偶像婚

コノミ カナエ

第1話 実(みのる)

 みのるが秋の中頃、水死体として発見されたのは小さな橋から見える河川敷の、更にその内側だった。

 一人息子のみのるは行方不明となったその日の翌日三十二歳を迎えたものの、遺体の発見は誕生日の三日後で、やっぱりそのみのるも三十二歳を迎えていた。すなわち溺死したのは十月十七日以降ということになる。彼の生まれた日は十月十七日で、産声を上げたのは十六時五十分。ちょうど日の入りだったのを母親はよく覚えていた。かけつけた父親が後からそう教えてくれたからだ。父親はそれから数年後のとある日、早朝に小屋の後ろで首を吊っていた。


 父親によく似ていたみのるも同じような死に方を選びたがっていたが、ホームセンターでロープを探すたびに項垂れていたのを母親である自分は隣で見るだけで、優しい声をかけてやらなかった。この年にもなって正社員じゃないだとか、恋人もいないだとか、そんなことを一度だけ言って、それっきりだった。それ以上繰り返すとみのるは父親と同じように首を吊るだろうと、そんな風に考えていた。けれどみのるは自分の子でもあるので気が弱く、自分で死を選ぶような強さは無いだろうとも思っていた。

 睡眠薬を飲み、それから川に入り、眠るように溺れて死んだのだろう。

 生前に何もしてやれなかったという後悔から朝子あさこは息子の遺影と共に山中へと入り、枯れ葉に囲まれたお堂を目指す。後部座席に置いていた荷物も持ち、お堂の中に入ったら必死に頭を下げた。

 ――息子をと結婚させてやってください。

 後部座席に積んでいた荷物とはのことだった。みのるが好きそうな艶々とした黒い髪に、小さいけれどぷっくりとした唇。頬はほんのりと赤らんでいて、加えて瞼も眠たげな雰囲気がある。日本人形の中でも朝子あさこが「特に美しい」と思った子だ。思春期のみのるが視線だけで追っていたアイドルにも似ている顔立ちなのでこの子を選んだのだが、スマートフォンの小さな画面に映っていたアイドルの女性に比べると目に宿る色気はの方が勝るだろう。

 一重で軽やかでない瞼が眠たげに見えるのは隙とも見えるし、やはりそこが女性的にも思える。流し目と言えばそれが一番近い。その視線の先にみのるの遺影を置けば丁度いいだろうと考えて、左右の配置さえ指示した。

 儀式めいた祈りを捧げて、それからいくつかの説明を受ける。朝子は何度も頷きながら涙を拭くのにハンカチを濡らした。これでみのるもあちらで幸せに過ごせるだろう。可愛いお嫁さんをあちらで迎えて、二人で幸せになるだろう。

 これらは所謂、「人形婚」だとか「冥婚」と呼ばれるもので、朝子は一人息子のためにそんなことをしてやった。自己満足だということは分かっていたが、インターネットの記事になっているのを見つけてしまったら止まれなかった。それ以外の検索履歴はネガティブなものばかりだったのに、息子の結婚を考えるようになると気分も悪くならない。息子が死んだ川を見ても、入浴中に顔を洗っていても、明るい話題を頭に浮かべて「花嫁にどんな服を着せるべき?」と楽しく悩んでいた。

 枯れ葉をサクサク踏みしめながら車に戻ると、すっかり軽くなってしまった後部座席と助手席に寂しさを感じる。朝子は昔の呼び方で息子を惜しんだ。みのるくん。そう呼ぶと助手席が僅かに軋んだような気がする。

はるかさん、とっても綺麗ね……」

 助手席がまた軋むと朝子は嬉しくなった。息子が喜んでいる。綺麗な年下の花嫁をもらって、それを母に嬉しいと報告している。

はるかさんね、お母さんに教えてくれたの。みのるさんはお母さんもこの家に呼んでみんなで暮らせばいいって言うけど、私は嫌ですって。お母さんも嫌でしょ、って。ずっとみのるくんの悪口を言うから、呆れちゃったの」

 助手席が再び軋む。朝子は寺から離れると車内から初雪を眺めて、ハンドルを握り直した。

「やぁねえ。冗談じゃない。でも、みのるくんがお母さんの物忘れ、嫌がってたことくらい知ってるんだから……」

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