働かざるもの死ぬべからず

或蔵

第1話 素敵な日曜日




 今日は友人の処刑日だった。


 外は明るく、ソローリャの描いたような光に満ちていた。爽やかな風が吹きつけて、庭に咲いたばかりのアネモネが揺れる、そんな日曜日。


「『私の憩いよさようなら、

  私の心は重たいわ、

  憩いは、』……憩いはどうだったかな。

 『見つからない』、『見出せない』……。

 まぁとにかくいい日曜日だ!」


 メフィストはどこかで覚えた歌を歌いながら、ピクニック気分でお弁当に好物を詰めた。

 彼にとって今日という日は友人の処刑日である以前に、なにより日曜日だった。

 彼はそれにふさわしくスキップで処刑場に向かった。


「あ。すごい人だかり」


 処刑場の群衆は異様な熱気に包まれていた。

 彼らは蛾の羽をもぐ幼子のように、残酷で無邪気な悦びを顔に浮かべていた。誰もが虹彩を黒々と光らせ、口元だけを忙しなく動かしている。


 メフィストは「失礼」と愛想のない挨拶をそこかしこに投げ込みながら、無遠慮に群衆を掻き分けて進み、前から3列目くらいの位置に陣取った。

 ふぅと息をつく。ちょうど良い見晴らしに、彼は満足した。

 舞台はよく見える位置で、最初から最後まで楽しんでいたい性質だった。だから彼は、バレエの第二幕から鑑賞を始めるようなパリ乗馬クラブの連中を見下していたし、Netflixでクライマックスまで2倍速で見る現代人を軽蔑している。


 ふわふわのたまごサンドを食べながら、メフィストは友人の罪状を読み上げてる老人のシワの数を興味本位で数えていた。

 老人は長々と罪状を読み上げてはいたが、結局のところ、「人殺しがバレました」という、別に面白くもない理由だった。


 が、友人は19人殺したその「功績」によって、ここまで大々的に最期を飾ってもらうことになったらしい。


 意外とやるなぁ。

 メフィストは感心しながら、断頭台に上がる友人__カロ・メクメッサにウィンクを送った。

 しかしどうやらカロは自分に気がついていないようだ。もし気がついていたならば、自分に投げキッスが飛んでくるはずだから。

 すぐに退屈したメフィストは、隣に立っていた男に話しかけることにした。


 男は色の褪せたローブを着ていて、ところどころ擦り切れていた。しみったれた顔はしかし、この瞬間だけの奇妙な興奮によって紅潮している。

 その不自然な幼さが、風俗店の待機室によくいるサラリーマンにも似ていた。


「ねぇ、ミスター」


 メフィストは真面目な顔をして言った。

 いきなり話しかけられた男は少しの間ポカンとしていたが、真っ黒い青年が人好きのする笑顔を浮かべているのを認めて、ようやく「…はい?」と答えた。


「魔女狩りも随分人道的になったものだよね」

 年下の男は少し笑って言った。

「道徳の進化は早い。時々退化しているとも思うけど」


「…なんです?」

 戸惑いながら男が答える。

 もちろん聞き返したわけでも、話の続きが聞きたかったわけでもない。その証拠に、男は自分の言葉を後悔していた。


「少し前までは拷問を眺めるのも民衆の楽しみだった。火炙りにされたばあさんの、どこにそんな力残ってたん?みたいな断末魔聞いて、みんなニヤニヤしてたのに」

 メフィストは悲しげに肩をすくめた。


「…え?」

 男は戸惑って聞き返しながら、じわじわと恐怖していた。

 火炙りだって? そんな恐ろしいこと! と男は汗を流した。

 全く道徳的ではない。


「ギロチンは革命だったけど、でもつまらないと思わない? もっとこう、長く悲鳴が楽しめた方がいいよね。オレ、クラシックとかテクノとかが好き。音楽はとびきり長い方が良い。ミスターは? どんな音楽が好き?」

 メフィストは聞きながら、しかし男の答えなどどうでも良かったので、返事を待たずに続けて話した。

「だからさぁ、例えばね? 背中にナイフかなんかで文字書くっていうのはどうかなぁ。盗人だったら『窃盗』とか、人殺しだったら『殺人』とか。カロだったら『大量殺人』?」


 メフィストは楽しげな眼差しで、ギロチンに首を置くカロを見つめた。

 少しやつれたらしい友人は、完全にリラックスしているように見えた。


「……」

 男は緊張して、喉が渇いて声が出なかった。

 黒い青年は穏やかに話しているが、まるでナイフを突きつけられているような錯覚を覚える。

 日々の鬱憤バラシに処刑場に来たというのに、自分の黒い目に、この黒い青年が溶け合ってしまうような悪夢を見た。 


「自分の罪は自分に刻まれるのに、そして自分の罪に殺されるのに、その罪が何なのか、自分だけには決してわからないってステキじゃん? 人生みたい」

 メフィストはテキトーに締め括った。

 実際何も考えてなかったし、彼はそのようなところがあった。お喋りは好きだが、討論は好きではない。


 そのとき、ヒュッと音がした。

「あ」


 メフィストは慌てて首をぐるんと回し、処刑台を見やったが、もう鈍い錆色の刃が落ちたあとだった。その代わり、すでに落とされたギロチンの刃から、ボトッと人間の首が落ちる瞬間を見た。


 刃が上げられる。


 その首がくっついていた場所の真っ赤。


 「うわ」

 メフィストは顔を顰める。

「やっぱギロチンってサイテー。なんにも聞こえなかった…」


 せっかく見にきたのに。メフィストはバスケットに詰めてきたワインを瓶のままグイッと煽り、ちぇっ、と舌打ちをした。


 「大して面白くもねぇな」


 地獄の悪魔は人死など見慣れている。地獄は赤くできているのである。


 悪魔は呟き、フ…と姿を消した。

 同じく死刑執行を見損ねた壮年の男が心底驚いて叫び声を上げた、午後3時。

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