第11話:「どこにも平和はない」

夜風が、アケミの静かな歩みに寄り添っていた。

街は穏やかで、街灯がちらちらと瞬く中、アケミは――数時間ぶりに――一人きりだった。


「これ、手に負えなくなってきたな…」と呟く。


ポケットに手を入れ、セーターの襟を少しだけ上げながら、思考モードに入る。


(最初は、あの手紙の女の子だった。次にミウ――Tシャツ一枚で俺の純潔を崩そうとした。もし彼女が簡単に住所を知ったなら…他のみんなだってできるんじゃないか? これは単なる始まりに過ぎないのかもしれない)


立ち止まって、頭を振った。


(誰かが順番に……朝は誰かが朝食を持ってくる。昼は誰かがシャワーに来る。夜は誰かが下僕のようにベッドの下で待機していたりして…)


深呼吸。


「午後の間は家に帰らないようにするしかないな。せめて、これが冷めるまでは──」


そして翌日。

授業が終わると、アケミはまっすぐ公園へ向かった。


広々とした芝生と木々。ベンチがいくつかあり、石畳の道。落ち葉の香りがどこからともなく漂う。

誘惑も匂いもない、ただの平和を求めて。


孤独なベンチに体を沈めた。


「これが──平和だ」


目を閉じ、深く呼吸する。


一分。

二分。


「ワン!」


目を開けたアケミ。

目の前には、ふわふわの白い犬が、友好的な目で、尻尾をプロペラのように振っていた。


「こんにちは…野良犬の癒し王?」


犬は近づいてきて、手をペロリとなめた。


そのとき――


「モチ!どこ行ってたの? 早く戻ってきてって言ったでしょ!」


声が。あの声だ。

アケミはゆっくりと振り返る──まるでサスペンス映画の主人公が犯人と対面するときのように。


そこにいたのは、桐生院アリサだった。


優雅な足取りで歩き、締まった黒いトレーニングパンツに白いバナナ猿Tシャツ。

高めに結んだ金髪のポニーテール。

そしてマジックにかかったような、驚きと愉悦を含んだハニー色の瞳。


アケミはベンチの背に沈み込むように身を隠した――存在抹消を願うように。


(息を止めれば、気付かれないかも。森の精霊とでも思ってもらおう。あるいは動かないゴミか、どちらでも構わない)


「アケミ」

アリサがベンチの前で立ち止まり、軽く声をかけた。

「私から隠れてるの?」


犬、モチが彼女の膝に飛び乗る。


アケミは犬を見て呟いた。


「……裏切り者…」


「どうしてここに一人でいるの?」とアリサが尋ねる。


「瞑想してたんだ。人生について。過剰な誘惑で死なない方法について」


アリサは淡く微笑んだ。


「過剰な誘惑…ミウの?」


アケミはちらりと彼女を見た。


「知ってたのか?」


「噂の速さは凄いわ、アケミ。クラブの中では秘密なんて一つもない。ゼロよ」


「これは…戦略的ストーカー行為だ」


アリサはくすりと笑い、自然に隣に腰を下ろした。


「不思議ね。あの夜を過ごした後で、あなただけがここに一人来るなんて」


「一人じゃない。俺にはこの犬と、絶望感がある」


モチが吠える。


「これからどうするつもり?」とアリサが問う。

「クラブの子がどんどん近づいてきて、あなたが一番狙われる存在になるかもしれないわ」


アケミは息を吐いた。


「それが怖いんだ。俺をゲームにされるのも、自分が誰よりも落としやすい対象になるのも嫌だ…“助けて”って叫ばせるより、誰が一番俺を壊せるか試すようなゲームは…嫌だ」


アリサは一瞬、真剣な顔で少し視線を落とした。


「もし本当に、誰かが“ゲーム”を望んでいなかったら…?」


アケミは彼女を見つめた。


「それって…あなたのこと?」


アリサはすぐには答えず、モチが足元で寝そべるのを見つめていた。


「クラブの全員が金と称号を求めてるわけじゃないの。いるのは…ただ囚われてるだけの人」


「称号…そして、あなたは?」


アリサはじっとアケミを見た。

その瞳は、同時に見抜きと安心を与えるようだった。


「私はクラブに入る前からこうだった。ただ、行動する理由が欲しかっただけ」


「そして今は…?」


「今は──あなたが私の理由よ」


沈黙が訪れる。


アケミは言葉を探したが、どんな名言風のセリフも、陳腐な言い訳に聞こえた。


そのときアリサが立ち上がる。


「簡単に諦めないあなたを知れて嬉しい」


<アケミは眉をひそめた。>


「それって…褒め言葉?」


「それより、警告」


アリサは振り返り、モチが吠えて彼女の後を追った。


そしてアケミが「もう終わった」と思った瞬間、

アリサが振り返って、振り向きざまに言った。


「また会いましょう、アケミくん。でも次は―隠れないで。犬は嗅覚がいいし、私は記憶力もね」


そして去っていった。


アケミはその場に座り続けた。

再び、一人。


「…別の国に引っ越すしかないな」

重い声で、ようやく呟いた。

「あるいは Wi‑Fiも美女もペットもない寺院…」


するとモチが疾走して戻り、彼に飛び乗って座った。


「──裏切り者、二度目だ。ミウよりも悪質だな」

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