エルフの女王なのに、夢見草を嗅がされ続けて人間の王に跪くまでの話

夜道に桜

第1話

 そこは“世界の外”にある森だった。


 木々は千年の時を刻み、空は晴れていても風は神秘の香を纏っている。

 獣の鳴き声さえ、どこか旋律のような、調和の音楽に聴こえる。


 ここは《フィルシア》――神の加護を受けたエルフたちの王国。

 その中心、神樹フィルアナスの根に抱かれるように、翠玉の城が佇んでいる。


 王宮エアリス・ミリア

 そこに住まう者こそ、気高き女王、エリザベス・イ・フィルシア。



「──民の数に変動なし。森の外縁部での人間の接触も報告されていない、とのことです」


 報告を終えた文官が頭を下げる。

 玉座の上、女王エリザベスはまばたきひとつせず、ただ静かにそれを聞いていた。


 その容姿はあまりに神秘的で、もはや“人の形”をしていながら“人”とは呼べぬほどの美だった。

 流れる銀の髪。月光を宿したような氷色の瞳。

 姿勢は崩さず、言葉に感情を乗せない。それでも、存在そのものに重みがある。


「よろしい。定例会議はこれで解く」


 声は静か。だが拒絶すらないのに、誰もが膝をつくような威厳を帯びていた。



 会議が終わり、エリザベスは一人、王座の間に残る。


 静かに立ち上がり、窓辺に近づく。


 森のざわめき。風が歌う。


 そして遠く、山脈の向こう――かすかに“人間の世界”の気配がある。


「……」


 わずかに瞳を細めた。


 そのとき、侍女リヴィアが入ってくる。


「女王様……。また、人間の王ザリスから、親書が届いております」


「捨てておけ」


「はっ……しかし……交渉の申し出に加え、“個人的な謁見”も含まれており……」


「聞こえなかったか? 捨てろ、と言った」


 リヴィアがひざまずく。

 それでも彼女は女王の背を見つめながら、すがるように口を開いた。


「女王様。……いつかは、人間との交流も考えるべきではと……。このままでは、世界の流れから……」


 そのとき。


「“流れ”に抗ってこそ、我らがエルフだ」


 冷たく、それでいて凛とした声が空気を張り詰めさせる。


「人間の文明は、便利さと引き換えに森を焼き、空を濁らせ、血を流すことで繁栄してきた」


「……」


「彼らの“幸福”とやらに、我らが染まる必要はない」


 エリザベスは静かに振り返る。

 その瞳には、凍てついた月のような、理知と孤高さが宿っていた。


「我が民には、我が理がある。……それを崩すような甘言は、すべて排せ」


 リヴィアは頭を垂れるしかなかった。


 女王はあまりに気高く、揺るぎない。

 だからこそ、誰もが彼女を“象徴”とし、民は誇りを持ち続けてこられたのだ。


──このとき、誰も知らなかった。


 この気高き王国を蝕む“甘い毒”が、すでに風に乗って忍び寄っていたことを。

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