第2話
人の王国・バラストリア。
石造りの王城から望む地平の果てに、“あの森”はある。
ザリス王は、今日もその方向に視線を向けていた。
風のように流れる銀の髪。
氷を削り出したような理知と威厳の瞳。
口元に一切の情愛も笑みも宿さぬ、美の極致。
「──エルフの女王、エリザベス」
名を呼ぶたび、喉が焼けるような執着を感じる。
彼女に初めて“出会った”のは十年前。
公使としてエルフの森を訪れた際、ただ一度、遠くから見かけた。
──一瞥。
ただそれだけで、心臓の中に“所有”という名の業火が灯った。
*
「民はどう言っている?」
ザリスの問いに、宰相が応える。
「交流を望む声は高まっております。エルフの技術、魔法体系、長命の知識、すべて我らが学ぶに値すると」
「そうか」
だが、ザリスの関心はそこにはない。
「陛下。まさかとは思いますが、また“求婚の書状”を?」
「当然だろう。外交の常套だ」
宰相は黙した。
だが内心では知っている。この王は、女王エリザベスを政治目的で見てなどいない。
――あの女を“崩したい”のだ。
「冷たく、気高く、理屈だけで生きるような顔をして……」
ザリスは王座で、手の甲を撫でながら呟く。
「いつか、あの女の口元から“笑み”を引きずり出してやる。恥をかかせ、膝をつかせ……いや、もっとだ」
「……陛下……?」
「気高さなどという鎧を、一枚一枚、剥ぎ取ってやる。女に戻したその瞬間に、ようやく“対等”になる」
*
夜。王の書斎。
ひとり静かに、エリザベスからの拒絶文を広げる。
「ふん……また、鼻で笑われたような文面だ」
その瞬間。
部屋の中の香が揺らめいた。
「……来たか」
気配を感じて振り返ると、そこには黒衣の女。
“堕落の魔女”アムネリス。
「──王よ。愛とは、征服したいという名の病よ」
「何をしに来た?」
「貴方の望み。叶えて差し上げますわ。……代償もなしに、ね」
彼女は、真紅の花束を差し出した。
その香は、甘く、媚びるようで、それでいて……何かを融かすような、鈍く重い幸福の匂い。
「これは……?」
「夢見草。吸い込んだ者は、皆、満ち足りて笑う。そして、思考も、疑問も、理性も──消える」
「……」
「エルフのように理屈で動く者ほど、堕ちるのは早いわ。なぜなら、彼らには“快楽”という概念がないから」
ザリスはしばし黙した後、笑った。
「……良いだろう。これを“市場”に流す。あくまで中立国を介してな。奴らの中から、“こちらに擦り寄る者”を自発的に作らせればいい」
「さすが。欲望の使い方を知ってらっしゃる」
「──最後にあの女が屈するとき、こう言ってやろう。『これはお前の民が選んだ結果だ』とな」
そうして、夢見草は動き出す。
花は咲き、香りは風に乗る。
エルフの森に、“甘い毒”が届くまで、あとわずか。
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