22話 いざ、森へ!

陽の光が中天に差し掛かり、背中に柔らかな暖かさを感じる頃、俺たちは森林地帯へと向かう一本道をゆっくりと走っていた。


 轍の浅い道を、俺が操縦する魔導荷車が快調に進んでいる。車輪の下で小石が弾けるたびに、かすかな振動が手元に伝わってくるのが、なんだか心地いい。


「ねえ、やっぱり名前がないのって、ちょっと味気なくないですか?」


 ハンドルを握る俺の隣で、マリネさんがふいに言った。揺れる青髪を軽く押さえながら、少し前を見つめている。


 名前。確かに、そう言われてみればそうだ。


「確かに、ちょっと愛着が湧きづらいな……」


「フフ。じゃあ、今のうちに付けましょうよ!」


 はしゃいだ様子でマリネさんが身を乗り出すと、後ろの荷台から、のっそりとグルメマンが顔を出した。


「おお、それは実に良い案だ! 名前というものは、物に魂を宿す第一歩だからな!」


「じゃあ、何か候補出してみましょう!」


 三人のテンションが一斉に上がった。移動中の退屈しのぎには、もってこいの遊びだった。


 最初に口を開いたのは、マリネさんだった。


「えっと……『屋台丸』!」


「丸?」俺が思わず聞き返す。


「はいっ。なんか、海を走る船みたいで可愛くないですか?」


 言われてみれば、見た目は屋台に似てるし、旅をするという意味では船と変わらない。可愛いかはともかく、妙な説得力があった。


「ならばワタシも一案。ズバリ、『スーパークッキングマスター』!」


「長い!」俺とマリネさんが同時にツッコむ。


 だが、本人は至って真剣だ。鼻を鳴らして胸を張る。


「料理の達人が乗る乗り物。これほど真っ直ぐで熱い名前が他にあるだろうか!」


 熱すぎる……。でも、ちょっと笑ってしまった。


「じゃあ俺は……うーん……『キッチンワゴン』、かな?」


「……普通!」


 今度はマリネさんが即ツッコミ。わかってる、自分でも凡庸だとは思った。


 けれど、それがかえって場を和ませたのか、車内には明るい笑い声が広がっていた。


「ううむ、こうして考えると、名前とは案外難しいものだな」


 グルメマンが、荷台の天井に手をついて、外の風を感じながら呟いた。


「昔……そう、我が旅の途中、聞いた話を思い出した」


 車内の空気が、ふっと落ち着く。


「その昔、世界中を旅しては、貧しい人々に無償で料理を振る舞い続けた“さすらいの料理人”がいたそうだ。その名を――ガストリア」


「ガストリア……」


 その響きが、風の音に混じって消えるまで、誰も言葉を発さなかった。


「その名にあやかって……『ガストラ』というのはどうだろうか」


 俺とマリネさんは、同時に顔を見合わせた。


 口には出さなかったけど、その名前には、なんとも言えない重みとロマンがあった。異国の風を感じさせる響き。食を通じて旅するという意味では、俺たちの旅にも重なる。


「……いいと思う」


「うん! かっこいいし、優しい感じもします!」


 こうして、魔導荷車改め“ガストラ”が正式に命名されたのだった。


 * * *


 街を出てからおよそ一時間後。


「そろそろ着くぞ」


 俺はスピードを緩めながら、声をかけた。


 森の影が道を侵食しはじめ、木漏れ日が舗装されていない地面に斑模様を描いている。


 大きな木々が密集し、風の通り道すら限定されるような、鬱蒼とした森林地帯。目を凝らしても奥の様子は分からず、まるで何かがこちらを伺っているような錯覚さえ覚える。


 俺たちは“ガストラ”を道の脇に停め、準備をしながら作戦の再確認をする。


 ギルドから受け取った地図を開くと、依頼対象のゴブリンが出没する可能性のある地点が赤丸で示されていた。


「赤い印は三つ。北東のくぼ地、南の岩場、それから……西の伐採跡地だ」


「ふむふむ。どれも森の中で、開けた場所が点在しているようですね」


 マリネが指で地図をなぞる。


「最初にどこを目指しますか?」


 俺は少し考えた後、口を開いた。


「昼に差し掛かるし、見晴らしの良さそうな伐採跡地から様子を見るのがいいかもしれない。森の中でも開けた場所なら、連携も取りやすいし」


 グルメマンも頷いた。


「うむ、賛成だ。ゴブリンは狡猾。森の奥で囲まれるのが一番厄介だからな」


「うん、じゃあまずは西の伐採跡地へ向かいましょう」

 マリネが声を弾ませる。


「やつらは群れで行動し、罠や陽動を多用する。注意して進まねばな」


「そうですね。視界も悪いし、足音を消せば気配すら掴みづらい。俺が先頭を歩くから、二人は少し後ろで動いて」


 マリネさんが頷き、グルメマンはじっとこちらを見つめた。


「……頼りにしているぞ、マーシュ殿」


「……任せてください」


 その視線は、言葉以上にまっすぐで、強かった。たぶん、彼の目に見えるものは多くない。それでも――いや、それだからこそ、彼は俺を信じようとしているのだ。


「拘束は私が任せてください。風の魔法で縛ったり、動きを封じたりできますから!」


「それがあるだけでも、かなり助かるな。で、最後はグルメマンさんが仕留めると」


「ふふふ、私の唯一の取り柄だからな!」


 気取ったように笑うグルメマンを横目に見ながら、俺は“ガストラ”の屋根に目をやった。


 こんなにも心強い仲間と、一緒に戦えるのなら――負ける気はしない。


 ガストラを収納すると、俺たちは森へと足を踏み入れた。


 * * *


 森の入口を抜けた瞬間、ひんやりとした空気が肌を撫でた。昼間だというのに、木々の影が日差しを遮り、空気の質ががらりと変わったのがわかる。


 鼻の奥をくすぐるのは、湿った大地と若葉の混じった濃い匂い。街の空気とは明らかに違う、自然の呼吸そのものだった。


 鳥の鳴き声がどこからともなく響き、枝を踏んだ獣のものらしい音が、パキパキと耳の奥に届く。見渡す限りの木々の間に、差し込む光はわずか。地面には苔がびっしりと生え、長く放置された切り株には白いキノコが顔を出していた。


「すごいですね……入ったばかりなのに、空気が全然違います」


 マリネさんが、息を飲むように言った。後ろからついてくるその声は、ほんの少し浮き立って聞こえる。


「うん、俺もそう思う。たぶん、木の密度が違うんだ」


 返事をしながら、俺は立ち止まり、意識を集中させた。


 森に入ってからの油断は禁物だ。俺はスキル――【サーチ】を発動する。周囲の気配が、かすかな光と振動になって頭に流れ込んでくる。


 ……鳥。リス。何かの小動物。

 動きのある気配を一つずつ確認しながら、慎重に歩を進める。


 目指すのは、以前伐採が行われていたという跡地だ。どうやら頻繁にモンスターの襲撃を受けるようになってから、十年以上も放置されているらしい。


 地形的に開けた場所なら、ゴブリンが巣にしやすいだろうと踏んでいる。


「このまま真っすぐ進めば、しばらくで森の開けた場所に出られると思う」


 そう言うと、マリネさんとグルメマンも無言で頷いた。


 足元の落ち葉を踏みしめる音と、遠くから聞こえる鳥の声が重なる。森の深部へと、俺たちは静かに進んでいった。

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