体倒さないと」
俺は立ち上がりながら言った。
「このまま夜になるのはまずい。今のうちに、周囲を少し探してみよう」
「暗くなる前に少しだけなら……」と、マリネさんが不安そうに頷いた。
だが――その瞬間だった。
ざわりと、背筋を撫でるような、何かの気配が走る。
「待て、何か……」
俺は即座に魔力を練り上げる。
「【サーチ】」
視界に情報が溢れ、周囲の気配に気を張り巡らせる。その直後、視界の右斜め上、樹上から――
「――マリネ!!」
空気を裂く音と共に、一本の矢がマリネさんめがけて飛んできた。
――間に合え!
「【グラップ】!!」
俺の手に、骨まで響くようなが熱い力が巡った。その瞬間、俺の手は矢を掴み取った。ぎりぎりのところで、その鋭い先端が止まる。
「上だ! 二時の方向、木の上、あと五メートル!」
反射的に叫んだ俺の声に、グルメマンはすでに動いていた。
その身が一閃するように駆け出し、森の奥に向かって消える。
数秒後、ザンッという鈍い音に続き、ゴブリンの濁った悲鳴が木霊のように響いた。
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