第2話

 人の王国・バラストリア。

 石造りの王城から望む地平の果てに、“あの森”はある。


 ザリス王は、今日もその方向に視線を向けていた。


 風のように流れる銀の髪。

 氷を削り出したような理知と威厳の瞳。

 口元に一切の情愛も笑みも宿さぬ、美の極致。


「──エルフの女王、エリザベス」


 名を呼ぶたび、喉が焼けるような執着を感じる。


 彼女に初めて“出会った”のは十年前。

 公使としてエルフの森を訪れた際、ただ一度、遠くから見かけた。


 ──一瞥。

 ただそれだけで、心臓の中に“所有”という名の業火が灯った。



 「民はどう言っている?」


 ザリスの問いに、宰相が応える。


「交流を望む声は高まっております。エルフの技術、魔法体系、長命の知識、すべて我らが学ぶに値すると」


「そうか」


 だが、ザリスの関心はそこにはない。


「陛下。まさかとは思いますが、また“求婚の書状”を?」


「当然だろう。外交の常套だ」


 宰相は黙した。

 だが内心では知っている。この王は、女王エリザベスを政治目的で見てなどいない。

 ――あの女を“崩したい”のだ。


「冷たく、気高く、理屈だけで生きるような顔をして……」


 ザリスは王座で、手の甲を撫でながら呟く。


「いつか、あの女の口元から“笑み”を引きずり出してやる。恥をかかせ、膝をつかせ……いや、もっとだ」


「……陛下……?」


「気高さなどという鎧を、一枚一枚、剥ぎ取ってやる。女に戻したその瞬間に、ようやく“対等”になる」



 夜。王の書斎。


 ひとり静かに、エリザベスからの拒絶文を広げる。


「ふん……また、鼻で笑われたような文面だ」


 その瞬間。

 部屋の中の香が揺らめいた。


「……来たか」


 気配を感じて振り返ると、そこには黒衣の女。

 “堕落の魔女”アムネリス。


「──王よ。愛とは、征服したいという名の病よ」


「何をしに来た?」


「貴方の望み。叶えて差し上げますわ。……代償もなしに、ね」


 彼女は、真紅の花束を差し出した。


 その香は、甘く、媚びるようで、それでいて……何かを融かすような、鈍く重い幸福の匂い。


「これは……?」


「夢見草。吸い込んだ者は、皆、満ち足りて笑う。そして、思考も、疑問も、理性も──消える」


「……」


「エルフのように理屈で動く者ほど、堕ちるのは早いわ。なぜなら、彼らには“快楽”という概念がないから」


 ザリスはしばし黙した後、笑った。


「……良いだろう。これを“市場”に流す。あくまで中立国を介してな。奴らの中から、“こちらに擦り寄る者”を自発的に作らせればいい」


「さすが。欲望の使い方を知ってらっしゃる」


「──最後にあの女が屈するとき、こう言ってやろう。『これはお前の民が選んだ結果だ』とな」


 そうして、夢見草は動き出す。

 花は咲き、香りは風に乗る。


 エルフの森に、“甘い毒”が届くまで、あとわずか。

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