【第2章 第七話「傷だらけの未来」】
凛は、外出が楽しくなっていた。
──少年がくれた杖。
これがあれば、どこにでも行ける気がした。
杖を地面に突くたび、足元の情報が手のひらに伝わる。
怖さよりも、前に進める手応えの方が大きかった。
「いってきまーす!」
自然と声も弾む。
自分の足で歩くこと。
それだけで、心が軽くなるのが分かった。
「凛様! どちらへ?」
ふみが後ろから声をかける。ふみの声には常に気遣いが混じっている。
「いつもの川だよっ! 」
「ここのところ、毎日じゃありませんか……」
ふみは呆れたような声を出しながらも、どこか嬉しそうだ。
凛のはしゃぐ姿は、見ている者を和ませる。
「よく飽きませんねぇ」
凛は、明るく
「だって、お兄ちゃんいるかもしれないから!
じゃ いってきまーす! 」
凛は、明るく答え、いそいそと外に出ていく。
杖を手にしたその背中は、ほんの少しだけ誇らしげだった。
「凛様! お気をつけて!
あまり遅くならないでくださいよ!」
心配そうな ふみの声も、凛の耳には入らない。
耳に届いているだろうけれど、期待が勝っていた。
川へと急ぐ。
いつもの道のはずなのに、
なぜか前とは違っているように感じる。
杖を頼りに歩く足取りは、自分で選んだ行動の重みがあるように感じられた。
「お兄ちゃん……いるかなぁ」
杖を握る手に無意識に力が入る。
期待と不安が混ざり合った感情が、静かに胸をつつく。
──川に近づくと、声が聞こえてきた。
低いうめき声のような笑い声が重なっている。凛はその響きに小さく身をすくめた。
それは、
数人の男の子たちの声のようだった。
凛は、少し不安になった。
足元の石の感触が、いつもより冷たく感じられる。
なるべく、声のする方から離れるように、
凛は杖で地面を探りながら河原を歩く。できるだけ目立たないように、でも早く通り過ぎたいという気持ちが混ざる。
河原で遊んでいた数人の男の子達が、
凛に気づく。
「なんだ?あいつ?」
「ほら、目の見えない姫様だってよ」
「姫様? なんだよ!目が見えないくせに、
えらそうに」
ひときわ体の大きな男の子が、皆に言う。
「ちょっと、からかってやろうぜ」
仲間の男の子達も、ニヤニヤしながら
連れ立って、凛の元に向かう。
「おいっ!」
凛は、ビクッと体が固まってしまった。
何かすごく嫌な気持ちがする。
「お前、お姫様なんだってなぁ」
凛は、怖くて何も喋れなかった。
「おいっ! 聞いてんのか!」
声が大きく強くなる。
凛の胸は、
その声に突き刺されたように感じた。
怖い……怖いよ…………
男の子達は、何も答えず、震える凛に
手が届く距離まで近づいてきた。
「ん?なんだ!?その棒?」
「ちょっと貸せよ!」
男の子の一人が、杖に手を伸ばす。
固まっていた凛は、
とっさに、杖を体の後ろに隠し叫んだ。
「ダメ! これは凛のだもん」
凛のその声に、カッとなった男の子が
仲間に向かって言う。
「生意気な! おいっ取り上げるぞ!」
「ダメーっ!」
──凛の……目…………
男の子達は凛を囲み、
一人が取り上げようと杖を握った瞬間、
「イテーッ! こ、こいつ!噛みつきやがった」
凛は、噛みついた子に蹴飛ばされ
転ばされた。
思わず、杖が手から離れる。
「あっ!」
凛は、慌てて、両手を伸ばし、
左右に動かしながら、河原の地面を探った。
── 触れない……
男の子が、杖を拾い上げた。
「お探しものは、こちらですか?
お ひめ さま!」
馬鹿にしたような言葉が言い終わると
同時に、
鈍い音が、凛の耳に響いた。
″バキッ!″
男の子は、
倒れた凛めがけて、折れた杖を投げつけた。
凛は、倒れたまま、
折れた杖をとっさに胸に抱えた。
「おい!やっちまえ!」
男の子達は、倒れた凛を囲み
何度も蹴飛ばし、踏みつけた。
凛は、杖を大事に胸に抱えて、
庇うように必死に守っていた。
── 痛い……い……たい よ
────
「遅くなっちまったじゃねぇか」
「爺さんのやつ、出がけに頼んできやがって」
頼み事をした爺さんの文句を言いながら、
少年は川への道を急いだ。
「あいつ……いるかな」
──凛様と呼ばれるのを聞いてから、凛とは呼べなかった。
川に近づくと、何だか騒がしい。
目を凝らして見ると、村の男の子達が
数人で、何かを囲み、蹴ったり、踏んづけたりしてる。
──1人は見覚えがあった。体が大きく乱暴者の……確か、村長の息子だったか。
また、犬でもいじめてるのかと、
更に目を凝らした瞬間、
少年の目に信じられない光景が目に入った。
倒れ、蹴られる、
凛の姿。
──自分のあげた杖を必死に守ってる
目も見えないのに…………
少年の体が熱くなり、
両腕にマダラ模様が浮かび上がる。
「やめろーっ!!」
少年は、叫びながら、凛の元へ駆け出した。
男の子達が、走ってくる少年に気づく。
「あん?おい マダラが来たぞ!」
「オレたちに敵うと思ってんのかよ」
「わからせてやれ!」
男の子達は、凛を蹴るのを止め、
少年に向かっていった。
少年は、
体の大きな庄屋の息子に、
殴りかかろうとするが、他の仲間に
両腕を取られ、逆に殴られてしまう。
「はっ 全然弱えーじゃねぇか。
マダラも見かけ倒しだな」
「思い知らせてやれ!」
少年は、そいつらに殴られ続けた。
倒れても、その度に無理矢理立ち上がらせて
殴られた。何度も、何度も……
目や唇は腫れ上がり、歯は折れ、
顔は血だらけだった。
「おい、もうマダラは飽きたから、
姫様げりしようぜ!」
庄屋の息子は、皆を引き連れ、
凛を囲み、また、蹴り始めた。
何度も、何度も…………
少年は、朧気な視界の中で、蹴られている凛を助けようと必死に這って行こうとするが、
痛みで、体が動かない。
口も腫れ、歯の隙間から血の泡を吹きながら、少年は、必死に叫んでいた。
「やめろぉ……やめてくれぇ…… 」
「おれをぉ…………
殴れよぉ……」
「たのむから…………
もうやめてくれぇ…………」
誰にも届かない声。
血に濡れ、泥にまみれ、かすれ、
砕けたその叫びは、ただ風に消えた。
消えゆく意識の中で、
涙だけは、止まらなかった。
そして…………
意識が遠のいていった。
──しばらくして、少年が気づくと、
男の子たちは居なくなっていた。
そばには、ぐったり倒れてる凛が見えた。
必死に這いつくばり、凛に近寄る。
「おいっ!」
声をかけるが返事はない。
「おいっ!
おいってば!」
語気を強め、体をゆすっても起きない。
「嘘だろ!
頼むから! 目を覚ましてくれよ!」
あたりを見回し、
必死に立ち上がった。
身体中が、痛みでどうにかなりそうだ。
「うぉぉっ! ……動けぇっ!」
歯を食いしばり足を動かし、川に向かう。
ボロボロの着物を脱いで、水に浸した。
急いで、凛の元へ戻り、
倒れた凛の顔に、水で浸した着物を絞る。
″バシャーッ″
「おい!
おいってば!」
頬を優しくたたくが、返事はない。
もう一度、川へ向かう。
足元がふらつき、膝が砕け、何度も倒れ、
また立ち上がる。
「神様、神様……
なんでもするから……
なんでも…………
するから……」
泣きながら着物を浸し
凛の元へ。
再び、着物を力いっぱい絞る。
「神様っ
神様、神様、神様…………
かみさまぁぁーっ!」
必死に、
祈り続けた。
必死に、
……叫び続けた。
──その時
「ゲホッ……ゲホッ」
「気づいたか! おいっ!おい!目を覚ませ!」
「おに……い……ちゃん」
少年は、溢れ出る涙を拭うこともなく
凛を力いっぱい抱きしめた。
「お……に……いちゃん
……痛……いよ」
「あっ……ご、ごめんっ」
そして、少年は小さく呟いた。
「守ってやれなくて……ごめんな」
「ううん……助けてくれたよ」
首を振り、弱々しい笑顔で凛が答えた。
少年は、涙がとまらなかった。
悔しくて、悔しくて、悔しくて……
爪が食い込み、血がにじむほど、
拳を、強く握りしめた。
ガツッ!ガツッ!ガガッ!…………
河原の石を殴り続ける。
拳の皮膚が裂け、指が折れても、
爪が剥がれても……
まだだ……
まだ足りない…………
血だらけの拳を
狂ったように叩き続けた。
「おにいちゃん……
……泣いてるの?
……どこか痛い?」
──そんな体で……おれの心配かよ。
もっと泣きそうなのを、必死に堪えた。
左手で凛の頭をなでた。
「お兄ちゃんは…………大丈夫だよ」
少年は、空を見上げ、涙を拭った。
凛の顔を見る。
「もう二度と……
二度と…………泣かせはしないからな」
唇を噛みしめ、呟いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます