第5話 王女殿下と右の手袋

 朝の光がカーテン越しに差し込み、 陽射しは天蓋を透け、わたしの頬をそっと撫でていき、 鳥のさえずりが聞こえ始め、窓の外では中庭の薔薇がソヨソヨと揺れていました。


 わたしはウトウトとまどろんでいました。


 ほんとに、なんだか長い夜でしたわねぇ⋯。


 うん? 夜??


 


「あっ! いっけねえ! ⋯そうでした!!」


 わたしは起きて早々に両手を口元に抑えたまま、勝手に大騒ぎをしました。


 思い出しました。さっそく「朝の手袋探し」。彼とのかくれんぼのお時間です! あのお方のお名前⋯。聞きそびれてしまったので、午前中には絶対に聞いておかないとですね!


 わたしはすぐさま、魔法ベルで侍女のマルガを呼んで着替えを済ませ、部屋から出ましたよっと。今朝はいつも起きる時間よりもだいぶ早いので、時間はたーっぷりありますよー!


 きっとあそこかな。⋯保管部屋! これまでわたしが拾い集めてきた、片方手袋たちのお部屋。そのお部屋はわたし実質から離れており、複数ある倉庫部屋の一室。


 そこかーとは思いながら、わたしはドアを「ブワワーーーン!」と開けました。


 その瞬間──。あの時に感じた、テレパシーの魔法です! 居ましたね!


『のぁっ! ひ、姫さま⋯? えっ? どうして⋯? ここが⋯。 おっ⋯。 ぐおっ⋯!』


 多量の片方だけの手袋が置かれてる中で、ひとつだけ震えていました。何やら、バレない自信がおありだったのか、何度も攻撃を受けた時のやられ声みたいなのを発していましたが、わたしのかくれんぼの勝利に彼はそんなにも効いているの?


 わたしの視線の先で、他の手袋にまじってちょこんと置かれたあの白い手袋が小刻みにブルブルです! わかりやすすぎでしょ!


 しかも、テレパシーでわざわざここに居ることを伝えなくてもいいのに⋯。もう、わざと見つけて欲しそうな感じすらあります!

 

 


「ふふっ、見つけましたよ。手袋さまー!」


 朝食前だし、まさに朝飯前。そう心の中で勝ち誇っていたのは、内緒です。


『んぐぁっ?⋯⋯??』


 わたしは、手袋を手に取って、そのまま強引に右手にはめました。彼は意外と拒絶しませんでしたけども⋯?


「んふふ! もう逃げられませんわ!」


 わたしの右手が、ぷるぷると震えました。ただし震源地はわたしではありません。手袋です。


 すると、わたしの右手が勝手に動きました。す、すごい⋯力で動かされてる⋯。右手が勝手に動いて、部屋にあったテーブルに手を当てた?


『お、おそれおおくも王女殿下に、ご挨拶申し上げ──』


『い、いいのです! あなたの挨拶は省略ですわ。わたしの手元なのですから、わたしと一心同体でいいじゃありませんか?』


 すると手袋はしばらく沈黙と言うか、何か考え事をしてるような? 激しい呼吸のような動きまでも見せていました。その沈黙でわたしはちょっと自身の発言に少し後悔しました。


 


『いや⋯。王女さまが⋯。その⋯。プライベートというか⋯。お手をお洗いになられる際、お着替えの際、ご入浴の際、どこかかゆいところがおありの際、夜着姿の際は、僕は、絶対絶対絶対絶対に、ここから一時的に離れますから⋯⋯! わたしはこう見えて、気持ちは男ですので⋯! お、男ですので⋯!!』


「んふふっ。それはとても助かりますわ。⋯もしも⋯外し忘れましたら、ごめんなさいね? ⋯てへぺろ☆」


 わたしは左手の拳でおでこをコツンと叩き、舌をちょろりと出してみせました。これは、彼の前世の日本に存在するらしい乙女のポーズ。テラ先生直伝の「てへぺろ☆」です。彼もきっとこれは知ってるでしょう!


『いや⋯。あの⋯。外さないのでしたら⋯。もちろん俺は⋯逃げますから! わずかな魔力量で転移魔法だって使えますから! それにしても⋯。そのあざとポーズ、“てへぺろ☆”は、なんか懐かしいというか⋯。かわいらしっ⋯。あ、いやっ、ちょっ、今の何でもないっっすすすーすっ──!』


 えっ? か、かわっ⋯? ん? えっ、かわいい⋯?? 何だろう⋯これは!? このくすぐったいような感情が、一気にゾクゾクっとわたしの体中に押し寄せて来たのですが⋯? あ、これはきっと、わたしがあまりに恥ずかしいからですかね? わたしは思わず顔を手袋からそらしたし、ついでに話題もそらしてみせました。突然、かわいいだなんて不意打ちです!! んもうっ!!


『あ、そうでしたわ。わたしはこの国、クエスタ・アリーバ国王の第一女王で、マニータと申しますわ。ええと、形式上ではあなたは今まで通り、わたしを“王女”と呼んでいただく方が無難ですわ。あなたのお名前は?』


『あっ、ぼ、僕に名乗らせる機会を頂き、ありが⋯感謝申し上げます! 王女さまぁっ⋯! ⋯えっと⋯⋯。名前⋯。あ⋯。俺のは、苗字、というか家名、つまりファミリーネームが、日本語的にも複雑なものでして⋯。誰もが字にすると読めない事情があるので⋯⋯。その一部が“ユビ”と呼ばれたので、そのあだ名で呼ばれてました。⋯日本語で“指”の意味なんですが⋯⋯。なんか、よりによって、前世も今世も指って⋯。やはり変えたほうがいいですかね⋯⋯?』


 何故か右手以外が小刻みに震えました。どうしてでしょう? いや、わたしにはそれが分かっていました。つまりわたしの全身が震源地です。これは笑いをこらえるための反応です。前世で指を意味するファミリーネームで、今では指らしい姿をしているって、これはちょっとすごい運命のいたずらかのような事情を持つ方ですね⋯。笑ったら失敬なのに、笑ってしまう⋯!


「んふふふ⋯⋯もう。おかしくて、声に出して笑ってしまう。んははっ⋯。ふっ、ユビー! よろしく!」


『⋯⋯お⋯お、王女さま⋯。俺⋯って、ほんとうに、王女さまの手元で⋯。いいのでしょうか?⋯。お、おない歳の男が⋯。右手なのですよ?』


『え? よくないですか?』


『いや⋯⋯。王女さまがよろしいのなら⋯⋯。いいんですが⋯⋯。その⋯⋯俺⋯この歳で⋯。失礼ながら、全然女性に慣れてませんし⋯。その⋯。照れてしまって⋯。このように、言葉がなかなか出てこなすぎて⋯。お時間がかかってしまい、お恥ずかしい限りでっ⋯⋯』


 ユビーは、とても純粋で正直な男性だなと、わたしよりも大人だなと、とても格好良くも思いました。照れていることをこんなに薄情するなんて、そうも容易くできるのかと、だって、わたしは「照れ」をこうやって隠し通そうとするのは、子どもっぽいなぁと我ながら、思っていたのだから──。


「わたしが“いい”と言えば、いいのですよ! これは命令です!」


 わたしは左手の人差し指で、右手のユビーを指して言いました。こんなところで王女殿下の権力を使ってしまった⋯。わたしはとても愚かです。本当にわたしはこの国の王女なのでしょうか? わたしはもうムキになったら、子どもみたいにこうです。


 やはり、わたしは自分の気持ちに素直になれず、つい恥ずかしくない素振りをしてしまいます。わたしってまだ子どもなんだなと。一生これからも治らないのではと、こんな自分がとても嫌になりました。


『わわっ⋯。わかりました⋯。わかりました⋯。王女さまの命なら⋯! 頼りない僕⋯。こうやって、お伝えするお時間をおかけするような⋯。とても頼りない僕で、良ければ⋯。貴女を⋯こ、この命尽きるまで、お、お守りすると誓います⋯!!』


 わたしの左手の人差し指に、ユビーは人差し指をぴたりと重ねて、そう言いました。それはまるで騎士たちが仲間同士で、剣と剣を掲げて奮い立たせるような⋯?


 たどたどしいながらも彼なりの頼もしすぎる反応に、わたしはもはや冷静さがなくなり、落ち着かなくなりました。彼はわたしと同じ歳だと言っていたが、彼のほうが断然、とても大人だなと、わたしは知らしめられました⋯。


 すると、わたしは鼻がむずむずして来ました。これはあの予兆。大ピンチです!


 


「んー⋯⋯っ」


 この予兆は、自分自身がとても嫌になるあの瞬間の予兆です。


 もうこれは、自分自身でまったく制御できません。とても失敬な姿を彼に曝け出すことになってしまいますが、これは時間の問題ではあるとは言え、意外と早かったな⋯。


 


「ふっ⋯⋯ふわわわーっ⋯⋯」


『⋯王女さま?』


 わたしは、両手を握り締めてぶるんぶるんさせる動きをしていたと思いますが、こんな咄嗟な時の自分自身の行動なんて、はっきりと覚えていません⋯。


「ん⋯ふぇっ⋯⋯くひゃむーー⋯⋯」


 ううう。くしゃみーーが出るぅー。


 


「へっ⋯じしゅっ⋯! ⋯んっ⋯じしゅっ⋯! ⋯ふっ⋯⋯じしゅっ──」


 


 ううう。


 いつものかわいげのない連発くしゃみが出てしまいました⋯。


 いくらわたしは王女とは言え、くしゃみはくしゃみ。キレイなものではありません。


 わたしのくしゃみは、一回出ると六回以上は止まらないという⋯相手に不必要な待機時間を与える呪いのこもった超恥ずかしい「しつこくしゃみ」なのです。


 


 これが自分至上最も好きくない嫌いなところなのです! 治せるなら治したいですが、これはどうあがいても治せません。


 無理に抑えこもうとすると、詳細は割愛しますが、大惨事──になりますからね。


 テラ先生のような咳と区別できないちっちゃいくしゃみと、レレちゃんのような笑い声かと思わせるちっちゃいくしゃみに何度憧れたことか。


 彼女たちの女子力は計り知れません。豪快連発くしゃみ王女のわたしに、どうか女子力を──。なんて考えれば考えるほど、悲しくも恥ずかしくもなっていきます。


 そう言えば、母もくしゃみをよく連発していて「しつこくしゃみ」でしたが、大きくはありませんでした。 一方で父は一回の大きいくしゃみだったので、わたしはこの両親たち双方のくしゃみの要素を同時に頂いたのかも知れませんね⋯⋯。 親からの遺伝の影響ってすごいのですね⋯?


 


 まぁ、この部屋には大量の手袋がありますから、繊維やらで鼻をくすぐったのでしょう。 もしもわたしが手袋だったらくしゃみしなくて済むのに。


 手袋⋯。あ、そうでしたわ!


 ユビーにわたしの豪快な連発くしゃみを聞かれてしまいました。しかもも!


 


 


 いいえ、それだけではないのです⋯。


 彼は今わたしの右手であり、今わたしは両手で口元を覆ったということは、至近距離でユビーに、くしゃみをかけたし、聴かせたし⋯。


 つまり。その。


 


 


 ひぁああああああん!! 恥ずか死ぬうう!!


 


 


「ぐすっ⋯⋯ はわわっ! わわあっ! ご、ごめんなさ~~い! ⋯ぐすんっ」


 わたしはこのとき、レレちゃんがあの時に言っていた「恥ずか死ぬ」という感情を、心の底から、理解してしまいました!


 だからもう、年相応の素の自分が出てしまってます。普段はこういうところを王女たる者は見せてはなりませんから、余計に恥ずかしいいいいいい。


 「恥ずか死ぬ」──。それは、レレちゃんは極度の方向音痴で、広い王城でお手洗いの場所が分からないまま、モジモジあちこち歩いていたのを見かねて、わたしが場所までご案内して差し上げて、彼女を待ってたら「ごめんなさい王女さま⋯。ひぅっ、ふえーん! このままじゃ、うち恥ずか死ぬげんっ! ごめんさい、今日はこれで、さよならです!」と、大粒の涙を貯めながら走り去ってしまい、その日に別れてから次の日になるまで会えなかったことがありました。テラ先生がなになに?と聞いてきて、その後のテラ先生は倒れ込んで大笑いし、つまり「バカウケ」でした。次の日の彼女はすごい謝罪しきりでしたが⋯。


 確かにわたしが、レレちゃんの立場であったら気まずいでしょうし、ましてやわたしは王女であり、絶対に見せたくないところを見られたのなら、彼女の羞恥心が限界突破シャイニンガールだったのでしょう⋯。彼女のような恥ずかしがり屋さんは、かわいいけれど、可哀想でもあります。


 


 わたしの顔が熱くなったのと涙が出たのは、苦しい連発くしゃみによるものなのか、羞恥によるものなのか、全くもって考えたくもありません。


 そんな中、ユビーはどこから出してきたのか、手袋の色と同一の白いハンカチを渡してきました。


 その魔法式もテレパシーでくれました。破棄されたと自己判断したら三分で消えるハンカチ? なにこれすご。経済的では?


 そのハンカチでそっと濡れた箇所を拭って捨てました。ああ、こういうところも見られるとか、ほんと恥ずかしい。


『日本では言いませんが、ある国ではくしゃみをした人に、こう言います。──神のご加護がありますように──と』


 その冷静で紳士的な対応に、わたしはますます恥ずかしくなり、かすれ声で答えました。


「⋯⋯わああ。やらかしましたわ⋯⋯それとあとであなたを念入りに、洗ってあげますから⋯⋯本当に⋯⋯ごめんなさい⋯⋯」


『いえいえ。防音性のある障壁魔法を使いましたし⋯。女王さまのセンシティブな情報は、俺には一切入ってきてません。俺はあなたを守るためなら⋯⋯逃げはしません。』


『では、今後のわたしのくしゃみも⋯。ご、ご覚悟下さいませ!』


『えっ? ⋯⋯あっ。はい⋯。』


 わたしは一体何を言ってるのでしょう。自分で言っといて頬の熱が⋯。


 自分が素直じゃない所為で、女子力がマイナスになる発言をしてしまっています。これはレレちゃんに知られたら叱られてしまうげんぞ。


『わたしのしつこくしゃみは嫌ですか?』


『でも、くしゃみをするのは人間らしくて⋯。か、かわいいじゃないですか! 俺はこの通り⋯。魔力があるだけの手袋なんで、人間らしいところが⋯。なくなってしまいましたからね⋯』


 なんでそんなスラっとかわいいとか⋯。仕返しに、わたしも褒め殺しちゃいますー!


『でも、あなたの動きと、たどたどしさはとても人間らしいわ。昨夜からそう思ってたわ』


『え⋯? そうですか? 全然自分の動き⋯。意識してませんでした⋯⋯』


『わたしよりも人間らしいのでは?』


『いやいやいや、それはおそれおおくも⋯。いや、そんなことは言えませ──』


 


 そのとき、ドアの向こうからノックの音が響きました。


「王女さま、やはり、こちらでしたか。テラ先生を含む“暫定魔王討伐隊”の四人が来られました。王女さまも交えて緊急のお話だそうです。お朝食を交えて──」


 侍女のマルガの声に、わたしは肩を揺らしました。


 もしかして、昨夜のユビーの異様な魔力量に、気づいてしまったのでしょうか?


 わたしは、マルガとともに部屋を出ました。


 わたしたちはマルガや使用人たちに感づかれないようにテレパシーでやりとりしながら、彼らが待つ食堂の方へ移動します。便利ですね。テレパシー。


『⋯テラ⋯⋯先生って? まさか⋯⋯テラサキ⋯先⋯生かな⋯?』


『ユビー⋯?』


 ユビーの右手がわたしの顎に軽く手をあててきました。これは考え事しているからでしょうか?


 って、ここでわたしの顎つかうの?


 こうやって、わたしを触れてくれてるの、何故かうれしくなってきて⋯。


 あれ? 何故だろう⋯このうれしくなる気持ちって⋯?


 わたしもユビーと同じく、考え事をしてしまいました⋯⋯。


 


 


 

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