第2話『エンジンブロー』
第2話:タービンブローと禁断の移植
あの夜の興奮は、ほんの一瞬の夢だったのかもしれない。
タービンを組んだトレノは、まるで別物だった。ストレートでは、かつて俺を嘲笑ったターボ車をやすやすと引き離す。コーナーでは、スライドコントロールの難しさに悪戦苦闘しながらも、以前より格段に速く立ち上がることができた。しかし、その速さの代償は、想像以上に大きかった。
「おい、ケンジ、お前のトレノ、なんか変だぜ?」
いつものコンビニの駐車場。タカシが、俺のトレノのボンネットを覗き込みながら怪訝な顔をしている。先週から、アイドリングが不安定で、時折、変な咳き込みをするようになっていた。
「いや、まあ、ちょっとセッティング出し直そうと思って」
嘘をついた。本当は、タービンから時折聞こえる異音に、内心怯えていたのだ。あの、吸気と排気が混ざり合う金属的な「ヒュルヒュル」という音とは違う、もっと重く、嫌な響き。
そして、その時は突然訪れた。
いつもの峠道。カーブを抜けてストレートに入り、タービンが本領を発揮し始めたところで、突然、エンジンから「バキッ!」という轟音と共に、白煙が噴き出した。そして、一瞬にして全ての力が抜けた。
「……うそだろ?」
ニュートラルに入れ、エンジンをかけようとするが、セルモーターが空回りするだけ。もう、ダメだ。あの高価なタービンが、俺の無知と過信のせいで、一瞬で鉄屑と化した。
「……もう、使えねーよ」
ガレージ・ヤマモトに積載車で運ばれたトレノは、まるで瀕死の獣のようだった。ボンネットを開けると、タービンの残骸が、無惨な姿を晒している。
「……は?五十万だぜ?この、バカ!」
オヤジさんに怒鳴りつけたが、オヤジさんは肩をすくめるだけだ。
「だから言ったろ?この型には、あのタービンはちと荷が重い。無理させたのは、お前だ」
金もないのに、無理なチューニングをした俺のせいだ。いや、そもそも、このAE86という車体自体が、現代のパワーに耐えうる設計ではないのかもしれない。
絶望に打ちひしがれる俺の前に、タカシがニヤニヤしながら現れた。
「ケンジ、落ち込むなよ。いい方法があるぜ」
「いい方法?もう、金もねーし、エンジンもブローしたんだぞ?」
「いや、そこは解決できる。お前、SR20って知ってるか?」
SR20。シルビアや180SXでお馴染みの、あのパワフルなエンジン。
「SR20を、ハチロクに積むんだよ!」
その言葉に、俺は言葉を失った。AE86にSR20。それは、当時のチューニング界では、かなりの禁断の領域だった。FR車でありながら、ハチロクのオリジナルの4A-Gとは全く異なる設計のエンジン。それを、あの狭いエンジンルームに押し込むという、無謀な挑戦。
「無茶だろ……。そんなこと、できるのか?」
「できるさ。俺の親父も、昔、友達がやってたって言ってたぞ。加工は大変らしいが、可能だって。しかも、SR20なら、低回転からトルクがあって、ハチロクがまるで別物になるらしいぜ!」
タカシの目は、キラキラと輝いている。彼もまた、この状況を楽しんでいるかのようだ。
「でも、そんな大掛かりな作業、金が……」
「そこは、俺も手伝うよ。親父にも相談してみる。それに、お前だって、バイト頑張ればなんとかなるだろ?それに、このAE86、せっかくここまでやったんだ。このまま終わらせるのは、もったいないだろ?」
タカシの言葉に、俺の心に再び火が灯った。そうだ。このトレノを、俺は諦められない。タービンブローという大きな挫折を経験した今、俺はもっと根本的な、そして大胆な方法に手を出すべきなのかもしれない。
「……SR20、か。確かに、それは面白そうだ」
俺は、タカシの提案に、かすかな希望を見出していた。それは、かつてないほど困難な道。だが、このまま終わるわけにはいかない。
「よし、やる。SR20、ハチロクに積むぞ!」
俺の決断に、タカシが力強く頷いた。
「それでこそ、ケンジだ!」
夜の街の片隅で、俺たちの新たな挑戦が、静かに、しかし確実に始まろうとしていた。AE86と、SR20。二つの伝説的なコンポーネントが、禁断の結合を果たす時、何が起こるのか。それは、誰にも分からない。
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