花天月地【第33話 半月を想う】

七海ポルカ

第1話



 賈詡かくの私邸は分かっていたので、瑠璃るりを伴って奥の城から出てきた。

 今は甄宓しんふつの侍女である陸佳珠りくかじゅの姿をしているので、うっかり見知った将官に会ったからといって、敬礼をし挨拶などしてはいけないなと陸議りくぎは気をつけることにした。

 賈詡は仕方ないが、他は出来るだけ会わない方がいい。


 こちらの城にも女官や侍女は多いのだが、甄宓付きの侍女は服装が彼女たちより豪奢なので、やはり少し目立つのだ。

 

 

「……佳珠かじゅ様、無理を言って申し訳ありません」



 周囲を警戒しつつ歩いていると、後ろからおずおずと声が掛かった。


「いいえ。無理ではありませんよ。

 大切な方が戦で亡くなるかもしれないと思われるならば、

 そうならないでほしいと強く願うのは当たり前のことです」


 陸議りくぎが優しい声で言うと、瑠璃は小さく頷いた。


瑠璃るり殿、先程……『何か悪しきものに取り憑かれているようだ』と仰られましたが…………何かの比喩だったのでしょうか?」


 瑠璃が顔を上げる。

 やはり少し、怯えるような表情を見せた。


「いえ、少し不思議な言い方だったので」


「……郭嘉かくか様が、仰られたのです。病床で……」

「郭嘉殿が?」

「全く快癒しないご自分の身を嘆いて『まるで何か悪しきものに取り憑かれているようだ』と……」

「……。」

「佳珠様?」


「……いえ……私も、自分は何か悪しきものに取り憑かれているようだ、と言っている方にお会いしたことがありますよ。

 その方は……別に病というわけではありませんでしたが」


「……そうなのですか……悪しきことが重なると、人はそう思うのかもしれません」


「ええ……病に冒されている身近な人を見守るしかないというのは、とても辛いことです」

「はい。けれど、郭嘉様は私にとって、太陽のような方でした。幼い頃から」

「随分小さい頃から、お知り合いなのですか?」

「はい。少女時代から。全く身分違いでしたけれど、高貴なお家の方でも郭嘉様は私のような下働きの人間にまで親切で。

 よく声をかけて下さいました。

 一族でも特に秀でた方だったのに、昔からお優しくて。

 私はあの方が学んでおられることの、欠片も理解できなかったですけれど……でも何をしておられるのか気になって、こっそり見ていたら、文字を私に教えて下さいました」


「文字を」


 陸議は微笑む。


「だから私は読み書きが出来るのです。郭嘉様は私の先生ですわ。

 ……そのおかげで病床の郭嘉様に、本を読めました」


「兄妹みたいですね」


 陸議が微笑ましそうにそう言うと、瑠璃は目を少し輝かせた。

「郭嘉様がそのように私を想って下さったら……とても光栄です」

 彼女は郭嘉に好意を抱いているようだったが、確かに恋情というよりはもっと身内愛に近い温かい想いのようなものを感じた。

 自分と、陸績りくせきに近いようなものだ。

 兄弟ではなかったけれど、本当の兄弟のようだった。



『悪しきもの』



 空に舞う、黒い鳥。

 死肉を喰らう鳥だ。


「……瑠璃殿。私も、今から少し変なことを聞くかもしれないのですが」


「はい……」


「貴方は郭嘉殿が伏せっておられたとき、ずっと側にいらっしゃったのですか?」

「はい。可能な限りは。お側を離れませんでした」

「郭嘉殿がそのとき何か……仰られませんでしたか? その『悪しきもの』について」

「なにか……とは」

「何でもいいのです。なにか……正体の分からない人間の気配がする、というようなこととか」


 瑠璃は驚いた顔をした。

 陸議はその顔に、目を留めた。


「何か仰ったのですね?」


「何故それを?」

「そのことについて教えて下さいますか?」

「……仰られた通り、屋敷に知らない人間が増えた気がすると言っておられました。

 郭嘉様の病を癒やすために他方から稀少な薬草などを持って、商人が増えていますと申し上げたら頷かれましたが、……夜中蝋燭の火を決して絶やさないようにと、私に頼まれたのです。

 その時は目も病んでおられて、光がひどく痛むようでしたのに暗闇をひどく恐れておられました」


「そうですか……瑠璃殿。今の話、私も決して他言はいたしません。貴方もそのようになさっていただけますか?」


 瑠璃は陸議の顔を見つめたが、小さく頷いた。


「さぁ、行きましょう。ここは賈詡将軍の住居のお庭です。

 戻っておられるでしょうか……あ」


 陸議は立ち止まった。


 庭先に置かれた椅子に腰掛けて、賈詡がいた。

 しかし、もう一人共にいる人物がいたのだ。

 

 ――徐庶じょしょである。


 彼らは地図を見ながら何か話をしていたらしい。

 徐庶の姿を見た瞬間、あれだけなんとか自分が話をつけてあげたいなどと来たはずなのに一気に怖気付いていた。


「お? 今こんな美しい女性が二人も訪ねてくる賈詡かく殿かっこいいなって思ったでしょ?」


 隣の徐庶に笑いながら話しかけてくる。


「いえあの……そういうわけでは……」


「安心しなよ。郭嘉大先生と違って俺の庭じゃこんなこと滅多にない。

 きっと迷い込んだんだね。それにしても美しいお嬢さんたちだ。お花みたいだね。

 おじさん悪人顔だけど怖い人じゃないよ。

 庭はおかげさまで綺麗に整えてもらってるから、良かったら遠慮せず見ていっていいよ。

 綺麗な鯉もいっぱいいるからさ」


 賈詡が優しい声でそう言った。

 一瞬ありがとうございますと言って帰りたくなかったが、ぎゅ、と後ろにいる瑠璃が勇気を振り絞って陸議の衣の袖を握りしめ話そうとしている姿があり、か弱い女性を置いて自分だけ逃げ出す訳にはいかなくなった。


 陸議は覚悟を決めて、歩いて行く。


「あの……賈文和かぶんか、将軍でいらっしゃいますか?」


「おっと。間違いじゃ無かった。こんな美しいお嬢さん二人が苦情を言いに来るほど悪さはしてなかったと思うんだけども。……あれ? そちらの方どこかで……」


 さすがにすぐ、賈詡は気付いたようだ。


「初めまして、将軍のことは弟からよく、聞いております。突然訪問して申し訳ありません」


 どうにでもなれと思って陸議は話した。

 いざ同一人物だと見破られても、司馬懿しばい甄宓しんふつの間で頼み事をされているのだとでも言えばいいのだ。変装が見破られることなど別に大したことでは無い。自分の問題点は呉将だったことだ。性別のことなど取るに足らない話である。

 曹丕そうひ陸議りくぎが呉の将官だったことを知れば必ず斬ると言われたことが過ったが、そのことは考えないことにした。


「ああ、こう見ると本当に似てるねえ。驚いた。確かに伯言はくげん君も美形だが、似てる姉弟なんだね。貴方たちのことは司馬懿殿から聞いてる。姉弟でに奉公とは立派なことだ」


「あ、ありがとうございます」


 賈詡の真意は読めなかったが、とにかくばれなかったのだと思い込み話を進めた。


「申し訳ありません。大切なお話し中だったら、出直します」

「いや。早く仕事が終わったから夕方から同僚と早めの一杯をしてるだけ。

 そうだよね。徐庶君。

 なんか私に話かな? 話して構わないよ」


「あの……はい、ありがとうございます。

 瑠璃殿」


 呼ぶと、瑠璃が賈詡と徐庶に深く一礼する。


「そちらの方は?」


「はい。瑠璃殿と申します。私と、甄宓しんふつ様付きの女官である曹娟そうけん殿の知り合いにございます」

「曹娟殿は私でもよく存じ上げてるよ」

「はい。瑠璃るり殿は、潁川えいせんの郭嘉殿のご実家に務められてる侍女です」

 賈詡はふと、瑠璃の方を見た。

「郭嘉殿の……?」


「あの、賈詡かく将軍、どうか郭嘉様を今回の涼州遠征には伴わないでいただきたいのです」


 瑠璃がいきなり本題に入ったが、陸議はその方がいいかもしれないと思って止めなかった。


 思わず賈詡と徐庶が顔を見合わせる。


「郭嘉様ご自身が今回の遠征に同行するのを望んでいらっしゃることはよく分かっています。それでも、まだ郭嘉様は病から快癒されたばかり。涼州はこれから厳しい季節になると聞いております。そんな場所に今行ったら、今度こそ命を失ってしまいます。

 どうぞ今回だけは従軍を控えるよう、賈詡将軍からお話ししていただきたいのです」


 少しの沈黙のあと、賈詡かくは少しだけ困ったような仕草を見せてから、腕を組んだ。


「瑠璃殿は郭嘉殿のご実家にいらっしゃった?」

「はい。母が郭家に幼い頃よりお世話になっており、娘の私も幼い頃から仕えております」

「なるほど。懇意にしてるわけだね。

 ご存知の通り、郭嘉殿の涼州りょうしゅう遠征を心配し、打ちひしがれて涙してるご婦人方は許都きょとの城だけでも山ほどいるものだから、その一人一人の連れて行かないでほしいという懇願を聞いていたら一生郭嘉殿どこにも連れ出せなくなるので、いかに美人の訴えでも頑張って跳ね返すようにしているんだけれど、貴方はそういう女性とは少し違う立場だと思って良いのかな?」


「はい。私は郭嘉様の家に仕える下働きの娘です。あの方のお相手をなさる高貴な女性とは、全く違います」


「うーん。いや郭嘉殿別に高貴な女性だけ狙ってるわけじゃないんだよね。全然城の普通の侍女さんも正々堂々と立派に口説いてるからそのあたりは不明瞭なんだが……」


郭嘉かくか殿が病床におられた五年あまり、瑠璃殿が付き添われておられたようです」


 陸議りくぎが助け船を出した。

 賈詡がこちらを見る。


「そうかなるほど。瑠璃殿はお身内に近いと思って、貴方はここに連れていらっしゃったんだね。……そういえば貴方の名前を聞いていなかった」


「失礼いたしました、陸佳珠りくかじゅと申します」


伯言はくげん君とは双子かな? よく似ている」

 こういうことは勝算なく否定などしないほうがいいと思い、陸議は頷いた。

「はい。同い年です」

「なるほど。双子なら似てて当然だ。弟さんはよく修練場で会うよ」

「はい。賈詡将軍には涼州の武芸を教えていただいていると聞いております。ありがとうございます」

「仲のいい姉弟なんだねえ。よくご存知だ」

 賈詡は微笑ましそうに笑った。


「分かりました。佳珠殿と曹娟そうけん殿が信頼なされたのなら、瑠璃殿の素性も信頼出来るでしょうし、話を少し聞きましょう」


「あ……では文和ぶんか殿、私は邪魔になりますから場を外しましょう」


 徐庶が気を利かせて立ち上がろうとしたが、賈詡は手の甲を軽く動かした。


「――いや。貴方もいてくれ。徐庶じょしょ殿。今回の従軍のことだ。貴方にも聞いて助言をしていただきたい。

 こちらは徐元直じょげんちょく殿だ。彼も今回の涼州遠征組の一人だ。

 司馬懿しばい殿に招かれた軍師として全体の指揮に関わる。

 ご存知だと思うが、魏軍において【郭奉孝かくほうこう】がいる意味はとてつもなく大きいものだ。

 私も涼州遠征は容易くないと思い、彼を副官とした。

 だが勿論、彼の体調は非常に考慮している。

 それは今後も魏軍を任せるべき若き才能だからだよ。

 今回連れて行くことに対して、特別何か危惧することがおありかな?」


「……涼州は特に気候が厳しくなると聞いております」


「確かになる。私は涼州出身だから、よく分かる。あそこの冬は特に厳しい。

 山岳地帯が多いから、冷え込むんだよ」


「郭嘉様は快癒されたばかりです。もう一度何か体調を崩されたら、万が一のことがあるかもしれません」


 賈詡は椅子に頬杖をついた。


「いや……あなた方の前だから賢ぶるわけではないんだが、私も郭嘉殿に出陣を依頼する時、体調のことは特によく聞いたんだ。

 心配だから今回はやめた方がいいんじゃないかと思って。

 涼州遠征は何か攻められているための増援じゃない。

 時期は早まったが、急いで何かをしなければならないというわけではないんだ。


 腰を据えてじっくり涼州には当たるつもりだから、私としてはまず我々が先発として赴き、軍の進軍路を整えてから、後軍として落ち着いてから郭嘉殿に合流していただく手も、全く考えてないわけじゃないよ。

 とにかく無理に郭嘉かくか殿を連れていこうとはしていない。

 彼は曹操そうそう殿に重用されている軍師だし、曹丕そうひ殿、司馬懿殿も才を認めておられる。

 雑に扱ったりはしない。その点はどうか安心して欲しい」


 それを聞いて、瑠璃は少しだけ安心したような表情を浮かべた。


「ありがとう、ございます」


「うん。だが今回のことは郭嘉殿が強く望んでおられるんだ。

 本人確かに今は元気だし、それを根拠も無く今更今回は許都でお留守番していなさいと言って頷いてくれるかは疑問だ。戦いたくてしょうがないみたいなんだよね」


「それは……よく、私も知っています」


「五年も、ほとんど起き上がれず闘病しておられた。

 戻って来たのがあの人にとっては奇跡のようなことで、最近見かける郭嘉殿はなんていうか……とても毎日が楽しそうだ。

 何度か、涼州遠征は行かないでもいいんじゃないかという話を笑いながらしたことがあるが、彼はこう言ってた。『安全な場所で軍略を語っているのは軍師じゃ無い。軍師は戦場にあり――戦場で将兵を勝利に導くものだ』と」


 陸議の脳裏に、病を押して赤壁せきへきの指揮を執り続けた周瑜しゅうゆの姿が浮かんだ。


 考えないようにしても、


 闇の底から鮮やかに浮かび上がってくる。


 あの眩しい姿が。


「先だって行われた長江ちょうこうでの戦いを知っているかな。最近、忌々しいことに【赤壁の戦い】などと言われ始めているらしいが」


 瑠璃るりが小さく頷いた。


「あの戦いで、郭嘉殿はまだ戦列に戻れない状況だった。

 病の床で出陣を聞き、殿の敗戦を聞いた。

 …………とても軍師として悔しかったと私は思うよ」


「……はい。ご自分を責めておられました」


 賈詡は頷く。


「確かに涼州遠征を回避して許都きょとに残せば、命を失う可能性は低いだろう。

 春までは他の戦線も大きくは動かないだろうし。

 その間にしっかり療養してもらうのも、悪くない。

 だが、赤壁の戦いの報告を受けて、郭嘉殿が激昂されたという知らせは私も受けている。

 あの冷静で温和な郭嘉殿がそんな状態になられるなんて、信じられないくらいだが。

 ……同じ軍師として、気持ちは分かる。

 涼州遠征は急いで事を起こさないとは言ったが、重要な任であることはご婦人にも分かっていただけるはずだ。

 そうでなければこっちもわざわざ冬に涼州遠征などしない。

 赤壁の戦いでの敗戦が、大きく関わっている。

 他の二国が動く前に、こちらの準備を進めたいと思い、司馬懿しばい殿も春の予定を前倒しされたんだ。


 とても重要な任務だから、早めた。


 だとしたら、その重要な任務に魏軍最高の軍師である郭嘉殿が関わるのは当たり前のことだ。

 逆に、郭嘉かくか殿に私が『何故私は今体調も良好なのに貴方は私を連れて行かないのか』と言われた時に、なんと答えればいいのかな。


 郭嘉殿は十代で魏軍に従軍されてる。

 異例の若さで取り立てて下さったのが、曹操殿だ。

 彼の才ならそういうことがなくてもいずれ自然と世には出たと思うが、それでもいわば恩人のような存在なんだ。


 その曹操殿が孫呉に対して仕掛けた大きな戦に、病気で参戦出来ず、敗戦の報を病の床で聞くしか無かった郭嘉殿の苦しみは、想像に難くない。

 今は春に備えてほしいくらいは言えるが、それで納得される御仁じゃない。

 もし少しでも体調を崩されたらすぐに戦線からは離脱させ、可能ならば許都に戻すよ。

 それはお約束する」


「……でも、体調を崩されてからでは、遅いかもしれないのです……」


 瑠璃は涙をこぼした。


「それはそうかもしれないが。

 しかしそこまで郭嘉殿が望んでいることを、健康になられた今、

 私たちが否定して戦いに参戦させなかったら、

 体は無事でも、郭嘉殿の心は死ぬだろう」


 陸議と瑠璃は思わず賈詡を見た。


「人は心が死んでも、生きていけんと私は思うが。

 ……貴方たちはどうかな?」


 心の奥まで、深く、切り込まれた感じだ。


 賈詡の喋り方は静かで穏やかだったが、反論が出来なかった。


 押し黙った二人に、賈詡は徐庶じょしょを見る。


「君はどう思う?」


「……賈詡殿の言われることはもっともだと思います。これで理由を伏せて出陣を禁じても、郭嘉殿が納得されないでしょう。

 ここは、郭嘉殿とは直接一度、お話しされたほうがいいかと」


「うん……そうだな。あの方はご自分がご婦人方に心配されるなんて当たり前だみたいな罰当たりなことを仰っていたから、今更貴方を心配している人がいるよ、なんてことを言っても『ふーん』なんて反応する恐れがある。これだから美形は嫌いだね。そう思わないか?」


「えっ」


 突然言われて、徐庶が驚いたようだった。


「ええと……そうですね……はい……」


「うーん。瑠璃殿は郭嘉殿に当然そういう話はもうしたわけだね?」


「はい。穎川えいせんのご実家でいたしました。もう少しこちらで療養された方がいいのではないかと」

「全く聞く耳持たなかった?」

「はい。早く公務に戻りたいと仰って……」

「勿体ない。あの人が実家でまだ大人しくしてたら、私だって無理に涼州に連れ出したりしなかった。

 こんな美しいお嬢さんと、この冬くらい実家でゆっくり過ごせばいいのに」


 賈詡かくがそんな風に言うので、瑠璃がようやく笑った。


「……郭嘉様が、賈詡将軍のように考えて下さる方なら、良かったのですが……」


 賈詡が声を出して笑った。

「ああ、良かったようやく笑ってくれた。

 貴方は謙遜するが、郭嘉殿にとって貴方は大切な方だ。

 そんな方を私の庭で泣かせてたなんて郭嘉殿に知られたら、あのヤンチャな御仁に一体どんな腕白な仕返しをされるか分かったもんじゃない」


 瑠璃を安心させるようにわざと賈詡がそういう話をしてくれてることが分かって、陸議りくぎは安心した。

 賈詡も郭嘉の手は借りたいようだが、無理をさせる気は全く無いようだ。

 これならば、彼にもう一度郭嘉に話してもらった方がいいだろう。


(多分、郭嘉かくか殿は出陣を思いとどまったりはなさらないとは思うけど)


 これは単なる根拠のない勘だが。


「分かった。一度郭嘉殿と話してみよう」


「ありがとうございます!」


 瑠璃と陸議が同時に頭を下げる。


「だが今日はもう遅い。明日になってもいいかな?」

「はい。賈詡将軍がお話し下さるのなら、いつであろうとも」

「そうか。貴方も同席するか?」

 瑠璃はそう言われて、一瞬躊躇った。

 こちらを見たので、陸議は賈詡がそう言ってくれるならばと頷いた。

 伝わったと思うが、瑠璃は何故か首を振った。


「……いえ。私は……私がそのような場に出しゃばって行くことを、郭嘉様は快く思われないと思います。

 賈詡将軍がお話し下さるならば、それ以上私が何を言っても無理にございましょう。

 どんな結果であれ、私は受け止めます」


 賈詡は頷いた。

「そうか。ありがとう。では後のことは私に任せてくれ。郭嘉殿と話が出来たら貴方に必ず知らせを送るよ」

「はい。今日は私などの為に時間を取っていただきありがとうございました」

「とんでもない。打ち明けてくれて良かったんだ。何にせよ知らずに涼州に向かう方が後味が悪いからな。

 ところで、穎川から来られた瑠璃殿はどちらでお過ごしになられている?

 城かな?」


「あ……いえ私は、城下の宿に。涼州の遠征を見送ってから戻るつもりです」


「そうか。佳珠かじゅ殿。貴方にお願いして悪いが瑠璃殿を【月天宮げってんきゅう】か、【紫苑宮しおんきゅう】の客間かどこかにお泊めできるよう、曹娟そうけん殿に頼んでくれないだろうか?」

「かしこまりました。甄宓しんふつ様はお留守でございますが、曹娟殿が用意して下さると思います」

「ありがとう。徐庶じょしょ殿、すまんが私はこれから張遼ちょうりょう殿と会わねばならん。

 お二人を月天宮にお送りしてくれないか」


「あ……私たちは大丈夫です……城の中ですし」


「いや。無論城の警護は十分だが、今は涼州遠征の準備で城に色々な人間が入り込んでいる。過信はしてくれるな。

 貴方がたに何かあれば郭嘉殿や甄宓殿に申し訳がないのでな。

 遠征を控えて、このようなことでも細心を払いたい」


 徐庶が立ち上がり、賈詡と二人の娘に一礼した。



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