第2話 鬼 前編


 爆発音がしてから間もなく、機関車は駅に停車した。リリィを連れてプラットホームに出ると、俺は列車から離れる。



「クザト、どうしたらいいんですか…?」

「…今、考えている所だが。」



 怯えた眼差しで、リリィは俺を見上げた。……命を狙われる身というのは、随分と気の毒なものだ。


 俺は列車を振り返って見る。



 車両の幾つか から炎と黒煙が昇り、悲鳴や呻き声が聞こえてくる。だが、ここにいる人間は、他人よりも自分の安全を気にする奴しかいない。


 救助しようなんて誰も思わない。何と言っても、ここにいるのは無法地帯の住人ばかりなのだ。幸運にも自分に危害が及ばなかった者達は、早々にその場を立ち去り始めている。俺もその一人だ。依頼主、もとい荷物を傷付ける訳にはいかない。


「逃げてもいいが…。」



 相手の実力が俺以上なら、逃げるのが最善策だろう。だが、相手の戦力が少数かつ脆弱なら、今ここで仕留めておきたい。その方が、後々のリスクを減らす事になるからだ。


「に、逃げないんですか…!?」


「…。俺の目の届く所にいろ。少し確かめたい事がある。」

「は、はい…?」





 現代、「契約者」と呼ばれる人々がいる。彼等は、悪魔という異次元の存在と契約し、何かを失う代わりに超常の力を手にした。


 個人によって 契約相手の悪魔は異なり、その異能と代償も千差万別だ。



 その力を悪用する人間もいる。



「……の、依代ォ…。見~つけたァ…。」



 複数人の声を雑に重ねたような、気色悪い声。不協和音と共に、禍々しい影が黒煙の幕を突き破った。



 顔や腕、至る所に焼き印のような模様が広がっている、奇怪な男がホームに立つ。ひたいから生えた、牛のような一対の角。黒と白が逆転している、不気味な眼球。手足は異様に長く、人間と呼ぶには少々不自然だ。


 本当に「鬼」という生物なのか と信じかけたが、そうとも限らなそうだ。悪魔に支払った代償の影響で、このような姿になっているだけかもしれない。


 「鬼」というのは、やはり組織の名称と考えるのが妥当だろう。





 異様な雰囲気を纏うその男は、リリィを指差した。口角を にちゃり と上げて、歪な笑顔を見せながら。


「シリウスのォ……依代は、殺すゥ……。うふッ、うふふふ…!」


「キモいな…。」



 男は両手に持った壺を掲げると、中身をひっくり返した。俺は刀の柄を引き、黒い刀身を僅かに現す。


 壺の中から嘔吐されるように出てきたのは、虫の群れだ。蜂か何か知らないが、羽音を出しているのは聞こえてくる。



 それが、壺から無尽蔵に湧き続けている。その壺が別の空間に繋がっているように感じられる程、その数に際限はない。


 虫の群れが、プラットホームに拡散し始めた。




 言動からして、この男の目的はリリィの殺害と見て間違いないだろう。そして問題は、どのような悪魔と契約をして、どのような異能を手に入れたのか。ヒントに成り得るのは その醜悪な姿だけだ。


「………。とりあえず、軽く斬るか。」



 情報を得るには、状況を動かす必要がある。まずは行動だ。




 俺は鞘から刀身を抜くと、両手で構えた。奇怪な男も、恐らく臨戦態勢に入った。虫の群れが俺とリリィに向かって、移動を始める。


「……。」



 俺の口から、重苦しい息が短く途切れる。溜め息を吐き捨てたせいで、胸に小さな穴が空く。


 黒いパーカーのフードを目深に被り、腰を低く構える。両手で刀を握り、自分の正面に持つ。




 俺の最優先事項は、荷物リリィの保護だ。さっさと男を斬りたい所だが、まずはリリィの安全を確保する。


 右の袈裟、返し、旋回。三連の斬撃でリリィに迫る虫を全て排除。第二波セカンドウェーブが接近してくるのに対して 刀を振った直後、男の嘲笑うような表情が見えた。



 虫の腹が紅く発光し、俺の周囲で複数匹が爆発する。高熱の爆風が襲い掛かってくるのに対して、俺は横跳びでその場を逃れる。


 これで恐らく、この男の異能は特定できた。しかし、最早もう遅い。



 俺の横を素通りして、何匹かの虫がリリィに向かおうとする。


「…チッ。」


 自分に接近する虫を後回しにして、リリィに近づく虫を斬り払った。そして、そのせいで 俺の周囲に虫の大群が集まってしまった。


 虫が俺を包囲して、触れようとした瞬間だった。虫が爆発し、赤い閃光と無数の爆風が、俺に襲い掛かった。大量にいた虫の間で爆発が連鎖し、確実に獲物を仕留めんとして爆撃を繰り返す。




「死んだかァ…。うふッ、うふふふ…。」



 俺が居たはずの位置には、焦げた床と、虫の残骸が残っているだけだ。塵一つ残さずに、男は俺を爆殺した。




























 どうやら、本気でそう思っているらしい。男は相変わらずの気色悪い笑みを浮かべている。



 その頭上で、俺は天井を強く蹴る。パーカーのフードが翻った。




 無言で 男の背後に降り立つと、その首に黒い刃を滑り込ませた。一瞬で駆け抜けた刀身から、男の血を振り払う。



「……。」

「あ、……あ”ァ!?」



 俺はゆっくりと刀身を鞘に納めながら、リリィの元へ歩いていく。



 男は、背後から俺に手を伸ばした。そして、その手に持っていた壺が真っ二つに割れて、目を見開く。


 続いて、黒い直線がその首を横切る。直線……つまり切れ目から血が滲み出て、そこから鮮やかな赤色が溢れ出した。


「…リタ。アンタの命を狙っている奴は、他にもいるのか?」


「あ、えと……はい。他にも、たくさんいます。」




 男の首は地面に転がり、首の断面から滝のように血を流し始める。辺りを飛び回っていた虫は、煙のように消えていく。契約によって召喚されたものだったらしい。



 俺は自分の服に返り血がかかっていない事を確認すると、リリィを連れて駅の出口に向かい始めた。


 リリィは少し驚いた様子で俺の顔を見上げてくる。



「クザトって、強いんですね。」


「…強い か。どうだろうな。」




 俺は所詮、しがない運び屋だ。この小娘がどういう意味で「強い」と言ったのかは知らないが、少なくとも俺の対人戦闘の技術は、尋常の範疇に属する。


「何と言うか……頼もしい、です。」



 リリィは桃色の瞳を僅かに輝かせて、俺を見つめた。迷子が自分の居場所を見つけたような、安心した笑顔。


「…くれぐれも油断だけはするなよ。あと、別に俺は強くないから信頼するな。」


「謙遜しなくていいのに…。」




 それは さておき、あの男を斬った時の感触には違和感があった。人間を斬った時とは明らかに肉の質が違う。


 それはまるで、人に似た形の、別の何かを斬ったような感覚だった。



 地上へ続く階段を昇りながら、俺は自分の手を少し見遣った。


 悪魔との契約により体質が変化するのは珍しい話じゃないが、それにしてもあの男の肉体は不可解、不自然な点が多過ぎる。



 「鬼」という、御伽噺に出てくる怪物がいる。だが つい先程、俺の心中に一つの疑念が生まれてしまった。


「まさか、実在するとでも言うのか……?」





 どうやら俺は、とんでもない依頼を受けてしまったのかもしれない。ポケットから煙草を一本取りながら、俺は小さく溜め息をついた。





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「絶対に荷物を傷付けない運び屋」に、「私を運んで下さい」とかいう依頼が来た。嫌なんだが。 へろあろるふ @bkuhn

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